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中俣スライダー

社会の課題を解決することがカッコイイ世の中に

Professional
2016/06/23
インタビュー
  • 27
株式会社LITALICO 取締役
中俣 博之
(社会工学類 2003年入学)

OBだからといって誰もが筑波大信者ではない。大学外に活躍の場所を求めた中俣さんは在学中に起業し、“修行”と称して時代の最先端をいくベンチャー企業に就職。誰もが羨むような海外ビジネスを手掛けた。30歳を目前に転職し、現在は障がいのある人たちをサポートすべく奮闘している。彼を突き動かしているエネルギーの源とは? 返ってきた答えは実にシンプルで、人としてあるべき姿を見せつけられた。

全てにおいて最高品質を追及する

筑波大学に進学しようと思った経緯を教えて下さい。

中学生の頃は勉学に熱心で、自分で言うのはなんですが学年1位は当たり前みたいな勉強小僧でした。高校では進学校に進んだにもかかわらず、部活動の空手に時間を費やしたので勉強という勉強はせず。中学時代の勉強貯金でなんとか模試の成績は問題がなかったので、浪人をせずに行ける大学を探したところ、筑波大の第三学類社会工学類なら大丈夫だろうと、そんな理由で進学しました。特に筑波大に憧れていたわけではなかったです。

筑波大に来た感想は?

街ものんびりしていますし、全体的に学生も暮らしもゆったりしてましたね(笑)。筑波という大学の性質上、研究熱心な仲間が多かったのですが、私自身大学選定の動機が曖昧でしたので、勉学には身が入らず。そういう意味でいうと勉学以外の領域においては少し物足りなかったかもしれません。私自身、小学3年生から空手を始めて、高校の時には全国大会に出場するなど、結構ストイックに色々とやってきたので、大学はもっとストイックに自分を向上させてくれる場所であり、刺激的な人が集まっているのだろうと期待し過ぎていたのかもしれません。

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どんな大学生活を送っていましたか?

勉強よりもビジネスに夢中になり、初めて友人と起業したのが大学時代でした。きっかけは、筑波で働いている年上のいとこが、つくば市で起業しているベンチャー協会の集まりに連れていってくれたことで、「起業ってこうやってやるんだ」と刺激を受けたことが始まりです。早速、友達と表参道に事務所を構えて、事業を開始しました。その時は最終的にはスポーツビジネスを手掛け、イタリアのプロサッカーリーグのプロジェクトを請け負っていました。大手メーカーや航空会社などに広告営業をするなど、約2年間は筑波ではなく東京で過ごすことのほうが多かったように思います。

2年間で事業から撤退したのですか?

ビジネスが分からない若造だけの会社ではビジネスリテラシーが身につかないと感じて、これ以上、自分たちの実力で会社を運営するのは限界だなと。例えば大手企業と仕事をする際に、企画書の作り方、交渉の仕方といった基本的な知識がない状態では、すごく不利な契約を結んでしまいました。今後のためにも修行をしようと就活を始めましたが、2年間ほとんど授業に出ていなかったので、当然単位が足りず、2度、4年生として在籍することになりました。

就職活動について教えて下さい。

先に就職活動を一生懸命していた友達に「どの会社に行けば成長できるか」と聞いてみたら、「マッキンゼー・アンド・カンパニーというコンサルティング会社に入るといい」とアドバイスをしてくれました。なぜならマッキンゼーの人はみな優秀で、中でも“パートナー”という肩書きを持つ人が特に優秀だと言っていました。でも、マッキンゼーに入社しても数年はパートナーとは働けないかもと聞いて、それじゃ意味がないなと。それで、「マッキンゼー パートナー OB OG」でウェブ検索して出てきたのが、当時、笹塚の雑居ビルにあった株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)でした。

たまたま、創業者(現 取締役会長)の南場智子さんは僕の高校の先輩だったご縁もあり、自分がマッキンゼーに受かってパートナーと働ける確率よりも、DeNAに受かって南場さんと働くことができる確率の方が高そうだなと(笑)。大学在学中にアルバイトとして会社に入りました。

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どんな仕事をしていたのですか?

最初はとにかく雑務です。主に携帯オークションに関する仕事で、どの車が売れているとか、売れなかったという情報をひたすらエクセルに打ち込む仕事をしていました。「1週間でやっておいて」と頼まれたことを、1日で終わらせるほど熱心に働いていたことが評価されたのか、3か月後には契約社員にステータス変更。結果的に大学卒業後に新卒採用して頂きました。

2008年に正社員として入社。

契約社員の頃から数えると丸8年在籍し、その間、営業、事業企画、広告宣伝、人事、海外支社の経営、最後は主力のゲーム事業の部門長を任されるなど、10以上の部署に配属されたことは非常に良い経験でした。ただ、思い返せば苦労しかなかったかなと(笑)。新卒1年目時代は会社を出る前に日報を書く事が義務付けられていたのですが、同期も優秀な人材が多かったので「誰が一番最後に日報を書くか(遅くまで働くか)」の競争をしていましたし、量は質を凌駕するとの思いで朝から次の日の朝まで必死に働いた日々でした。

南場さんから学んだこととは?

