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日本が誇るデニムの産地、岡山県の児島で起業。地域に根差し、ものづくりの魅力を伝えたい

Entrepreneur
2026/01/12
インタビュー
  • 194
株式会社ITONAMI 共同代表
山脇 耀平
(社会国際学群社会学類・2012年入学)

大学在学中にクラウドファンディングで資金調達し、兄弟でビジネスをスタート。岡山県を拠点に、デニムブランドと宿を運営している。順風満帆に見えるが、なぜ地元ではない土地で?という疑問が、当初、自身に付いて回った。それに対する解が、より活動への想いを強くさせたというが、その信念とは。

クラウドファンディングで資金調達し、兄弟でビジネスをスタート。

現在のお仕事について教えて頂けますか。

2015年に弟とデニムブランドを立ち上げ、現在は株式会社ITONAMIの共同代表を務めています。事業内容は、デニムブランドの運営と宿泊施設・DENIM HOSTEL floatとDENIM HOUSE BONという一棟貸しの宿の運営です。

活動拠点は?

岡山県倉敷市児島です。児島は有名なデニムの産地で、デニムの工場がたくさんあるんですよ。僕と弟は兵庫県出身ですが、児島に移り住んで起業し、地元の方々と一緒にお店やプロジェクトをやっています。

岡山県、そしてデニムとの出合いとは?

私は1年浪人をして2012年に筑波大に入りましたが、弟が岡山の大学に進学しまして。弟は、その地域ならではの文化や産業に、学生として関われたら楽しいんじゃないかと。そういう気持ちで行動している中で、出合ったのが児島地区のデニムでした。

思い返せば、父がデニム好きだったので、小さい頃から兄弟揃ってよくデニムを履いていて。デニムが身近な存在ではあったんです。
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そこから起業に至ったきっかけは?

僕と弟で、デニム作りをしている職人さんや経営者にスポットライトを当てたいと、皆さんにお話を伺ってウェブ発信をし始めたのが、活動のはじまりです。

運良く、デニムのデザイナーとして長く活動されていた、当時65歳で定年退職されていた職人さんに出会うことができまして。僕たちのことを「生きのいい若者だ」と言っていただけて、ものづくりの現場を見せて頂けるなど良いスタートが切れました。

最初はウェブ発信という形だったのですね。そこから、デニムブランドを立ち上げた経緯とは?

取材を半年ほど続けた頃に、ものづくりの構造が見えてきまして。アパレル業界における職人さんはあくまでも裏方で、良い商品を作っても表に名前が出るのはブランドであり、職人さんが大きな利益を出すのが難しい構造になっています。

しかも当時、衣服は海外での生産にシフトしていたので、そもそも日本のものづくりの規模は縮小していました。

そんな現実に触れ、「この技術をただメディアで伝えるだけではなく、お金という形で職人さんに還元したい」と。そう思うようになり、「じゃあ、自分たちのデニムを作って、児島のものづくりの魅力を商品と共に発信しよう」と、2015年にデニムブランドを立ち上げました。

ブランドを立ち上げたのは、大学在学中ですか?

はい。現役の大学生でした。すぐに資金調達したかったので、クラウドファンディングを使って、商品を工場に依頼できる最低のロットぶんの金額を超える209万円を集めました。

当時、僕はつくば、弟は岡山県に住んでいたので、2人で手分けをして僕は東日本、弟は西日本の色んな都市で販売会を開いていたんですよ。

どんな場所で販売会を?

