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倉本スライダー

寺子屋スタイルで子供たちにプログラミングを

Professional
2016/07/04
インタビュー
  • 29
株式会社シュビキ勤務/OtOMO代表
倉本 大資
(芸術専門学群 1999年入学)

コンピューターが家庭にあるのは珍しい時代、小学生の時に独学でプログラミングを学んだ。理工系学部への進学を目指す時期もあったが、「自分の手を動かしてものづくりを学びたい」と筑波大学芸術専門学群へ。今は会社員として勤務する傍ら、子供たちがプログラミングを学べるワークショップを主宰し、本を執筆するなど多忙を極めている。「天才を育てたいわけじゃない。普通にプログラミングができる普通の人が増えて欲しい」との言葉の裏にある信念とは?

物置をギャラリーとして再生

まずは本業についてお聞きしたいのですが、株式会社シュビキではどんなお仕事を?

eラーニング(情報技術を用いた学習)を社会人向けに提供している会社で、11年勤務しています。当初は研修用ビデオなどの映像系コンテンツがメインでしたが、私が入った頃からコンテンツをeラーニングで提供しているので、ウェブ系のプログラミングやサーバーの管理などに関わる機会が多いです。

その傍ら、OtOMO(オトモ)という有志団体の代表として活動されているそうですね。

大学時代の友人が埼玉県川口市のメディアセブンという公共施設で働いていて「パソコンを使った子供向けのワークショップのアイディアはないか?」と相談を持ちかけられ、2008年から子供向けのプログラミングワークショップを開催しています。

その活動がきっかけで、ボランティアで参加してくれる仲間が5~6人ほどになったので、今は自主的に三軒茶屋のキャロットタワーで月に一度のワークショップを開催。Scratch(スクラッチ)というアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)が開発した子供向けのプログラミング言語を使って、小学3年生以上の子供にプログラミングの体験の場を提供しています。これまでに1000人以上の子どもたちとワークショップで関わりました。

倉本5

子供たちの学習能力はいかがですか?

新しいことを抵抗なく受け入れますし、普段親しんでいるゲームやコンピューターの裏側(プログラム)をいじれるということもあり、関心も高く上達が速いですね。見学に来た大人が一番驚いてますよ。「この子たちは、本当にプログラミングをするのが初めてなんですか⁉」って。自らどんどん進む子供の中には、私もついていけないぐらい実力がある子もいて、こちらはただ応援するだけといった場合もあります(笑)。

どうして、プログラミングを教えようと?

仕事でプログラミングをしているからという理由と、私自身が幼少時代からコンピューターに触れた経験があり、それがとても楽しかったので、今の子供たちともその楽しさを共有したいとの思いからです。小学校の頃、パソコンを持っている人はまだ少ない時代でしたが、自宅には父親が趣味で購入したパソコンがあって、初心者向けのプログラミング言語・BASICに親しんでいました。最初は父親とやってましたが、ハマってくると独学でコンピューター雑誌や書籍を見よう見真似でやるうちに夢中になり、中学校ではコンピューター部に。その頃、すでにゲーム作りをしていたんですよ。

常にコンピューターがある環境にいたのですね。

はい。その延長で、高校は川崎市立川崎総合科学高等学校に進学。工業系の専門科のある特色ある高校で、卒業後に大手電機メーカーに行くような生徒が多い学校でしたが、私が在学した頃から大学進学にも力を入れ始め、私は工学部や理工学部を目指す進学コースに在籍しました。ところがある日、大学見学に行ったのですが工学部の学生は私が思い描いたような“ものづくり”とはかけ離れた雰囲気だったため、進路に迷って高校のデザイン科の先生に相談をしたところ、その先生が筑波大の芸術専門学群のOBでしたので筑波大進学を勧められました。

受験に合格し、芸術専門学群構成専攻総合造形コースに。

理数系のクラスだったので実技試験のある美大受験の準備はなかなか大変でしたが、就職などその先の進路についても心配していた親と約束した現役合格も果たしました。総合造形コースはいわゆる現代アートを学ぶ専攻で、絵画、彫刻という1つのジャンルにとどまらない表現について学び、技術的な演習や創作活動を通じ実践する機会がありました。“芸術”という答えがないものに囲まれた環境に4年間身を置くことになり、自分の考えていることを表現したり、同じ志を持った仲間と出会えたのは貴重な経験でしたね。

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仲間との思い出はありますか?

