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三神スライダー

生活者をワクワクさせる。それが広告会社の使命

Professional
2017/07/03
インタビュー
  • 85
株式会社博報堂/株式会社博報堂DYメディアパートナーズ常務執行役員
三神 正樹
(情報学類 1978年入学)

コンピューターもインターネットも普及していない1970年代、「これからは情報化社会になる」と筑波大学第三学群情報学類(現・情報科学類)に入学。大学時代にコンピューターグラフィクスに興味を抱き、博報堂入社後はアメリカへ視察に行くなど、パイオニアとして新メディアをけん引した。日本が元気だった時代を駆け抜けた先輩が、過去、そして未来を語る。

アメリカ仕込みのCGを万博で披露

まずは筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

大学受験を控えていた頃に世の中で「これからは情報化社会になる」と言われ始め、当時はまだ「情報化社会って何だろう?」といった認識でしたが、それが後にITと呼ばれるものでした。

後になって分かったのは、筑波大は日本の大学の中で、コンピューターというものを学部でちゃんと教えるようになった最初のグループだそうです。でも当時は情報化社会ってよく分からないし、どんなことを勉強できるのかも分からないけど何だか面白そうだな……そんな気持ちで1978年、第三学群情報学類(現・情報科学類)の二期生として入学しました。

三神3

コンピューターやインターネットが普及していない時代に、いち早く目をつけていたのですね。

Windows95やマッキントッシュが一般に普及するのは90年代に入ってからですから、私たちの時代は大学の情報を得るにもパンフレットや『蛍雪時代』という学校案内の雑誌が判断材料でした。写真で見た筑波大はアメリカかと思うような広くてカッコいい、夢のようなキャンパスで「イケてる、イケてる!」と。

当時は茗荷谷の東京教育大学跡地で受験ができましたから、合格後に筑波に初めて行ってみて驚いたというのが正直なところです。プロのカメラマンは上手に写真を撮るなぁと(笑)。

当然TXも開通していない時代。

TXはおろか高速道路も筑波まで開通していませんでしたし、周囲にはコンビニもない、ファーストフード店もない、ファミレスもない、ないない尽くしでしたよ。

でも今思えば、そういった環境に身を置けて良かったなと。伝統がない代わりに、何をやるにも自由でしたから、ものすごく楽しい4年間が過ごせましたね。生まれ変わったら、また筑波大に行きたいかと聞かれたら「あの時代の筑波大なら、もう一度行きたい」と答えると思います。

授業で印象に残っていることはありますか?

コンピューターとはこういうものだというところからスタートしましたが、すでに素養を持っている同級生に差をつけられたことが印象に残っています。

情報学類のお祭りで、当時の電電公社(現NTT)が使わなくなった古い電話の交換機、巨大なモーターを使ってコンピューターを作るプロジェクトをやった際、後に産総研(産業総合研究所)の教授になった同級生は1年の時からずば抜けていて、私たちは彼が書いた設計図をもとに、ただ線をつなぐだけ。

今でいうオタクのように突き抜けている人には太刀打ちできないと痛感させられた原体験でしたね。

三神4

では、どんなことに興味を持っていましたか。

1、2年の頃はジャズ研究会に没頭し、「昼間に三神を大学で見かけることはない」と言われるほど勉強がおろそかになっていましたが、3年次に藤原譲教授のもとデータベースについて学ぶ研究室に入ってからは、データベースから派生するコンピューターグラフィクス(CG)の世界にのめり込んでいきました。

なぜCGに惹かれたのでしょう?

たしか80年代に入っていたと思いますが、電通が発行していた『月刊アドバタイジング』のコンピューターグラフィクス特集を見て「これだ!」と衝撃を受けたんです。「これが俺のやりたいことかもしれない」と。そう考えるようになってからは勉強にも精が出ましたし、就職活動の際も、情報社会をリードしていてCGに関しての知識が活かせるであろう企業、例えば新聞社やテレビ局、広告会社といったマスコミを中心に面接を受けました。

1982年に博報堂に入社。

CGをやっている部署がまだなかったので、なんとなく格好良さそうという理由でマーケティングを希望。ところが筑波大でコンピューターの勉強をしていたことを人事に指摘され、情報システム部というところに配属されました。

情報システム部では、社内の人事システムや会計システムを作る作業がメインでしたが、心の中で「人事システム作るんなら、広告会社に入社した意味がないじゃないか」と。最初の配属にショックを受けて、やさぐれていましたね(笑)。

モチベーションが上がらなかったと。

はい。そんな姿を見かねた部長に呼び出されて「CGがやりたいです。今にCMは撮影なしで作れるようになります」と力説しましたが、上司は飲んでたものを吹き出して、「君は面白いこと言うね」と。当時はまだCGでCMを作るなんて考えられないことでしたから。

その状況をどう打開していったのでしょう?

