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ヨーロッパでも受け入れられた神輿の魅力を後世に伝える

Entrepreneur
2020/05/04
インタビュー
  • 150
一般社団法人明日襷・代表理事
宮田宣也
(生物資源学類・ 2007年入学)

神輿職人の祖父の後を引き継ぎ、自身も神輿職人として全国の祭りの活性化に尽力。その活動は日本だけにとどまらず、ヨーロッパ各地のイベントで神輿を上げるなど、日本の伝統文化を多くの人に伝えるべく奮闘している。高齢化、過疎化の打撃を受けている祭りにおいて、若い世代のリーダーとして旗を振る、彼の秘めたる思いとは。

筑波大の仲間と手作りの神輿を上げた

お仕事について教えて下さい。

祖父が神輿の職人で、その後を受け継ぐ形で神輿の修理や神棚の制作をしています。最近は、高齢化や過疎化で祭りを継承する人が不足しているので、僕たち若者で祭りの伝統を守ろうと、ノウハウを教える活動もしています。

最近は海外の祭りに招かれることもあって、例えば2014年にはフランスで神輿を上げました。きっかけは東日本大震災の支援先、石巻でフランス人と出会ったこと。彼が祖国に日本を紹介したいというのでフランスに神輿を送り、昨年はスロベニア、今年はその二国に加えブルガリアとリトアニア、ポーランドで神輿を上げたんですよ。

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世界各地で神輿の魅力を伝えているのですね。

最初のフランスは町が主体の小さな催しでしたが、2016年には、そのフランス人の娘さんが住んでいるベルリンで大きなイベントに参加しました。4日間で約100万人が集まる大規模なイベントです。その時は色んなメディアに取材されて、大きな注目を集めました。

そういった経験がアイディアとなり、4年前からは筑波大の留学生を祭りに参加させる取り組みをやっています。彼らが祖国に帰った時に、神輿の魅力を伝えてくれるようにと。

現在もつくばに住まわれているんですよね。

はい。春日三丁目に住んでいます。

筑波大に進学した経緯について教えて下さい。

友達に誘われ、高校の時に学園祭に来て良い印象を抱いたことがきっかけです。なぜか「僕はこの大学に入るだろう」という直感がありました。

ところが最初の年は合格できず、家庭環境が良くなく、関係がうまく行っていなかった親から逃げるように祖母宅へ。働くつもりでいたが祖母が、たまたま祖父が受け取った遺産でなんとかするから大学にいきなさいと。それで1年間予備校に通って、次の年に合格しました。

大学ではどんな生活を送っていましたか?

大学の部活ではないのですが、極真空手の道場に通ってとにかく空手漬けの生活でしたね。4年の時には全日本大会に出場し、準優勝しました。

学内での思い出は?

入学当初は硬派で、飲み会も行かなければ新歓コンパにも参加しませんでしたが、2年になると、あまりにも友達が少ないことに気がついて「これではいけない」と。友達を招いて、得意の料理をふるまうなど社交的になっていきました。

那珂湊の市場で魚を買って、自分でさばいたりしていたんですよ。

魚をさばけるとは、すごいですね。

小学生の頃、よく釣りに行っていたんです。自転車ですぐ海に行ける所に住んでいたので。でも母が魚嫌いで触りたくないというので、本を読んだりしながら魚をさばくのを学びました。

大学時代は、本を読んでアンコウの吊るし切りを修得したんですよ。下平塚にある家の木にアンコウをつるして、友達だけじゃなく通りかがりの人にも配るなど30~40人にふるまいました。

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どんな交友関係だったのですか。

周囲に体操部の人がたくさん住んでいたので、体育学群の友達は多かったです。

筑波大の良さは、スポーツや研究など1つの分野を突き詰めている人と、お互いを高め合っていけるところですよね。彼らはめちゃめちゃ変わっているけど、めちゃめちゃ素敵。

そういう環境で自分のアイデンティティ、「僕はこういう人だ」という軸を見つけることができて良かったと思います。筑波大で出会った仲間は一生の仲間だし、財産です。

大学時代、神輿との関わりは?

