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金森スライダー

世界で不当な扱いを受けている人たちの可能性を広げたい

Professional
2016/06/06
インタビュー
  • 22
一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ 調査事業本部 部長/チーフ・ヘルス・オフィサー
金森 サヤ子
(第二学群生物学類 1998年入学)

筑波大でひたすら研究に没頭する日々を過ごした後、見識を深めようと留学したイギリスで、国境のない保健医療の課題解決を目指す“グローバルヘルス”に出会った金森さん。今は「世界中の人の命を感染症から救いたい」との一心で、日本の医療技術やサービスの推進、情報の共有など色んな角度からアプローチを試みている。私たちの日常生活では語られない、世界規模の課題に取り組む彼女の思いとは?

365日、マウスのことを考えた学生時代

筑波大を目指したきっかけを教えていただけますか。

高校生の時、インフルエンザにかかって意識が朦朧とする中、ふと「人間をこんなにまで追いつめるウィルスってスゴい」と思ったのがきっかけで、医者か研究者になりたいと思うようになりました。幼少時代から好奇心が旺盛で、何事にも「なんで?どうして?」と疑問を抱く性格でしたので、誰も知らないことを探索できる研究者のほうが向いているかもしれないと。生まれ育った東京付近で生物学が学べる環境を探していたところ、筑波大の第二学群が推薦入試を実施していたので志願しました。

東京に比べると、筑波が田舎に感じられたのでは?

3年生までは金曜の夜に東京に戻って地元の友達と遊んで、日曜の夜に筑波に帰っての繰り返し。最初はあまり筑波が好きにはなれませんでしたね。でも4年生になると、土日関係なく研究室にこもって実験をしなければいけないので、筑波大の友人たちと過ごす時間が多くなりました。寮で生活している友達がシャワーの時間が終わってしまったからと、天久保三丁目の私の一人暮らしの部屋にお風呂を借りに来たり、東京では経験できない、密接なコミュニティを築くことができました。

印象に残っている出会いはありますか?

第三学群で工学を専攻している友人に、私の研究内容を話してみたら「じゃあ2人で新しいプロジェクトをやってみよう」という流れになり、X線のコード盤を使って何かできないかと考えてみたり。実現には至りませんでしたが、私の専門分野以外の知識がすぐに手に入り、新しい何かを始められる環境が筑波大にはありましたね。

何の研究をされていたのですか?

イギリスの科学誌『Nature』にも論文を発表しているミトコンドリアという細胞小器官の研究室で、パーキンソン病の症状を持つマウスの研究をしていました。大変だったのは薬物を投与したモデルマウスを作ることで、夜中3時であろうと研究室にいなければいけないなど、とにかく24時間365日マウスのことを考えていました。ひとりで研究に没頭していると人恋しくなってきて、マウスに名前を付けて話しかけてましたよ(笑)。手塩にかけて研究をすれば、良い結果を出してくれるんじゃないかという期待もありました。

研究以外で印象に残っている出来事は?

ある日、研究室のホワイトボードに「予算に余裕があるので、必要な物があれば書いて下さい」と書かれていて、酵素など研究に必要なものを色々書いていたんですが、これだけの予算があれば、自分が生きている間に、目に見える形で人の命を救えるんじゃないかな?と。

そんな疑問を抱いていたある日、学校の掲示板で「世界では1時間にジャンボジェット機1機ぶんの子供たちが下痢で死んでいる」という貼り紙を目にしました。さらに、「下痢による感染症で命を落としている子供たちの命は、新しい薬や治療法でなくても、石鹸による手洗いや、靴を履かせたりすることで救える」とも書かれていて。私たちが使おうとしていた予算で世界中の何千人、何万人の命が救えるのではないか、ということに気付いたんです。

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たしかに、その通りですね。

筑波大を志した理由である“人を死に追いやるウィルスへの興味”、つまり原点を思い出すきっかけになりました。ちょうどその頃、筑波大生物学類と姉妹協定を結んだばかりのイギリスのマンチェスター大学で交換留学を終えた友達が、生き生きとした表情で留学生活について話をしていて。私もそんな環境で学んでみたいと色々調べたところ、ロンドン大学の衛生熱帯医学大学院の存在を知ることになりました。

