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潜在看護師と病院をつなぐ“なでしこナース”を広めたい

Entrepreneur
2019/01/28
インタビュー
  • 123
4U Lifecare株式会社 代表取締役社長CEO
伊藤 久美
(第3学群社会工学類 1983年入学)

大学時代はジャズ愛好会の活動に熱心で、プロになることを目指していた。就職には興味がなかったが、「新卒採用のチャンスは一度きり」とアドバイスを受け、ソニーに入社。この決断が、華麗なるキャリアの第一歩となった。が、当の本人は「地位や名誉、お金は関係ない」とバッサリ。では、彼女が仕事に求めているものとは何なのだろうか?

勉強よりも、ジャズを歌うことに夢中だった

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

地元、静岡の高校に通っていた頃、家を出たくて東京の大学に進学することを考えていたんですね。色々調べてみると、筑波大には推薦制度がある、しかも筑波大は東京にあると思い込み、筑波大を目指しました。

第一志望は社会学類のある当時の一群でしたが、私よりも成績の良い友人が一群希望だったので「じゃあ社会学と一文字違いの社会工学類にいこう」と。

大学に入っていかがでしたか。

入学前から割烹一の矢でアルバイトを始めて、知り合いもすぐにできました。寮では隣りに住んでいた農林学類の1年生と仲良くなりました。彼女は、房子ズナイデンさん。現在マクドナルドのCMOです。

大学では授業よりも部活に夢中でしたね。同じ高校から筑波大にいった友達に誘われてジャズ愛好会に入部し、歌を歌っていたんです。それまでジャズに親しんだことはなかったのですが、先輩たちに借りたエラ・フィッツジェラルドのカセットテープを聞いているうちに魅力にとりつかれて。

最初の頃は「合唱団みたいな歌い方だ」と笑われましたが、少しずつ様になってきたのか、学祭など人前で歌い始めました。

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どんな評価でしたか?

さくら村祭りの野外ステージで歌っていたら、AKUAKUというライブハウスのマスター野口さんに「うちで歌ってみないか」と声をかけられ、大学一年の終わりから毎週歌い始めました。

しかも野口さんがお金を出してくれて、都内のボーカルスクールに通うようになり、2年の冬には都内のライブハウスをブッキングしてくれて、都内で歌い始めました。

TXがない時代、毎週バスで移動していたのですか?

最初はバスや土浦からの常磐線でしたが、それだと深夜に東京から帰れないんです。その頃、茗渓会が学類につき1人か2人に年10万円の奨学金を出してくれていたので、その奨学金を頂き、ボロボロの中古車を買って都内に通いました。

授業の思い出は?

社会調査技法といって、選挙人名簿から無作為抽出した人に「つくば万博をどう思われますか」と聞いてアンケートを集めたり、多変量解析でデータを回してどうクラスタが出るかとか。ビデオで関東鉄道を存続させるためのビデオを作ったりしたことも興味深かったです。

実践的な授業に関心があったのですね。

社工にいって良かったことは、社会の多様な問題を解決するために色んな手法を学んでおこうという方針のもと、経済学や経営学、マーケティングやコンピューターなど幅広く学べたことです。私の今のスペシャリティはマーケティングですから、その基礎は大学時代に築かれたと思います。あんなにサボっていたのに不思議ですね。

進路についてはどう考えていましたか?

レコードを出す、などの話があったりして、正直就職に関しては全くやる気がなかったです。でも「新卒採用は一度しかないから、まず会社に入ったほうがいい」と勧められたのと、ジャズを歌うのは夜で、昼間は時間があるから働いたらどうか、というアドバイスもあり、ダメ元で就職面接を受けてみようと思いました。それがソニーで、運良く内定を頂くことができました。

会社に入ってからも歌は続けました。17時36分にタイムカードを押して退社したらすぐにライブハウスへ直行。会社は、雇用機会均等法以降初めて来た「英語の話せない4大卒女性」にはほとんど期待していなかったせいか、何も言いませんでした(笑)。

会社から何か言われたのですか?

