腰の曲がった祖母が畑仕事をする姿を見て、危機感を感じた中学時代。すでに農業の道へ進むことを視野に筑波大を選んだ。緑に囲まれたつくばだからこそ得られた経験や出会いがあり、現在は「とにかく環境のため」との思いで有機栽培の野菜、そしてゼロウェイストを実践している。そこに込められた想いとは…?
神奈川県横須賀市を拠点に、SHO Farmという新規の農業を始めて7年目になります。畑の面積は2町5反、2ヘクタール50アールあり、その全面積で有機の認証をとって農薬や化学肥料を一切使わない方針でやっています。三浦半島、鎌倉、横浜を含めてオーガニックでやっているのはうち一件だけで、環境問題への意識が高い方からご利用頂いています。
もう1つの特徴としては“ゼロウェイスト”、つまりゴミを出さないことをモットーにしていて、生産時にビニール袋などのプラスチック素材を使わないことも、うちの方針です。
有機栽培を始めたのは、環境が良い暮らしを次世代に残したいというシンプルな思いからです。
ただ、一部の農家の方には有機栽培へのこだわりを理解されず、今では笑い話ですが、「お宅の畑から、うちの畑に虫が飛んでくる」と苦情を言われて勝手に除草剤を撒かれたこともあるほど、これまでに苦労がありました。
これは、野菜の詰め合わせセットをお客様に直接お届けする中で、お客様に教えて頂いたことがきっかけです。
以前はプラスチックの袋に野菜を入れてお届けしていましたが、「環境のためにプラスチックは使わない」というお客様が多くいらっしゃったので新聞包みで野菜を提供するようになり、中には新聞すら畳んで返して下さる方もいて。
それで僕自身のゴミに対する意識が変わり、出荷の段階はもちろん畑の中でもゴミを出さないようになりました。
はい。最近は「自分がこうしたい」よりも、お客様の「こういう農業をやって欲しい」といったニーズにお応えしたい気持ちが強いです。
はい。野菜セットの定期販売が売上の9割を占めています。コロナ前は売上の7割ぐらいでしたが、コロナを機に家庭で料理をする人が増え、自分たちの口に入るもの、野菜などにこだわる方が増えて注文が増えました。今、畑を拡大しているんですけど、それでも足りないといった感じです。
コロナは有機農業者として非常に考えさせられる出来事でした。我々は薬を使わないで野菜を育てていますから、野菜が病気になっても薬を使わない、ようは死んでしまうといったことを当たり前だと思っています。
作物が密集していたり、風通しが悪いと病気が蔓延してしまうといった有機農業者としての常識が、コロナにも当てはまることを思うと、これからの時代は人々が“密”から離れた状態で暮らす時代になるのではないかと。
都会ではなく田舎でお金を使わずに生きていくことを選択し、病気になったら薬で治すといった考え方だけではなく、死を受け入れるといった有機農業に根付いた死生観が、人々にも根付くような気がしますね。
収穫したその日、または前日に獲った野菜を直接、消費者に届けることでスーパーよりも新鮮な野菜がお届けできますし、こちらの想いも伝わりやすいからです。
以前、スーパーの直売コーナーや道の駅のような大型店舗に置かせてもらったこともあるのですが、売れ残ったものを引き取らなければいけないのは作り手としてショックですし、その後は野菜が痛み、どうさばくこともできず悔しい思いをしました。
事前に注文して頂いたお客様と、天候のリスクについて分かち合いながら販売するほうがロスも少ないですし、精神的にも良いと思いました。
中学3年の時、親戚が住んでいる三重県に一人旅をしたのですが、いつもテレビゲームで一緒に遊んでくれるいとこのお兄ちゃんが、その時は忙しくて遊んでくれなかったんですね。そこで祖母の畑についていったら、ただでさえ腰が曲がっているばあちゃんが、さらに腰を曲げて大根を抜いていて。その姿を見て「若い人が農業をやらなきゃいけないっていうのは、こういうことなんだ」と実感したんです。
それが原体験となり、有機農業について研究している先生がいるゼミで学びたいと、筑波大に進むことにしました。
筑波大学農業ヘルパー派遣会社というサークルに入り、色んな農家さんのもとでアルバイトをするうちにある有機農家さんに出会い、その方との交流で自分自身が拓いていきました。
「農薬を使わない技術は、農薬を使うよりも勝っている」――そんな気がして、僕もその道に進むことにしました。
その有機農家さんは「まずやってみたら。自分で体験してみないと分からないよ」と、おっしゃる方で、そこから発酵の原点である、ぬか漬けづくりを始めました。その言葉はいつも僕の根底にあります。
