多くのオリンピック選手を輩出している筑波大水泳部で、トップアスリートとの実力の差を思い知った。大好きな競泳で挫折し、再受験をして医学部にいく夢も諦めたが、なんと今はフィンスイミングの日本代表に君臨している。水泳部の仲間は全員現役を退き、競技こそ違えど現役で活躍する選手は柿添氏ただ1人。世界を見据え、水の中でもがき続けたからこそ見えた景色がある。
高校時代、医学部志望だったので、勉強に集中するために競泳は高2で辞めようと思っていました。ところが高1の終わりに全国大会に初出場し、高2の夏には全国大会でB決勝進出。高3で国体決勝進出、そして全国ジュニアオリンピック3位で表彰台に上がるなど、競技成績が上がっていって。同じスイミングスクールから筑波大に推薦でいった先輩に「大学で一緒にやろう」と誘われたことが、筑波大を目指したきっかけです。
水泳部に入りたい気持ちよりも医学部にいきたい気持ちが強かったので、「医者をやりながら水泳日本代表にもなれたらカッコイイな」と、競泳の推薦ではなく一般入試で医学部を目指しました。結局は体専に入学して競技を再開しましたが、水泳部の先輩たちと一緒に練習した時に、「この人たちには勝てない。才能が違い過ぎる」と現実を目の当たりにして、日本代表としてオリンピックに行くのは難しいなと感じました。その後は、なんとかインカレで決勝に残ることを目標に競技を続けましたが、思うように成績が出ずといった感じでしたね。
1学年上はシドニー代表の荒瀬洋太さんをはじめ、インターハイ表彰台経験者が5~6人いて、彼らが3年生、4年生の時は筑波大がインカレで初優勝できるかもというムードでしたが結局2位。僕はその世代の1学年下で、1年、3年の時にはインカレのメンバーに選ばれました。1学年下に北京オリンピック(男子400mメドレーリレー)で銅メダルを獲った宮下純一がいました。
練習という与えられた時間以外で、徹底して自ら努力できる人が強くなっていった印象があります。練習時間が2時間あるとしたら、彼らは練習の1時間前には準備を始めて、練習が終わったらストレッチをしてから帰っていきました。僕は泳ぐことは大好きでしたけど、泳ぐこと以外の努力があまりできなくて甘かったなと。今思えば、ウェイトやストレッチなど苦手なことに関しては全然努力できていなかったと思います。
入学前から親に「筑波大を卒業した後、医学部に行くために再受験させて欲しい」と言っていたので、3年生で部活を引退。再受験に向けて受験勉強を始めました。同級生が4年生になってインカレのために頑張っている時に、僕は毎日ファミレスに通ってポテトを食べながら勉強して。現役時代から17㎏も太ったんですよ(笑)。みんなには申し訳ない気持ちはありましたけど、就活もせず、医者になりたい一心でしたから勉強せざるを得ないといった状況でした。
あの3年間は、今も精神的な柱になっています。地元では強い選手といわれていた僕が、大学では練習メニューについていくだけで精一杯で、あれよりキツいことは人生でやってこないだろうと思えるほど精神的に鍛えられた3年間でした。それに、世界のトップで戦う人たちがどれだけ頑張っているかを間近で見ることができたことは、僕の人生の糧になっています。
やっぱり難しかったですね。卒業後は実家に戻って猛勉強しましたが、結果は不合格。2年目は実家を出て、京都で友達とルームシェアをしながら浪人して。2度目に挑戦する直前、12月には「就活しよう」と頭を切り替えました。
僕が育った環境では、サラリーマンというと工場勤務のイメージだったのですが、東京の大学を出て一般企業に就職した友達を見ていると、僕のサラリーマンのイメージとは違っていて、なんだか面白そうだなと。別に医者じゃなくてもいいかと切り替えて就活することにしました。
既卒3年で、就職歴がない状態で受けられる会社が少なくて。リクナビですら卒業年が選べなくて登録できなかったんですよ(笑)。そんな時、受験勉強に使っていた参考書を発行している旺文社のサイトを見てみたら、僕でも採用試験を受けられることを知りました。
