幼少時代からサッカーに親しみ、さらなる高みを目指して筑波大蹴球部へ。そこで一流の仲間たちの存在に衝撃を受け、サッカー以外のことへ目を向けた先に筑波大学新聞があった。「シャッターなら誰でも押せる」と軽い気持ちで手にしたカメラが今では武器となり、プロとして10年。筑波大体育専門学群出身としては珍しい経歴の持ち主に、話を聞いた。
サッカーを始めていた兄の影響で、幼稚園の時にサッカーを始めました。小学では週2回、週末だけ地元のクラブで活動していて、それは父兄がコーチを務めるアットホームな環境でしたが、中学・高校で本格的に部活でサッカーに取り組むようになりました。
中高一貫校に通っていた時にサッカーを指導してくれた先生が、筑波大のOBだったからです。僕が通っていた浅野中学校・高等学校は進学校だったので、先生はいつも学校に理解を求めながら、生徒が部活に打ち込める環境を作ってくれて。その姿を見ながら、先生の母校である筑波大でサッカーに取り組みたいと思うようになりました。
筑波大はサッカーのレベルが高く、一般からでも蹴球部には入れると聞いたので、もっと上を目指すせるチャンスだと思いました。
昔は写真に写るほうが好きだったぐらいカメラに興味はなかったんですが、大学2年の後半で、筑波大学新聞に入ったことがきっかけでカメラや写真に触れるようになり、どんどんのめり込んでいきましたね。
入学当初はサッカーに対してすごく熱意を持っていたのに、大学2年にもなると、自分の立ち位置が分かってきたというか。
技術も優れていれば、持っているビジョンも一流の選手たちに圧倒されて、「僕はどうなりたいんだろう?」と。そう考えた時に、「サッカー一辺倒にはなりたくない、もっと色んなことに挑戦したい」という気持ちが芽生えたことが、大学新聞に携わることになった経緯です。
というよりは、自分の将来を考える時期に差しかかって自分の幅を広げたいと思ったんです。周りのチームメイトは教員や指導者になる目標を明確に持っていたのに、僕は教員や指導者になるつもりもなく、教員免許も取りませんでしたから。
大学新聞での経験が、大学を卒業する時に何か役に立てばという気持ちでした。
文章を書くのは難しいし、イラストを書くほどの絵心はない、カメラなら誰でもシャッターが切れるだろうといった不純な動機ではあったんですが(笑)、大学新聞に入って改めて色んな新聞に目を通してみると、写真は見ている側に何かを語りかけてくるような、影響力があるものだと気付かされたんですね。
カメラ1つあれば、僕も人の気持ちを動かすことができるかもしれない、そんな気持ちでした。
大学新聞の先輩方は課題意識や問題意識を持っていて、新聞社を受ける人が多かったので僕も影響も受けました。「写真を通じてジャーナリズムを追求するフォトグラファーになりたい」、そんな気持ちで新聞社を志望しました。
採用された面々を見てみると、大学でジャーナリズムを学んでいたり、写真学科を出ている人もいれば、僕のように全くそうではない人も稀にいます。おそらく写真のスキルよりも、より大事なのはフットワークの軽さやタフさ、そういったことなんだろうと思います。
W杯には2014年のブラジルと、2018年のロシアの二度行かせてもらい、目の前で躍動するスーパースターたちの写真を撮るのは興奮しましたし、サッカーというスポーツが世界中でどれだけ愛されているのかを実感させられました。
日本ではサッカーやスポーツは娯楽の1つだという認識ですが、世界を見てみると、サッカーを取り上げられたら死んでしまうのではないか、と思うほどサッカーを愛している人がたくさんいます。そういった場に居合わせることができて本当に良い経験だったと思います。
ロシアW杯の準決勝、フランス対ベルギーの撮影を終え、サンクトペテルブルグ空港で時間を潰していた時のことです。チェックインのカウンター前で、突然、どこかの国のサポーターがボールでリフティングを始めると、自然と人の輪ができて小太りなおじさんから子供まで、おのおのがサッカーのテクニックを披露し、もちろん僕も大きなカメラの機材を抱えたまま輪の中に加わりました。
あとあと聞けば、そこにはアメリカやチリ、アフガニスタンなど色んな国の人がいて、年齢や国籍を超え、サッカーボール1つでコミュニケーションをとっていたんです。その光景を目の当たりにして改めてサッカーの素晴らしさを感じましたし、試合の勝ち負けだけではない、スポーツの魅力を実感させられた出来事でした。
あの時、空港で撮影した写真は新聞に載ることはありませんでしたが、スタジアムの外でもサッカーやスポーツの素晴らしさが見られるのは、長年カメラマンをしていてもなかなかない経験です。あの瞬間に出合えて、本当に嬉しく思います。
