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サッカー選手は1試合で人生が変わる

Sportsperson
2016/05/04
インタビュー
  • 13
清水エスパルスMF
八反田 康平
(体育専門学群 2008年入学)

幼い頃からサッカーひと筋で、中学時代にU-15、高校時代にU-17メンバーに選ばれるなどエリート街道をひた走ってきた。サッカー観を変えられたのは、筑波大時代。名将との出会いがきっかけで著しく成長を遂げ、一躍“時の人”に。現在はプロ選手として清水エスパルスに在籍するが、「今、壁にぶち当たっている」と本心を隠さなかったのは、這い上がるための“希望”を取り戻しつつあるからだろう。

いくつかの幸運が重なり、U-15に

サッカーとの出会いを教えていただけますか。

幼稚園の頃から、2つ上の兄とサッカーボールで遊ぶことが好きでした。そんな時、僕が通っていた幼稚園の先生がサッカークラブを作るとのことで、本格的に始めることに。小学生になるとスイミングスクールにも通うようになりましたが、やっぱりサッカーをプレーしている時間が一番楽しくて、他の競技の道に進もうと思ったことは一度もなかったです。

幼少時代から、選手としての評価は高かった?

小学校を卒業するまで、少年団ではなく幼稚園の先生が運営していたクラブチームに所属し、チーム自体はそれほど強いチームではありませんでしたが、高学年になると、僕個人として県や市の選抜に選ばれるようになりました。そこでサッカーが上手な選手たちから刺激を受けて、もっとサッカーがうまくなりたいと思いましたし、自分のスキルが向上していくことも感じられて、それまで以上にサッカーの楽しさに目覚めていきました。

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小学校の頃から、すでに頭角を現していたのですね。

物心ついた頃にはJリーグがありましたから、幼い頃からずっと「将来はJリーガーになりたい」と思い続けていましたし、中学・高校に進学して「本当にプロになれるのだろうか」と疑問を持ったこともありませんでしたね。

中学・高校になると、自分の実力を思い知らされて挫折する人も多い中、心が折れなかったのはなぜでしょう?

中学最後の全国大会で、僕の人生を決定付けるような出来事があったからかもしれません。中学時代に所属していたクラブチームは結構強くて、高円宮杯という全国大会に出場することができたんですが、結果はベスト8で敗退。それでも最後の負けた試合で2点を取るなど、僕自身は活躍することができました。その試合を城福監督(現・FC東京監督)が観ていて、大会後、ワールドカップを目指すU-15のメンバーとして声をかけて頂いたんです。

活躍したとはいえ試合には負けているので、まさかの出来事だったのでは?

まったく予想していなかった展開でした。試合に負けた後、高校受験のために塾で勉強していた時に電話がかかってきて、「日本代表に選ばれた」と。「来月香港に行くから、今すぐパスポートを取りに行くぞ」と言われて状況がうまく呑み込めず、戸惑いました。あの瞬間が僕の転機だったと思います。“サッカー選手は1試合で人生が変わる”ということを経験した瞬間でした。

転機は突然訪れましたが、それも実力があってこそですね。

当時、僕ぐらいの実力の選手はたくさんいました。ところが日本代表に選ばれたことは、実力に加えて、偶然、城福監督がその試合を見てくれていたこと、そして僕が偶然その試合で活躍できたという、いくつかの幸運が重なったように思います。

その後、推薦で鹿児島中央高校に入学。

サッカーの強豪校ではなく県立の進学校でしたから、みんなスポーツをしながら勉強もしっかりするという校風でした。部内の雰囲気もいわゆる体育会系のノリではなかったので、上下関係も練習もそれほど厳しくありませんでしたね。夏合宿が近づくと、「みんなで泊まりがけで行ける。やったー!」というくらいの雰囲気でしたよ(笑)。

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強豪校に行こうとは思わなかった?

地元だと鹿児島実業高校が強豪校ですが、僕が中学の時に所属していたクラブチームは鹿実と同じ練習場を使い、監督も鹿実の先生でしたので前々から雰囲気を知ることができました。鹿実の選手はみな体が大きいのに対し、僕は体が小さかったので「鹿実に入ったら、試合に出る機会は減るだろう」という危惧もあり、鹿実に進学することは考えませんでした。

その読みが当たり、高校時代に活躍。U-17の日本代表メンバーとしてワールドカップに出場しました。

ワールドカップに出場したこともそうですが、その前にアジア最終予選で優勝できたことが何よりも嬉しかったです。ひとつの目標に向かってチームがひとつにまとまっていましたし、結果が残せるチームの空気感を、身をもって感じることができました。

その後、筑波大へ。なぜ筑波大に進学しようと?

