小学校時代から、いつも“女子1人”だった。「ただ野球がしたい」。その一心で監督に何度も頭を下げ、リトルシニア初、北海道初の女子入団という前例を作ってきた。次第に「ただ野球がしたい」という欲求は形を変え、今では「1人でも多くの人に女子プロ野球の存在を知ってもらいたい」「選手が少しでも良い環境で野球ができるように」との使命を感じながら、女子プロ野球をけん引している。
野球をやっていた3歳上の兄といつもキャッチボールをして遊んでいた延長で、私も本格的にやってみたいと思って真駒内スターズ(現・南スーパースターズ)に入団しました。女子が入団した前例がなかったので、監督にお願いに行ったら快く受け入れて下さって。チームに女子は私だけでしたけど、そんなことは気にせず、ただ野球をやりたいという気持ちが強かったですね。
小さい頃から活発で体を動かすことが好きでした。休み時間も男子と一緒に外で遊んでいたんですよ。
地域のリトルシニア「札幌真駒内シニア」に入団しましたが、ここにも女子は在籍していなくて、しかも北海道全体のリトルシニアを見ても1人も女子がいない、過去を通しても私が“女子第1号”という環境でした。
中学では部活に入ろうかとも考えたのですが、真駒内シニアは甲子園を目指している人もいるぐらい他と比べてがっつり練習をやるチームでしたし、硬式ボールに触れる楽しさがあったので、「ここでやりたい!」と、またしても監督にお願いをして。その頃からですね、「もっと野球が上手になりたい」と本気で上を目指すようになったのは。
小学生までは活躍できていたんですけど、中学生になると体力や筋力が男子に一気に抜かれましたね。必死に同じメニューをこなしながらも、やはり力の差を痛感させられました。そんな状況を見かねた周りの人たちに「高校でソフトボールに転向したら?」と言われたこともありましたけど、自分の中では野球とソフトボールは全くの別物で、同じスポーツという感覚があまりなかったので高校でも野球を続けようと。
2006年、中学3年の春休みに女子野球日本代表のセレクションを初めて受けたことですね。それまでは日本代表という存在すら知らなくて、ただひたすら大好きな野球をやっているだけでしたが、今も日本代表メンバーである北海道出身の志村亜貴子さんと金由起子さんに誘われてセレクションに参加してみると、「自分以外にも、全国でこんなに野球をやっている女の子がいるんだ!」と驚いて。
片岡安祐美さん(現・茨城ゴールデンゴールズ選手兼任監督)など、たくさんの選手に出会ったことで、日本代表というものを意識して野球に取り組むようになりました。
片岡安祐美さんが高校でも男子に混ざって野球を続けていたと聞いて、地元の藻岩高校を受験すると決めた時から何度も野球部の先生にお願いに行き、なんとか受け入れていただいたのですが、当時は女子が男子と一緒に練習していることが公になるのはまずい、ましてや北海道では前例がないということでマネージャー登録をすることに。しかも女子は公式戦には出られないルールがあるので、練習だけの参加になりました。
その頃、運良く「ホーネッツ・レディース」という女子のクラブチームが設立され、部活の試合に出られない土日はクラブチームの試合に参加するといった具合に、かけもちをするようになりました。
実力不足で試合に出ることができず、スタッフとして帯同したことが起爆剤になりましたね。周りの選手はほとんど私より年上で、昼間は社会人として働きながら夜は自己練習。スポンサーがいないので大会には自費で参加するといった生活を送っているほど、野球に対して熱いものを持っている選手の皆さんに触れたことで、「私も負けてられない」と。「次は選手としてワールドカップに参加して優勝したい」と強く思うようになりました。
そうですね。しかも、その人たちはただ野球がやりたいという思いだけじゃなく、「もっと女子野球を広めたい」と普及活動にも取り組まれていました。「私も将来、そういう立場になりたい」と思わされた大きな経験でした。
将来を考えた時、当時は女子プロ野球がなかったので、ずっと現役を続けることができないのなら私が高校の先生になって、自分が体験できなかった女子野球部を指導できたらいいなと。
