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電話一本、メール一通で会いたい人に会える

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2017/10/16
インタビュー
  • 92
講談社 第二事業局 生活文化第二編集
山本 忍
(社会学類 1992年入学)

受験を控えた高校時代、思いがけない出来事が起こり筑波大に進学することに。大学生活、そしてアルバイトに明け暮れる日々の中でも、「やりたいこと」の実現を可能にしてきた延長線上に、今の編集者生活がある。建て前ではなく「仕事が楽しい」と断言できる会社員はなかなか珍しい。そんな彼女が歩んだ道とは――。

やりたいことをどう実現するか

まずは、筑波大を目指したきっかけを教えて頂けますか?

私が筑波大に入学したいきさつは王道ではなくて恐縮ですが、高校3年の秋、受験が迫っている時期に親の離婚裁判が始まってしまい、資産が凍結されるという事態が起こったんです。それまで東京の私大に行くつもりで勉強をしていたんですけど、そういう状況を知った高校の先生が、国立なら授業料が安いから良いんじゃないかと筑波大の推薦入学を教えてくれました。

正直に言うと、それまで筑波大という選択肢は全くありませんでしたが、「大学に行きたい」という気持ちが強かったのでこだわってはいられない状況でしたね。

社会学類を志望した理由は?

高校の時、1年間ボストンの近くに留学をした経験から、高校生の浅知恵なりに「経済を勉強しないと世界が分からない」と思ったんですね。そうなると、筑波大では社会学類になります。ただ、高校時代から数学が苦手だったので、大学1年の時点で「やっぱり、このまま経済を勉強してもどこかで行き詰まるだろうな」と。

筑波大に入って良かったことの1つは、学群という仕組みのもとで簡単に専攻を変えられたことですね。経済から社会学に変更したのですが、社会学の勉強はとても面白かったですし、その後の私のものの見方にとても影響を与えました。もし私立文系で経済学部に入っていたら、勉強についていけなくて大変なことになっていたと思います(笑)。

印象に残っている出来事はありますか。

4年間、大学の学費免除を受けながら奨学金を2つもらっていましたが、とにかくお金がなかったので、アルバイトをたくさんしたことは印象深いですね。そういった経験を通して学んだのは、「自分がやりたいことを、どう効率的に実現するか」です。

大学時代の「やりたいこと」というと?

海外への旅行です。とにかく世界を見てみたかったんです。金銭的にも時間的にもギリギリでしたけど、そこはあきらめたくなかったので、どうすればいいのか、ものすごく考えました。アルバイトだけでなく、旅行会社や雑誌の懸賞に応募して、旅行プランや料理レシピを提案することで旅行券などを当てたりしていました。30万円の賞に選ばれたこともありましたし、インドに1か月滞在したり、ヨーロッパ周遊もしたんですよ。お金がないならないなりに工夫をして自分のやりたいことを実現する。そういう考え方、実行する力は大学時代に培ったことかもしれません。

イタリアのポルトフィーノ

イタリアのポルトフィーノ

多忙を極める中、社会福祉研究会でボランティア活動もされていたそうですね。

学費を全く払っていなかったので、誰かの役に立つことをすべきだと思ってボランティアをしていました。いろいろな事情で親と住めない子が暮らしている施設で家庭教師をするというものだったのですが、とても貴重な経験になりました。

こちらが1年のときに中学1年の子を担当して受験まで勉強を教えるのですが、例えば、私が教えた子は、周りにそうした女性のロールモデルがいない中で育ってきたので、「女性が大学に行ってどうするんですか」と本当に不思議そうに聞いてくるんです。一方、私はなんの疑いもなく、大学に行くのが当然と思ってきた人間です。

そんな質問をされたら、ちょっと驚きますね。

彼女には中卒、高卒、大卒の給料の違いはもちろん、自分の夢を叶えるために私は大学に行くんだよ、という話をしたりしました。ただ勉強を教えるだけではなく、世の中のことまで教えたりするのは、やりがいがありましたね。

西原理恵子さんの『女の子が生きていくときに覚えていてほしいこと』という本の中で、「寿司も指輪も自分で買おう」とあるんです。男性に買ってもらうんじゃなくて、欲しいものは自分で手に入れられる女性になろう、と。もちろん、大学に行くだけがすべてではないですが、今だったら大学に行く意味を彼女にもっとうまく説明できるのになあと思います。