高校の時、プロのチームに入らないかと声をかけてもらったのですが、客観的に見て、その時の僕の実力ではプロの世界で通用しないだろうと。大学4年間でもっと経験を積んでからプロになろうと考えました。関東の大学はサッカーが強いイメージがありましたし、かつ教員免許を取得するならば筑波大が一番だと。当時はプロになる夢を持ちつつも、高校の先生の影響で、教師という新しい夢も芽生えていましたから。

試験はAO入試でしたので、U-17のワールドカップの経験を踏まえて『世界と日本人が戦うために』といった内容のレポートを提出。面接を終えて無事に合格することができました。

当時、筑波大サッカー部は1部リーグから降格してしまうかどうかといったレベルでしたが、競技レベルはいかがでしたか?

入学する直前に残留争いが繰り広げられていたと聞きましたが、僕が入った年は風間八宏さん(筑波大卒。現・川崎フロンターレ監督)がサッカー部の監督になった年でした。4年間、風間さんのもとで選手として成長できましたし、それまでのサッカー観をガラリと変えられたといっても過言ではありません。大げさに言うと“信者”になって、とにかく「監督の言っていることは全部正しい。この人の教えを学ぼう」と何でも吸収することを心がけました。

具体的に変わったこととは?

パスの精度ですね。それまではパスを出す時に相手の足元を意識していましたが、風間さんに「後ろから迫ってきている敵も視野に入れて、総合的に判断しなさい」という指導を受けて。最初はうまくできず、ワンプレーごとに「違う」と叱られていましたけど、頭を使い、かつスピードを身につけて精度を高めていくことで、自分でも目に見えてサッカーが上達していくのが実感できました。

努力の甲斐あってか、4年生の年に世界大会のユニバーシアード代表に選出され、優勝にひと役買いました。

自分の攻めのスタイルが確立し、ちゃんと結果もついてきた4年間の集大成でした。その後、このプレースタイルが評価されてプロの世界に声をかけてもらえたことを思うと、大学4年間で培ったものは僕の財産です。

「量からしか質は生まれない」と、よく風間さんがおっしゃっていました。その言葉を胸に、全体練習でできなかったことを自主練で修得することが、僕の習慣になりました。大学時代は練習後、誰よりも多くボールを蹴ったと自負しています。

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まだ日本代表を諦めてはいない

筑波大で学んで良かったと思う点は?

タテとヨコのつながりが強いことです。サッカー会場に行けば、どこかしらのチームにコーチングスタッフや関係者など筑波大卒の先輩がいますし、卒業して5年が経っても、いまだに年末には同期と集まって忘年会を開催しています。プロになった人だけでなく、企業で働いている友人の話を聞くと、僕が知らない世界のことを知ることができて刺激を受けます。

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ヨコのつながりでいうと、他競技の選手から影響は受けましたか?

陸上など個人競技の選手から影響を受けましたね。僕ら団体競技は誰かひとりが調子を崩しても、他の選手がカバーしてくれますが、個人競技の選手は全ての責任を自分ひとりで背負っているのが雰囲気から感じ取れます。

ある日、個人競技の選手のスゴさを感じた出来事があります。それほど筋トレに力を入れていない僕たちサッカー部員が、遊び半分で筋トレ場にいた時、ベンチプレス60キロでトレーニングしていた僕の後に女子の砲丸投げ選手がやって来て、80キロを持ち上げていたんです。競技が違うとはいえ、あれはショックでしたよ(笑)。

監督、友人など数々の出会いがあり、卒業後は清水エスパルスに入団。幼い頃からの夢が現実となりましたね。

清水から熱心に誘ってもらって、いざ入団してみてると、サポーターや清水の人はサッカー熱がスゴいんです。おじちゃん、おばちゃんまでサッカーに詳しいですし、選手の名前まで知っている。そのぶん、試合に負けた時の風当たりは強いですが(笑)、街の応援を受けながらプロとしてプレーができることは、僕のサッカー人生で一番の喜びです。

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今年は初のJ2に甘んじていますが、再びJ1に上がるために必要なことは?