留学されていかがでしたか。

もちろん楽しかったですし、人生であれほど勉強をした時期はなかったです。私が専攻した医学寄生虫学では、公衆衛生(パブリックヘルス)や疫学などを全般的に学ぶことができたので、研究に没頭していた大学時代と比べて見識が広がりました。しかも同級生には医療関係者や理系研究者といった専門家だけではなく、社会学や人類学、メディア関係者などもいて、色んな視点を持った人たちとひとつの課題に取組むことで、物事を多角的に、客観的に観察する姿勢が身についたと思います。

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1年の留学を経て、帰国後はコンサルティング会社に勤めていますね。

大学院で学んだことが活かせる就職先が日本にはほとんどありませんでしたが、コンサルティング会社であれば、筑波大で学んだことを活かしながら、製薬会社など、間接的に健康や医療に関連するクライアントのお役に立てるのではと。社会人としての基礎が学べた良い機会でしたけど、学生時代と違って、社会人になると自分がやりたいことだけをやれるわけでもないなと、結局、感染症の専門家を育成している国立国際研究センターで研修を受けたことをきっかけに、1年半で退職しました。

その後、イギリス留学時代にWHO(世界保健機関)でインターンシップをした際、「この業界でプロフェッショナルとして生きていきたいなら修士だけでは難しい」とアドバイスされたこともあり、東京大学医学系研究科に進み、博士を取得しました。

東大ではどんなことを学んだのですか?

ロンドンにいた頃から興味を持っていたグローバルヘルスです。グローバルヘルスとは、国境を越えて人々の健康に影響を与えることに対し、グローバルに連携して課題解決していく分野のこと。欧米では就職先に困らないのでしょうが、日本では、途上国で最低3~5年以上の勤務経験がないと受け入れてくれない機関が多く、卒業後は、またしても就職先に困りましたね。結局、外務省が募集していた任期付きの職員に採用されたので、そちらに進みました。

外務省ではどんなお仕事を?

保健医療分野のODA(政府開発援助)担当として、2011年から2015年までの日本政府のグローバルヘルスのODA政策の立案や、よりインパクトのあるODA の実施体制の整備などをしていました。ポリオ撲滅のために、新しいスキームを作り始めたのもこの時期ですね。

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ポリオ撲滅というと、日本国内で流行していない病気なのに、日本が取組むべきことなのか?と疑問を持っているのですが。

日本では1960年代にポリオが流行した歴史がありますが、ワクチンの導入によって1980年を最後に新しい患者は出ていません。ただ、パキスタンとアフガニスタンでは、今でもポリオが蔓延しているために、いまだに日本でも子供のうちにポリオワクチンを打たなければいけません。そのワクチン接種費用は、日本国内だけでも年間約260億円にものぼります。私たちは2019年のポリオ撲滅を目指して活動していますが、病気そのものがなくなれば、その260億円を別のことに使えます。ポリオがなくなることは、日本国内においても大きなメリットだと思いませんか?

日本の技術を、より長く健康寿命を楽しむために

外務省に勤めた後、現在勤務されているJIGHに入社されています。

JIGHは医療領域に係る課題解決に取り組む政策シンクタンクで、“医療×グローバル”をテーマに日本の保健医療分野における国際貢献と競争力向上を目的とした活動を行っています。IT業界など、従来グローバルヘルス業界にはいなかった人たちと一緒に、今の時代に沿ったアプローチをしているんですよ。

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“国際貢献”と“競争力向上”とは具体的に?

まず国際貢献についてですが、外務省時代に引き続き、ポリオの撲滅活動に取り組んでいます。政策策定者や有識者、ときには金融関係者など一見ポリオ撲滅には関係のないような方たちと共に、どのように日本の知見や資源を活用してポリオ撲滅に取り組んでいけるかを考えて、仕掛けていったり、平均寿命世界一である日本の国民皆保険制度の仕組みや、他国に先駆けて超高齢化社会への取組みをしている日本の情報を、世界に発信していくことに力を入れています。

残念ながら、日本国内の素晴らしい人や物、取組みの多くは、海外ではあまり知られていません。なぜなら、多くの情報が日本語で書かれていること、また、世界でムーブメントを起こしているような人たちが参加するような国際会議などの場に日本人はあまり行かない、行っても積極的に発言したりする習慣がないからです。そういう中で、まず、日本の情報を世界の共通言語で発信していくことは、とても大事なことなのです。

なるほど。では“競争力向上”とは?