ゲストハウスやカフェの一角にあるイベントスペースを借りて、今週はここ、来週はここと、毎週末、販売会をして、平日は大学生活をする。そういう活動を3年間続けました。

そのうち、各地域の特産品や、起業家など新しい風を吹かせている人たちとの接点を求めて、兄弟一緒に、もっと長くその土地に滞在しようと話して。滞在費を浮かせるために、再度クラウドファンディングで資金を募ってキャンピングカーを購入し、2018年から1年3か月で、全国47都道府県すべてを回りました。

クラウドファンディングで資金集めとは、すごい行動力ですね。

クラウドファンディングは2011年ぐらいから始まった業界ですが、デニムづくりを始めた2015年はそれほど世間に浸透していなかったので、僕たちを支援してくれた方ほぼ全員が、支援をするのは初めてという方でした。

すぐにでもブランドを立ち上げたいという思いだったので、僕たちにとって、クラウドファンディングは唯一の方法でしたね。

キャンピングカーで日本全国を回って、どんな収穫がありましたか?

1ヵ月のうち1週間を旅に充てて、4月は北関東、5月は九州…と、全国を飛び回りながら、平日は各地域で活動をしている人の仕事場に足を運びました。その時に、皆さんがとても温かく迎え入れて下さったことがありがたくて。

僕たちの次のステップとして「迎え入れる側になりたい」と思うようになったことが、児島を拠点にすることにした経緯であり、宿の運営にもつながっています。

どのような思いで、児島を拠点にしようと?

全国を回って様々な人に出会う中で、僕たちが魅力的に感じた人たちの共通点は“自分の出身がどこかに関わらず、住んでいる土地のことを心の底から大切に思っている人”、そして“自分の活動が地域のためになっていると強く信じている人”でした。

一方で、当時の僕たちはどういうスタイルでいけばいいかが分からなくなっていて。たとえば家業を継ぐ人や、地元を活動拠点にしている人の場合は、そのアイデンティティが大きな活力になりますよね。

でも僕たちは違う、ただ、「自分たちがやりたいから、やっている」というスタンスだったので、果たして継続ができるのか、地域のためになれるのか?と。

順風満帆かと思いきや、そういった迷いがあったとは。

はい。でも全国を回って色んな人に会うことで、「地域のために」と強く信じる、その想いこそが人を強くすると気付いたんです。それで、「ものづくりをしている児島に身を置きたい」と気持ちが固まりました。

ただの販売目的であれば神戸や大阪、岡山県の中心地のほうが良いんですけど、“児島のため”ということが活動のやりがいになっていますし、僕たちの心の支えになっています。

そういった想いがあるのですね。

はい。物件探しをする中で、のちに宿を始めることになる物件に出合えたこともラッキーでした。

建物からは瀬戸内海が一望でき、人が泊まれるように部屋が分かれていたので、ここにデニムを販売するショップを構えて、かつ宿を経営したらいいんじゃないかと。2019年にホステルを始めることにしました。

現状、いかがですか?

ここで良かったと実感しています。かなりローカルな場所ですが、去年から今年にかけて、ありがたいことにお客様がたくさん足を運んで下さって。今は社員何名かを抱えても運営ができるような形になっています。

それに加えて、今年から新しい取り組みが始まりました。児島のはずれに倉敷市が所有する鷲羽山レストハウスという施設があるんですけど、数年に一度、民間の会社に運営を委任するためのコンペが行われるんですね。その運営を、今年4月から自分たちを含む児島の何社かの協同組織が担っています。

それは大きな事業ですね。

はい。そしてもうひとつの新しい取り組みとして、児島地区に40店舗ほどのジーンズ店が集まる“ジーンズ・ストリート”で、今年8月から自分たちともう一社、地元企業さんとでショップを運営しています。

自分たちは地元の人間ではないにもかかわらず、2015年からデニムブランドを始めて、19年に宿を始めて。きっと最初は「よそ者が勝手なことをしている」と思っていた人もいると思うんですよね。

当初は、僕たちも会社を軌道に乗せるのが必死で、工場の方以外と関わることはほとんどなかったんですけど、10年が経ち、鷲羽山レストハウスとジーンズ・ストリートでの出店は両方とも、地元企業さんから誘って頂いた事業なので、とても感慨深いです。
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児島での活動が、地元の人から評価されているのですね。