農業をやろうと心は決まっていたものの、のちのち経営者でやっていくことを考えると農業経営を学んだほうがいいのではないかと。農業系アドバイザーの資格がとれる日本政策金融公庫の農林水産事業に就職しました。
寮を転々とするのが好きで、外国人寮に入ってみたりだとか、同じ学類に動物をさばける友達がいて、目の前でさばいたイノシシの金玉を食べさせられたのも良い思い出です(笑)。一風変わった人との出会いが刺激的でしたね。
生物資源学類の一学年上で同じゼミでした。当時はただ挨拶をするだけの間柄でしたが、僕が社会人時代に配属された宮崎に遊びに来た際、「温かいところで農業したいなあ」と言っていて。その時に、将来一緒に農業をやることが見えるような…、そんな感覚がありました。
はい。2人ともディスカッションをするのが好きなので、「こういう部分は環境に良くないよね」「こういうお金の使い方するんだったら環境にいいほうに使いたいよね」と、とにかく環境第一、環境という尺度で考えながら話し合いをすることが多いです。
家を購入する際も、中古の家を買って直し続けるか、無垢材を使って全部食べられるような素材でできた家を作るのが環境にいいのかを話し合って、結局、中古の家を買いましたが、そのような議論を常にしています。
自分が生きている間に叶えたいことと、自分が死んだ後の世界で達成したいことの2つあります。まず生きている間に達成したいのは、僕のように小規模で、地域の人と手をたずさえて農業する人を色んな地方に輩出することです。
もう1つの目標は、皆がそれぞれ野菜を自給自足するように促すこと。なぜなら、家庭菜園をおのおのがやることが環境的には一番コストが低いからなんです。それで農家が減ってしまったとしても、環境にはよい。それが僕が目指すところです。
極端な話をすると、そういうことです。そうなると我々のような農家が農業を継続させる意味合いが変わってきて、単に野菜を提供するだけではなく“コミュニティ作り”を地域に提供する役割を担うことになると思います。
例えば種の交換の場になったり、機械の貸し借りをしたり、よりよい野菜を育てるべく議論をしたり。そういう拠点に僕たちがなれるよう、今後も活動していきたいですね。
つくばで野菜を作って東京の表参道で売るなど、僕はかなり自由にやっていたほうだと思います。東京の大学だと畑はないし。田舎すぎると東京で売る経験もできない。そういった意味で今につながる土台が作れたのは筑波大だったからだと思います。
目的なく大学にいくならいかないほうがいい。その反面、何か研究がしたければ研究機関がたくさんあり、研究の最先端の人と触れ合えます。自分で探って手繰り寄せていけば、より大学生活が面白くなるのではないでしょうか。
筑波大でしたねって言われると嬉しいんですよね。私も筑波大でしたって郷土愛みたいなものが生まれてるんですけど、それが私のつくばウェイか。。。。
所属: | SHO Farm |
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役職: | 代表 |
出生年: | 1987年 |
血液型: | A |
出身地: | 神奈川県横須賀市 |
出身高校: | 神奈川県立横須賀高等学校 |
出身大学: | 筑波大学第二学群生物資源学類 |
学部: | 生物資源学類 |
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研究室: | 国際開発経済学研究室 |
部活動: | ラグビー、筋トレ、筑波大学農業ヘルパー派遣会社(すべてサークル)、仲のうえん |
住んでいた場所: | 転々と寮に住む |
行きつけのお店: | 特になし |
ニックネーム: | しょうちゃん |
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趣味: | 薪割り |
特技: | ガマの油売り口上 |
尊敬する人: | グレタ・トゥンベリ、ガンジー |
心に残った本: | 沈黙の春 |
好きなマンガ: | 風の谷のナウシカ |
好きなスポーツ: | ラグビー ハンドボール |
好きな食べ物: | 茄子の揚げびたし |
嫌いな食べ物: | コーヒー |
大切な習慣: | 朝一番で緑茶を淹れる |
口癖は?: | アツイ |
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