大学構内で煮炊きをして、住み着いていたこと(笑)。きれいになった今の筑波大の環境ではきっと許されないと思いますが、当時はまだ寛容な雰囲気があったんですよ。仲間との良い思い出はたくさんありますが、慣れ親しんだ電車の中吊り広告や人通りのある街中といった場所が当時の筑波には少なく、黙ってても入ってくる情報に溢れている東京と違って刺激が足りないなと。4年生の時に悩んでしまって、結局、1年休学してしまいました。今思うと筑波には最先端の研究などたくさん身近にあったはずですが、今のインターネットでの情報共有のような時代ではありませんでしたから、待っているだけの自分には見つけられなかったのかなと。今思うと少し残念です。

通学していなかった期間は何を?

実家に戻り、親の世話になっているだけではと思い、アルバイトを探して見つけた会社が、今働いている会社です。休学中にアルバイトしていた縁で、大学卒業後もそのまま働くことになりました。

卒業制作はどんな作品を?

大学の時に乗っていたフォルクスワーゲンビートルの表面にシリコンゴムを塗って、パックのようにバリバリとはがしたものを動物の皮のように展示しました。毎日使う愛車は硬い素材だけれど、たとえば愛着のある洋服のような感覚で、体になじむソフトなものとして表現することが狙いでした。

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その頃、小学生時代から親しんだコンピューターとの関わりは?

コンピューター制御を組み込んだ作品を作っていました。小さい頃から続けていたことですので、私が何か表現する時には、いつもコンピューターが隣りにあります。“くいだおれ”で夜に音楽のイベントがある時は、映像で演出するVJとしてプログラミング技術を活かしたりしました。

大学時代を振り返って、何か印象的なことはありますか。

芸専棟の脇に小さいギャラリーがありますよね。今はティータスと呼ばれていますが、当時は物置のようになって誰も立ち寄らないスペースでした。そこの立ち上げと運営をやったことが印象深いです。

ギャラリーとして再生させようと思ったのは、“学校の気になるところ”をテーマに話し合う他学の授業で、いつも横を通るたびに駐輪場ではないのに自転車に溢れ「もったいない」「美しくない」と気にかけていたそのスペースに注目し、改めて学校の設計図を見てみたことがきっかけです。てっきり物置だと思っていた場所が、実はギャラリーだったことが分かり、「きれいに復活させて、学生有志の運営に切り替えよう」と。みんなで室内のペンキを塗ったり、建築デザインの先生や学生にお願いして図面を起してもらい、業者に発注するなどしました。始めた頃は「芸専ギャラリー」という名前でしたね。

求めれば、すぐに横のつながりが得られるのが筑波大の良さですね。

確かに、普通の美大に行くより色んな経験ができたと思います。宿舎で知らない人と隣り同士だったり、風呂は大浴場だったり。そういう環境を通して、人との交流の広がりが生まれたのは筑波大ならではだと思います。当時留学生として来ていた友人とは今でも時々行き来をし親交が続いています。

日曜大工的にプログラミングに触れる

ではワークショップに話を戻して、プログラミングは今後さらに必要とされるスキルだと思いますか?

活動を始めた8年前は珍しかった私たちの試みが、最近は習い事の一環として人気ですし、2020年を目標に、プログラミングが小中学校の義務教育で必修化の動きも進んでいます。日本は世界の国々と比べて技術自体は劣ってはいませんが、教育においては遅れをとっているのは確か。例えば学校でコンピューターを使ったとしても、オフィスで使われるようなアプリケーションの利用や、アニメのキャラクターが出てきてクイズをやるといったスタイルにとどまっています。本来、コンピューターが使えるということは、自分のやりたい処理ができるようになることだと思います。

8年間、試行錯誤しながらやってきた中で、私たちも色々と学びました。今のスタイルが理想型に近づいているとも自負しています。必修化に関しても、関係省庁から活動に関する調査に協力し回答をしたり、メンバーの中には有識者会議に参加をしている者もいるんですよ。

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小学生のうちから学ぶ必要性とは?