その上司が社内の優秀なクリエーターを紹介してくれたことがきっかけです。彼らと一緒に面白いことを考えたり、入社間もないにもかかわらずアメリカに調査に行かせてもらったり。映像の世界で働いている人が特殊撮影を学ぶ際に避けて通れない、ILM(インダストリアル・ライト&マジック)という会社を見学する機会を得たことで「これを日本で今すぐにやらなきゃいけない!」と大きな刺激を受けて帰ってきました。

その後、日本で実践したこととは?

ちょうどその頃、1985年に筑波で科学技術博覧会がありまして。様々な各企業がパビリオンを設置するにあたり、その競合プレゼンに参加しました。

その際、アメリカ仕込みのCGをふんだんに使ったプレゼン手法が決め手となって、僕たちの企画が採用され、いざ筑波万博で初めて世の中の人にCGが披露されることになりました。

“黒山の人だかり”を見るのが快感

筑波万博以降、日本でCGが認識されるように。

部署が異動になり、ハイテクを扱う企業や外資系企業の担当として、企業のプロモーションや大型イベントを企画して運営する仕事を手掛けるうちに、「ようやく世の中で新しい動きが出始めた」と肌で感じられるようになりました。

それから数年が経った1995年、博報堂が創業100周年ということで新しくインターネット専任組織である『博報堂電脳体』という組織を立ち上げることに。私は社内の公募で作文を書いて自己アピールをし、面接を経て創設メンバーに着任しました。

博報堂電脳体ではどんなことを?

トップからのミッションは「とにかくインターネットで面白いことをしなさい」のみ。当時はWindows95が出たばかりで、パソコン1人1台の時代でもなければ携帯もありませんから、毎日、創設メンバーの6人で白い紙に面白いアイディアを100個出し合って、ひたすらアイディアを絞り出していました。ところが、どれも部長の目には留まらない。

2週間が経った頃、あるメンバーが“インターネットで年賀状”というアイディアを出してきました。皆で「なんだかちょっと引っかかるね」と。年賀状は日本の伝統的なコミュニケーションツールであり、コミュニケーションというものはインターネットにおいて特に大事な部分です。

しかし欧米にはすでにWEBグリーティングカードがありましたから、目新しくはない。何か日本独自のものが作れないだろうかと考えていたところ、“お年玉くじ”は日本ならではの概念だと。これをウェブでも再現できないだろうかという発想に至りました。

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実際にウェブでどんな試みをされたのですか?

年賀状の場合は、当選した人から「当選したよ」と報告があるわけではありませんから、コミュニケーションとしては成り立っていません。しかしウェブの場合は年賀状をもらった人だけじゃなく、出した人にも特典があるような仕組みを作ることができる。そうすれば、年賀状を送る人がどんどん増えるんじゃないかと。今でいうバイラル・マーケティングですね。

次に、この“お年玉くじ付き電子年賀状”をどう僕らのビジネスにすればいいか?と考えた時に、当たった人が欲しいものを選べるようにすれば、その選ぶプロセスで色んな会社の色んな商品を知ることになるだろうと。

広告効果が見込めますね。

はい。このアイディアを持って営業にいきましたら、ほとんどの企業が二つ返事で企画に参加して下さり、ありがたいことに1年目から全部売り切れの状態でこの事業がスタートしました。

そんな時代の流れとともにコンピューターが家庭に普及するにつれ、インターネットはコミュニケーションツールとしてだけでなくメディアとしての役割も果たすようになり、電脳体という組織は“博報堂ICインタラクティブカンパニー”という組織になり、人数も増えて今日に至ります。

仕事でやりがいを感じる瞬間は?

