東日本大震災後、コミュニケーションツールとして瞬く間にメインストリームに躍り出たLINE。サービス開始当時、代表取締役社長であった森川氏は日本テレビ、ソニーという大企業に身を置き、持ち前の“流行りもの好き”な性格で時代を捉えてきた。現在は「日本を元気にしたい」と会社を立ち上げ、スマートフォンの動画事業をけん引。彼が見た筑波大、そして筑波大生とはどんなものだろうか。
高校時代、進路について考えた時、国立大学で理科系、特にコンピューターの勉強がしたい、かつ家を出たいと思っていました。とはいえ住まいのある川崎からはさほど離れたくはない、それなら筑波大が良いのではないかと見学に行ってみたら建物がすごくきれいで。
つくば万博が始まる前でしたし、これから盛り上がりそうなイメージがあって筑波大を受けることにしました。
最初は田舎暮らしがしんどかったですね。東京だと道に迷ってもすぐに交番が見つかりますけど、つくばでは、その交番がなかなか見つからない。歩いている人もほとんどいないという、それまで育った環境とは全く違う環境に身を置いてカルチャーショックを受けました。
寮生活では人との距離感が近いので、休むと隣りの部屋の人が心配して来たり、壁が薄くて隣りから独り言が聞こえてきたり(笑)。最初はキツかったですけど、そういった経験を通して自分自身を解放できたことは確かですね。
それまでの僕は、都会で育ったので普段の自分と外にいる自分が別人格で、他人に対しては自分を装っている部分がありましたが、筑波大での生活を通して、ありのままの自分でいることが自然になりました。
一方で、ある時期、誰とも会わず、誰とも話さない日々が続いて、最長で一週間誰とも話さなかったことがあるのですが、その時に「僕の人生はこのままでいいのか」と深く考えました。
都会にいると、常にたくさんの情報や人に触れていて一人きりになることが少ないですから、田舎で一人、深く自分を見つめ直せたことは良い機会でした。ときどき畑の真ん中でボーっとする時間を持つこともありましたね。
パソコンばっかり触っている、いわゆるオタクような同級生が多かったので、当時それほどコンピューターに詳しくはなかった私は教室で浮いていたと思います。
そのうち授業がつまらなくなって、昼はスタジオでバンドの練習、夜はアルバイトという生活を送るように。イベントに出演したり、ジャズ喫茶で演奏したりしていました。
ある就職セミナーに参加した時、たまたま青田買い的に日本テレビに内定を頂いたので、そこから先は就職活動をせず。3年の春には内定をもらったと思います。
音楽の仕事をしたかったのですが、やはり情報学類卒だとコンピューター系の部署に配属されてしまうので、最初はしんどかったですね。でも今振り返れば、それが人生が変わるきっかけでした。
日本テレビでコンピューターの仕事をするようになって、インターネット、そしてデジタル系の仕事をするようになった流れがありますから、音楽の仕事をしていたら今の仕事には行きついていないだろうと思います。
そうですね。最初に配属になったのが財務のシステムの担当で、「テレビ局に入ってまで財務のシステムをやるのはつまらない」と相談をしたら、じゃあ、テレビに近い仕事に回してあげるということで報道の担当になりました。
報道番組の中でニュース原稿を送るだとか、ニュース速報を送るシステムだとかをやっていた延長で選挙の担当になり、選挙番組を制作するチームが「アメリカでは出口調査というものをやっているので、日本でもやろう」と。
ありませんでした。日本テレビが先駆けでしたね。選挙のデータを持っている慶応大学、政治学の小林良彰先生と共同研究しながら、出口調査の集計をもとに、いち早く選挙の当確が出せる仕組みを開発しました。「おぉ、当たった!」といったギャンブル的な面白さがありました。
視聴率の分析のシステムを作るために、アメリカに行って色んな局の視聴率のシステムをリサーチしたことが印象深いです。そうして私たちが作り上げたシステムが日本で賞を獲り、20代後半では全国各地で講演会をしました。
所ジョージさん司会の『クイズ100人に聞きました』という番組で、スタジオにマッキントッシュを100台並べてネットワークをつなぎ、その場でアンケート集計をするという仕組みを作ったことも印象深いです。
その後は新規事業の部署に移り、インターネットの立ち上げや海外展開の事業に参加しました。
いちエンジニアよりも、自分で考えて作るほうに興味を持つようになったことがきっかけです。大学でコンピューター工学を学んだというと、なかなかその分野から離れられないので、キャリアチェンジ、かつ将来、会社をおこすことも考えて知識を得ることが必要だと。
ソニーがメディアカンパニーになる、つまりコンテンツと端末をつなげて、新しいデジタルの会社になるという戦略を持っていたことに興味を持ち、転職。最初はテレビやオーディオをネットワークにつなげる事業の開発部署に配属になり、その後、ソニーの別カンパニーに移ってネットベンチャーの立ち上げに携わりました。
そういった環境に身を置いたことで、これからはモバイルかブロードバンドのどちらかがくるなと肌で感じました。
そうですね。
2000年にブロードバンドが始まった頃は、国内のブロードバンド普及世帯はまだ約20万世帯。当時はダイアルアップ回線でインターネットにつなぐのが主流でした。
それが入社数カ月で事業部長を任された後、運良くブロードバンドの利用者数が伸びてきて、ユーザーが増え業績も上昇。3年で50倍ぐらいに売り上げが上がったんですよ。
2011年、東日本大震災を機にスマートフォンのコミュニケーションツールを作ろうとLINEのサービスを開始しました。