そんな思いで、体育が学べる環境で教員免許を取ろうと考えていたら、筑波大OBの教頭先生に筑波大を勧められて。夏に筑波大野球部の体験会に参加してみると、野球部の雰囲気がすごく良かったんです。全力疾走もきびきびしていて見ているだけで気持ちが良かった。一緒にプレーをするのが楽しくて「ここに入りたい!」と。
ワールドカップを経て女子野球の未来について考え始めていた時期だったので、筑波大野球部を見て、「女子が世間に認められるのって、こういうことだな」と思ったんです。ようはプレーの迫力なら、どうしても男子に負けてしまうから、男子以上に魅力に感じてもらえる武器がないとお客さんに喜んでもらえない。その武器とはなんだろう?と思っていた答えが、筑波大野球部にあったんです。
それは「見ていて応援したくなるようなチームや選手であるべきだ」ということ。そういったことを学ぶためにも、絶対に筑波大で野球がしたいと思いました。
そうですね。ただ、古賀佐久子さん(つくばウェイvol.15で紹介)の前例があったので、野球部の先生に「やる気があるんだったら受け入れる」と言っていただきました。ただ練習は想像していた以上に厳しくて、練習は週6日、私がいたCチームは朝5時半集合ということもあったんですよ。
一番きつかったのはボール回し100周。胸でボールを受けないとカウントしてもらえなくて、ダメだったらホームベースからセンターまで走る。何本やったか、何時間やったか分からなくなるほど厳しい練習だったので、次の日に1人、また1人と野球部を辞めていきました(笑)。
本当に大変でしたけど、中学でも高校でもクラブチームをメインに活動していた私としては、野球部の一員として野球をしたことが初めてで。毎日、皆と野球ができることが嬉しいという気持ちのほうが勝っていたんですね。それと、厳しい練習に耐えながら「レベルの高いところで野球の勉強ができている」「これを乗り越えたらもっと上手くなる」という充実感で毎日満たされていました。
部活がほぼ中心でしたけど、教職をとるなど普段の勉強も充実していましたよ。競技に必要なトレーニング論や栄養学を学んで、図書館でさらに勉強したり。とにかく野球に関する学びが得られることが楽しくて仕方ない、といった感じでした。
4年前のワールドカップよりは成長していましたけど、私自身すごく活躍できたかというと、そうでもなかった落ち込みと、世界一になったらもっと女子野球が世間に知れ渡って、選手の環境が良くなると思っていたら、全く何も変わらなかった失望みたいなものを感じた経験となりましたね。ワールドカップ優勝を掲げて野球部の皆に応援してもらいながら、迷惑もかけながら必死に頑張ったのに、「私は皆に何も返せなかったな」と。
そんな気持ちとは裏腹に学長表彰をいただいたのですが、表彰式で、他の競技で世界大会を優勝した人と並んだ時に、とても光栄な思い出はあったのですが、やっぱり女子野球はマイナースポーツでまだまだ知名度が足りないと実感されられて。「世界一を獲っても変わらないなら、一体何をしたらいいんだろう」ということと、ちょうど進路を考える時期でもあったので、あの頃はとにかく悩んでいたなという印象が残っています。
卒業と同時に競技を辞めて指導者になるか、プロの道に進むか悩みましたけど、自分の競技に区切りがつくほど納得ができていなかったので、クラブチームで続けようと。同郷の先輩である志村亜貴子さんが所属していたアサヒトラストに入団することにしました。
平日は荒川区にある中学校の非常勤講師として野球部を見ながら、土日は自分の野球に専念できる環境を作って両立を目指していましたが、どうしても生徒に教えるほうが中途半端になってしまって。とにかく今は野球に専念しようと1年で退職し、女子プロ野球の入団テストを受けて合格。「ノース・レイア(現・レイア)」に入団しました。
チームの中で年齢が上のほうになってきたので、ファンの皆さんに応援してもらうにはどうしたらいいかと意識するようになりました。最近ではファン感謝イベントや野球教室といったものだけでなく、グラウンドで一緒に運動会をしたり、ゲームや握手会、サイン会など参加型のイベントを企画しています。
