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上野様スライダー

「世界の女性の可能性を広げたい」と国連で活動

Professional
2017/10/30
インタビュー
  • 93
国連人口基金(UNFPA)東京事務所 所長補佐
上野ふよう
(比較文化学類 入学)

在学中には、マスコミ志望学生のための「青木塾」に参加。出版社に就職するも、スイス留学を経て、導かれるように国際協力の仕事へ。国連人口基金の東京事務所から、世界の女性の人権や健康を守るための活動について発信を続ける。好奇心いっぱいな上野さんを育んだのは、筑波大のオープンな環境だった。

出版社、留学を経て国連の仕事へ

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

幼い頃から文学少女で、特に比較文学をやりたくて。当時は、比較文化学と銘打っている学部がある大学はとても珍しかったんですね。まさに私のやりたいことだなと。それが大きな魅力で筑波大を目指すようになりました。

実際に入学して、思っていたような勉強はできましたか?

いざ入学すると、ジャーナリズムやマスメディアの勉強に興味を持ち始め、比較文化学類の現代思想コースで情報文化を専攻できると知り、「これがやりたい!」と1年生のかなり早い時期に専攻を変えました。そもそも授業が自由に選べる学校だから、既に取った単位も活かしつつ専攻を変えるのはそんなに大変でもなかったんです。自由に興味関心を変えていくことが許されるカリキュラムなのは、ありがたかったですね。

在学中の思い出は?

良い先生に恵まれました。まずお一人が卒業論文の主査もしてくれた増成隆士先生。折りに触れお会いしたり、近況報告をしたりで今もお付き合いが続いています。私の大学卒業以降の半生を見てくれている感じですね。

あともうお一人は、亡くなられた青木彰先生です。産経新聞の記者から夕刊フジの社長に就任されて、その後に筑波大に教授としていらした方。マスメディアやジャーナリズムの講義をされていました。

青木塾の研修旅行

青木塾の研修旅行では、先生からお酌していただいた

出版社に就職されたのは、その影響ですか?

マスコミに興味を持ったから先生に出会えたという方が近いかな。青木塾という、マスコミ志望の生徒が就活のために勉強をしたり、作文の添削をして頂いたり、お酒を飲みながら先生のお話をお聞きする、という勉強会がありまして。皆でマスコミを目指して頑張ろうという仲間を作ってくれました。青木先生からは、就活のみならず、人生における様々なアドバイスをいただきました。

先生が亡くなった今も青木塾は続いていて、私は今マスコミからは離れていますけど、マスコミ界で活躍している個性的な先輩方のいるグループに身を置けたことは良かったなと。筑波大で出会った先生、友人、先輩との関係は、今も続いている大切なものですね。

卒業後、出版社に勤務されました。その後すぐ今の仕事に?

角川書店に4年半勤めて、夫の仕事で鹿児島へ行きました。そこでも地元の企業で広報の仕事をした後、スイスへ。留学をしながら7年間ほど過ごし、最後の半年はウィーンで過ごした後、2005年に帰国しました。

スイスではどんな勉強を?

スイスのローザンヌ大学文学部現代フランス語学校に通っていました。フランス語を母語としない人のためのフランス語教師育成コースです。そこでフランス語教授法やメソッドなどを学び、教育実習にも行って卒業。その後、修士・博士課程まで進みました。途中で帰国したため、博士課程はそのままになってしまっていますが。

上野002

スイスでの、年齢や国籍の違う同級生たちとの留学生活

帰国されて、現在の仕事に。国連の仕事が希望だったのでしょうか。

帰国早々、友人からこのポストの公募のことを紹介されました。

正直に言うと、国連人口基金(UNFPA)って何をやっているところかな?という感じだったのですが、調べたら人口問題や女性の健康、ジェンダーの平等に取り組んでいると。権利や立場が非常に弱い中で苦しんでいる女性が世界中に大勢いると気付かされました。

そこに共感したんですね。

レベルはまるっきり違うけれど、私も留学をしたので仕事からは10年くらいブランクがある中で帰国後に就職活動をして、労働市場では自分の価値が認められないのだと感じました。仕事がなく経済力がない女性が一人で生きていくのは、心細いものだなと実感したんですね。

でも自分なんかはまだまだ序の口で、もっともっと辛い立場の人が世界中にはたくさんいる。国連人口基金の活動を知り、これはやりがいがあるというか、自分が心から打ち込める仕事だと感じました。