後々聞いた話によると、新人の配属先を決める会議でどこの部署も私を取りたがらなくて、しかたなく経営企画室の室長が引き受けてくれたのだそうです。

経営企画ではどんな仕事をしていたのですか。

室長に勧められた経営戦略やマーケティングの本を読み漁るうちに、「そういえば、これは大学で学んだことが役立ちそうだ」と、楽しくなって、これをやらせてください、あれをやらせてくださいと需要予測や消費者調査、製品のコンセプトにつながる多変量解析などをやらせてもらっていました。

あの頃のソニーはまさに「人がやらないことをやる」をモットーにしていて、いろいろなことにチャレンジさせてくれて、とても仕事が楽しかったです。

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だんだんと、やる気が湧いてきたのですね。

というよりは、もともとやる気がなかったから何でも楽しめたのかもしれないです。これをやらなければとか、これがなかったら後がないといった悲壮感がなかったから、ちょっとしたことでも楽しめたのかもしれないですね。

入社から7年が経った頃、マーケティングに本格的にかかわりたいと申し出て、マーケティング部門に異動しました。

その後、退社された経緯とは?

バンド仲間と結婚し、彼が九州の支店長を任されることになってついていきました。ソニーの人事に「ついていきたいんですけど」と相談したら、何もサポートできる制度がないのだ、と言われました。今は転勤の支援や再就職の制度も充実しています。結局子どもを出産した後に産休・育休取得の後、退職して福岡で専業主婦をしていました。

仕事にやりがいを見出していた頃、突然、専業主婦に。

福岡は住みやすく、友達にも恵まれて楽しい毎日を過ごしましたが、2年半子育てしていたら飽きてしまいました。ちょうどそのときにソニー時代の上司が「九州支店で人が足りない。事務手伝いで手伝ってくれないか」と声をかけてくれて、二つ返事で「やります!」と。

配属されたのは7~8名が働く量販営業部門、いわゆる“現場”で働くのが初めだったので「FAXで納入書が来て、こうやって納品するのね」と発見も多く、楽しく働かせてもらえました。

家族の協力を得て、
仕事をしながらライブ活動と子育てを

その後、東京に戻られたきっかけは?

主人が東京に戻ることになり、私も契約社員のまま転勤という形で東京のソニー・マーケティング㈱で働くことになりました。私を正社員に戻そうという話もあったのですがあまり進捗がなく、そんなときに友人から「転職してみたら?何も話が来なかったら、それがあなたの市場価値だと納得してソニーに残ればいい」とアドバイスを受け、転職活動することにしました。

市場からの反応は?

外資系からたくさんのオファーがきました。当時34、35歳で子供もいるのに外資系はそんなこと全く気にしないんですね。結果的にIBMに採用していただきました。

IBMではどんな仕事を?

ちょうどIBMがビジネスモデルを大きく変えているタイミングで、コンサルティング部門がスタートして急成長している時期でした。どんどん案件がきて皆顧客先に出払っている中、ソリューションの品質管理や価格設定、外部人材の採用、Y2K対応、知的資産の管理など社内の仕事が目白押しでした。これらに対応できる「何でもやってくれる人がほしい」というコンサルティング部門を管掌する役員のもとで働くことになり、2年間はそれこそ何でもかんでもやりました。3年目からコンサルタントとしてお客様向けのビジネスを担当するようになりました。

どういったコンサルティングを?

ソニーで経験があったのでマーケティングならできるかなと思ったのですが、当時のIBMはまだまだITの会社。「お客さんはマーケティングのことをわざわざIBMには聞かない」「無理だな」と言われていました。まあそうだろうなあ、と思っていたら、アメリカのIBM本社の改革をそっくり適用したいというお客様がいらして、そのスコープにマーケティングも入っていたことからいきなりマーケティングのコンサルティングの現場に参加することになりました。

コンサルは激務なイメージですが?

