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日本を伝えるだけではなく、相手の文化を学ぶ姿勢が大切

Professional
2016/04/06
インタビュー
  • 05
国際交流基金アジアセンター 日本語教育専門員
登里 民子
(日本語・日本文化学類 1986年入学)

中学生の頃、日本語を学ぶ外国人の存在を知ったことがきっかけで日本語教師の道を志した登里さん。過去に香港、マレーシア、インドネシアでの約7年に及ぶ海外生活を経験し、それぞれの国の文化や価値観に触れ、失敗も含めていろいろな経験をしたことが財産だと話す。現在は東南アジアの日本語教育をサポートする立場として、日本と外国の言語・文化、そして人の心と心を通わせるべく、活動している。

卒業後、学会で筑波の恩師に再会

日本語教育専門員として、どんなお仕事をされているのですか。

私が勤務する国際交流基金アジアセンターは2年前、「日本語パートナーズ派遣事業」を立ち上げました。これは東南アジアの高校を中心とする日本語教育機関へ、日本人をティーチング・アシスタントとして派遣するプロジェクトです。

それまで私は国際交流基金で外国人学習者に日本語を教える仕事をしていましたが、日本語パートナーズ派遣事業の立ち上げに伴い、日本語パートナーズと現地の日本語教師が行うチーム・ティーチングのサポートを担当することになりました。現在は日本語パートナーズの派遣前研修の企画・運営のほか、現地に飛んで、派遣中のパートナーズの活動についての調査や、チーム・ティーチングについてのアドバイスなどをしています。国としては主にインドネシアとシンガポールを担当しています。

この道を目指そうと思ったきっかけは?

私が子どもの頃、日本語教師という職業は今ほど世間に知られていなくて、日本語を学ぶ外国人の存在すら知りませんでした。中学生のとき、私の父は耐火煉瓦メーカーで輸出を担当していたのですが、アメリカの取引先の担当者の娘さんが日本の友達を欲しがっていると聞き、私と彼女が文通をすることになりました。彼女からの手紙には、学校で日本語を勉強していると書いてありました。海外で日本語を学ぶ人がいることを初めて知って驚き、「それならきっと日本語を教える人が現地にいるはず」と想像して、私もそういう人になりたいと考えるようになりました。

夢を叶えるべく、筑波大学第2学群日本語・日本文化学類に入学。

なんとなく「日本語を教える仕事があるならやってみたい」と考えてはいたものの、日本語教育について詳しく知る機会がないまま、高校に進みました。3年生になって進路に迷っていた頃、親戚のおばさんがつくば万博を訪れた際に筑波大に立ち寄って、大学のパンフレットを私に持ち帰ってくれました。そこには中曽根総理が立ち上げた「留学生10万人受け入れ計画」推進のため、筑波大学に日本語教師養成を行う日本語・日本文化学類が開設されたとあり、「これだ!」と思いました。また当時の筑波大は、留学生や外国籍の学生が他大学と比べて多いイメージがあって、「国際的な空気の中で学びたい」という思いで筑波大を受験することにしました。

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どんな大学生活を送っていましたか?

体育会ヨット部に入部し、毎週末霞ヶ浦で練習するほか、館山や葉山で年間100日ほどの合宿生活を送る日々でした。授業前に朝練で霞ヶ浦の沖に出たものの、風がなくなって必死に漕いで帰って遅刻したことも(笑)。合宿中に練習の合間をぬって授業に出たとしても、疲れきって寝てしまうこともありましたね。

卒業後もヨットの活動を継続し、1993年の香川国体、そして94年のレーザー級世界選手権に出場しています。

社会人になってからもヨットを通じて仕事以外の世界を知り、また筑波大ヨット部の先輩後輩との繋がりも得られたという意味ではとても良い経験でしたが、今、日本語教育の世界で若手を引っ張る立場になって振り返ると、もっと真面目に筑波大の授業を受けておけば良かったと思うこともあります。

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今になって分かったことですが、当時の日本語・日本文化学類の教授陣は日本語教育界の重鎮ばかり。そんな先生方が講義して下さっていたのかと思うと、せっかくの機会を無駄にしてしまったなぁと。もし、もう一度学生に戻って当時の先生方の指導が受けられるのなら、全ての授業を寝ないで受講するのに……と後悔しても、あとの祭りですね。(笑)

そんな筑波の生活で何か得たものは?