約10年のブランクに加えて出版社とは全く違う仕事に。

ええ、ですからとても苦労しました。フランス語の知識や修士や博士課程で学んでいた言語学も全く役に立ちませんでした。また、私が着任した時には前任者がいなかったんです。具体的な仕事内容を教わるには、会ったこともないNY本部の人に英語でメールするしかなかった。当時の私は英語は得意ではない上、国連の何たるかもわからないし、東京事務所の仕事だって詳しく教えてくれる人もなく、本当に手探りで。今思えば、我ながらよくやったな、と。

就職前に分かっていたらやれなかったかもしれません。幸いにも他の国連機関の方など助けてくれる方がいて、アドバイスをもらいながら何とかやってきました。

今の主な仕事は?

国連人口基金は、開発途上国の人口問題に取り組み、女性の健康や若者の権利を守るための活動を行っています。東京事務所の仕事は、主に本部と日本政府を仲介する業務と広報活動ですね。国連人口基金の本部はNYですが、時差なく日本語で日本政府に対応したり、企業やメディア、一般の方々からの問い合わせに応えたり、私たちの活動を知って頂くための広報業務を行なっています。

上野001

広報イベントでの司会も、”伝える”ための大切な仕事

日々、多忙を極めているのでしょうね。

所長や事務所全体のスケジュール管理や、総務、経理的な業務の他、所長補佐の立場であらゆることを担っています。広報活動に関しては、最近はイベントよりも、日常的にはウェブサイトやSNSでの発信が増えてきていますね。加えて、インターンのマネージメントも大切な仕事となっています。

仕事でのこだわりを教えて下さい。

国連人口基金の東京事務所にしかできないこととして、日本語で日本の方たちに分かりやすく人口問題についてお伝えし、我々の活動について理解して頂くという役割があります。国連機関ですから英語の資料はたくさんありますが、そのままでは多くの日本の方たちにはお伝えしきれないので、分かりやすい日本語に訳して伝える努力をしています。

読んでもらえないと意味がない。

ただでさえ遠いと思われている国連機関の仕事や途上国の現状を、「世界ではこんなことが起きていますよ」「私たちはこんな活動をしていますよ」と、より分かりやすく伝えなければいけません。特にこだわるのは言葉遣い。直訳した文章ではなく、分かりやすい日本語の文章にすることを心がけています。

在学中に、マスコミと大人の世界を疑似体験

筑波大で良かったことは?

自由に興味関心を広げられる環境だったのは良かったです。専攻を自由に変えられたり、違う学部の授業をいろいろ受けられたことも良かったですね。

生物学類の講義や、芸専の陶芸の授業も受けましたよ。スイスで陶芸スタジオに行った時も、筑波大で基礎の手法を教わっていたので助かりました。

筑波大の環境はいかがでしたか?

静岡県出身の私は、幼い頃から東京の大学を志望していたので、最初はつくばを物足りない、と思った事もありました。でも今にして思えば、長い人生の中の4年間をつくばというちょっと不思議な所で過ごせて良かったです。何かしたい、誰かと話したいという時に皆が近いところにいましたし、終電を気にせず、親の目からも離れて不思議な異空間にぽつんと何千人という学生たちがいて、居心地のよい共同生活を送ることができましたから。

ただ、それはそれで面白かったけれど、もうちょっと違う世界も知りたいという欲求が湧いたことも事実です。

学校外に活動を広げられた。

地元のケーブルテレビで番組司会のアルバイトをしたり、学生サークルで番組を作ったりもしました。番組制作そのものも面白い経験でしたし、その分野の個性的な人々にも出会えました。平砂宿舎近くのリサイクルショップの風変わりな店長さんや、おしゃれで素敵なお店のお姉さんと仲良くなったり。

こうして、つくばに住んでいるちょっとユニークな大人たちと積極的に付き合う中で、「こういう面白い世界もあるんだ」と違う世界を覗くことができました。

在学中にはケーブルテレビの他、筑波大生向けの広報誌でもお仕事をされたとか。

『Jam Jam(ジャムジャム)』という、筑波大生が作る筑波大生のための情報誌です。ほぼ隔月で発行していました。4月の新年度号は、学類を超えて受けられる授業の評判や単位の取りやすさを載せたり、当時はインターネットのない時代ですから、学生宿舎を出てアパートを探す人のために、つくば周近の不動産情報を網羅したリストを載せた号などは、そこそこ売れていたんですよ。