年に一度、地元の祭りで担ぐ程度でしたが、神輿への意識が大きく変わった出来事がありました。それは、神輿の職人だった祖父の病気です。

祖父を含めた僕の家族は毎年元旦、参拝にくる近所の人たちに神社で甘酒を配って歩いていましたが、神社からの帰り道はアップダウンの激しい山道で。ある年、肺の病気をしていた祖父が坂を上がりきれなかったと家族から聞いて、僕が20歳の時に亡くなった父に「何もしてあげられなかった」という後悔がよみがえってきたんです。

今度こそ後悔しないよう、今の僕ができる最大限の恩返しをしようと。そこで考えたのが、自分で作った神輿を仲間と一緒に上げることでした。祖父の力を借りずに僕はここまでできるという、その姿を見せたら喜んでくれるんじゃないかと思ったんです。

神輿を作るのは、容易いことではないはず。

神輿を作るノウハウを持っていませんでしたから、芸術の授業を取ったり、芸術の先生のところに通って知識を得るなどしました。「君は芸術の学生じゃないだろう」と言われましたが、僕が本気だと知って先生や仲間が協力してくれるようになり、30人ぐらいが毎日手伝ってくれて、ようやく神輿を完成させることができて。

それを祖父と祖母に見せたのは、院1年生の学園祭。仲間と一緒に手作りの神輿を上げて「あなたが積み上げてきた伝統を引き継ぐ」という僕の覚悟を祖父に見せることができたと思います。写真は、実際に祖父の神輿を担いだ時の写真です。

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良いお話ですね。

小さい頃から祖父に聞かされていたことはその通りだと実感した出来事でしたね。「神輿の一番素晴らしいところは、一人じゃ上がらないことだ」と。たくさんの人の協力や想いが詰まっているからこそ、神輿が上がる瞬間は素敵なんです。

それが日本人のみならず、海外の人をも魅了している要因かもしれません。

そうですね。体力差や男女関係なく、神輿の棒に肩を入れれば皆がフラットでフェアですから。神輿が大好きな車椅子の人も神輿を担げるよう、皆で協力して一緒に担いだ、なんてこともあるんですよ。

神輿を担がなくても、外で応援したり、水を配る人も同じステージに立つことができる、それが祭りの魅力です。1人1人が主役で、その日を成功させて皆でお酒を飲む。

こんなに素晴らしい文化だからこそヨーロッパでも受け入れられたのだと思うし、後々まで引き継ぎたい大切な文化だと思っています。

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人生は逆三角すい。1つのことを突き詰めれば可能性は広がっていく

では、筑波大での学びが今に生きていると感じることは?

生物資源学類出身なので理系的に考えてしまうのですが、人生の面白さって、図式化すると逆三角すいの構造だと思うんです。真ん中に軸があって、その軸を上がっていくと面白い世界が広がっていく。つまり、そのステージにいるたくさんの人、場所、経験に出会うことができるようになり、見える世界が広がります。

僕の場合はその軸に神輿があり、1つのことを突き詰めることで出会う人や出来ることが広がって、ヨーロッパにもいけたのだと実感しています。

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面白い発想ですね。

こういった人生の基本のようなことは大学時代からぼんやり考えていたのですが、きちんと言語化できるようになったのは、昨年、神戸で出会ったピックアップトラックのレーサーの男性の言葉がきっかけです。

どんな言葉だったのでしょう?