これが都会だったら、僕たちが結果を出したとしても、地元の人たちとの関わりはさほどなかったんじゃないかと思います。

児島というローカルな場所だからこそ、地元の人たちから声をかけて頂き、一緒に児島を盛り上げる機会をもらえたので「ここに根を張って良かった」と。そう思えた今年の出来事でした。

現在の活動で大切にしていることを教えて下さい。

ピュアであり続けることですね。例えば事業を急拡大したり、自分たちを必要以上に大きく見せるブランディングをしてしまうと、組織を維持するために自分の意思に反した意思決定をしなければいけないと思うんです。

そうならないために、10年前の立ち上げから今までずっと”ピュアな想いを維持すること”を大事にしてきましたし、その気持ちは今後も持ち続けたいです。

そのピュアな想いというのは、「地域のために」ということですね。

そうですね。ただ自分たちのやりたいことだけをやるのでは、気持ち的に続けられません。自分たちを求めてくれる人や、自分たちに対して評価や応援をしてくれる人たちの存在が原動力になるのだと思います。

インターン生として働く頃、筑波大の仲間に救われた

大学時代の話になりますが、筑波大に入ったきっかけを教えて下さい。

地元である関西を出て、どこか知らない土地に住んでみたかったというのが大きな理由です。その中で自分の学力でいける大学を選んだ…と言いたいところですが、センター試験ではD判定だったんで、勝負感のある二次試験でした(笑)。

筑波大を訪れたのは受験日が初めてで、ワクワクしながらつくばエクスプレスに乗ったんですけど、だんだん田舎になっていくので不安になりましたね。「とんでもないところに来てしまったな」と。でも、つくば駅に近づくにつれて気持ちを盛り返していったという、その時の気持ちを今でも覚えています。

大学ではどんなことを学びましたか。

入学時は「必ずこれを勉強したい」というのがなかったので、1,2年次に社会国際学部の社会学類で、法律、政治、経済、社会学と、幅広く授業が受けられたことは、僕にとって良かったと思います。

そして2年次が終わって1年間休学をしたのち、社会学専攻にしたという感じですね。

休学をしたのですか?

はい。2012年に入学して、2年次を終えた2014年に休学しました。その頃には岡山のデニムの工場を見学して、「自分たちで何かやりたい」と思ってはいたんですけど、自分には力がなくて。

企業で働いて何かを学びたいと、休学し、ベンチャー企業2社で働きました。それで1年後に復学して、2015年にブランドを始めたという流れです。

なるほど。

大学での最初の2年間は平凡な学生生活でしたが、休学を経てからは、逆に学業に身が入りましたね。インターンでの経験や、ブランド立ち上げの経験を通して、「大学で学べることは貴重だ」と実感し、視座が高くなったと思います。
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どんな会社でインターンを?

ベンチャーにしては大きい、80人ぐらいの社員がいるIT企業でした。そこで僕含めて他の学生インターンがチームを作り、とあるメディア運営をやっていたんです。

それは結果が出るか試しにやってみようというプロジェクトだったので、結果が出ずに3か月後、プロジェクトは解散。そのタイミングでその会社を離れました。

どんな収穫がありましたか?

それまでレストランのアルバイトしか経験がなく、企業で働いたのは初めてだったので「自分はこんなに何もできないのか」と痛感させられましたね。

会社は上野にあったので、駅前で行き交うサラリーマンを見ながら「こんなに大変なことを何十年もやっている、この人たちってすごいな」と。そう思いながら、自分自身に絶望したのを覚えています。

2社目は?

小さなアパレル会社のECサイトに携わりました。復学後も継続していたので、そこで1年ぐらい働きました。

大学生活で、特に印象に残っている出来事はありますか。

1年次は平砂の寮に入っていましたが、2年次から卒業までは3人でルームシェアをしていたんです。それが青春でした。

なぜでしょう?

