大学、そして新卒で就職した先が第一志望ではなくとも、回り道をして培った経験が現在に活きている。むしろ「やりたいことができていない」というフラストレーションが原動力となってNHKに転職、そして気象予報士の資格を彼女に取得させた。NHK『ニュースウオッチ9』のお天気キャスターを5年務め、現在はTBS『あさチャン!』で活躍。彼女は一体、どのようにチャンスをつかんだのだろうか。
高校時代、将来は獣医さんになりたいという夢を持っていて、獣医学部のある大学を受けたんですけど全て落ちてしまって。筑波大には獣医学部がないからどうしようと迷っていた時に、動物もそうだけど、自然に触れることも好きで化学も得意だから自然学類化学科なら興味をもって学べるかもしれないと思ったのが、筑波大を受験した経緯です。
友達と過ごした時間ですね。私の頃は1年で寮に入ることが前提だったので、追越の寮や学校で、友達とべったり朝から晩まで寝食を共にした生活は私にとって貴重な体験でしたし、絆が深まりました。
ずっと獣医になりたいと思っていたので、1、2年の頃は気持ちの整理がつかず目標をもって勉強に取り組むことはできませんでしたね。でも、筑波大には全国から明確な目標を持って来ている人が多いので、彼らに刺激を受けて「私も何かやりたいことを探さなきゃ!」と。かといって性格的に研究者は向いていない、じゃあ何だろうと思った時に、当時テレビで科学番組を観るのが好きだったので「メディアに携わるのも面白そう」と思ったんです。科学や自然について広く伝える人になれたらいいな、と。
そうですね。ところが筑波大はそれほどマスコミ関係の就職には強くなかったので、外に出て情報収集をしようと3年の頃に3か月ほど日本テレビのアナウンススクールに通いました。そこで他大学の友達から情報を得て、いざ就職活動に臨んだのですが東京キー局、大阪、名古屋のテレビ局のどれも合格できず。就職浪人も考えましたけど、あまり1つの場所にとどまることが好きではないので、「次の機会を伺いながら、とにかく前に進もう」と、採用してもらった製薬会社に入社することにしました。
いえ、会社には失礼だったと思いますが、一度社会で自分に足りなかったものを身に付けてから、またマスコミの採用に挑もうという気持ちでした。それでも会社で働いていた頃は想像以上に色んな能力が求められ、日々仕事に懸命に向き合っていましたね。
医師や薬剤師に医療用医薬品の情報を提供するにはMRという認定資格が必要で、その資格を取るために同期の皆でホテルやウィークリーマンションで寝泊まりしながら勉強をして。いざMRとして働き始めると、新人社員だとしても医療のプロであるお医者さんに営業をしたりプレゼンテーションをしなければいけませんでしたし、スケジュールも当然、お医者さん最優先でしたから非常に大変でした。
製薬会社からマスコミにいく人なんてほとんどいないほど、かけ離れた世界だからこそ「皆が持っていない知識を身に付けよう。それが私の武器になる」と考えて、とにかく製薬会社で学べることを吸収しようと心がけていました。最初は、遅れをとっているかもしれないと焦ったりしましたけど、「武器を身に付けよう」と発想の転換をしてからは前向きに取り組めていたと思います。
実際、気象キャスターとして働いてみると、花粉症や熱中症などいわゆる気象病と言われるものなど会社員時代に養った知識が役に立っていますし、そこでできた人脈を生かして情報を仕入れることもあるんですよ。
NHK静岡にキャスタ―契約をして頂きました。いつ契約が終わるか分からないところに飛び込んでいくわけなので、会社を辞めるのは勇気が必要でしたけど、当時はとにかくマスコミの仕事がしたくてしょうがなくて。親にも「せっかく安定した給料をもらっていたのに、辞めてしまうの??」と心配されながらも、自分の気持ちを通すことにしました。
その時はそう思っていたんですけど、でも、もし今、私と同じように1年目で転職を考えている人がいたら、「3年ぐらい1つの会社で頑張った後でも間に合うよ」とアドバイスするかもしれません(笑)。
最初の2~3年はリポーターとして街の紹介をしたり、料理番組を担当したり。地域の皆さんと体操をするなど色んなことをやりました。