日本の医療の海外展開や、すべての人々が、障壁なく望む医療を選択できるための多言語遠隔診療プラットフォームの構築を指します。医療の海外展開だと、例えば、欧米のメーカーがトップシェアを誇っている人工関節の分野で、岡山県にある船のプロペラを作っている会社が、その研磨技術を活かして医療機器を作っていることを知りました。一般的な人工関節の寿命が15〜20年だとしたら、その技術を使えば20年以上も長持ちする。世界がぐんぐんと高齢化していく中で、自分の足で歩き、自分の手を使って生活する、より長い健康寿命を実現していくための技術を世界に広げていく仕事の第一歩として、これまでにアジア5カ国に基盤をつくったのはやりがいを感じた仕事のひとつです。

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金森さんのアイディアなのですか?

はい。『カンブリア宮殿』というテレビ番組を見ていた時、岡山県のナカシマメディカル(現・帝人ナカシマメディカル株式会社)という会社の存在を知りました。それを目にしたとき、「この技術は、多くの人の生活の質を上げられるかもしれない」と。突撃営業をして最初は丁重に断られましたが(笑)、めげずに何度もトライして、やっとご協力いただけることになりました。

ビジネスマンのような役割をしているのですね。

ビジネス的な視点を持って取組むことは、とても大事ですね。どんなに素晴らしい取り組みであったとしても、持続性がないことは、何れ淘汰されていってしまいます。例えば、日本がこの途上国に幾ら分の支援をした、何人の人材を育成した、で終わりではなく、その結果、どれだけの成果が得られたのか、というアウトプットやインパクトまで評価していくことは、限られた資源の中で最大限の結果を出す、という観点からもとても重要です。また、技術だけあっても、それが必要な人に使ってもらえなければ意味がない。そのようなビジネス的な視点を常に持っておくことが大事なのではないかな、と。

というのも、以前、日本がODAで支援をしたアフリカの病院を視察した際、無償で供与した医療機器が段ボールに入ったまま、ほこりをかぶっていたり、壊れたまま放置されている様子を見てショックを受けました。物をあげることで感謝されるケースもあるでしょうが、やはりある程度、相手の国も身銭を切って管理する体制をこちらで作らないと、しょせん貰い物は貰い物として扱われるのだと実感させられました。

現地に行って気付くことは多いでしょうね。

イギリス留学中の2003年、修士論文の研究のためにバングラデシュのスラム街に住み込んで下痢の研究をしていたのですが、ゴミ山の中に建てられたような狭いプレハブで、子供が8人もいる一家族が暮らしていた光景を見て衝撃を受けたことがあります。あれから10年以上が経ち、先月、ポリオの視察でインドに行った時に驚いたのは、国は違えど、人々の生活レベルが10年前と変わっていない現実があることでした。これだけ日本国内のニュースでは、インドは経済成長が著しいと言っているにもかかわらず、衛生状況が悪い地域は、まだまだたくさんあります。

しかも、みな自分の家の中はきれいに保っているのに、公共の場は糞尿がたれたままで、ごみも散乱している。これは先ほどの医療機器の話にもつながりますが、結局、良い衛生状況を保つ意味を理解し、自分たちがきれいに管理しなければという価値観が芽生えない限り、清潔で健全な地域全体を保つことは難しいのです。

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そこに対して働きかける理由とは?

世の中の理不尽なことがどうしても許せないという、生まれながらの性格によるものが大きいかもしれません。その国の、その親から生まれたがために、不当な扱いを受けている人たちのことを、どうしても見過ごせないんです。おせっかいにならない程度に、その人たちの人生の可能性を広げるお手伝いができるのであれば、それは私にとってお金を稼ぐよりよっぽどやりがいがあることです。

強い信念で取り組まれていますね。

ただ、途上国に行くと「この人たちに私たちの支援は本当に必要なのだろうか?」という疑問にぶつかるのも確かです。なぜなら、スラム街の人たちは、外の世界と遮断されているがために、自分たちが置かれている今の環境で十分幸せだと感じています。例えば、子供が8人いるうち2人は下痢などの感染症で5歳になる前に死んでしまっても、残りの6人は成長して、女の子は学校に行けないけれど畑仕事で日銭を稼いで。彼らはそんな生活に疑問を持たずに生活をしていますし、なにより表情がすごく明るい。日本の子供たちが見せないような、とても純粋な笑顔を見せてくれるんです。

そこに私のような外部の人間が入っていって、「世界はこんなに広い。あなたたちは底辺にいるんだ」と一方的に見識を広めさせて、便利なものを与えていくことが、必ずしも良いことなのか?というのは、色んな国に行く度に自問自答します。

それでも今の仕事を続ける理由とは?