休学をしていた頃、インターン先でずいぶん苦労をしたんですね。仕事が終わると電車でつくばに帰って、駅から原付で20分ぐらいかけて家に帰ると、大学の仲間がいて。東京のギラギラしたベンチャー企業の人とは違う、彼らの温かさにいつも救われていました。

筑波大に入学して良かったと思う点は?

かなり幅広い属性の学生がいたことですね。特に体育や芸術で専門のスキルを持ち、上を目指している人と関われたことは良い経験でした。

あとは、大自然に囲まれた環境が良かったですね。もし都会の大学にいっていたら、自分と他人を比べ続けて、しんどいを思いをしたんじゃないかなと。つくばのアットホームな環境のほうが落ち着いて物事を考えられますし、教授や同期と密に過ごせて、自分らしくいられた学生期間だったと思います。

今後のビジョンを教えて下さい。

児島のデニムに出合ったおかげで、「地域に貢献したい」という想いを持つことができましたし、児島の人たちが僕たちの挑戦を後押ししてくれたからこそ、今があります。そんな児島のデニム業界に恩返しがしたいですね。

今後も変わらず、その気持ちに沿った何か新しいことを児島を拠点にやっていきたいですし、外の地域から児島に目を向けてもらったり、足を運んでもらえるような取り組みをしたいと思います。

では最後に、人生の中で成し遂げたいこととは?

自分たち兄弟がいなくなっても、この意志を引き継いでもらえるような何かを児島に残せたらいいですね。それは会社なのか、いま行なっている事業なのかわかりませんが、縁もゆかりもないところからこの岡山に移住し、地域に根差した活動を行っているということで、僕らの一生分の時間を超えて、想いがずっとこの地に残っていったら嬉しいなと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

自分らしくいることでしょうか。良い意味で落ち着いた環境にあるつくばで多感な時期を過ごしましたが、在学中には自分自身を見つめる、内省の時間をたくさん設けることができました。他人と比べず、と簡単に言葉で言っても難しいけれど、それでも、自分は何がしたいのか、どうありたいのか、そんな純粋な気持ちから始まる人生が、きっとその人にとっての正解であり、素敵なんじゃないかなと思っています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

ともに学生時代を過ごしたたくさんの人たちや、卒業してから出会った筑波大生たちの本当に多くが、「筑波で良かった」と言っていました。僕も心からそう思いますし、この大学に通えたことは一生の誇りになっています。同窓として何かのご縁でお会いできたらとても嬉しいです。
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山脇 耀平さんが所属する
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プロフィール
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山脇 耀平(やまわき ようへい)
1992年、兵庫県出身。大学在学中、弟とともにクラウドファンディングで資金を集め、デニムブランドを立ち上げる。兵庫県出身ながら、日本有数のデニム産地である岡山県倉敷市・児島に移り住み、職人への取材や全国行脚を通じて、地域に根差したものづくりの在り方を模索してきた。日本全国を巡る中で、「地域を心から大切にし、そのために行動する人」の強さに触れ、児島を拠点に活動する覚悟を固める。現在はデニムブランドの運営に加え、宿泊施設の運営や地域事業にも携わり、地元企業と協働しながら児島の魅力を発信。外から来た“よそ者”だからこそ持てる視点と、変わらぬピュアな想いを大切に、地域に長く愛される価値を未来へとつないでいる。
基本情報
所属:株式会社ITONAMI
役職:共同代表
出生年:1992年
血液型:A型
出身地:兵庫県加古川市
出身高校:私立淳心学院高校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:社会国際学群社会学類
研究室:地域社会学五十嵐ゼミ
部活動:軟式野球部
住んでいた場所:平砂宿舎→桜2丁目→吾妻4丁目
行きつけのお店:かつ大、フライングガーデン
プライベート
ニックネーム:ようへい
趣味:プロ野球
年間読書数:10冊
好きなスポーツ:野球
好きな食べ物:鶏肉
訪れた国:3カ国
大切な習慣:朝海を見る

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