“一生の繋がり”だと感じている友人です。筑波ではアパートでひとり暮らしをしていても、どこか寮生活のような連帯感があって、大学時代の友人たちとは教師仲間として今でも助け合っています。

特に影響を受けたのは、同じアパートに住んでいた同級生です。部屋に行くと、こんなに勉強してるんだ!と関心するほどたくさん本が置いてあって、ニューズウィーク日本版も毎週購読し、帰国子女ではないのに英語もペラペラでした。同級生だけど尊敬できる存在で、私に学ぶ姿勢を示してくれたように思います。

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卒業後も旧友と専門分野でつながっているとは、心強いですね。

そうですね。そして、先生方の存在も私の財産になっています。在学中はヨットに没頭していて、それほど交流は多くなかったのですが、卒業後に学会などでお会いする機会が増えました。私は筑波大卒業後、私立高校の国語教師を経て、他大学の大学院に進みましたが、筑波の先生たちとの繋がりは今でも続いています。筑波の先生は本当に面倒見が良い人が多いと感じています。

修士課程を終えた後、本格的に日本語教師としての活動をスタートしています。

国際交流基金の派遣で、初めて香港の地に降り立ったときは、海外で日本語を教えるという夢が叶った!という嬉しさで一杯でしたね。当時、中国返還前の香港には日本人がたくさんいて、公私問わず知り合いがどんどん増えたし、香港大学の外国人教師向けの広東語講座で、イギリス人やイタリア人教師たちと机を並べて広東語を学んだことも良い思い出です。この頃は公私ともそれほど苦労を感じることもなく、3年間充実した日々を送ることができました。

インドネシアでの失敗が私を成長させてくれた

延べ7年間の海外経験を通して、どんなことを感じましたか?

国によって、日本人としての価値観を持った私が感じる違和感のレベルが違うと感じました。例えば香港では、自分と同じような生活習慣や金銭感覚を持っている人が多かったので、夜は一緒にお酒を飲みに行くなど、日本の友人と同じような感覚で交流できましたが、インドネシアの場合は、当時の高校教師の平均月収は日本円にして1万円位ですし、イスラム文化ですからお酒も飲まない、豚肉も食べない、服装も私たち日本人とは違っています。

もちろん、文化の違いに配慮することによって、どんな国でも友達を作ることは可能です。まずは相手の文化や生活習慣を理解しようとする姿勢が大切です。

仕事面で文化の違いを感じたことは?

インドネシアでは、仕事の面でも文化や習慣の違いに戸惑うことが多かったです。当時、インドネシアの教育省(日本でいう文部科学省)と組んで、インドネシア人高校日本語教師を対象とする日本語教授法の研修や、高校で使われる日本語教科書の制作業務を担当していました。現地の教育界でキャリアを持った方と協働することからの学びは大きかったですが、一方で異文化ならではの失敗もたくさんありましたね。

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どんな失敗をしたのですか。

当時、私は30代中盤で、年上のインドネシア教育省の男性と組んで、あるプロジェクトを実施した時の話です。プロジェクト終了後の振り返りミーティングで、私は「今回の企画はとても良かったですが、今後、この点を改善すれば、もっと充実した内容になると思います」と改善案を伝えました。教育省の男性は顔色をほとんど変えずに「うんうん、そうですね」と相槌を打ちながら聞いていたので、私は彼が改善案に賛成してくれたのだと思いました。ところが、ミーティングを終えて退席した後に、通訳をしていたインドネシア人スタッフが「登里先生、彼はすごく怒っていました」と言ったんです。

私の目からはまったく怒っているようには見えなかったので、その時は通訳スタッフの言ったことが信じられなかったのですが、後日、教育省から私の職場に「登里さんは失礼だ」と連絡があったそうです。
私は自分もこの企画の共催者であるという責任感から、結果を評価した上で、真面目に改善案を示したつもりでした。日本ではこのような場合、「失礼だ」などと言われることはまずありません。しかし同席した通訳スタッフの説明によると、教育省の男性は「年下の女性が自分の仕事にけちをつけた」と受け取ったようです。私にとっては想定外だったので、本当に驚きました。

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インドネシア人は感情を表に出さない?