確かに一般的にはそうなのですが、私はとてもラッキーで、早い段階で女性コンサルタントの先輩から「激務が当たり前だと思わなくていい。きちんと17時に終わること、子供が体調を崩したら旦那さんやベビーシッターさんの手を借りること」といったアドバイスを下さったので、何でも自分で抱えない、最初から無理だと諦めない、そんなやり方をすることができました。子どもが大きくなってからはライブハウスでの演奏活動も再開していたので、時間はとても貴重でした。

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ご主人の協力があったのですね。

その頃は「カレンダー作戦」といって、私と夫の早くライブのスケジュールをカレンダーに書いたほうがライブに出演できる、というルールになっていました。カレンダーに書かなかったほうが子守担当です。

公私多忙を極めたIBM時代は、アメリカ本社でも勤務されているそうですが。

日本IBMの副社長(今の社長)の補佐という業務を担当していたことがきっかけで、アメリカ本社の経営戦略部門に1年半勤務していました。

その後3年勤務しましたが、だんだんマーケティングに対する興味が強くなり、ちょうどGEヘルスケア・ジャパンのチーフ・マーケティング・オフィサーのオファーを受けて、2014年に転職。CTやMRなどの医療機器やGEが当時推進していたIoTなどの戦略を踏まえたマーケティングの責任者として約3年勤務し、今の会社に移りました。

今の会社に転職した経緯とは?

創業者の宇陀栄次さんはもともとIBMにいらして、その後セールスフォース・ドットコムで社長、会長、最高顧問まで担当されていた方です。ちょうど東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の仕事をされているときに私がGEヘルスケアのオリンピック担当としてお会いした際、以前少しだけ仕事をご一緒させていただいたことを覚えていらして、「ヘルスケアの新しい会社を作ったから一緒にやらないか」と誘われました。

共同創業者の武藤さんともお話して、これはおもしろそうだなあと思ったので「アルバイトで手伝います」と答えました。結果的にCOOで採用され、今年からはCEO。就任翌日からオフィス探し、サービスのシステム開発、ビジネスモデル構築と目の回るような忙しさでした。今サービスをスタートしてやっと1年。少し軌道に乗ってきたところです。

今の仕事について教えて下さい。

大きく分けて3つのサービスを提供しています。まず「なでしこナース」。看護師免許を持っているけれど看護師として働いていない潜在看護師が日本には約71万人もいます。またフルタイムで戻るのはハードルが高いと考える皆さんに、1日数時間、週に1日だけでもすきま時間を使って働いてもらうことを目的とした、病院側と看護師さんをつなぐITの会社マッチングサービスです。

これまでの人材紹介は、かならず間に紹介者が入って人件費がかかるため病院側が負担する手数料が高くなりますが、ウェブ上でマッチングをすることで手数料を安くすることに成功しています。

面白いサービスですね。

20代から45歳位までの女性の23人に1人は看護師さんと言われるほど、皆さんの周りに看護師、元看護師はたくさんいらっしゃると思います。親戚や元同級生など、思い起こしてみると必ずいるはずです。「なでしこナース(https://nadeshikonurse.jp)」への登録はまだまだ増やしたいと思っていますので、ぜひ皆さんの周りにいらっしゃる看護師、元看護師の方に宣伝いただきたいです!まずは情報を収集するところから始めていただければと思っています。

パートタイムで看護師の仕事ができる良い機会ですね。

2つめは「カスタムなでしこ( https://4ulifecare.com/customnadeshiko/ )」と命名した、なでしこナースをベースとしたマッチングのカスタマイゼーションサービスです。なにかと何かをつなぎたい、マッチングを簡単に実装できるプラットフォームを提供しており、いろいろな企業からお問い合わせをいただいています。

今立ち上げようとしている第3の事業が「なでしこプロフェッショナル」。週2回のヘルパーさんだけでは介護の手が回らない遠距離介護、老老介護などで大変な状況にある皆さんに、看護師が訪問して話し相手から入浴介助、食事介助など必要な支援を提供するサービスです。親戚の結婚式などのイベントや家族旅行など、なにか合ったときに心配、というときのサポートにもご活用いただけます。

新しい世界に踏み出すことを恐れず、前向きに転職をされてきた印象。「失敗しない転職」の秘訣はありますか?

