聴覚障害を抱え、サッカーや日常生活がスムーズにいかなかった原体験を持つが、筑波大に進学し、その価値観が覆された。素晴らしい友人たちとの出会い、そして整った制度と環境。「次は、自分が社会の役に立つ番だ」との決意を持つ仲井さんに、デフリンピック直前の10月下旬、貴重なお時間を頂き、その想いを伺った。
普段はサッカー関係の仕事に従事しておりまして、それ以外ではデフサッカーの選手として活動しています。現在は日本代表として、2025年11月に東京で開催されるデフリンピックに出場予定で、それに向けて練習に励んでいます(デフサッカーは福島県・Jヴィレッジで開催)。
デフとは英語で「耳が聞こえない」という意味で、デフリンピックは聴覚障害者が行うオリンピックのことです。
オリンピックやパラリンピックと同じように4年に1回、夏期と冬季に開催されていて、今回は100周年。日本で開催されるのは初めてのことです。
ルールは健常者のサッカーと全く同じです。フルコートで試合をしますし、試合時間、出場選手の人数も全く一緒です。
ひとつだけ違う点は、笛の音が聞こえないので、主審が笛と旗を持っていて、試合中は笛を吹くと同時に旗を振って知らせてくれることですね。
デフサッカーを含めすべての競技で、出場する選手たちは補聴器をつけることが禁止されているので、音が聞こえない、または聞こえにくい状態で試合に臨んでいます。
8月末に肉離れをしてしまったのですが、今は完治してコンディションは上がっています。
大会に向けて、都営地下鉄やJR東日本でポスターが貼られるなど注目度が高まっています。また、講演会に呼んでいただく機会も増えており、多くの方にデフサッカーについて知っていただけるのは嬉しいことです。その分、しっかりと結果を残せるように良い準備をして臨みたいです。
もちろん世界一です。日本チームの世界ランキングは、現在4位です。2年前にデフサッカーのワールドカップで準優勝し、昨年のアジア大会で優勝したことで、ランキングが上がりました。
今回のデフリンピックでは、参加国16チーム(うち2チームは辞退)で4ブロックに分かれて予選が行われ、各ブロックの上位2チームが決勝トーナメントに進出します。日本と同じグループにイギリス、メキシコ、イタリアという強豪国がいるので、まずは1つ1つの試合を大事に戦っていきたいと思います。

ここ最近強くなった理由は2つあって、まず1つめはデフサッカーを取り囲む環境が良くなったことです。
以前は、デフサッカー日本代表といっても、SAMURAI BLUE、なでしこジャパンとは違うウェアを着用していました。しかし、2023年にウェアが統一されることになり、SAMURAI BLUE、なでしこジャパンと同じウェアが着られるようになりました。それがきっかけで、選手のモチベーションが高まったことが大きいと思います。
練習環境が整ったことですね。以前は、聴覚障害がある人だけで活動することが多かったのですが、最近は健常者のチームに所属して練習に取り組んでいる選手が増えています。また、障害者アスリート雇用を積極的に進める企業が増え、以前に比べて、仕事とサッカーに集中できる環境が整っています。そのおかげで選手1人1人のレベルが上がっていると感じます。
東京デフフットボールクラブでの練習と、健常者のチームである東京ユナイテッドFCプラスに所属し、週3,4回練習しています。
小学2年生の時に、父の勧めでサッカーを始めました。中学までは普通のサッカーチームに所属していましたが、チームの人間関係に悩んでサッカーが楽しめなくなったので、高校入学を機にサッカーをやめようと考えていました。
その頃、母が地域の手話サークルで出会った女性の旦那さんが、デフサッカーチームの監督をされていました。そのご縁でデフサッカーの練習に参加させていただき、それがきっかけでデフサッカーを始めました。
それまで一度もデフの人がいる環境でサッカーをしたことがなかったのですが、初めて練習に参加した日に「これは楽しい!」と感じました。
一番驚いたのは、チーム内のコミュニケーション方法が手話だったことです。僕、当時は手話を知らなくて、みんな楽しそうに手話で会話をしているのを見て「なんて言ってるんだろう?」と。
それがきっかけで手話を勉強しましたし、それまでは健常者の中でひとりポツンと、マイノリティーの存在でしたけど、デフサッカーでは「みんなと一緒」「自分ひとりじゃない」と感じました。
本当に大きかったです。そしてチームの活動を通して、デフサッカーにも日本代表があることを知り、「日本代表になって世界で活躍したい」という夢を持つことができました。
あの時、デフサッカーに出合っていなかったら、今の僕はいないと思います。
大学1年生の時です。蹴球部に入部し、6月のフレッシュマンに参加していた頃でした。当時は、ずっと目指していた目標を達成して嬉しかったのと同時に、「僕でいいんだろうか」という不安や戸惑いもありました。
蹴球部には全国からトップレベルの選手たちが集まっていて、「大して上手でもない自分が日本代表に選ばれていいのだろうか」と不安もありました。
そんな時に、同期の早川史哉(Jリーグ・アルビレックス新潟所属。つくばウェイvol.143で紹介)が「日本代表として世界大会にいくことを応援してるよ」とメールしてくれ、それが大きな心の支えになり、胸を張って国際大会に出場しました。
日本のデフサッカーがここまで来られたのは、先輩方の努力や苦労のおかげだということを忘れないことです。
僕が高校1年生のとき、デフサッカーの先輩から「日本代表として国際大会に出場しているけれど、全部自己負担だ」と聞いたことがありました。また、高架下のコンクリートの上で練習をしていたこともあったと、写真を見せてもらったときは衝撃を受けました。
そうした厳しい環境の中でも、先輩たちが時間やお金、様々なものを犠牲にしながら活動を続けてこられました。その積み重ねや社会情勢の変化もあって、今、ようやく障害者サッカーにもスポットライトが当たるようになったと思います。

