つくばウェイ 〜 筑波大OB & OGの生き様をみちしるべに 〜TSUKUBA WAY ロゴ画像

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筑波山や東大通り…私の“青春”をロゴに

Professional
2017/01/16
インタビュー
  • 65
デザイナー
山口 桂子
(芸術専門学群 1997年入学)

雑誌や書籍の装丁をデザインする会社に13年間勤め、現在は子育てをしながらフリーランスとして活動をしている山口桂子さん。育休後に偶然見つけた、つくばウェイのロゴコンペに参加し見事採用。ロゴには筑波での思い出、そして当時の淡い思いが投影されているというが、彼女はどんな思いで筑波大での4年間を過ごしていたのだろう?

夢を持つ者同士、励まし合っていた

筑波大に入学した経緯は?

小さい頃から絵を描くことが好きで、高校に入った頃に漠然と「美大に行きたいな」と思うようになりました。ところが進学校だったこともあって、両親は美大への進学に反対でした。そんな時、先生が「筑波大の芸術専門学群ならセンター試験に向けて5教科を勉強して受験できる」とアドバイスをくれて、教職も取れるから両親も安心だろうという理由で筑波大を受験することにしました。消極的な理由でしたが、筑波大のことを調べていくうちに総合大学で芸術学べることや環境の良さなどに魅力を感じて、絶対に入りたいと思うようになりました。

入学していかがでしたか。

まずは広々としたキャンパスに、大学ならではの自由を感じて嬉しくなりました。筑波大の芸専は、他の芸大・美大に行く人よりは、私のように勉強にも向き合ってきた学生が多いと感じましたね。協調性がある人が多くて、自己主張が強い、いわゆるアーティストのような人は少ないように感じました。私と似たようなタイプの人が多かったので、居心地が良かったですね。また、芸専だけでなく他学の授業を受けられることも刺激的で、興味のある講義はできるだけ受講しました。

何か印象に残っていることは?

1年生でデッサンの授業を受けた時、洋画や日本画志望の子は本当に絵が上手で、表現したいものが溢れ出ていると圧倒されたことです。私も絵を描くことが好きでしたけど、先生が上手い順に並べていくと真ん中ぐらいの評価で。

筑波大の芸専は3年進級時に専攻を決めます。私は視覚伝達デザインを専攻しました。視覚伝達デザインは自分が表現したいことよりも、情報のスムーズなコミュニケーションを形にすることなので、私はそちらに興味を持ちました。

進路については、どう考えていましたか?

大学に入る前から色々とデザイナーという職業について調べましたが、地元・熊本では情報が集めづらく、当時1995年頃はそれほどインターネットが普及していなかったので、図書館に行ってデザイン関係の本を読み漁って調べました。

そこで装丁の作品をまとめた本を目にして、その美しさに引き込まれました。小さい頃から本を読むことが好きだったこともあり、本のデザインをする人になりたいという夢を持つようになって、大学に入ってからは本の作品をたくさん作りました。

作品づくりに没頭した学生時代?

それ以外にも、演劇サークルに入って宣伝美術や衣装、音響を担当したり、ちょい役の役者をやったり、音響や宣伝美術、衣装を担当したり。色々楽しんでいました。友達と部屋で飲みながら朝まで語り合ったのも、良い思い出です。

どんなことを語り合っていましたか。

「将来こういうことをやるには、どうすればいいだろう」とか、「就職はしなきゃいけないけど、自分がやりたいことをやるためにはどうすればいいだろう」といった悶々とした悩みを打ち明け合っていました。答えにはなかなか辿りつきませんでしたけど、同じような夢を持つ者同士、励まし合って過ごしていましたね。

今、芸専の方と交流は?

今でも仲が良くて、お花見やクリスマス会、子供が生まれた時に皆で会いにいくなど毎年5~6人で集まっています。イベント以外でも1対1でお茶を飲んで語り合って気がつくと何時間も経っていたなんてことも多いです。学生時代と変わりませんね。私は2年間宿舎生活で、宿舎を出た後も皆近所に住んでいたので、筑波の友人はただの友人とは違う関係です。

卒業に際しては、卒業論文と卒業制作の両方を提出されたとか。

4年生の9月までに卒論を書いて、翌年1月までに卒制を作るというハードスケジュールでしたね。卒論は1920~30年代、大正時代から昭和初期の日本で前衛詩を作っていた人たちが、面白いタイポグラフィーの実験をしていたり、詩をまとめて本にする際に興味深い取り組みをしていたので、そのことについて研究をしました。

卒制は、その時代の作家である稲垣足穂の掌編集『一千一秒物語』を元に詩を実験的に文字を構成して、自分で撮影した写真や図形と組み合わせて1冊の本にしました。

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タイポグラフィーとは?