利用者数は順調に増えましたが、嬉しいことばかりではなく、急成長をする中でLINEを使ったいじめ問題もありましたし、色々トラブルもあって苦労しましたね。何か問題が起こればメディアに叩かれ、家のそばで記者の人が待っていたこともありましたから。
LINEを海外展開していく中で、日本人や日本企業はその他のアジアの国に比べて元気がないと感じるようになったことが会社設立の大きなきっかけです。日本を元気にするために何とかしたい、どうすればいいかと考えて今の動画事業をやろうと決意しました。
目標が低い、根性がないといった個人の問題だけではなく、ソニーぐらいの大きな会社でも世界的には厳しい状況に置かれています。今、日本企業で世界と戦えるのは飲食、アパレルぐらいでしょうか。それに次ぐような産業を作ることに協力したいという思いでいます。
外国人に接し、海外で働けば働くほど「日本ってなんだろう」と、自分のアイデンティティについて考える機会が増えますからね。
日本も日本人も良いところはたくさんあるのに、海外ではそれほど理解されていないし、当の日本人でさえ日本の良いところより、悪いところばかり見ています。そういったことを変えられないだろうかと。
働き方というのは、ただ単に労働時間だけの問題ではない。大事なのは、どれだけ高い価値を提供できるかです。
日本企業全般、イノベーションというより改善を繰り返しているように思えるので、バージョン1を1.01にする努力ではなく、バージョン3とか5ぐらいまでジャンプアップさせて価値を提供することが求められているのではないでしょうか。
設立当初、他社はまだスマートフォンの動画をそれほどやっていなかったので、いち早くやれば市場がとれるかなといった目論見もありましたが、そのぶん少し早過ぎたというか、市場がついてきていなかった感はあって。当時はよく「動画元年はいつ来るんですか」と、からかわれましたよ(笑)。
収益元である動画広告の市場が大きくなってきていますし、スカウトなどでインフルエンサーと契約しているので、インフルエンサーマーケティングとECを相乗的に組み合わせながらビジネスを作っています。5Gの時代がきたら、これからもっと動画は伸びると見込んでいます。
とにかく考えますね。未来こうなるだろうと予測して、もしそうなった時に何が必要かとか、今これが流行っていると聞くと、どうして流行ってるのかとか。
現象からもっと深く人間の本質まで紐解くのが好きで、カフェで人間観察をしながら「あの人は何を考えているんだろう」と想像してみたりするのも好きです。
やりたいことがある人じゃないと採用しても意味がないと思っているので、やりたいことがあればそれをやればいいと思っています。
自分のやりたいことを貫き通していると社員同士ぶつかることもありますが、優秀な人ほど「時間の無駄だ」とケンカをしなくなる。もちろん意見のぶつかり合いはありますが、シンプルに、出てきたアイディアの中から一番良いもの選べばいいことですし、良いアイディアが出るために、社員の力をどれだけ引き出せるかが私の役目だと感じています。
世代間だけでなく、男女で感覚が違うのは当然のこと。『C CHANNEL』は女性向けの事業なので、僕の意見よりも若い女性の意見が通るべきだと考えていますから、むしろ社員の皆さんに教えて頂いているといった感覚で接しています。
最近の学生は真面目な人が多く、僕の学生時代と違ってちゃんと勉強しているからすごい。ただ、勉強し過ぎて社会のことを知らない印象を受けるので、もう少し社会勉強をしたほうがいいのではないでしょうか。
休みになると東京に戻ってバイトをしたり、冬はスキー場、夏は海でバイトをしていました。ただ東京に遊びに行くだけなのか、働いてみるかでずいぶん見え方が違ってくると思います。働くことで社会の構造を知ることができますし、大学関係者以外の色んな人に接することで、きっと何かを感じ取ることができるはずですよ。
大学時代の経験というよりは、幼い頃からの「流行りもの好き」な性格が今につながっているかもしれません。今のように食べログなどがない時代に、ファッション雑誌やグルメ雑誌で紹介されている美味しいお店に足を運んでいて、友達からは“歩くグルメマップ”と言われたほどでした。
お金儲けをすることは大事なことですが、お金儲けをすることが一番の目的になってはいけないと思います。その前に、課題を解決するだとか、こういう社会になって欲しいという展望があった上で「そのために、これをやる」という行動がついてくるのが理想ではないでしょうか。
学生時代には分かりませんでしたが、色んな経験をして「本当の幸せって何だろう」と向き合ってきた中で、今は周りの人が幸せになることや、自分の生まれた国が豊かになることが僕のモチベーションになっています。それが実現してこそ、自分の幸せが得られるのだと思います。
深く考えること。
学生時代になるべく社会経験をしましょう。
所属: | C Channel株式会社 |
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役職: | 代表取締役社長 |
出生年: | 1967年 |
出身地: | 神奈川県 |
出身高校: | 神奈川県立多摩高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 第三学群情報学類 |
出身大学院: | 青山学院大学大学院国際政治経済学科修士課程(MBA) |
学部: | 第三学群情報学類(1989年入学) |
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研究室: | 情報工学専攻 |
住んでいた場所: | 一の矢、春日 |
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