そのサークルにも面白い先輩がいっぱいいましたね。また、取材、編集、印刷して雑誌を作ることの“いろは”を学んだわけです。知らないお店をいきなり訪ねて「こういう雑誌を作ってます」と広告営業もしましたし、書店やコンビニに置いていただくための販売営業も。

本格的ですね。

名刺を渡して「広告1枠いくらです」と広告をとり、広告の原稿をキャッチコピーから考えて、全て手作業で作りました。その後、本当の雑誌を作る出版社に入ったわけですが、その前に雑誌制作に触れることで、マスコミを志望するきっかけとなったことを思えば、『ジャムジャム』での経験は大きかったですね。

今後のビジョンを教えて下さい。

信念を持って取り組むことができる仕事があるのは幸せなことだと思っていますので、それはそれで極めていきたいと思っています。それと同時に私生活も充実させていきたいです。習い事をやったり、仕事とは違う活動をしたり。柔軟に活動の幅を広げ、様々な分野の人々から刺激を受ける機会を大切にしたいですね。

国連人口基金東京事務所

国連人口基金東京事務所で

筑波大と今も何か関係はありますか?

2018年春開講予定で国際協力に関する連続講座が始まります。国連や外務省、JICA、NGOなど国際協力に関係する様々な立場の方にお話し頂いて、国際協力とは何かが分かるような講座の準備のお手伝いをさせて頂いています。開講後には、国連人口基金も1コマ担当します。これも、広報活動の一環です。ぜひ受講して下さい!

あなたの“つくばウェイ”とは?

視野を広く持ち、オープンであること。とはいえ広く浅くではなく、自分は何に興味があり、何に適性があるのかを広く自由に探りつつ、“これ”というものを見つけたらぐっと掘り下げられる環境を筑波大が与えてくれました。つまり、“広く、深い“視野でしょうか。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大は望めばたくさんの選択肢を与えてくれて、自分に向いているものを見つけられる場所。なので、それを是非見つけて下さい。見つけたらそれをぐっと掘り下げることを忘れずに。そして、筑波だけで終わらず、国内外のとんでもない方向に行って活躍し「でもあの人、筑波なんだよ」みたいなのが面白い。後輩達には、軽やかに大きく羽ばたいていってもらいたいですね。

プロフィール
上野様プロフィール
上野ふよう(うえのふよう)
静岡県出身。静岡県立富士高等学校から、筑波大学第二学群比較文化学類に進学。在学中は筑波大関連の情報誌である『Jam Jam』の編集などに携わる。卒業後は大手出版社に就職。数年勤めた後にローザンヌ大学に留学。外国語としての仏語教育学士号、対照言語学の修士号を取得。博士課程途中で帰国後は現職である国連人口基金(UNFPA)東京事務所で所長補佐として活躍。UNFPAでは日本政府、企業、個人からの資金調達関連業務と人口問題、ジェンダーの平等、女性のエンパワーメントに関するアドボカシーや広報活動を主に行う。
基本情報
所属:国連人口基金(UNFPA)東京事務所
役職:所長補佐
血液型:B型
出身地:静岡県富士市
出身高校:静岡県立富士高校
出身大学:筑波大学第二学群比較文化学類 / スイス、ローザンヌ大学文学部現代フランス語学校
出身大学院:スイス、ローザンヌ大学文学部言語科学修士課程
筑波関連
部活動:JamJam(雑誌編集サークル)/ フレームショット(テニスサークル)
住んでいた場所:平砂宿舎 ⇒ 天久保(東大通り沿いの鰻屋の向い側)
行きつけのお店:Rリサイクルショップ(今は無くなってしまいましたが、店長や店員さんと仲良くしてました)
プライベート
趣味:ジョギング・フランス語・ワイン
特技:一度会った人の顔をよく覚えている
心に残った本:母が書いた私が生まれた時のことを記した育児日記
心に残った映画:Diva
好きなスポーツ:ジョギング
嫌いな食べ物:Fast foodは、なるべく食べないようにしています。
訪れた国:スイス(7年住んだので、第二の故郷と思っています)、周辺のヨーロッパ諸国、アジア数カ国、米国、カナダ
大切な習慣:お世話になった方に、御礼メールを送る。 出来る限り、自炊をして、自分が作ったものを食べる。
座右の銘
  • La vie est dure sans confiture.  人生には楽しみが必要

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