平たく言えば、書体を選び、文字を適切に配置することで、文章の読みやすさや美しさをデザインすることです。例えば名刺を作る時、この文字は小さくして、この文字は大きくしようなとバランスや伝わりやすさを考えますよね。ところが実験的なものになると、文字をひっくり返したり斜めに配置したり自由にやってしまう。

そういった遊び心を持って文字で表現していた人たちの資料を偶然体芸図書館で見つけて、卒論と卒制のテーマにしました。今思えば、あの4年の時が学生生活の中で一番、苦労した時期でしたね。

どんなご苦労がありましたか?

卒制・卒論に取り組みつつ、筑波大付属中学校に教育実習に行っていたので、3週間ぐらいは東京のユースホステルに住みながら実習、と同時に企業の面接を受けていたんです。企業は私がやりたいことを実現できそうな3社ぐらいに絞って、本命にしていた株式会社アレフ・ゼロに無事内定をいただけて。演劇サークルの先輩がその会社で働いていて色々話を聞いていたので、「私もそこに行きたい」という思いでした。

やりたいことができる、というと本の装丁を扱っている会社でしょうか。

本の装丁が主ではありませんが、雑誌の入れ替えや教科書のデザインなどのエディトリアルデザインを専門にやっている会社です。最初の2~3年は先輩AD(アートディレクター)の下でデザイナーとして働き、3年目ぐらいから規模の小さい仕事のADとして自分で仕切らせてもらうようになりました。

印象に残っている仕事は?

まだADをやった経験がない頃に、社内の表紙コンペで選ばれて筑波大の先輩とダブルADという体制で一冊丸ごとインテリア雑誌を作ったことです。依頼者である編集者が求めているものと自分のセンスがうまく合致し、好きなようにやらせてもらえて、とても幸せな仕事でした。先輩のADに学びつつスタッフとも協力しあって、何日も徹夜をして作ったんですよ。

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連日徹夜というのは大変そうですが。

アドレナリンが出ているのか、お祭りみたいな状態で毎日を過ごしていましたね。よく言われるのは、デザイナーに必要なのは「1に体力、2に体力、3、4がなくて5にセンス」。センスより体力なんだ、と(笑)。でも実際、徹夜の大変さよりも、自分がデザインしたものが1冊になる喜びのほうが大きいものなんですよ。

馬鹿正直といわれても、誠実に仕事を

では、デザイナーとしての苦労というと?

ある生活情報雑誌が新創刊する時、ADを担当させていただくことになって。読者の年齢層が高いので、文字を大きくして可読性を上げたり、もっと目立たせたいなど、編集者から細かく要望を受けながら今まで考えなかったようなところまで考え抜きました。この時も社内の筑波大の先輩からたくさんアドバイスをいただいて。ずいぶん鍛えられました。デザイナーとして試練だったと思いますが、自分の得意ジャンル以外の引き出しが増えたと実感しています。

もう1つは、恵比寿に「kusakanmuri」というお花屋さんがオープンする時にビジュアルデザイン担当として参加した時。白と緑の草花のみ取り扱い「都会の野原」をイメージしたお花屋さんで、フラワーショップだけでなくグッズ販売やレッスンなども行っています。業務内容が幅広いだけに具体的に決めなくてはいけないこともたくさん。お店で使用するツール類についてデザインチームで検討したり、お店の担当者と1つ1つ具体的なイメージについて相談しながら撮影やデザインをしてオープン時に配る冊子を作り上げたりしました。開店日が着々と迫る中大変な作業でしたが、お店づくりに参加するというそれまでにない経験をさせていただきました。

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ゼロから手掛けることもあるのですね。

出版社ではなく企業やお店学校などから依頼される時は、ディレクターの役割を担うことも多いです。ちなみに、そのお花屋さんのオープン後は、年に4回発行されるリーフレットを作ったり、各種のPRのためのポスターやDM,グッズのパッケージなども担当させていただきました。

デザインだけじゃなく撮影のディレクションやスタイリングなども担当させてもらい、大変なこともありましたが結果的には自分の幅が広がったターニングポイントになりました。