最初の配属先が彼女が新規事業の指揮をとる社長室だったのですが、ある日、新入社員の僕がとても驚いた出来事がありました。南場さんに頼まれてコピーをとった時のこと。「あなたの中でベストなコピーの取り方はこれなの? コピーの取り方、調べた?」と言われて、ただコピーをとればいいと思っていた僕の甘さを認識させられたのです。そこで学んだことはコピーをとる技術を高めることが重要ということではなく、「全ての所作において最高品質を追及する」こと。そんなメッセージを南場さんから受け取り、全ての仕事で妥協しないという哲学を学ばせていただく機会になりました。

どのような経緯で退社されたのでしょうか。

人間は年齢が大台になる手前に色々考えると思うのですが、当時、経営陣からの私への期待も高く、まさに出世コースまっしぐらみたいな感じでして(笑)、絵に描いたようなカッコイイ仕事をさせていただいてました。国内・海外企業との提携や買収に携わったり、海外支社での経営企画・戦略を任されるなど世界を股にかけて何億円もの契約をガンガン決めていって。テレビ会議は4か国同時にやるといったような、学生の頃に憧れていたビジネスマン生活を送っていました。

ところが、出張先の中国のビジネスホテルに1人でいた時のこと。夜にふと寂しさがこみ上げてきて「自分の人生はこのままで良いのか」と考えたんです。当時、DeNAのようなベンチャー企業がたくさん出てきて、日本の産業を盛り上げ、世界を盛り上げていて、僕はDeNAで社長になる目標を掲げて突っ走ってきたけど、本来、僕がやりたかったことは何だろう?と立ち返ってみたのです。

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考えた末に、出た答えとは?

実は兄に障がいがあり、以前から、障がい者をサポートする業界で役に立てる人間になろうと決めていました。今のベンチャー業界は豊かな人がより豊かになっていくことにコミットする事業が比較的多いですが、その恩恵を受けられない人たちにコミットしているサービスや人は、かなり少ないというのが障がい者を持つ家族としての実感です。だったら僕自身がプレイヤーになるべきだと。DeNAでの仕事は一区切りだと感じていたこともあり、30歳を前にして転職のタイミングが訪れました。

目の前に困っている人がいたら助ける

そして2014年7月、株式会社LITALICO(リタリコ)に入社。

この会社に入社したばかりの頃は、DeNAとカルチャーギャップがありすぎたので、馴染むのに時間がかかりました(笑)。

DeNAが自分で事業を起こしたり、世界に冠たる会社にしていくビジョンだとしたら、リタリコは、「目の前で困ってる人たちを助けたい」という価値観を持っています。ビジョンのスケールの大小はあれ、重さは変わりません。

この会社に入ろうと思った理由とは?

創業2005年で今の社長は2代目なのですが、その社長と面談をしてすぐに入社を決めた理由は、企業の理念と事業、そして働いている人の志に一貫性があると感じたからです。たまに見かけるのは、理念は崇高なことを言っているけど、事業は目先のお金にとらわれている企業や、そこで働いている人の志が会社の理念と一致していない企業。このようなズレが生じると、給与待遇面の工夫やインセンティブ設計、または飲み会をたくさん開催しなければいけないなど細かいところまで本来不要なマネジメント業務が増えていきます。

その点、リタリコには一貫性があり、社長から現場で働いている人までがブレていない。この会社を大きくすることは日本のためになると確信して、その一員になりたいと思いました。

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たしかに、障がい者向けのビジネスは儲けだけに走らず、社会性が伴っていることも望まれます。

どんな分野でもビジネスの本質は、このお茶が50円で飲みたいと思った人に対して50円で売ることなので、それをリタリコに置き換えれば、困っている人が対価を支払ってもいいサービスをし続けることが基本的に重要だと思います。それを経済性として、会社として成り立たせるのがこちらの腕の見せ所なのではないでしょうか。

具体的に、リタリコの事業内容を教えて頂けますか。

まずは、働くことに障がいのある大人の方々を対象にした「就労支援」を実施しています。今まで国の税金を投資する対象であった人たちが納税者となり、働く喜びを得ることで、国も障がい者の人たちも嬉しい、Win Winの関係を築くことができます。

また、発達障がいのある子どもでも安心して通える幼児教室・学習塾や、障がいの有無に関係なく、子どもがプログラミングや3Dプリンターを使ったものづくりを学べる「IT×ものづくり教育」も行っています。

これまでは店舗ビジネスが中心でしたが、最近では「インターネット事業」にも力を入れています。障がいのある子どもの親御さんがインターネットを通して情報を得られるポータルサイトや、幅広く親御さん向けに子育て情報を発信するメディアなどを作っています。

仕事でこだわっていることはありますか?