今の小学生は、その多くがゲーム機やパソコンなどで遊ぶ機会がありますよね。でも一般的に“遊ぶ”というのはアプリケーションやコンテンツを利用、消費する行動だけで、それを一体誰がどうやって作ったかまでは知らない。ワークショップではそんなことを考えるきっかけとなったり、実際に自分でゲームをプログラミングすることで“作る”楽しさを知って欲しいなと。私たちがワークショップで使っているScratchというプログラミングを使えば、ウェブ上に公開されたゲームに手を加えたり、自分が作ったものを世界に公開して人々の反応を知ることができるなど、とてもオープンな環境で楽しむことができるんですよ。

そのような経験を通して、倉本さんが子供たちに望むこととは?

よく、「Appleのスティーブ・ジョブスやFacebookのマーク・ザッカーバーグのような天才を育てたいんですか」「優秀なプログラマーを育てたいんですか」と聞かれますが、いや、そうではないんだと。普通にプログラミングができる普通の人になって欲しいというのが私の願いです。

これからますますコンピューターの組み込まれた物が身近になり、そうしたものを個人の状況に合わせて活用するには、誰かが既成品で提供するものだけでは間に合わない。日曜大工的にプログラミングができることが“普通のこと”になるでしょう。例えば今でも、冷蔵庫も洗濯機はプログラムで制御されていますよね。それらを自分でプログラミングすべきとまでは言いませんが、そうした仕組みを知り、私たちの身の回りの物が「プログラミングされて動いていることを理解している」人になってくれればと思っています。

これまでの活動で苦労したことは?

私生活との両立は非常に大変です。平日は会社員として働きながら余暇を利用してOtOMOの活動をしているので、どうしても家族と過ごしたりといったプライベートの時間を削ることになります。ただ、最近子供が生まれたこともあり、なるべくメンバーに任せるなど調整するようになってきました。会社などとして組織化を考えることもありますが、規模感や掛かる負担など考えると、現状の有志団体ならではの良さもあります。小回りが利きますし、何よりやりたいようにできるというのは大きいです。

逆に嬉しかったことはありますか。

ワークショップは大人が教える場ではなく、子供たちが“学ぶ場”であることを常に心がけています。教科書的に子供たちが理解したり、覚えることではなく、試行錯誤の上に自分でつかみ取って欲しいという狙いがあるので、「あ、そうか!」といった子供たちのリアクションが見られるとすごく嬉しいですね。

スポーツのインストラクションと似ているかもしれませんね。自分たちはファシリテーターと名乗っていて、基本的には、その子のアイディアを伸ばしたり、ヒントを与えることにとどめ、その子のやりたい方向へと進むためのアシストに徹するスタンスをとっています。だから先生とは一度も呼ばれたことはなく、“くらもさん”ってニックネームで呼ばれているんですよ(笑)。

理想的な環境ですね。

私たちのワークショップは決して塾のような場ではありません。以前はシューティングゲームだったり、グリーティングカードを作ってもらうなどと、こちらでテーマを考えて準備していましたが、最近は“寺子屋スタイル”といって子供たち自身が課題を持ち寄り、それらに取り組む場となっています。子供たち同志の交流も促していて、「あの子はこれをやっていたよ」とか「これはあの子がやってたから聞いてごらん」と、つなぐ役割を務めることも意識しています。