日本人もアメリカ人に言わせればアルカイックスマイルとか、シャイで表情がないとか言われますけど、インドネシア人は、それに輪をかけて思っていることを顔に出しません。それを読み切れなかった私に責任がありますし、重要な役割を任されたことで「もっと良い企画にしなければ」と肩肘を張っていたのかもしれないと反省し、次にお会いしたとき謝りました。

郷に入れば郷に従えという言葉がありますが、もし私の考えが正論だったとしても、まずはその国のやり方や習慣を優先させなければいけないということですね。

失敗したからこそ気付けたという点では、貴重な経験だったかもしれません。

最近、日本語パートナーズが派遣されているインドネシアの高校を訪れた時のこと。校長先生が校内を案内しながら「うちの学校はこんなに日本語教育に力を入れています」と言って、校内のあちこちに貼ってある日本語の標語を見せてくれたのですが、そのほとんどの日本語が間違っていて。おそらく翻訳機を使ってインドネシア語を直訳し、日本語として正しいかどうかを日本人に確かめなかったのでしょう。
その時、私は間違いを指摘せず「素晴らしいですね」と、その取り組み自体を褒めることで、学校がもっと日本語教育に力を注いでくれればという期待を持ちました。ただ、私は1日滞在するだけのゲストなのでそのように流すことができましたが、その高校に一定期間派遣されているパートナーズは「母語話者である自分がいながら、間違った標語を放置したままでいいのだろうか?私の帰国後、この学校に後任者が来たら、『前任者は何をやっていたのか?』と思うのでは」などと、きっと悩まれたと思います。
それでも、パートナーズとして派遣される方には「現地の先生方との信頼関係が築けるまでは、先生方が書いたり話したりする日本語を無理に正したりしないでください」とお伝えしています。

日本語パートナーズは一方的に日本語を教える立場ではなく、現地の日本語教師をサポートする役割だからですか?

まずは「現地の先生方が日本語を選んで学び、生徒に教えてくれていること」に対する感謝の気持ちを持つこと、先生としてのプライドに配慮することが大切です。
ティーチング・アシスタントである日本語パートナーズに限らず、日本語教師として教壇に立つ際にも言えることですが、「日本語や日本の文化を伝える」という意識だけでなく、「派遣国の言語や文化を尊重し、学ぶ」姿勢を持つことがとても大切です。

東南アジアの高校で日本を学ぶ生徒さんの様子は?

日本のアニメや漫画、J-POPはとても人気があり、影響力が大きいですね。クールジャパンという言葉がありますが、実際に日本のサブカルチャーに触れて育った現地の人に会うと、文化がもたらす影響は非常に大きいと感じます。日本語を学んでいる生徒たちは、日本好きな子が多いですよ。
その一方で、小中高の公教育ではそれぞれの国の施策により、日本語教育も大きな影響を受けます。学習指導要領が改訂された結果、その国の日本語学習者数が増えたり減ったりすることもあります。ですので、派遣国の学習指導要領を尊重し、派遣国政府と良い関係を保っていくことが重要です。

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日本語パートナーズの任期を終えて日本に帰国した方の感想は?

世界観や価値観が変わったという方が多いですね。それまでは、海外経験は旅行程度という方でも、実際に現地で暮らし、現地の方と友達になることで、彼らの生き方や考えを知ることができて良かったとおっしゃっています。また、インドネシアの場合は「イスラム教に対する見方が180度変わった。ISの影響で怖いものだと思っていたけれど、ぜんぜん違った」とおっしゃる方も多いです。

それに、海外で暮らすことは日本を客観的に見る機会になります。私自身、「多種多様なものが混在するインドネシアと比べると、日本はすごく均一化された国だな」と感じましたし、日本という国について改めて考えさせられました。

どのように考えたのですか?