困っている人に対して1つ1つサービスを考えて提供していく、そういったシンプルな発想をもって「当たり前のことを当たり前にやっていく」ことを心がけています。

さらに、僕の仕事哲学である「やるべきです。今すぐです。私がやります」という言葉の通り、まず「~~を、やるべきです」と言葉に出して1回でも言うこと。次は言葉だけではなく、それを「今すぐやる」こと。そして、自ら手を挙げて「私がやります」と率先して行うこと。これはエネルギーを使うことですが、3つがセットでないと付加価値が出ません。当然、責任が伴いますが、これまでの経験から明言することで周囲が応援してくれるという実感があるので、「なんとかなる」と思って、いつもこのモットーを自分に言い聞かせながら働いています。

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では、今後のビジョンを教えて下さい。

まずは、リタリコという会社を最高の会社にしたいです。リタリコのような社会の課題を解決する企業はもっと生まれて然るべきなのですが、儲からないのではないかというイメージが先行しているがために、なかなか新しい企業が生まれづらい。ということを思えば、いずれリタリコが資本市場からも人材市場からも高く評価されることで、色んな企業に「リタリコっぽいことやればいいんじゃないか」とモデルにしてもらえるような存在になれればいいなと。そして「社会の課題を解決する会社で働くことがクールだよね」と思ってもらえる、その突破口としてリタリコがもっと大きくなることに尽力したいと思っています。

そんな中俣さんの“頑張り”の源とは?

源? ないですね。ずっとこのままで生きてきたので、頑張らないという選択肢がないんです。幼い頃から勉強にしろ、空手にしろ、目の前のことを必死にストイックにやってきたので、何かモチベーションのために頑張るという発想自体がありません。今の仕事でいうと、何か崇高なことをやろうとしているわけではなく「目の前に困っている人がいたら助ける。以上!」という気持ちでがむしゃらに働いていますし、もしも1週間の休みがあったとしたら、遊ぶのは2日ぐらいで飽きてしまうのではないでしょうか(笑)。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

ここで言うのはどうかと思いますが、僕は筑波大にすごく感謝はしていないのですが(笑)。都内の大学とは違って、みんなすごく活動的で自分が焦る、という状況でなかったので、逆に自分が何とかしなければ!ということに繋がったのはあります。自分が動かないと何も変わらないということをすごく地理的にも雰囲気的にも感じたので、それが小さくまとまらず、大胆なことをやろうということに導いてくれたのだと今となっては思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

研究やスポーツに熱中している筑波大生に揉まれて、将来のビジョンを持つように取り組んで下さい!

プロフィール
中俣プロフィール
中俣 博之(なかまたひろゆき)
1984年生まれ、新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を卒業後、筑波大学第三学群社会工学類に進学。小学校から始めた空手では、高校時代には北信越大会で優勝、全国大会に出場するなど全国トップクラスの成績を残す。大学在学中に起業し、若くして会社経営に携わる。2008年、大学卒業とともに株式会社ディー・エヌ・エーに入社。新規事業開発をはじめ、国内・海外企業との提携・買収案件や、海外支社での経営企画・戦略を担当し、帰国後はゲーム開発の部長職などを歴任。2014年7月、株式会社LITALICOに入社。同年10月、取締役に就任。 株式会社LITALICO 公式HP http://litalico.co.jp/
基本情報
所属:株式会社LITALICO
役職:取締役
出生年:1984年
血液型:A型
出身地:新潟県新潟市
出身高校:新潟高校
出身大学:筑波大学第三学群
筑波関連
学部:第三学群社会工学類 2003年入学
研究室:経済系の研究室
部活動:医学空手部
住んでいた場所:花畑→春日四丁目→くいだおれの近く
行きつけのお店:M's倶楽部
プライベート
趣味:飲み歩き、男旅
尊敬する人:両親
年間読書数:100冊程度
心に残った本:孫正義のクレイジー経営者宣言
好きなマンガ:キングダム
訪れた国:多数
大切な習慣:抑制をしない
座右の銘
  • やるべきです、すぐやります、私がやります

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