僕自身、年齢が上のほうになってきたので、そろそろチーム全体のことを考えて行動しなければと思っています。まずは、練習中から緊張感を持ってやらないと結果には結びつかないだろうなと。ミスをしたら「次は頑張ろう」ではなく、ミスそのものを減らして点につなげなければいけません。

個人の課題としてはいかがですか?

本音を言えば、今、壁にぶち当たっている最中だと感じています。プロになってからは1年間を通して思うように試合に出られていませんし、メンバー外という試合もたくさんあって悔しい思いをしました。この5年間の活躍は全く満足できていないです。

苦しい状況の中で、何か心がけていることはありますか?

入団当初は自分が活躍できないことで、いつも言い訳していたというか、「監督の目指すサッカーに合わないんだから、しょうがない」と、ひねくれていましたし、活躍する選手をねたんだりすることもありました。

でも、昨年から気持ちが吹っ切れて「そんなこと言ってる場合じゃない」と。一切言い訳をせず、とにかく今の自分が一生懸命できること、例えば体のケアをしたり、チームが強くなるために必要なことをとことん考えたり。そんな風に時間を増やすようになりました。

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今後のビジョンは?

まだ26歳なので日本代表も諦めてはいませんし、以前は、現役を辞めたあとは教員にという別の道も頭の片隅にありましたが、今は1年でも長く現役選手として活躍したい気持ちしかありません。サッカー選手は1試合で人生が変わる。自分は中学最後の1試合が転機となりました。これから次のステージ進むためには、その来るべきチャンスのために、努力を積み重ねることしかありません。

長く現役でいるには、人として必要だと求められること。選手としてチームの戦力になりたいのはもちろんですが、試合に出ていない時もチームをサポートして、「あいつがいればチームがまとまる」と周囲に思ってもらえるような、愛される選手になりたいです。

プロとして、次のステージへ進もうとしていますね。

そのためには、まず自分自身の殻を破らなければと。僕は昔から、チームを盛り上げたりするキャプテンタイプではなく、淡々とマイペースにやってきたほうなのですが、今後はピッチで存在感を示したり、周囲を盛り上げるなど、これまで苦手としてきたことを積極的にやっていかなければと思っています。

U-17アジア予選と大学時代のユニバードシアード、2度の優勝を経験していますから、“勝つチームの雰囲気”を知っている選手としてチームに貢献できるのでは?

そうだといいですね。あの時の優勝を振り返ると、優勝する時のチームというのは、試合に出られなかった選手が悔しい思いを表に出さず、試合に出ている人たちを全力でサポートしていました。そして、その姿を見て、試合に出ている人たちも「彼らのぶんまで頑張ろう」と思える。

そんな空気感がチーム全体を盛り上げていたことを思えば、今度は僕が中心になるという気持ちでチーム内に“勝つ雰囲気”を作って、J1に返り咲かなければいけません。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

“人より多くボールを蹴った人がうまくなる”ということを学びました。今思えば「もう少し、学生らしく遊んでおいても良かったな」と思うほど、サッカーに真摯に取り組んでいました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

プロスポーツ選手を目指しているなら、ひたすら練習あるのみだと思います。

プロフィール
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八反田 康平(はったんだこうへい)
1990年生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。中学3年時にU15サッカー日本代表に選出され、鹿児島中央高校時代にはU-17日本代表として韓国で開催されたU-17ワールドカップに出場。筑波大学4年時にはユニバーシアード代表に選出されて優勝を経験。大学卒業後、2012年、清水エスパルスへ入団する。2014年、出場機会を求めベガルタ仙台への期限付き移籍を経て、2015年には清水エスパルスに復帰。ポジションはMF。
基本情報
所属:清水エスパルス
役職:選手
出生年:1990年
血液型:O型
出身地:鹿児島県鹿児島市
出身高校:鹿児島県立鹿児島中央高校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:サッカー研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:春日4丁目
プライベート
ニックネーム:はち
尊敬する人:風間八宏
年間読書数:5〜10冊
好きなスポーツ:テニス、野球
好きな食べ物:寿司、チャーハン
訪れた国:7カ国
座右の銘
  • 自分に期待する

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