つくばウェイ 〜 筑波大OB & OGの生き様をみちしるべに 〜TSUKUBA WAY ロゴ画像

  1. つくばウェイinstagram
  2. つくばウェイtwitter
  3. つくばウェイFacebook
watanabe_slider

戦略的に考え、主体的に動く 頑張るポイント、タイミングを押さえれば想像できない景色が見える

Professional
2021/10/04
インタビュー
  • 165
アクセンチュア株式会社 
渡邉純平
(体育専門学群・2008年入学)

ただ頑張るのではなく、戦略的に考えること――。こうした筑波大バスケ部での学びが仕事にも生かされ、30歳にして外資系コンサルティング会社のマネージャーを務めるまでに。現在は大手製造メーカー、官公庁等のプロジェクトを担当し、コロナ渦で弱り切った日本を元気にしようと奮闘している。

4年の春、やっと試合に出られた成功体験が今につながっている

今のお仕事について教えて下さい。

アクセンチュアという外資系のコンサルティングファームで経営コンサルタントをしています。直近はマネージャーとして大手製造メーカー、官公庁向けのプロジェクトに関わり、生産性向上をキーワードにプロジェクトの企画・構想検討から実行まで一気通貫でクライアントを支援させていただいております。

現在32歳。若くして、チームをまとめ上げるマネージャーという立場に就くのは珍しいことでは?

中途入社としては珍しいです。5年前にアクセンチュアに転職し、2年前、30歳でマネージャーに昇進させていただきました。同期の中では一番早かったです。
弊社の社員ですが、特に私がいるコンサル部門には、偏差値の高い有名大学出身者や、私が新卒では到底手が届かなかった大手企業から転職された優秀な方が多く、私のような体育学部出身者は在籍していません。加えて、クライアントのカウンターパートは、大手企業の部門長クラス以上となることが多いので、緊張感があります。常にストレスはありますが、そのような環境でマネージャーとして裁量のある役割を任せていただいていることに非常にやりがいを感じています。

watanabe5

今の立場に来ることができた要因は?

周囲のメンバーに比べ、経営コンサルタントとしての経験値や自頭の良さで劣っているので、目の前のタスクを一生懸命やるだけでは勝てないと考えました。簡単に言うと”選択と集中”、弱みを補うのは最低限にして強みを伸ばす方針とし、時間と集中力を適切に配分できたことが要因だと考えます。

渡邉さんの強みとは?

リーダーシップとコミュニケーション能力です。大学、社会人と高いレベルでバスケットボールを経験させていただいたことによって身に着いたスキルです。ポジションがポイントガードという司令塔の役割だったことも大きいです。
加えて、新卒で入社した会社で得た業務知識です。新規製品の立ち上げや海外プラントのスタートアップ支援等、貴重なプロジェクトを経験させていただいたので、この経験に磨きをかけることが重要と考えました。

コンサルティング業に、前職での経験を生かせたのはすごいですね。

アクセンチュアは数あるコンサルティングファームの中でも規模が大きく、様々な業界、業種のプロジェクトが存在するため、前職で得た業務知見を生かす場がありました。もし知見を活かせるプロジェクトがない場合は自分でプロジェクトを立ち上げることも可能です。
私の場合、製造メーカーのプラントにおける製品の立ち上げプロセスや、プラントそのものの仕組み、業務、そこで働く方々とのコミュニケーション、チェンジマネジメントに自信がありました。これは実際に業務を経験しているからこそ得られた特殊能力です。

ただ、当然のことながらコンサル業務自体は未経験で、当時の私は基本的なコンサルスキルは疎か、持っている知識を活用することさえできませんでした。普通に考えるとコンサルスキルを全力でキャッチアップすべきと考えますが、周囲のレベルの高さ、またそのレベルの高い方々がドラスティックに働き、勉強し続けているのを目の当たりにして、普通にやると生き残れないと考えました。
そこで、当時Amazonで評価の高かった「コンサル1年目が学ぶこと」という新卒社員が手に取るような書籍を購入し、熟読しました。コンサルスキルは欲張らず、コスパ良く最低限のスキルを身に付けることだけを意識しました。一方、強みであるリーダーシップ、コミュニケーション能力、業務知識・経験については、体系的に学び、自信を持って強みだと言える状態にしました。

どこも全力というわけではなく?