日本は資源がない国だからこそ、教育に力を入れ、均一化された集団を育成することで、世界の中で今の地位を築いてきたのだなと、外から日本を見て改めて思いました。それが良いと思う時もあれば、堅苦しさや窮屈さを感じることもあります。ずっと日本にいて本やインターネットから情報を仕入れているだけでは、それを実感することはできなかったと思います。

日本から一歩、海外に出れば、いろいろな価値観や生き方をしている人たちを目の当たりにできます。今の学生さんたちは「内向き志向」と言われていますが、もう少し海外に目を向けてもらえればと思いますね。

国際交流基金の助成プログラムの中に、日本の大学生向けのものはありますか。

「海外日本語教育インターン派遣」という、日本国内の大学の日本語教師養成課程で学ぶ学生を対象にした助成プログラムがあります。学生が海外の大学に教育実習に行く際の費用を国際交流基金が助成するのですが、残念ながら、最近はそのプログラムを利用したいという学生さんが少ないと聞きました。私が大学院生のとき、このようなプログラムはなかったので、自費で数十万円を捻出して、オーストラリアに教壇実習に行きました。その頃と比べれば今は恵まれているので、ぜひ、このようなプログラムを活用して、海外で教壇経験を積んでいただきたいと思います。

では最後に。日本語を教える立場として、やりがいを感じるのはどんな時でしょう?

日本語学習者である教え子たちが、それぞれの分野で成功してくれることが何よりも嬉しいです。以前、EPAで来日するインドネシア人介護福祉士候補者を対象に日本語を教えたことがあります。
彼らが苦労の末、介護福祉士国家試験に合格したと聞いたときは「○○さんは日本語の勉強がんばっていたからな・・・」などと感慨深かったです。
また、いわゆるJapanologyを専攻する大学院生に教えていた時期もあります。彼らの多くは国へ帰って大学講師になっています。彼らが執筆した本を送ってくれたり、再会して私を「先生!」と呼んでくれたりすると、本当に先生冥利に尽きます。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

私は“グローカル”と呼んでいるんですけど、留学生が多い“グローバル”な環境でありながら、“ローカル”な雰囲気も味わえる筑波で学生生活を送れたことが、今の仕事につながっています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

一生に一度でいいから海外で一定期間暮らして、自らマイノリティになる経験を持ってみてはいかがでしょう? その経験が日本を訪れた外国人、つまりマイノリティへの思いやりを育むことになります。

プロフィール
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登里 民子(のぼりざとたみこ)
1967年生まれ、東京都世田谷区出身。神奈川県立多摩高等学校卒業後、日本語教師を志して筑波大学第2学群日本語・日本文化学類へ進学。在学中は体育会ヨット部、ITC(International Talking Club)に所属した。お茶の水女子大学修士課程修了後、国際交流基金日本語教育派遣専門家として、香港、マレーシア、インドネシアに延べ約7年間滞在し、日本語教育支援を行ってきた。現在、国際交流基金アジアセンター日本語教育専門員として、ASEAN諸国に向けた「日本語パートナーズ」派遣事業に携わっている。
基本情報
所属:独立行政法人 国際交流基金 アジアセンター
役職:日本語教育専門員
出生年:1967年
血液型:O型
出身地:東京都世田谷区
出身高校:神奈川県立多摩高等学校
出身大学:筑波大学
出身大学院:お茶の水女子大学(修士課程)
筑波関連
学部:日本語・日本文化学類
研究室:(ニチニチにはありません)
部活動:体育会ヨット部、ITC(International Talking Club)
住んでいた場所:平砂宿舎→天久保
行きつけのお店:居酒屋おおの(入学から卒業までバイトしていた)
プライベート
ニックネーム:タミ
趣味:特に無し
特技:特に無し
好きなスポーツ:ヨット、テニス
好きな食べ物:たまごかけご飯
嫌いな食べ物:なんでも食べます。あえて言えば「ホビロン」(ベトナムの半分孵化したアヒルの卵。フィリピンでは「バロット」と言います)は無理
訪れた国:東南アジア諸国、オーストラリアなど
座右の銘
  • Where there is a wind, there is a way.
    (風のあるところに道あり)

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