13年務めた会社を退社し、2014年に独立。

30歳半ばも過ぎた頃に徹夜続きがつらくなって……(笑)。仕事と生活のバランスを考え直したいという思いもあって退社しました。退社の翌年に出産し、1年間仕事を休んで、今は子育てをしながら働いています。5時に保育園のお迎えに行かなければならないので、4時半までしか仕事ができませんし、以前のように量はたくさんできませんけど、前より落ち着いて仕事に向き合えているというか。子育ての時間がバタバタと慌ただしいので、仕事の時間だけは自分の時間として集中して取り組んでいます。

そんな環境の中、つくばウェイのロゴをデザインされました。

育休明けにfacebookでコンペのことを知って、訛った頭をフル稼働しながら取り組みました。「つくばウェイ」という言葉を聞いて、まず思い浮かべたのは東大通り、まっすぐに伸びている大きな通りの向こうに筑波山があって。学生時代、夜中に皆で東大通りを自転車に乗って朝日を見に行った思い出もあります。

筑波で過ごした時間を振り返ると、私のつくばウェイといえば“青春”のイメージ、それと東京から離れた場所で学びながら、筑波山を見て遠くに想いを馳せていたイメージなので、「あの山を超えていく道」といった雰囲気がデザインできればいいなと。そして、山を超えていく姿が後輩たちのみちしるべになるようにという気持ちをロゴに込めました。

そのようなメッセージが込められていたのですね。

筑波大で過ごした4年間は今の私を築いてくれた大切な時間なので、こういった形で筑波大に再び携わることができて本当に嬉しく思います。あの4年間で、特に先生方には多くのことを学びました。美しい仕事をすることの大切さを教えていただき、時に怒られながら学んで。いまだに「こんなんじゃ先生に怒られる!」と頭のどこかで思いながら、仕事をしているんですよ。

今後のビジョンを教えて下さい。

昨今、出版文化は停滞しているといわれていますが、自分の子供世代が大きくなる頃にも良質な出版文化を残していくために自分に何が出来るだろうかということをいつも考えています。例えば、子供たちと本との出会いの入り口となる絵本や児童書の分野でのお仕事もしてみたいなと思っています。

仕事をする上でのこだわりは?

作るものや関わっている人、クライアントや読者に誠実に仕事をしようといつも心がけています。ビジネスとしては馬鹿正直と思われるタイプかもしれませんが、これまで誠実にやってきたことでフリーランスになってからも声をかけてくれるお客様がいらっしゃるので、これからもスタイルを変えず誠実にやっていきたいと思います。また、受け身にならずに、問題解決のためやより良いものを作るために提案することも常に心がけています。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

自由であることを大事にして、様々な分野に好奇心を持ち、多角的な視点で物事を見ること。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

受け身にならずに積極的に好奇心を持てば、いろいろな可能性が開かれている場所だと思います。逆に何もしなければ刺激に乏しいつまらない学生生活になってしまうかもしれません。自分から動いて、今しかできないことに好奇心をもって取り組んで欲しいです。

山口 桂子さんが所属する
企業紹介はこちらから
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プロフィール
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山口 桂子(やまぐちけいこ)
1978年生まれ、熊本県出身。熊本県立済々黌高等学校卒業後、筑波大学芸術専門学群に進学。2001年に卒業後は株式会社アレフ・ゼロ(現株式会社コンセント)に入社。雑誌・広報誌や書籍、PRツール等のアートディレクターを務める。2014年に独立し、現在はフリーランスのデザイナーとして書籍の装丁や雑誌のエディトリアルデザイン等を主に行っている。2016年には、つくばウェイロゴマークデザインコンペに応募したロゴデザインがオフィシャルロゴとして採用された。 http://at-yamaguchi.com
基本情報
血液型:O型
出身地:熊本県
出身高校:熊本県立済々黌高等学校
所属団体、肩書き等
  • 本づくり協会 会員
筑波関連
研究室:西川潔先生
部活動:筑波小劇場
住んでいた場所:平砂宿舎、春日4丁目
行きつけのお店:AKUAKU、くぼや、デニーズ
プライベート
ニックネーム:けいこちゃん、ぽんちゃん
趣味:読書、手製本、フィルム写真
尊敬する人:松岡正剛さん
年間読書数:約30冊
心に残った本:モモ(ミヒャエル・エンデ)
心に残った映画:東京物語(小津安二郎)
好きなスポーツ:バスケットボール
訪れた国:5カ国
座右の銘
  • 神は細部に宿る

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