はい、いろいろなことに手を出すと時間だけでなく集中力を消費してしまい、本当に大事なものを失うリスクが高まります。様々な状況下において、エッセンシャル(=重要、不可欠)なことは何かを考え、そこにリソースを集中することを常に意識しています。この考え方については、「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」という書籍に非常にわかりやすくまとまっているので、ご興味があれば一読していただければと思います。

新卒で曙ブレーキに入社した経緯を教えて下さい。

卒業後は地元で体育教員になることを考えており、インターンや就職活動は一切していませんでしたが、たまたま実業団1部に所属している強豪バスケ部を持つ曙ブレーキ工業からお声掛けいただきました。
教員になる前に一般企業での社会人経験を積んでおくこと、実業団でバスケットボールを経験できることは確実にプラスになると考えました。最終的に当時の人事部長がバスケットボールを引退した後は、退職し、教員になってもよいと言ってくださったので就職を決めました。

印象に残っていることは?

学生時代はバスケ部の同期で授業に出て、そのまま部活行き、バイト先もバスケ部の先輩から紹介してもらい、合コンもバスケ部のメンバーで参加する。(笑)常にバスケ部のコミュニティの中で生活していました。
社会人になると、当たり前ですが、バスケ部以外の方々と接する機会が増えました。曙ブレーキは非常にグローバルな会社だったので、海外の方々と接する機会も多かったです。部活を続けながら海外にもたくさん行かせてもらいました。そういった環境の中で今まで出会ったことがない人、考えたこともないアイディアを思いつく人、国籍、文化、年齢などバックグラウンドが異なるメンバーと同じ目標に向かってOne Teamで仕事をし、目標を達成した際に喜びを分かち合う、そのような経験ができたことが印象に残っています。

バスケを27歳で引退しましたが、教員にならず、キャリアアドバンスしたいという一心でアクセンチュアへの転職を決めました。

watanabe4

学生の中には卒業後にプロになったり、アマチュアとして競技を続けても先が見えないと悩む人がいます。

卒業後、競技を続ける機会を与えられる人は僅かです。その誰もが羨むチャンスがあるなら全力でチャレンジすべきです。私は何かを判断する際の軸として今しかできないことを優先し、後からでもできること、さらには、今やっても後からやってもあまり変わらないものを徹底的に後回しにします。
昨今、人生100年時代と言われています、競技に費やした数年なんて人生トータルで見ると誤差ですし、むしろその貴重な経験はプラスになると考えます。

大学時代の思い出を教えて下さい。

思い出のほとんどがバスケ部の活動ですね。(笑)その中で今なお忘れられない成功体験がありました。

どのような成功体験ですか?

4年生のスプリングトーナメントでスターティングメンバーとして試合に出場することができことです。1度だけですが、トップチームの公式戦にスターティングメンバーとして出場できたのは、浪人して一般入試で入部した私にとっては忘れられない経験となりました。それは大きな自信になりましたし、そのプロセスは今の仕事のスタイルにも繋がっています。
筑波大に推薦で入学した選手は、テレビや雑誌で見るような有名選手が多く、バスケは上手いのは当たり前ですが、身体も大きくて強い。その中でどうすればトップチームに入れるか、試合に出場できる戦力になれるのかを徹底的に考え、実践できたことがこの成功体験に繋がったと思います。

どんなことを考えながら練習をしていたのですか?

才能ではなく努力で伸ばしやすいスキルである、メンタル、フィジカルの強化を意識しました。そのために、しっかり休養を取ることを重要視しました。
当時の筑波大の一週間の練習日程は、全体練習5日、自主練習(フリー)2日で、全体練習の前後と自主練習の2日をどのように過ごすかはすべて選手の判断に委ねられていました。高校は元日しか休みがないチームだったので全国トップレベルの筑波大学の全体練習が週5日しかないことに衝撃を受けました。ここには吉田監督の「リーダーシップを持ち、自ら考えて行動してほしい」というメッセージが込められていたのかもしれません。
高校時代脳死状態で厳しい練習に耐え、一応チームは全国大会に出場できましたが、個人として高校3年間でバスケが飛躍的に上達したか、と問われるとNOです。
その経験もあり、普通に考えると自主練習で人一倍練習する必要があると思いますが、私は個人に委ねられた自主練習(フリー)の日、家で寝ていました。というのも、全体練習へのモチベーションを維持し、実践を意識した高い集中力で練習することで得られるメンタルの強化と、フィジカル強化のためのウエイトトレーニングの効果(超回復)を最大限に得たかったからです。