新聞社のカメラマンは、特にサッカー専門だとか1つのジャンルを受け持つことはなく、幅広いジャンルなんでも撮影します。ただ、なんとなく僕がサッカー担当みたいな立ち位置ではありますね(笑)。僕も中堅になってきたので新たな領域へ踏み出す時期かなとも思っています。
できたらもう一度、W杯にいきたいというのが本音ですが(笑)、環境が変わることは、これから幅を広げるチャンスだと捉えています。もちろんサッカーの試合を撮影するのは楽しいし、サッカー選手として活躍する筑波大の仲間の活躍が間近で見られることも嬉しいのですが、ただ試合を撮影するだけのカメラマンには終始したくないと思っていて。
入社して10年、中堅的な立場となって会社を支えていく立場なので、もっと社会的な問題をテーマに、写真や映像を通して何かを伝えることに興味を持っています。
今、取材しようとしているのはあるフットサル大会です。様々な社会的背景や困難を持つ人がサッカーを通じて交流し、選手たちが自立できるきっかけになるような取り組みを行っているのですが、そんな風に、サッカーが色んな人の希望となり、人と人とのコミュニケーションや社会とつながるためのツールとなることは素晴らしいことです。今後は、写真を通してそういったことを伝えたいですね。
いえ、そんなことはないですよ。W杯に2回いったというと順調だと思われるかもしれませんが、W杯とは対照的に、「何もできなかった」といった点で印象に残っているのが東日本大震災です。
当時、僕は福島市にある福島総局に配属されていて、被災者の立場でもありましたが「報道に身を置く者として、何かできることはないだろうか」と。特に沿岸部の状況を伝える使命感に駆られたのですが、その時はカメラマンとしてではなく下積みの記者として配属されていたがために、自分の考えだけで自由に動き回ることはできず。カメラを手に現地に向かうことはできませんでした。
カメラマンとして何もできなかった――と、今でも心残りです。
机やパソコンの画面ではなく、人と向き合う仕事ならではの面白さがあると思います。人の話を聞いたり、撮影する中で影響を受けることも多いですし、特に僕は影響を受けやすい人間なので、様々な人との出会いは刺激的です。
この業界は色んなタイプの人間が集まることで、より良い化学反応を起こしていくので、こういうタイプが向いているとは言い切れません。例えば、僕はどちらかというとマイルドな性格なので、同じグループで働くならエキセントリックな人間が加わったほうが、面白いアイディアが生まれるのだろうと思います。
とにかく自分の“好き”を突き詰めた人は魅力的だと思うので、人には持っていない自分の魅力を見つけて、それを磨いていくことが、やりたいことを仕事にする近道なのではないでしょうか。
何か成し遂げたわけでもない、のんべんだらりと過ごした大学4年間でしたが、色んな人に出会ったことで今の僕があると思います。
「筑波大にいけば何とかなる」ではなく、結局、自分はどうあるかが大事。筑波大には優秀な人が多いですから、自分の存在意義などを考えるにはとても良い環境です。考え抜いた先に次のステップが待っているのではないでしょうか。
所属: | 朝日新聞社 映像報道部 |
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役職: | カメラマン |
出生年: | 1986年 |
血液型: | AB型 |
出身地: | 神奈川県横浜市 |
出身高校: | 浅野高校 |
出身大学: | 筑波大学 体育専門学群 |
研究室: | 野外運動研究室 |
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部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 春日4丁目 |
行きつけのお店: | はつはな(閉店) |
ニックネーム: | せきちゃん |
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尊敬する人: | 身近にいる |
年間読書数: | 数えるほどしか |
心に残った本: | 告白(町田康) |
心に残った映画: | 仁義なき戦いシリーズ |
好きなマンガ: | 鉄鍋のジャン、グリーンヒル |
好きなスポーツ: | サッカー、テニス |
好きな食べ物: | ラーメンほか |
訪れた国: | 15カ国 |
大切な習慣: | 定期的にチャーハンを作る |
口癖は?: | やべえ |
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