キャスターになって気付いたのは、新卒で勤めていた会社でずいぶん度胸がついたなということ。もともとは人前で喋ることが苦手な性格でしたけど、会社員時代にプレゼンテーションのスキルや人前で喋ることが当たり前になっていたので、やはりあの1年は無駄ではなかったと実感することは多かったです。
NHK静岡に入って、憧れのマスコミ世界で最初は楽しくてしょうがなかったのですが、2年経った頃、大学時代に思い描いていた、自然や化学について伝えることはできていないと考え始めたんですね。
それに、静岡は地形的に台風や地震が多い地域で災害報道に力を入れていました。「ご縁があって静岡に来させて頂いたんだから、皆さんの命を守れる報道に携わりたい」、そう思うようになったんですけど、契約キャスターである私が「災害報道をやりたい」とお願いしてもすぐに任せてもらうのは現実的に難しい。それなら「あの人に災害報道を任せたい」と思ってもらえるキャスターになろうと思って、気象予報士の資格を目指すことにしました。
民間の気象会社が運営している塾に通ったり、自分で参考書を買って勉強しました。働きながら勉強するのは本当に大変で、「大学時代に資格を取っておけばよかった……」と思いながら、仕事の合間や移動時間に必死に勉強をしていましたね。
静岡にいた4年の間には取れなくて、その後、制作ディレクター兼レポーターのオーディションに合格して東京のNHKに異動してから取得しました。東京で裏方としても番組に関わりながら働いていた頃、「資格もあることだし、次は気象に関われる仕事を探そう」と思っていた頃に、NHK大阪で気象予報士兼キャスターの募集が出て。採用していただけたので、2年間務めた東京から大阪に異動することにしました。
大阪に行く時は少し迷いもありましたよ。ずっと東京で頑張っていきたい気持ちが強かったですし、ちょうど30歳になる年だったので、なんとなく「この年で東京を離れたら、もう東京には戻って来られないかもしれないな」と。しかも当時は関西の地形や気候に関する知識がなかったので、「気象予報士になりたての私で成立するだろう!?」と不安になりました。
でも、とにかく今は気象予報士として経験を積みたい、今与えられたチャンスを生かせばきっと未来につながるはずだと。そんな気持ちで大阪に行くことにしました。
今では珍しくないですが、当時は気象予報士もキャスターもできる人がそれほど多くなかったので周囲の期待をすごく感じました。それまでは期待されることがなかったというか、最初に志望していたマスコミの会社にことごとく落ちて、静岡ではリポーターではありましたけど自分がやりたい分野に携われず、認められている実感を得ることはできませんでした。それが資格を取ったことで初めて「必要とされている」と実感することができて、とてもやりがいを感じましたね。
そうです。ただ、予報自体は気象庁が出したものがあるので気象庁が晴れといってるものを雨ということはできませんが、アレンジするといいますか、天気図を自分なりに分析しながら、もっと掘り下げて伝えるなど私なりに工夫してお伝えするようにしています。
天気図やデータを読み解くことはもちろん大事ですが、空や風、雲などの自然から読み取る感覚も大事にしています。例えば漁師さんや山に登る人など、いつも自然に向き合っている人は自然を見れば天気が分かるといった感覚が優れていて、コンピューター解析の精度が良くなってきているとはいえ、やっぱり人間の嗅覚に敵わないことってあるんだと気付かされます。大きな災害が起こる前には何かしら前兆現象があります。私も、そういった感覚は失わないようにしたいです。
大阪から東京に異動することになった2011年4月、その直前に東日本大震災が発生しました。私は『ニュースウオッチ9』で気象キャスターを担当する予定でしたが、震災後は通常通りの放送ができる状態ではなかったですから、私の登壇は延期に。
なぜなら天気を伝えるには、見る人と伝える人の信頼関係ができていないと皆さんに「この人が言う情報なら安心だ」と思ってもらえないんですね。今までなじみのあった人に変わって、いきなり知らない私が出ていっても視聴者を不安にさせてしまいます。特に震災後はお天気に敏感になる方は多いですから。