上手くなりたいという気持ちが強いあまり、自主練習に力を入れ過ぎ、その疲労によって全体練習で精彩を欠いたり、過度なウエイトトレーニングにより逆に体が大きくならなかったり、怪我をする選手を見ました。目標に向かって頑張れることは素晴らしいことです。ただ、頑張るポイントやタイミングがずれてしまうと、思うような結果を出せないと思います。

その後、1年生の冬にトップチームに召集され、調子の良い時だけでなく悪い時もたくさんありましたが、4年生の春に公式戦でスターティングメンバーとして試合に出場することができました。浪人して一般入学し、経験もスキルも乏しく、小柄で身体的にも圧倒的な不利な状況下でも、戦略的に考えて自ら判断して動く、頑張るポイント、タイミングを押さえることで自分の中では満足できる結果を出すことができました。

watanabe2

先ほどお聞きした仕事のお話にも通じますね。

そうですね。転職した際、同期は高学歴で有名な大手企業出身者が多く、同世代で新卒から働いているメンバーは、当時27歳の私より約5年長くコンサル業務を経験しているので、この中で成果を出すのは簡単ではないと感じました。スポーツとビジネスという違いはありますが、大学でバスケ部に入部した際に近い感覚でした。

落ち着いてどう戦うか考えました。考えて実践し、上手くいかない点は修正することを繰り返しました。そもそもそのような厳しい環境に勇気を持ってチャレンジできたのも、筑波大学での経験が大きいです。

筑波大は文武のバランス、ロジックとパッションのバランスが取れている人が多いですよね。

確かにそうですね。まず、吉田監督が非常にロジカルで、内に秘めるパッションも大きい方でした。チームの目標からブレイクダウンされた年間スケジュールがあり、日々の練習も明確な目的があり、分単位で緻密に組み立てられていました。全試合のデータを収集していたし、戦術も数えきれないほどありました。毎年海外に視察に行かれて常に新しい戦術学び、我々学生にインプットしていただきました。
筑波大は毎年トップレベルのアスリートが集まりますが、私立大学に比べて推薦枠が少ないため、戦力的には有利とは言えない状況です。その中で全国トップレベルの結果を出すためには、パッションはもちろん、戦略性であったり、ロジカルさが必要になってきます。これはバスケ部だけでなく筑波大のすべての部活で共通して言えることではないでしょうか。

飲み二ケーションとプレゼント攻撃でアメリカ人を味方に

先ほど筑波大での経験がターニングポイントになったとおっしゃっていましたが、社会人になって意識を変えられた出来事はありましたか?

入社2年目、初めての海外プロジェクトでアメリカのケンタッキー州に3か月間滞在した際に、これまでの常識をガラっと変えられた経験をしました。出張前にWEB会議でコミュニケーションを取っていた現地のマネージャーが、私が現地入りした1週間後に会社を退職したのです。私だけでなくチームメンバーにも退職当日まで退職することを伝えておらず、今日もお疲れ様という感じでいつもと変わらない様子で最終出勤を終えて帰宅されました。

日本ではなかなか起こりえないですね(笑)。

辞めるなら早めに伝えてほしいし、代役を立てて引き継いでほしい。海外では転職が当たり前とは聞いていましたが、驚きました。
帰り際に「君と働けて良かった、日本人の働き方を学ぶことができた。」と言われましたが、え?ほぼ一緒に働いてないけど、と思いました。(笑)

代役もおらず、勇気を出して周囲のメンバーに助けを求めましたが、皆、口を揃えて「それは自分の仕事ではない。」ときっぱり断られました。非常にドライでしたね。契約している仕事をしっかりとこなす、言い換えるとそれ以外はやらない。仕事はさっさと終わらせて家族と過ごす時間を大切にするという彼らの考え方は、日本とは全く異なるものでした。

その逆境をどう乗り越えたんですか?

