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折笠スライダー

初めての挫折。筑波大で私の人生は180度変わった

Professional
2017/02/20
インタビュー
  • 70
スポーツ庁 競技スポーツ課
折笠 愛
(大学院 2012年入学)

小学校から大学までエスカレーター進学し、在学中はバレーボールに熱中。保健体育の教員免許を取得するために進学した筑波大学大学院で、人生初めての挫折が待ち受けていた。「体育館に行きたくない」。そんな拒否反応を示しながらもコーチとしての任務を全うし、修了後は特任助教、そして現在はスポーツ庁職員として着実に一歩ずつ、目指すところへと近づいている。

「これは修行だ」と気持ちを切り替えた

大学院から筑波大に進まれていますが、どのような経緯だったのでしょうか。

小学5年からバレーボールを始めて、中学の時には「体育の先生になりたい」という夢を持っていました。高校の教員である父の姿を見て育ったので、一般企業に入るイメージが湧かなかったという背景もあります。

小学校から慶應でそのまま大学に進みましたが、慶應大学では保健体育の教員免許が取れないということで、それを取得するために体育系の大学院に進もうと思ったのが筑波大の大学院に進学しようと思ったきっかけです。大学のゼミの先生が筑波大学の大学院出身の方だったので、その影響が大きかったです。

大学院での研究室は?

バレーボールコーチング論研究室です。方法論は主に女子バレーボール部での活動の中で実践を通して学び、立ち居振る舞いからボールの扱い方まで知らないことばかり。全てのことが勉強で毎日刺激的でした。そして体育・スポーツについてはずっと学びたかったことでしたから、「やっと体育の勉強ができる!」という思いでした。特に、図子先生の授業では、理論に基づいたコーチング論を学べたことが目からうろこで。大学では保健体育の免許に関する単位を取っていなかったので、大学院生にしては取らなければいけない授業数が多かったんですけど、毎日がとても充実していました。

競技との関わりは?

2年間バレー部にコーチとして関わっていましたが、練習に初めて参加した時は驚きましたよ。想像以上にレベルが高くて。体育館の壁際に立ったまま呆然と立ち尽くしていたことを今でも覚えています。ボールに触れることができたのはそれから1週間後で、しかも球拾いでした。今ではネタにされています。(笑)

折笠7

コーチとして、どんなことをしていたのですか。

M1の時は1個上の先輩にVリーガーの方がいたので、その先輩の見様見真似でBチームの一般の学生に対して球出しをしたり。でも最初は上手くできなくて「私がここにいるのは場違いなんじゃないか」「体育館に行きたくない」とさえ思うようになってしまいました。特に大学まではバレーができるほうの立場でしたから、筑波大に入って挫折というか、圧倒的に上手い人がいる環境の中で、思い悩むことが多かったように思います。

どう気持ちを切り替えたのでしょう?

まずは、筑波大に来た目的を明確にすることから始めました。私はここに体育の教員免許を取りに来たんだ、コーチングを学びに来たんだ、と。まるで修行のような気持ちで「やるしかない」と気持ちを切り替え、2年目の最初の時期は私1人しか学生コーチがいなかったので、選手や先生とコミュニケーションを取りながら、なんとか私なりの色を出せるようになり、乗り切ることができました。

M2では、カナダにコーチング留学をされたそうですね。

4月にカナダのレジーナ大学からメラニーさんという、カナダのバレーボール界では名の知れたコーチングスタッフの方が、日本のバレーを勉強するために1か月ほど筑波大にいらっしゃったんですね。彼女の誘いで、6月に3週間ほどカナダに行ってきました。

3週間という期間だったので休学はせず、修論もなんとかやりくりして。その年に教育実習に行くことはできませんでしたが、日本とカナダのトレーニング方法の違いなどを知るとても良い機会になりました。それがご縁で、2015年の夏にも1週間、レジーナ大学のサマーキャンプにゲストコーチとして参加したんですよ。

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教員免許はいつ取ったのですか?

大学院を修了した年の8月から筑波大で特任助教として働くことになっていたので、空白期間の4月から7月まで母校の慶應大学で一般体育の非常勤を務めながら、その間の6月に教育実習に行きました。

そして2014年8月に特任助教に就任。

体育系の特任助教として3年の契約をして頂いているので、本来なら2017年まで継続して勤めているはずなのですが、体育系長の中川先生からお話を頂き、転籍という形をとって2016年8月からスポーツ庁競技スポーツ課に勤めています。

このお話を頂いた時はびっくりして、家族に相談したら「滅多にないチャンスだし、成長するために良い経験になるだろう」と背中を押してもらいました。実際に入省してみて、全ての仕事が私の糧になっていると感じますね。

リオ五輪の裏方として感じたやりがい

現在の仕事内容を教えて下さい。

西が丘にあるナショナルトレーニングセンターでは練習できない種目、例えば海洋系や冬季種目、パラリンピック競技種目については全国に競技別拠点がありまして、各地方の施設を国が委託事業として支援しています。そういった委託事業の関連をメインに取り扱っています。

スポーツ庁は2015年10月に設置されたばかり。新しい組織で働く面白さがありそうですね。

競技スポーツ課の職員の約半数は製薬会社、食品メーカーといった民間企業や地方自治体などから出向されていて、20人中、女性は私を含めて2人だけ。20代は私ともう2人しかいない環境なので、年上の皆さんに可愛がって頂いています(笑)。

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畑違いの環境で働くことに戸惑いもあるのでは?