とんでもない話ですよね。そして、ようやく2023年にSAMURAI BLUEとなでしこジャパンと同じウェアが着られるようになったという経緯があるので、そのウェアを着たくても着られなかった先輩たちの想いを背負って、僕たちは結果を出さなければいけない。そういう責任と覚悟を持って、試合に臨んでいます。
はい。だから、デフリンピックや世界大会で結果を出すことは、これまで支えて下さった方への恩返しになりますし、僕がデフサッカーに出合って人生の目標ができたように、それを見ている子どもたちが目標を持てる、きっかけになるんじゃないかと。
先輩たちがつないでくれた心の灯を、次世代の子どもたちにつなげるよう頑張りたいという気持ちです。
志望した理由は、大きく分けて5つありまして。
はい(笑)。まず1つめは高校時代に、心理学が学びたいと思って大学を調べたら、当時、筑波大は心理学でトップレベルだったので、その環境で学びたいと思いました。
そして、2つめは蹴球部の存在ですね。レベルの高いところで揉まれて成長して、デフサッカーの日本代表として活躍したいと思いました。
はい。3つめは、障害がある学生への支援が整っていることです。僕の場合は講義の内容を聞き取るのが難しいので、隣でノートパソコンを使ってノートテイク、つまり先生が話している内容をタイピングして書いてくれる人が、ほぼ毎授業ついてくれました。
いえ、学生の方です。障害学生支援制度というものがあり、僕のように支援を必要とする学生と、支援を行いたい学生たちによって構成されています。支援を必要とする学生に対し、そのチームの中から時間に空きがある学生が支援をしてくれるという形です。
講義では主にノートパソコンによる支援をしてもらっていましたが、実習など立ち歩きが多い授業の際は手話通訳をしてもらっていました。
4つめは、親の手を借りずに一人暮らしをして、自分で生活してみたかったこと。そして最後は、自然が好きだったので、自然に囲まれたつくばで、のびのびと過ごしたかったというのが理由です。一般入試で入学しました。
大正解でしたね。今でも学生時代に戻りたいと思うぐらいで、なによりも蹴球部が最高でした。
サッカーだけでなく、人としても素晴らしい仲間たちに出会えたことです。
サッカーが強くない高校出身の僕が、筑波大蹴球部のような強豪チームの一員になってもいいのか、という不安を抱えて、おそるおそるフレッシュマンのオリエンテーションに参加した時のこと。
説明を聞き取ることが難しいので、オリエンテーション前に先輩スタッフに「要約筆記をお願いできますでしょうか」とお願いしたところ、「前に座ってて」とだけ言われ、そのままオリエンテーションは終わってしまったんですね。どうしようかと思っていたところ、なんと、オリエンテーションの内容をすべて紙に要約筆記してくださっていたんです。
これまでの学校や普段の生活で、そのように柔軟に対応してもらったことがあまりなかったので、とても驚きました。また、全体ミーティングでも、僕のことを理解してくれている同期が、隣に座って要約筆記をしてくれました。
サッカーだけでなく、思いやりと行動してくれる仲間に出会えたことが心に残っています。