会社のパーティーがあるというのを聞きつけて潜り込みました。私は比較的お酒が強いので現地のお酒であるバーボンを飲んで注目を集めることができました。そこから「あいつ体が小さいのにめちゃくちゃお酒飲めるよ。」という噂が広がり、ランチやディナーに誘っていただけるようになりました。
現地メンバーと仲良くなってからはプロジェクトがうまくいくようになりました。ちなみにバスケ大国アメリカ、得意のバスケで仲良くなろうと考えましたが、出張先の部署にバスケットボールをやっている人が1人もいなくて断念しました。ケンタッキー州はNBAのチームがないため、あまり人気がなかったみたいです。(笑)

渡邊さん前職の写真

アメリカ人はドライという話から一転、なんだかホッとするエピソードですね。

飲みニケーションは世界共通でした。あとは、プレゼント作戦も効果が大きかったですね。当時、日本ではフリクションボール(一度書いた文字を摩擦熱で消すことができるボールペン)が流行っていて、私も使用していましたし、現地にも持参していました。ボールペンで手帳に書いた文字を消す私を見て「え、なんで消えるの?」とその場にいたメンバーは驚いていました。
これは使えると考え、その日のうちに日本にいる同期に電話して大量のフリクションボールをFedExで手配してもらい、受け取った後はメンバーにプレゼントしました。すぐに「あいつのところに行けば魔法のボールペンがもらえる」という噂が回り、私のところには話したことも見たこともない人がボールペンをもらいに来ました(笑)

そういった戦略的なことは意識してやっているのでしょうか。

そうですね。些細なことでもすぐに実践できるアイディアがあれば試します。例えば、アメリカ滞在中に渡邉純平という名前はNon-Japaneseの方には少し呼びづらいため、「JP」と呼ばれるようになったのですが、それにより初対面でもすぐに私のことを覚えていたけたように思えます。
そこで帰国後、日本人に対しても「渡邉純平と申します。JPと呼んでください。」という自己紹介をし、バスケのユニフォームのネームも「JP」という記載に変更しました。前職でも現職でもたくさんの人と出会いましたが、このちょっとした工夫により、すぐに私のことを覚えていただけたと考えています。

これまでのお話を通して、とても順風満帆な人生なのではないかと?

いえ、バスケも仕事も決して楽ではありませんでした。特に、アクセンチュアに転職後はパフォーマンスが出せずに苦しい日々を過ごしました。最初のプロジェクトの打ち合わせでは日本語なのにメンバーが何を言っているのかほぼ理解できませんでした。1日掛けて作った資料も上司からは「これは5分だね」と一蹴されました。
そんな私に当時の上司がこれだけ読めばよいと薦めていただいた「考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則」という書籍も手に取りましたが悲しいほど理解できませんでした。元々経営コンサルタントとして戦っていくロジカルさであったり、地頭の良さを持ち合わせていると思っていなかったので苦労するなと思っていましたが、想像以上でした。信頼を得ることができなかったため、大事なタスクは任せていただけませんでした。

watanabe11

どうやって信頼を積み重ねたのでしょう。

仕事で大事なのは相手を満足させることだと考えています。入社後、仕事でパフォーマンスが出せない時期は、仕事そのものではない部分、例えば、毎朝チームメンバーにコーヒーを持って行ったり、出張先のホテルをメンバーの分まで誰よりも早く確保しました。あとは、上司の名前の印鑑を常に持ち歩き、上司が印鑑を忘れた時にサッと出せるようにしていました。

その場面は訪れたんですか?

1回だけありました。(笑)それで上司との距離が一気に縮まりました。本来なら仕事そのもので結果を出すべきですが、残念ながら当時の私にはその実力がなかったし、キャッチアップするにしても時間が必要でした。何でもいいからチームにプラスになることがないかを考えて実践し、印鑑作戦などいくつかの策がハマり、少し寿命が延びました。その間に、少しずつですが仕事でパフォーマンスが出せるようになりました。当時の私を我慢強く使い続けていただいた上司や私の低いパフォーマンスをカバーしていただいたチームのメンバーには大変感謝しています。

これまでのご経験から、何か学生にアドバイスをするとしたら?

学生生活は長いようで短い、のんびりしているとあっという間に終わります。社会人はすぐ目の前に迫っています。しっかり自分の将来と向き合い、何でもいいから目標を設定し、行動することが大事です。それも、ただ何となく行動するだけでは効率が悪いので、精度が低くてもいいから仮説を立てることを忘れないでください。その仮説が誤っていれば、修正すればいい、一度仮説を立てているので誤っていたときはその差分だけ理解すればよく、その繰り返しで仮説自体の精度が上がり、結果、効率も上がります。

やみくもに頑張ればいいのではないと。

そうです。しっかり考えて行動する。頑張るポイント、タイミングは本当にそこでいいのかという疑問を常に持ち続けるべきです。

今後についてどう考えていますか?