最初はデスクワークになかなか慣れなかったです。筑波では夕方から練習なので、朝から晩までパソコンに向かっていることがありませんでしたし、なによりもジャージ姿で大丈夫でした(笑)。これまでとは全く違う環境に飛び込んで、慣れるまでに1ヶ月かかりましたけど、その頃ちょうどリオオリンピックが始まって。オリンピックを支えるお手伝いをさせてもらったことで、やりがいや責任感が持てるようになりました。

どんな経験をされたのですか?

違うラインでハイパフォーマンスサポートセンター、通称ハウスという、リオの現地にナショナルトレーニングセンターや国立スポーツ科学センターと同じような施設を持っていって、オリンピック選手にご飯やリハビリ、トレーニングを不自由なく提供しようという事業を行っていまして。どの選手が何時にどの施設を利用したかが全て把握できるようになっていて、私はその分析に関わらせて頂いたんですね。

その分析と競技とを照らし合わせながら、「この選手は昨日こういった体調管理をして、この試合に臨んでいる」といった流れを分析するなど、裏方として国の大きな事業に関わっていると思うと「私はすごい環境で仕事をさせてもらっている」と身をもって感じた経験になりました。

2020年の東京オリンピックに向けて、思うところは?

今の契約は来年度末で一区切りで、更新できるかどうかはその時になってみないと分かりませんが、直接的に選手を支援できる今の環境に居続けたいと思っています。

実際にオリンピック事業に携わってみると、色んな問題点に直面するんですね。例えばパラリンピックの選手が練習で使える施設は、まだまだ日本に多くない。車いすバスケはコートにタイヤ跡が残ってしまう場合があるので、使うことを許可していただけないことも多いといった現状があります。

そういった問題をクリアするには、まず競技人口を増やして結果が出せるスポーツにしていくことが大切。そうすれば支援や応援をしてくれる人が増えて、選手にとってもっと良い環境が実現できるはず。これはオリンピックのマイナースポーツにも共通する課題だと思います。

なるほど。では、ご自身の目標はありますか。

いずれは教員に戻りたいという気持ちが強いですね。昔から、子供たちや学生に教える立場の教員が社会経験がないのはどうなんだろうと思っていたので、今の経験がいつかきっと役に立つと思います。また、ただ運動させるだけじゃない、スポーツやバレーボールを通しての教育ってあると思うので、自分も一緒に学生と楽しみつつ、その中で人間形成に関われるような教員になりたいと思います。

理想とする教員像はありますか?

大学時代のゼミの先生、東海林祐子先生(現 慶應大学准教授)が私のロールモデルです。先生は筑波大ハンドボール部で選手として活躍され、卒業後は九州の高校で男子ハンドボールチームを指導し、インターハイで優勝をさせています。その後、大学院に戻ってM1の時にお腹に赤ちゃんがいながら修論を書かれて、M2で出産。子育てをしながら、つい最近は博論も書かれたそうです。

女性としての生き方や人との関わり方、常に上を目指す姿勢を持ちながらも、すごく優しい先生は私のお手本、“なりたい女性像”ですね。

身近にそのような存在がいると、励みになりますね。

東海林先生もそうですが、筑波大にはトップアスリートや第一線で活躍している先生方がたくさんいらっしゃって、そういった恵まれた環境で、素晴らしい方々に出会えたことで私の人生は180度変わったと思います。

特に大学院時代バレーボール部コーチとして挫折を味わいながら、辞めないで続けた経験は大きくて。あの時、自分に自信がついたことで、その後どんな困難がやって来ても「きっと大丈夫。乗り越えられる!」と前向きに考えられるようになったのは、筑波大にいったからこそだと思います。そして全く違う環境から来た私を受け入れ、支えてくれた研究室の中西先生をはじめ、いつも応援してくれた家族には本当に感謝しています。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

鍛錬。大学院で新しいことを取り入れつつ成長し続けることは気力もいるし、楽しいことばかりではなかったですが、「修行だ」という気持ちで自分の道を究められたことは良い経験だったと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

楽しい時は楽しいけど、孤独な時は孤独という環境から逃げ出さず、自分自身と向き合える機会だと思って頑張って下さい!

プロフィール
折笠プロフィール
折笠 愛(おりかさあい)
1990年生まれ、神奈川県出身。慶應大学を卒業後、筑波大学大学院 人間総合科学研究科体育学専攻へ進学。小学校5年生からバレーボールを始め大学院ではバレーボールコーチング論を学ぶ。実際の現場として筑波大学女子バレーボール部、慶應義塾体育会バレーボール部女子のコーチも務めた。修了後の2014年8月から筑波大学の特任助教として勤務。2014年から2015年には慶應大学の非常勤講師を兼務。2016年7月からはスポーツ庁への勤務を開始する。現在、スポーツ庁 競技スポーツ課 整備係。
基本情報
所属:スポーツ庁 競技スポーツ課
役職:整備係
出生年:1990年
血液型:O型
出身地:神奈川県横浜市
出身高校:慶應義塾湘南藤沢高等部
出身大学:慶應義塾大学 総合政策学部
出身大学院:筑波大学大学院 
筑波関連
研究室:バレーボールコーチング論
部活動:バレーボール部
住んでいた場所:桜、吾妻
行きつけのお店:プリムローズ、金治
プライベート
趣味:ランニング、筋トレ、キックボクシング
尊敬する人:両親
心に残った映画:幸せの隠れ場所
好きなマンガ:天使なんかじゃない
好きなスポーツ:バレーボール(コーチ)
好きな食べ物:
訪れた国:5カ国
大切な習慣:出勤時13階まで階段を使う、お風呂後のストレッチ
口癖は?:大丈夫、大丈夫
座右の銘
  • 笑う門には福来たる

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