世界には、下痢や肺炎のように、大したお金をかけなくても予防できたり治療することができる病気が、まだまだたくさんあります。そういう病気で命を落としてしまう国や地域に、例えば下痢だったらポカリスエットみたいなものを届けるだけでも、8人のうち2人が亡くなっていた状況を変えることができる。そうすれば、今ある笑顔に加えて、もう2つ笑顔が増やせるかもしれないと思うからです。そして彼らに人生の選択肢を増やしてあげることで、みんなが「満足のいく人生だった」と思えるようにしてあげたい。そんな想いで今の仕事に取り組んでいます。

お仕事と並行し、筑波大大学院の教壇にも立たれているそうですね。

昨年度から非常勤講師として、人間総合科学研究科で研究方法論の授業を受け持っています。1学期に3コマですが、私の長いキャリアの中でやっておきたいことのひとつは、“自分の経験や知見を次世代に伝えていくこと”。今後の可能性が無限にある筑波大の後輩たちに直接教えられることにやりがいを感じていますし、彼らのキラキラした表情を見て、私自身も刺激を受けています。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

とりあえずやってみる。足場を固めてちゃんとやることも大事だけど、大学にはある程度のセーフティネットがあるから、何にでも挑戦してみたら良いと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

大学生の一番の強みは自分で時間をコントロールできること。私は学生の頃、授業をスキップして色んな国を旅するなど、社会人になってからではできない時間の使い方をしました。そういった経験が、今後の人生に役立つんじゃないかと思います。

プロフィール
金本プロフィール
金森 サヤ子(かなもりさやこ)
1980年生まれ、東京都出身。お茶の水女子大学附属高等学校から、筑波大学第二学群生物学類へ進学。卒業後、ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院へ留学し、医学寄生虫学修士号を取得。帰国後、大手コンサルティングファームでの勤務を経て、東京大学医学系研究科国際地域保健学教室にて保健学博士を取得。2009年に外務省国際協力局多国間協力課に入省、地球規模課題総括課を経て2011年から2012年まで国際保健政策室事務官。国際保健外交政策の立案や戦略策定に従事する傍ら、東京大学医学系研究科国際保健政策学教室にて非常勤講師を務めた。現在、一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ(JIGH)調査事業本部長兼チーフ・ヘルス・オフィサーとして勤務する傍ら、2015年より、筑波大学(スポーツ国際開発学共同専攻)にて非常勤講師も務める。専門は保健政策学、保健外交、ヘルス・プロモーションなど。 一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ http://jigh.org/
基本情報
所属:一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ 調査事業本部
役職:部長/チーフ・ヘルス・オフィサー
出生年:1980年
血液型:A型
出身地:東京都
出身高校:お茶の水女子大学附属高等学校
出身大学:筑波大学 第二学群 生物学類
出身大学院:ロンドン大学公衆衛生学・熱帯医学大学院/東京大学医学系研究科
所属団体、肩書き等
  • 筑波大学 非常勤講師
  • 2016年G7に向けたグローバルヘルス・ワーキンググループ 研究協力者
  • 日本国際保健医療学会 会員
  • 日本熱帯医学会 会員
  • Health Promotion International Reviewer
筑波関連
学部:生物学類
研究室:林純一研究室(ミトコンドリアの生物学)
部活動:テニス(FANCY)
住んでいた場所:天久保三丁目
行きつけのお店:じぶんかって、たけし、えーちゃんち
プライベート
ニックネーム:りす
趣味:旅に出る、映画を観る、花をいける
特技:鉄の胃袋、5秒で寝る、道に迷う
尊敬する人:両親、坂本龍馬
年間読書数:60冊
心に残った本:モモ(ミヒャエル・エンデ)、How will you measure your life? (Clayton M. Christensen)
心に残った映画:Stand By Me、Stealing Beauty、菊次郎の夏
好きなスポーツ:パワーヨガ、ロッククライミング
好きな食べ物:肉、野菜
嫌いな食べ物:マグロ、銀杏、生クリーム、餡子
訪れた国:バングラデシュ、セネガル、クロアチアなど40ヵ国くらい
大切な習慣:脳みそのいろいろな箇所を使うようにする
口癖は?:いいんじゃない
座右の銘
  • 為せば成る、為さねばならぬ何事も

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