やりたいことが3つあります。1つ目は、引き続き経営コンサルタントとして、日本を元気にすること。私ができることは、強みを生かして製造メーカーの生産性を向上させること。そのために企業のプラットフォームの力を借りる必要があるため、現時点、転職や独立はせず、引き続きアクセンチュアのコンサルタントとしてキャリアを積む予定です。

2つ目は、都心にサウナを作ること。アクセンチュアでは単純なコンサルティングスキルだけでなく、セルフマネジメントの重要性を学びました。私にとってその大部分を占めるのがサウナでした。ただし、都心にはサウナが少なく、どこも混雑していて気軽に利用できないのが現状です。だから、自分で作ることにしました。(笑)現在物件を選定しているところです。サウナを通して人々を救いたいと考えています。(笑)

3つ目は、私がキャプテンを務めており、現在東京都の社会人リーグの最下部のリーグに所属するアクセンチュアのバスケ部をBリーグ直下の地域リーグまで大きく昇格させることです。27歳でバスケを引退した時は、もう一生バスケをやることはない、次はゴルフをやろうと思っていました。
しかし、このシュートを決めないと負ける、みたいな緊張感は、自らスポーツをすることでしか味わえないし、それが日々の活力になっていたことを一度引退して気づきました。さらに、コンサルスキルを得て日常の景色が変わったのですが、バスケもコンサル的に見ると、学生、実業団時代に思いつかなかったアイディアがどんどん浮かんできて、またプレーしたい、やるなら全力で、という気持ちになり、2年のブランクを経て現役復帰に至りました。コンサル的に考えるバスケットを実践し、年齢に抗っていきたいです。

watanabe8

本業以外でも明確な目標があるのが素敵ですね。

はい、何となく目の前のことをこなしているだけでは30代もあっという間に終わってしまいそうで、、(笑)成功するかはわかりませんが、本業以外でもしっかりと目標を設定し、チャレンジすること自体が充実した人生を送るための一助になると考えています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

“戦略的に考え、主体的に動く”です。バスケットボール部の活動を通し、監督やキャプテンだけでなく、学年やバスケのスキルに関係なく、全員が考えて、主体的に動くこと、言い換えると、”リーダーシップ”の重要性を学びました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大学には何かに専念できる環境があります。都会の喧騒やノイズに邪魔されず、でも都会には必要に応じてすぐにアクセスできる。総合大学なので様々な学群があり、他学群の授業を自由に履修でき、各分野のエキスパートがいる素晴らしい環境があります。ただし、4年間は想像以上に短いです、今すぐ将来と向き合い、行動することで後悔のない、充実した学生生活を過ごしてください。

プロフィール
watanabe_profile
渡邉純平(わたなべじゅんぺい)
渡邉純平(わたなべ じゅんぺい) 筑波大学体育専門学群出身。現在は、アクセンチュアのマネージャーとして経営コンサルタントを行っている。 新卒で自動車部品メーカーに、実業団のバスケ選手として入社。実業団選手にもかかわらず、フルタイムで勤務し、国内外の新製品の立ち上げ、品質管理、製造プロセスの最適化など様々なプロジェクトを経験。 入社3年目で欧州のプラント立ち上げプロジェクトを成功に導いたが、キャリアを模索しコンサルティングファームへ飛び込むことを決意。 アクセンチュア入社3年目でマネージャーに昇格。戦略的思考、考え抜くを合言葉に自身の道を突き進んでいく。
基本情報
所属:アクセンチュア株式会社
役職:マネージャー
出生年:1988年
血液型:B
出身地:山口県下関市
出身高校:山口県立豊浦高校
出身大学:筑波大学
所属団体、肩書き等
  • アクセンチュアバスケットボール部キャプテン
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:バスケットボール
部活動:バスケットボール部
住んでいた場所:天久保三丁目
行きつけのお店:White Basil
プライベート
ニックネーム:JP
趣味:読書
特技:語学
尊敬する人:両親、会社の先輩方
年間読書数:20~30冊
心に残った本:これからの「正義」の話をしよう
心に残った映画:グリーンブック
好きなマンガ:特になし
好きなスポーツ:野球
好きな食べ物:クラムチャウダー
嫌いな食べ物:特になし
訪れた国:10か国
大切な習慣:サウナ、ストレッチ、フィットネス
口癖は?:もちろん!(Sure)
座右の銘
  • 力を尽くして狭き門より入れ

New Column

Facebook