このような団体は今後増えていきそうですか。

ビジネスとしてプログラミングを教えている塾や教室は最近とても増えてきました。こうしたプログラミングを学べる場所が増えるのは嬉しいことですが、もう少し気軽に自宅でも始められるようにという思いで、『小学生からはじめるわくわくプログラミング2』(日経BP社)を出版しました。今までの活動で得た経験をこの本にも注ぎこみましたので、コンピューターの前に座って、この本を読み進めてもらえば親子や子供だけで、私たちがワークショップでやっているような体験ができます。
プログラミングをすることは何も特別なことではなく、学ぼうと思えばどこでも学ぶことは可能だと思うので、この本に限らず、それを実践してきた私たちがどんどん情報を発信していきたいです。例えば、プログラミングの知識のあるお父さんお母さんたちが地域の子供たちにプログラミングを教える場を作るヒントにもなるでしょう。

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野球経験者のお父さんが指導する、地域の野球クラブのような。

その通りです。草サッカー、草野球のようなイメージですね。もっと技術を習得したい人はレベルの高いところに入ってもいいですし、学校で専攻するなど選択をしてもいい。とにかく私たちは、プログラミングの楽しさを伝える“入り口”になりたいと思っています。

最後に、今後のビジョンを教えていただけますか。

親御さんの中には「子供にインターネットをさせるのが怖い」「パソコンを自由に使わせたくない」という人がいますが、それほどまでにコンピューターへのイメージが悪くなっているのだなと、残念に思います。テクノロジーと子供の出合いをハッピーなものにする。そのためには、やはり社会が理解を深めなくてはいけません。私は、「あれはダメ、これはダメ」ではない、好奇心を刺激する学びの場を作ることをモットーにしていますので、そうした取り組みを知ってもらうことも使命だと感じています。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

興味のあることにじっくり打ち込むことができ、友人と寝食を共にした環境で人とのディープな付き合い、つながりを学びました。それも田舎ゆえの良さでしょうか(笑)。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

外に出て、外から見てみて気が付きましたが、面白そうなことがたくさんあるのに、それがなかなか伝わってきません。内輪的なことにととまらず、学生時代から社会とつながって発信して欲しいですね。

プロフィール
倉本プロフィール
倉本 大資(くらもとだいすけ)
1980年生まれ、山口県出身。川崎市立川崎総合科学高等学校を卒業後、筑波大学芸術専門学群に進学。小学校時代から遊びの中で親しんだプログラミングを活かした創作活動にも関わる。在学中は、芸術専門学群内の作品展示スペースである芸専ギャラリー(現ティータス)を復活させる。卒業後、2004年に株式会社シュビキに入社し、eラーニング事業に携わる傍ら、2008年、小中学生にプログラミングの楽しさを広めていく団体、OtOMOを設立し代表を務める。2016年5月には初の著書『小学生からはじめるわくわくプログラミング2』(日経BP社)を出版。 OtOMO公式HP http://otomo.scratch-ja.org/
基本情報
所属:株式会社シュビキ/OtOMO
役職:OtOMO 代表
出生年:1980年
血液型:A型
出身地:山口県
出身高校:川崎市立川崎総合科学高等学校(科学科)
出身大学:筑波大学芸術専門学群 構成専攻総合造形コース
所属団体、肩書き等
  • OtOMO 代表
筑波関連
学部:芸術専門学群 1999年入学
住んでいた場所:平砂→一の矢→天久保3→春日3
行きつけのお店:まっちゃん(すき家の裏の、テントの餃子の店)
プライベート
ニックネーム:くらも
趣味:ものづくり
特技:ばったり人と会う
尊敬する人:トーマス・エジソン、フェルディナント・ポルシェ
年間読書数:40〜50冊
心に残った本:はじめてであうすうがくの絵本、ふしぎなえ(いずれも安野光雅)
心に残った映画:ワイルドスピード
好きなマンガ:うる星やつら(高橋留美子)
好きなスポーツ:水泳
好きな食べ物:ルートビア
嫌いな食べ物:特になし
訪れた国:5ヶ国 ドイツ、イギリス、スペイン、ポルトガル、アメリカ
大切な習慣:ストレッチ
口癖は?:やってみ?
座右の銘
  • 誰かが作ったんだから、君にも作れるよ。

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