「人間の行動は3つしかない。それは、考える、行動する、結果を観る」だと。その人はもともと大阪で車の整備会社を営んでいましたが、結婚直前に会社が全焼して経営破たん、結婚破棄されたという、どん底を経験しています。

ところが、新婚旅行で行くはずだったカリフォルニアに、チケットがもったいないからと1人旅をした際に人生が拓けて、今はカリフォルニアでレーサーとして活躍しています。

ドラマのような人生ですね。

その彼が「僕は考える、行動する、結果を観る、この3つだけをやってここまで這い上がった」というんです。

彼の人生、そして言葉に感銘を受け、「僕が考えた逆三角すいの原理において、人生のステージを上げていくにはこの3つが全てだ」と。僕自身、実践しているところです。

今後の目標を教えて下さい。

今、地元の祭りでは祖父が作った神輿を担いでいますが、いつか僕が作った神輿を、いつか生まれるであろう息子と担ぎたいです。そして、その息子が大きくなったらもう1つ作ってもらって、3つの神輿を並べて欲しい。これが僕の人生で実現したい、たった1つの夢です。

素敵な夢ですね。

でも息子はおろか結婚すらしていないので、それが先ですね(笑)。

今できることとしては、もっと若い世代を巻き込んで“神輿やさん”という職業を世間に浸透させ、この業界をもっと盛り上げること。この文化を後世に残すためにやらなきゃいけないことは山積みなので、それが僕に与えられた大きな役割じゃないかと思います。

現実的な話として、事業費は神輿の修繕費がメインなのですか?

海外に行く時は助成金やスポンサードがつくときもあります。イベントによって渡航費はこちらでもって、宿泊費を出してもらう場合もありますが、全く出ない場合もあるので、なかなか大変です。

でも走り続けていれば、きっと未来は拓けてくると信じて頑張っています。

ポジティブ思考ですね。

うまくいかないことはないって思うんです。ゲームのRPGのように必ずピンチに見舞われて、そのピンチを乗り越えれば乗り越えるほど力がつく。そしてラスボスを倒せるようになっている。それが僕の考えです。

ピンチがあるからこそ人生が盛り上がるのだと思うし、全てのピンチは絶対に乗り越えられると信じているので、これからも自分の信念を貫いて神輿の未来のために頑張っていきたいです。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

地域的に余計なやることがないぶん、つくばを最大に楽しむこと。何をしてもいい、でも何もやることがないという大学時代に、人生を楽しむ方法を突き詰めたことで今の僕が形成されました。1つのことを突き詰める習慣をつけると、分野を変えてもまた同じように楽しみながら向上していけると思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大を選んだ以上、今この環境を最大限に生かせなければ、どこにいってもダメだと思います。東京に比べて余計な情報がないからこそ、自分を磨ける時間と、自分を見つめる時間が作れるので、与えられた環境の中で最大限の楽しみ方、パフォーマンスを構築して下さい!

宮田宣也さんが所属する
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プロフィール
profile
宮田宣也(みやたのぶや)
筑波大学在学中に、幼少期から神輿を担ぐ背中を見せてくれた祖父が体調を崩したことがキッカケで、自身でイチから神輿を製作し、ヒトを集め、仲間とともに伝統文化を継承した経験が原点となる。現在は、一般社団法人明日襷(アシタスキ)の代表理事を務め、 日本中、そして世界で神輿を担ぎながら各地の祭り文化の伝承を行い、神輿を通じて地域と人、人と人の心をつなぐ活動を続けている。
基本情報
所属:一般社団法人明日襷
役職:代表理事
出生年:1987年
血液型:A型
出身地:神奈川県横浜市
出身高校:桐蔭学園
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
所属団体、肩書き等
  • 一般社団法人明日襷代表理事
筑波関連
学部:生物資源学類
研究室:国際資源開発研究室
部活動:極真空手同好会,合唱団むくどり,焼き物を作る会
住んでいた場所:下平塚
行きつけのお店:高麗
プライベート
ニックネーム:のぶくん,みやっち
趣味:素潜り
特技:空手
尊敬する人:稲盛和夫,長渕剛
年間読書数:50冊~60冊
心に残った本:堕落論(坂口安吾)
心に残った映画:ビッグ・フィッシュ
好きなマンガ:美味しんぼ
好きなスポーツ:空手,ダイビング
好きな食べ物:焼き鳥
嫌いな食べ物:特に無し
訪れた国:12カ国
大切な習慣:トイレ掃除
口癖は?:押忍
座右の銘
  • かけた情けは水に流せ,受けた恩は石に刻め

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