入社当初は忙しく、1ヵ月の半分以上は深夜にタクシーで帰宅するような生活を送っていたので運動する暇がなかったのですが、ようやく3年目に仕事が落ち着いたのでダイエットがてらマスターズの水泳に復帰しました。その後、仕事終わりと土日の週5日、練習に時間を費やすようになると、せっかくこれだけ練習するなら、競泳とは違う場所で勝負してみようと思い、フィンスイミングの世界に足を踏み入れました。その後、日本代表として勝負したいと2012年1月から本格的に取り組みました。
日本代表でも週に2~3回しかフィンを履いて練習する機会がなく、決して恵まれた環境で練習ができているとは言えません。フィンを使うと波が立つので競泳とは一緒に練習できず、プールを貸し切らないといけないんですね。だから公営のプールの抽選に応募して、当たれば練習できますが、当たったとしても貸し切るにはお金かかるので仲間を集めないといけない。そしてフィンは1枚10万円ほどして、しかも国内で製造しているメーカーがないので海外のメーカーにオーダー……となると、よほどフィンがやりたい熱意を持っている人しか取り組みにくい状況かもしれません。
そんな状況の中、「フィンを履くだけが練習じゃない」と考えるようになって、心肺機能を鍛えるためにランニングを取り入れたり、元々やっていた競泳をしたり、大学時代は苦手だったウェイトトレーニングにも力を入れたりするようになりました。
いえ、競泳の経験を生かして自分でメニューを組んでいます。フィンはまだあまり研究されていないので、どう泳げば速くなれるのかといった理論が確立されていません。競技レベルを上げるために、世界選手権に出場した選手自ら海外のトップレベルの選手の動画を撮影して、帰国してからみんなで「こういうトレーニングをしたらいいんじゃないか。こう泳げばいいんじゃないか」と議論しながら、少しずつ向上しているところです。
そうですね。お笑い芸人のオードリ―春日さんがマスターズにチャレンジする番組が放送されてからは、一気にフィンスイミングの知名度が上がりました。特に早稲田大学のサークルには1学年20~30名もの部員が集まっていて、過去に競泳の全国大会に出たことのある学生がフィンを始めたりしているようです。学生は時間もあるし、大学のプールが使える特権もあるので、この2年ぐらいでレベルがどんどん上がっているように思います。今年になって日本代表のリレーメンバーに選ばれた大学生は、僕より一回りも年下なんですよ(笑)。
日本新を出す直前に、2000年のフィンスイミング世界選手権の決勝に残った堀内直さん(1989年から2003年まで15年間、日本代表として国際大会に出場)のフォーム教室に行く機会がありました。その時、「これまで僕がやっていたことは、ずいぶん違っていたのだな」という発見があって。堀内さんの理論をアレンジして実践してみたら、日本新を出すことができたんです。そこから、さらにブラッシュアップして臨んだ2014年は、個人だけでなくリレーでも日本新を出すことができました。
全員が競技から引退しているのに、途中で水泳部から逃げ出した僕だけが、競技は違えど今も現役を続けていて、切磋琢磨しながらトレーニングをしていることが意外らしく、「大学の時、それやっておけよ」と言われます(笑)。途中で辞めた時は関係がぎくしゃくしたこともありましたけど、今は競技者として戻ってきた僕のことを評価してくれて、応援してくれています。
競泳とフィンを経験してみて思うのは、人間って努力するにもある程度、結果が出たり、褒められてこそ更に頑張れるところがあるんじゃないかなと。世界一になれる可能性があるから、世界一の人の努力ができる。大学時代に活躍していたトップアスリートたちはこんな気持ちだったのかなと、今、日本代表という立場になって実感しています。
メインの活動はフェイスブックなどのSNSを使ったブランディングですが、筑波大時代の縁を使って競泳の会場でフィンのデモンストレーションをさせていただき、そこでフィンに興味を持った方を集めて体験会を開催しています。
昨年までは日本選手権の見どころを書いた冊子を、試合当日に配っていたんですよ。フィンの試合会場に来るのはほとんどが選手の友達なので、それほどフィンに詳しくない人が多いんですね。でも、せっかく足を運ぶならある程度知識を持って見たほうが面白いので、選手のインタビューや“この選手は先行型”といった選手の特徴、記録を持っている人などの情報をまとめて1冊にしていました。