私自身は主に野球教室の担当をしています。野球が大好きな女子を対象に、週1回、バッティングセンターでバッティングの指導。楽しみながらバッティングができるということで、野球をやったことのない人にもご参加いただいていますよ。シーズン中は試合前や試合後に野球教室を実施する事もあります。
私が高校時代、女子の硬式野球部は全国に5校しかありませんでしたが、来年の春には24校になるそうです。他の競技人口は少子化で減っているのに、女子野球は競技人口が増えているということで注目されて、選手が練習をしやすい環境が整うといいなと思っています。
2016年の平均観客動員数は約1100人で、独立リーグよりも多かったと聞いています。今年はニコニコ生放送やスポナビライブなど、インターネットでも何試合か配信させていただくなど、たくさんの方に女子プロ野球に触れていただく機会を作りました。
お手本になるのは、身近な男子アスリートですね。男子のほうが研究熱心ですし、もっと色々考えていると感じます。ただ、体力や筋力が男子に追いつかないのはしょうがないことだとしても、野球に対する“情熱”だけは男だから女だからといったことは関係ないので、そこだけは男子に負けたくない。
Bリーグで活躍している加納誠也、田渡修人、今年オリンピックに出た水球の棚村克行とは筑波大の同級生で、卒業後も交流があるので彼らが戦っている姿を見ながら「私も負けていられない」と刺激をもらっています。
学んだ量や出会った人の数が多かったことです。それが今の私を築いている原点になっていると思いますし、保てているのだと思います。大学にいた時は気付きませんでしたけど、何か分からないことがあっても、先生に聞けばすぐに答えが出てきたし、調べる環境も整っていました。大学は「答えを見つけられる場所」だったんだなと社会人になってから気付いて、いまだに迷ったら先生に電話したりするんですよ(笑)。
1年に1回は大学に足を運んでいて、シーズンが終わると先生に挨拶をして練習に参加させてもらうのですが、そういった機会に「やっぱり大学で学んだことは大事なことだったんだ」と再認識することが、私の活力になっています。
このチームで日本一になること。そして、昨年獲った個人タイトルを今年は逃したので、もう一度獲ってチームの勝利に貢献したいです。今年も行われた女子野球W杯はプロでも簡単に代表に入れるわけではないのでなかなか難しいのですが、大学3年以来入れていないので、競技をやっている間は日本代表も目指して、また世界一を獲りたいです。
川村先生の言葉で印象に残っているのが「20代は修行の時だ。我慢をしなさい」。どんなにきついことがあっても、へこたれずに踏ん張れる我慢強さを大学で学びました。
特に体育専門学群の学生の皆さんには今できる環境で、今できる自分の最大限をやり切って欲しいと思います。
所属: | 埼玉アストライア |
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役職: | 選手兼任コーチ |
出生年: | 1989年 |
血液型: | B型 |
出身地: | 札幌市 |
出身高校: | 札幌市立藻岩高校 |
出身大学: | 筑波大学体育専門学群 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 野球研究室 |
部活動: | 硬式野球部 |
住んでいた場所: | 天久保2丁目 |
行きつけのお店: | あじ彩 |
ニックネーム: | まり |
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趣味: | トレーニング |
特技: | 書道 |
尊敬する人: | イチロー |
年間読書数: | 10冊 |
心に残った本: | No.1理論 |
心に残った映画: | ライフイズビューティフル |
好きなマンガ: | スラムダンク |
好きなスポーツ: | 野球 |
好きな食べ物: | 焼肉、ラーメン、大福 |
嫌いな食べ物: | セロリ |
訪れた国: | 台湾、ベネズエラ、オーストラリア |
大切な習慣: | スポーツニュースや記事を読む事 |
口癖は?: | 一球、一球 |
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