当時、卒業後の進路についてどう考えていましたか。

大学時代、お金に苦労しながらも大好きな旅行をあきらめなかったことにも共通しますが、やはり卒業後も「やりたいこと」を仕事にしたいと。好きなことを仕事にしたいと思って、大好きな本を作る仕事に就くために出版社を志望しました。好きなことを仕事にしないほうがいいという人もいますが、私の場合は“好き”がモチベーションにつながるタイプなので。

最初の就職先は、主婦の友社。

最初は『Como』という雑誌の編集部に配属されて、そこでおもに料理編集者として働いた後に、『Cawaii !』『SCawaii !』編集部に異動になりました。当時はガングロ・コギャルが全盛だった時代なので、毎週末になると、渋谷の109前にいるそうした読者の女の子たちに取材をしに行っていましたね。

渋谷に足を運んで今どんなことが彼女たちの間で流行っているのかを聞き出し、ページを作ることは、自分とは違う“文化”に触れる面白さはありましたけど、読者100人を連れて千葉の海に水着スナップを撮りに行ったり、大変な仕事も多くて・・・・・・ 今でも辛い思い出がよみがえってきます(笑)。

そんな経験を経て学んだこととは?

今振り返ってみればですが、雑誌や本を作る立場として、その頃の経験が私の礎になっていることは確かです。今どきの若い子ってこういう感じでしょ、こういう言葉を使うんでしょっていうイメージだけでモノを作るのではなく、実際に当事者と接しなければ、リアルさや温度感は得られないんだなと。今で言えば、ネットやSNSなどを通して何かを知ったような気になれますが、やっぱり手間をいとわずに足を使うのも大事だと学びましたね。

今、仕事がすごく楽しい

その後、28歳で講談社に転職。そもそも編集者とはどんなお仕事なのでしょう?

分かりやすく言うと“監督”ですね。編集者は基本的には写真も撮らなければ文章も書きません。雑誌の場合でいうと、企画の内容を考えて、企画に応じてモデルやタレント、カメラマン、ライター、スタイリスト、ヘアメイクなどのスタッフを集めて企画を構成する。それが編集者の役割です。

転職後は『ViVi』『VOCE』の編集者として10年勤務。雑誌の編集者というと華やかなイメージがあります。

いや、地味な仕事ですよ。基本は何が面白いのか、企画を考えて、とにかく人に連絡をしてアポイントを取る。そして、撮影や取材がうまくいくようにと動いて、記事にまとめあげる。裏方の仕事です。

何か印象深い仕事は?

10年務めた雑誌の編集部から、今所属している実用書の書籍を作る部署に異動になり、わりとすぐに『行正り香のインテリア』という本が3万部売れました。その後『安眠ウェーブ枕』という付録本が10万部、『「読む」美容辞典』という本が5万部売れたことは、書籍の編集者としてやっていけそうだ、という自信につながりましたね。

俳優の香川照之さんが歌舞伎役者になったタイミングで出版した本も印象深いです。この本では、本体を歌舞伎の幕をイメージしたデザインにしたり、紙の手触りや書体にもこだわりました。本というと、書かれている内容や文字だけに注目されがちですが、それ以外のディテールや見た目のビジュアルも含めたパッケージ商品なんです。そうしたいろいろな工夫ができることも楽しいです。

『市川中車 46歳の新参者』

『市川中車 46歳の新参者』

ご苦労されたことは?

一冊の本を作るために著者とがっつり向き合わなければいけないので、どう相手と関係性を築くのかが重要になってきます。以前、精神状態がちょっと不安定な著者に、たっぷり3時間以上取材した後、「今日喋ったことはのせないで下さい」と言われたり、いろいろ振り回されたこともありました。人と深くつきあう仕事というのは、面白くも厳しくもあって諸刃の剣でもありますが、そこが醍醐味でもあるかなと。

今の仕事のやりがいとは?