蹴球部のみんなは、サッカーが上手いだけじゃなくて人としても素晴らしい方ばかりでした。そういった環境で、仲間と4年間を過ごすことができて本当に良かったと思います。
はい、そうだと思います。小さい頃からずっと補聴器をつけて授業を受けていましたけど、それだけでは理解しきれていなかったと思います。それは、筑波大での障害学生支援制度や、仲間たち出会ったからこそ、気付くことができました。
自分を取り囲む環境を整えることで、もっと色んな情報を得ることができるし、もっと自分自身が成長できると実感できた4年間でした。
それに、筑波大には全国各地、北海道や沖縄からも学生が集まり、留学生もたくさんいる。まさに多様性のある大学で、色んな人の考えや文化に触れたことで、自分自身の視野が広がったと感じます。
また、自分が所属していない学群や学類の授業をとることもできたんですね。僕は心理学を学んでいましたけど、体専のスポーツマーケティングや統計学にも興味があって受講したことがあります。
そのように、自分の視野や可能性を広げられたのは筑波大だからこそだと思います。
直近でいうと、デフリンピックで結果を出すこと。そして長期的なことでいうと、障害があるなしに関わらず、みんなが楽しめる社会作りに貢献することです。
例えば、昔は聴覚障害の人には難しかったことが、今では通訳や字幕、そして制度が整い、昔に比べて聴覚障害の人がスムーズに社会生活が送れるようになっています。
それは先人たちの努力や苦労があり、その積み重ねがあったからだと思います。次は僕がその役割を担い、次世代の人たちがもっと暮らしやすい社会を作りたいと思います。
デフサッカーはもちろん、日常生活でも、障害のあるなしに関わらず、みんなが楽しめる社会作りに貢献したいと思います。
以前、日本フィルハーモニー交響楽団と落合陽一先生が主催で、聴覚障害の人が音楽を楽しめるコンサート『耳で聴かない音楽会』に企画協力をさせて頂きました。
一番特徴的だったのは“サウンドハグ”という球体デバイスを連動させて、音の高低や大小によって振動や色を変え、音楽を耳からではなく、触覚や視覚で感じられるようにしたことです。その他、バイオリンの弦が震えている様子をバックスクリーンで映して、音の世界を視覚的に楽しんでいただく工夫もありました。五感を通して音楽を体験するコンサートに関わることができ、とても有意義でした。
もうひとつ印象に残っているのは、肢体が不自由で車イスを使っている方など全国500人から、衣類に関する困りごとについてアンケートを集め、それをもとにユニクロと“前開き肌着”を開発したことです。
そういった経験や僕自身の視点を生かして、障がいがあるなしに関わらず、誰もが楽しめる社会作りを、今後もしていければと思います。

1人1人の違いを認め、1人1人をリスペクトして、みんな一緒に楽しむこと。
勉強も大事だけれど、まずは目の前の人をしっかり理解して、大切にすることは大事だと思います。お互いが認め合うことで新しい視点や考え方が生まれ、自分自身の視野も自然と広がるのではないでしょうか。


| 所属: | Tokyo Deaf Football Club、東京ユナイテッドFCプラス |
|---|---|
| 役職: | デフサッカー 東京2025デフリンピック出場内定選手 |
| 出生年: | 1993年 |
| 血液型: | A型 |
| 出身地: | 大阪府岸和田市 |
| 出身高校: | 大阪府立岸和田高校 |
| 出身大学: | 筑波大学 |
| 出身大学院: | 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 障害科学専攻(中退) |
| 学部: | 人間学群心理学類 |
|---|---|
| 研究室: | 社会心理学研究室 |
| 部活動: | 蹴球部 |
| 住んでいた場所: | 天久保二丁目 |
| 行きつけのお店: | びすちん |
| ニックネーム: | デリ |
|---|---|
| 趣味: | 読書、カフェ、森林浴、アート鑑賞 |
| 特技: | 料理 |
| 尊敬する人: | スティーブ・ジョブズ、イーロン・マスク、柳井正 |
| 年間読書数: | 10冊 |
| 心に残った本: | 一勝九敗 |
| 心に残った映画: | インターステラー、マイ・インターン |
| 好きなマンガ: | アオアシ、スラムダンク |
| 好きなスポーツ: | 陸上、ピラティス |
| 好きな食べ物: | レモン、ラムネ |
| 嫌いな食べ物: | 安物のレバー |
| 訪れた国: | 10か国 |
| 大切な習慣: | 楽しいと思うことをやる |
| 口癖は?: | 楽しんでいこう |


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