特に2011年4月、5月は、東北を中心とした天気と災害報道を全国の皆さんに伝える責任を毎日感じていました。このようなタイミングで私が天気を伝えることを宿命のように感じながら、早く皆さんとの信頼関係が築けるようにと臨んだあの時の経験は今でも忘れられません。
今の時代は携帯やインターネットからも天気予報を知ることはできますが、やはり人と人との信頼関係で成り立つテレビの天気予報は絶対なくてはならないものだということです。それに気付かされたことで、単に情報を伝えるだけでなく、情報をかみ砕いて丁寧に伝える習慣が身についたと思います。
毎日2時起きで、3時にテレビ局で打ち合わせをして、5時半に本番を迎えるというサイクルで動いています。本番にどんな予報をお伝えするかは、前日夕方の打ち合わせで大体決まるのですが、最新の気象予報が朝5時に発表されるので、放送開始30分前に原稿を微調整し、必ず最新の情報をお伝えするようにしています。最初の出番の5時半から番組が終わる8時まで、お天気コーナーは7、8回。スピード感と鮮度を大切にしながら、毎朝取り組んでいます。
本番終了後、打ち合わせをした後10時には仕事を終えて、夕方に打ち合わせをしてから夜7時には眠るようになりました。誰も「飲みに行こう」とは誘ってくれないですし、主人とゆっくり会えるのも週に一度ぐらいなんですよ(笑)。
この歳でまさか民放にいくなんて思ってもいませんでしたし、NHKに長くいた人が民放にいくのは珍しいことなので、これも「ご縁あってこそ」と日々感謝しながら楽しくお仕事させて頂いています。
気象をメインに、今後は世界のことを学びたいです。一昨年ニューヨークに出張して世界中から集まった気象キャスターたちと触れ合った際、皆さんは温暖化をはじめ天気に関わる人権問題、感染症について関心を持っていることを知って「世界の人たちはこんな風に気象を見ているんだ」と気付かされました。
天気と生活は密接につながっているし、地球は1つにつながっています。今はまだ漠然とですが、世界の気象を学んでもっと客観的な眼で日本の気象を見たいという目標を持つようになって。これまで人がしてこなかったことを私が切り拓いていく、そんな気持ちで前に進んでいきたいです。
非凡であること。他の人にはないオリジナルや個性を大学時代に磨いたからこそ、社会に出て、その能力が際立ったと思います。
無理に外に目を向けようと焦ることなく、在学中は筑波大ならではの環境を思いきり味わって欲しいです。実は筑波大の中での人脈作りこそ、社会に出た時に役に立ちますから、学部内だけじゃなく、それ以外の交友関係も広げていくと宝になると思います!
出生年: | 1978年 |
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血液型: | O型 |
出身地: | 埼玉県春日部市 |
出身高校: | 埼玉県私立淑徳与野高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 自然学類 1997年入学 |
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研究室: | 宇宙化学研究室 |
部活動: | 陸上同好会 / ピアノ愛好会 |
住んでいた場所: | つくば市桜 |
行きつけのお店: | とりよし |
ニックネーム: | かんこ |
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趣味: | ヨガ / ランニング / ダイビング/ 森林浴 / 野菜料理 / ワイン |
特技: | 柔軟 / 野菜料理 |
尊敬する人: | タモリさん / 高田純次さん / 小澤征爾さん |
年間読書数: | 20~30冊 |
好きなマンガ: | 白い犬とワルツを / 沈黙の春 / バナナと日本人 / 旅をする木 |
好きなスポーツ: | ランニング / ダイビング / 器械体操 |
好きな食べ物: | 野菜果物全般。特に香辛野菜のような香りのあるもの、ソフトクリーム |
訪れた国: | 13カ国 |
大切な習慣: | 自分と向き会う時間を作る(ヨガ 瞑想) 緑に触れる |
口癖は?: | 大丈夫!! |
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