今は広告営業ですが、以前はウェブサイトの編集部だったので、その時の知識は役に立っています。自分の言いたいことだけじゃなく、読者が知りたい情報の中に、こっちの言いたい情報を盛り込むといったノウハウが記事に活きているのではないかと。
2014年、2015年と日本代表に入っていながら記録が伸ばせなかった時は、引退が少し頭をよぎりましたよ。でも今年6月に開催されたギリシャでの世界選手権で、久しぶりにリレーのベスト記録を出すことができて。自分の中で技術的につかんだものがあったので、これをもう一度トレーニングすれば「まだいける」という感覚を持ったんです。
その感覚で来年のアジア選手権に臨めば、また記録を伸ばしていけるのではないかという期待感がありますし、先ほどお話ししたフィンスイミングで世界選手権の決勝に残った堀内さんは、決勝に出場した時に37歳だったそうです。僕は今年34歳ということを思えば、まだまだ可能性はあるはずです。
今の代表の中では最年長。昔より疲労感が抜けないのは確かですが、パワーは大学の時より今のほうが上がっていると感じますね。よくスポーツ選手は20代後半がベストだといわれますけど、それは小さい頃から“正しいトレーニング”を延々積み重ねた人のピークが、そこにくるというだけで。そうではない人は20代後半以降もまだ伸びる余地があると僕は思っています。
競泳でいうと距離をたくさん泳ぐことを求め過ぎて何をしたいのか分からない方がすごく多いんですね。昔は僕も不安になるとたくさん泳いでいましたけど、技術が伴わない運動量は、下手な技術を体に沁み込ませていくようなものだし、ひたすら泳いだからといって結果が出るというものではない、ということは僕の経験からも実感していることです。
そのために1つの試合なら試合、1年後なら1年後にピークが持ってこられるように、この期間にこういう技術を修得しようときっちり定めて“正しいトレーニング”をすることを日々実践。最近は若手育成のためにも、こういったことを後輩たちに伝えるようにしています。
選手としてどこまで加われるか分からないですけど、いつか世界選手権で日本人が優勝する日がきて欲しいし、世界記録を樹立する瞬間を見てみたい。それまでには、まだまだ経済的にも選手の負担が大きい今の現状を少しでも良くしていけるような活動を続けて、フィンスイミングの社会的地位を上げていけるよう努力したいと思います。
研究者もいれば競技者もいる、トップアスリートもいればサポートに回る人間がいる環境の中で、みんなが共存していけるところが筑波大の良いところだと思います。
将来スポーツ業界で働きたい人は、部活の仲間だけでかたまらず、他競技の人とも仲良くするといいと思います。今、フェイスブックなどで見ると筑波大卒でスポーツ業界で活躍している人はすごく多いので、学生時代に接点を持っておくと、その後も交流を育むことができると思いますよ。
所属: | Delfino |
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出生年: | 1982年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 三重県鈴鹿市 |
出身高校: | 三重県立津高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 2001年入学 |
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研究室: | 運動力学研究室 |
部活動: | 水泳部 |
住んでいた場所: | 春日4丁目 |
行きつけのお店: | ドルフ、ゆめや |
ニックネーム: | カッキー |
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趣味: | 水泳 |
尊敬する人: | 高安亮 |
年間読書数: | 50冊 |
心に残った本: | 諦める力(為末大) |
心に残った映画: | プライベート・ライアン |
好きなマンガ: | H2(あだち充) |
好きなスポーツ: | フィンスイミング、競泳 |
好きな食べ物: | 焼肉、ピザ |
訪れた国: | 7カ国 |
大切な習慣: | 正しい努力 |
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