広告会社は自分たちのことよりも、まずクライアント、広告主企業の商品やサービスを世の中に知らしめて買ってもらったり使ってもらったりするのが仕事ですから、街中でその商品を使っている人を見かけるほど大ヒットしたり、クライアントさんに感謝されることが楽しくて仕方ないといった感じですね。その喜びを一度味わってしまうと、この仕事はやめられません。

それと同様に、お得意先のキャンペーンサイトを作って、サーバーがパンクするぐらい人が集まったと耳にした時も「やった!」と。もちろんパンクしてはいけないんですけど、人が集まり過ぎて大変なことになっている“黒山の人だかり状態”を見ることは快感です。そういう人が多いと思いますよ、広告業界には。

パイオニアとして歩んでこられましたが、景気が低下している昨今、広告会社の在り方、広告の在り方は変わりつつあります。未来像をどう描いていますか?

今は成熟社会だから、これまでのように単純ではないと思いますが、広告会社のミッションは「日本の生活者に元気になってもらう。ワクワクしてもらう」ことです。なぜなら、それが消費活動を促し、国内消費を活性化させますから、常にこれまで見たこともないような商品やサービス、コンテンツを作り続けることが我々のミッションだと考えています。

座右の銘は “楽観は意志”という言葉なのですが、意志をもって行動をすればきっと楽観的になるという気持ちを持って、色んな方と協力をしながら新しいことを次々に提案していくことが広告会社の使命だと思います。

三神1

バブル景気から現在まで現役として働いてこられて、今の日本にどんな思いを抱いていますか。

日本は問題山積みと言われていますが、これだけ課題があるってことは、それだけ未来を切り拓くビジネスがあるということなので“課題先進国”として、課題を解決していくビジネスを日本から生み出していく。そうすれば世界を相手にできるような無限のビジネスチャンスがある――と、ポジティブな発想を持って日本全体が臨めば、もっと日本は元気になるのではないでしょうか。

例えば未開の地で現地の人が誰も靴を履いていなかったとしたら、それを見て「市場がない」と絶望するのか、「無限の市場が広がっている」とポジティブに考えるのかは、その人次第だと思います。

では現在の筑波大の学生に対しては、どんな印象を持っていますか?

非常勤講師として、1年に1コマ担当しているマスコミ講座で接すると「今の学生は大人しいな」と感じることもありますが、筑波クリエイティブキャンプの審査員をやらせて頂くと、「世界に出たい」「起業したい」という意欲を持った学生もいるんだなと。私たちが通った創成期の頃となんら変わらない“勢い”を感じます。

しかも、ファッションセンスも私たちの頃とあまり変わっていない(笑)。筑波大に行くと、まるで時代がタイムスリップしたかのようなゆるさがあって、ホッとします。

あなたの“つくばウェイ”とは?

ルールや伝統を気にせず、フロンティア精神で「なんでもやってみよう!」と行動する力。特に体育も芸術もある、外国人もいるカオス的な総合大学だからこそ産み出せる力というものは、大きいと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

今はTXのおかげで東京との距離も近いですから、積極的に外の世界とつながりつつ、一方で筑波の環境の中で何にでも挑戦してみる。その両方を両立して欲しいです。

プロフィール
三神プロフィール
三神 正樹(みかみまさき)
1959年生まれ、神奈川県出身。神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校を卒業後、情報学類に進学。「情報社会」という言葉に惹かれ進学するが、在学中はジャズ研での活動に積極的に参加。 卒業後は、株式会社博報堂に入社。1996年には広告会社初のインターネット専任組織である『電脳体』の立ち上げに関わる。また世界最大級の広告フェスティバルであるカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルで2013年にはメディア部門、2016年にはイノベーション部門の審査員を務める。現在、株式会社博報堂常務執行役員、博報堂DYメディアパートナーズ常務執行役員。
基本情報
所属:株式会社博報堂/株式会社博報堂DYメディアパートナーズ
役職:常務執行役員
出生年:1959年
血液型:AB型
出身地:神奈川県
出身高校:神奈川県立茅ヶ崎北陵高校
筑波関連
研究室:データベース研究室(藤原譲教授)
部活動:ジャズ研
行きつけのお店:グルマン、珍来
プライベート
趣味:水泳
尊敬する人:スティーブ・ジョブス、イーロン・マスク
年間読書数:約30冊
心に残った映画:アポロ13、アパートの鍵貸します、フォレスト・ガンプ
好きなマンガ:めぞん一刻、子連れ狼
好きなスポーツ:水泳
訪れた国:約24か国
大切な習慣:早起き
座右の銘
  • 「楽観は意志」

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