そんな秘訣があったら教えていただきたいです!(笑)私の場合、次にこれをどうしてもやりたい、というキャリアプランはあまりありません。ポジションや高給というのもあまりピンときません(いただけるものはいただきますが)。

私にとっては、私だからこそ役にたてそうだ、という部分があること、一緒に働く人、特にボスが「この人と仕事をしたい」と思える魅力のある人であること、事業が実現したいと思っている世界に共感できること、この3つが私の判断基準になっています。

どんな人にも自分なりの判断基準があると思います。人と比べるのではなく、自分がこうしたいという目安をもって仕事を選べば、前向きに楽しく仕事ができるのではないでしょうか。

今後の展望は?

それが分からないんですよね(笑)。数年前の私は、今の私の姿を想像できませんでしたから、3年後は、「これをやるつもりじゃなかった」ということをやっているかもしれません。

でも「働きたい人を支援すること」、この軸は今後もズレないでしょうね。

あなたの“つくばウェイ”とは?

他の有名大学と違って、率先して「筑波大出身です!」と言うのはちょっとためらう、良い意味での中途半端さがあること。それが根底にあるから、謙虚に素直に動けるというところはあるのではないかと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

講演やワークショップなどでよくいろいろな大学に伺いますが、他の大学に比べて筑波大生は少しおとなしくて、意見を持っているのに発言はしない、という人が多いように思います。もっと積極性をもってもいいのでは?と思います。

伊藤 久美さんが所属する
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プロフィール
itokumiプロフィール
伊藤 久美(いとう くみ)
1964年生まれ、東京都出身。静岡県立藤枝東高等学校卒業後、筑波大学第3学群社会工学類入学。在学中はJAZZサークルにてシンガーとして活躍。大学卒業後、ソニー株式会社にて経営企画、マーケティング業務に従事した後、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。戦略コンサルティング部門にて国内外の企業のコンサルティングに従事。その後、2014年よりGE ヘルスケア・ジャパン株式会社のチーフ・マーケティング・オフィサーに就任し、日本ヘルスケア部門のマーケティング全般を担当。2016年、4U Lifecare株式会社に取締役として参画。2018年、同社代表取締役社長CEOに就任し現在に至る。企業、大学などに対してイノベーション戦略、グローバル人材、ダイバーシティ、キャリアなどをテーマとした講演多数。共著に「ものコトづくり」「カリスマが消えた夏」(いずれも日経BP社)がある。立命館大学客員教授。筑波大学非常勤講師。JST CREST 「イノベーション創発に資する人工知能基盤技術の創出と統合化」領域アドバイザー。
基本情報
所属:4U Lifecare株式会社(フォー・ユー・ライフケア)
役職:代表取締役社長CEO
出生年:1964年
血液型:A型
出身地:東京都
出身高校:静岡県立藤枝東高等学校
出身大学:筑波大学 第3学群社会工学類
出身大学院:Harvard Business SchoolおよびINSEADビジネスコース
所属団体、肩書き等
  • 筑波大学 非常勤講師
  • 立命館大学 客員教授
  • 株式会社True Data 社外取締役
  • 社団法人ビッグデータマーケティング教育推進協会 理事
筑波関連
学部:第3学群社会工学類
研究室:経営工学米澤研究室
部活動:ジャズ愛好会
住んでいた場所:天久保2丁目
行きつけのお店:AKUAKU、ロードタイム
プライベート
ニックネーム:くみ
趣味:ジャズ、読書、海外ドラマ
特技:エレベーターガールの真似
尊敬する人:緒方貞子さん
年間読書数:100-120冊
心に残った本:(昔ですが)自然資本の経済 ポール・ホーケン
心に残った映画:Second best exotic hotel -Marigold hotel
好きなマンガ:高台家の人々
好きな食べ物:うに・どら焼き
嫌いな食べ物:レバー
訪れた国:15カ国くらい?(数えたことがないのでわからないです)
大切な習慣:できるだけ断らない
口癖は?:おもしろそうだねえ
座右の銘
  • 「弱点は、いずれキャラクターになる」(アインシュタイン)

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