この仕事の楽しいところは、いろいろな分野のプロフェッショナルに電話一本、メール一通で会えることですね。講談社という名刺があるだけで、とりあえず「私はあやしい者ではない」と先方からの信頼も得やすく、話が前に進みやすいですし(笑)。そして、担当した本がたくさんの方に読んでいただけることは本当に嬉しいです。

仕事でのこだわりはありますか。

どんな仕事も最初にプランがあって手順がありますが、なるべくプランから外れるものをすくいとることを心がけています。そうじゃないと、プランを遂行するだけの予定調和で終わってしまいますから。あとは、その企画を自分も面白がることでしょうか。なるべく自分が最初にイメージしたものを超える本にしたいと、新しい仕事に取りかかるたびに思っています。

今後のビジョンについて教えて下さい。

大学時代から「自分の好きなことをして生きていきたい」を貫いてきたからか、仕事はすごく楽しいです。大好きな本の制作に関われる喜びだけじゃなく、「好き」を大事にしてきたことから人間関係が広がって、自分の趣味を反映した本をたくさん作れたりもしているので。例えば、私が好きなワインのガイドブックを作ったり、全国を回ってうつわの取材をしたり、好きなシェフの料理の本を作ったり。このスタンスを変えずに、これからも仕事をしていけたら最高ですね。

担当書籍

担当書籍

仕事が楽しいと断言できる人は、それほど多くはないので羨ましい限りです。

会社員としての理想の働き方でいうと、最近、作っているビジネス関係の本を通して、なるほどと思った話があります。仕事においては、「やりたいこと(WILL)」、「やらなきゃいけないこと(MUST)」、「できること(CAN)」の3つのバランスが大事だと。

新入社員の場合は「やりたいこと(WILL)」をたくさん持ってはいるけれど、まだまだ経験が足りないから「できること(CAN)」が少ない。一方で、長く勤めている人はだんだんと「やらなきゃいけないこと(MUST)」ばかりが増え、いつしか「やりたいこと(WILL)が見えなくなり、仕事がつらくなってしまう。ようは、3つがバランス良く重なり合った時に、はじめて“やりがい”が生まれるというのです。

理想の働き方

理想の働き方

なるほど。

私の場合、その3つが合致していて、うまくバランスが取れているから「今が楽しい」と断言できるのだと思います。これを読んでいる学生の方で今後の仕事に迷いを持っていたら、その職業、会社でこのバランスがうまくとれるかどうかをイメージするのもいいと思います。

そういった山本さんのような精神は筑波大で培われたのでしょうか。

筑波大だったからというより、大学時代に培われたのだとは思います。アルバイトの経験、ボランティアの経験、たくさん海外へ行ったこと、社会学の勉強、そうした大学時代の経験が私を育ててくれて、今があります。

あなたの“つくばウェイ”とは?

座右の銘、「日々是好日」ということでしょうか。
文字だけみると、ただ「毎日機嫌よく生きよう」という言葉ですが、実は、そのためには毎日を積極的に生きなければならない、ということを意味している禅語です。こう考えるおおもとになったのは、やはり筑波での大学生活だったかもしれないですね。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

豊かな人生を! ですね。仕事の話をさんざんしてきましたが(笑)、仕事がなんであれ、大学がどこであれ、その人にとっての幸せを見つけられればいいと思います。

プロフィール
山本プロフィール
山本 忍(やまもとしのぶ)
1972年生まれ、東京都出身。浦和明の星女子高等学校を卒業後、筑波大学第一学群社会学類に進学。卒業後はもともと本が好きであったことから出版社に就職。28歳のときに講談社に転職。『ViVi』や『VOCE』などの雑誌編集者を務めたのち、現在は幅広いジャンルの本を出す実用書の書籍編集者に。これまで担当した書籍には『レシピのいらない和食の本』『ガンベロロッソ イタリアワインガイド』『うつわを巡る旅』などがある。現在、第二事業局 生活文化第二編集 部次長。
基本情報
所属:講談社 第二事業局 生活文化第二編集
役職:部次長
出生年:1972年
血液型:O型
出身地:東京都
出身高校:浦和明の星女子高校
筑波関連
学部:第一学群社会学類
研究室:社会学ゼミ
部活動:社会福祉研究会
住んでいた場所:植物園の近く
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