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長嶋スライダー

体育専門学群からアフリカに渡り、医学部へ。国際保健の道を志す。

Professional
2020/01/27
インタビュー
  • 144
高知大学医学部医学科6年
長嶋友希
(体育専門学群 2004年入学)

バスケ少年の果てしない旅の始まりは、筑波大で多くの学生や留学生に触れ合ったことがきっかけ。多感な時期に得た出会いや経験が、彼をガーナへと向かわせた。そこでの原体験から、医学の道を志すように。現在は医学生でありながら世界中の病院に赴き、またアプリ開発をするなど、発想、行動共に日本にとどまらない活躍を見せている。そんな彼の目指すところは――。

ガーナで「将来、医者になる気がする」

筑波大を目指した経緯を教えて頂けますか。

小学3年から始めたバスケットボールを中学、高校でも続けて将来はプロのバスケ選手になりたいと思っていました。

筑波大の存在を知ったのは中学生の時。つくばカップという招待大会に出場したことがきっかけです。筑波大に体育専門学群があることを知り、自分の人生をバスケに賭けようとの思いで筑波大を目指すようになりました。

筑波大には推薦で?

一般入試で入りました。中学はそこそこ強かったですけど高校は地元の普通のところだったので。筑波大にいけばもっとバスケの実力を発揮できるはず!と意気込んでいましたね。

入学してみていかがでしたか。

自信がこっぱみじんになりましたよ。筑波大バスケ部には全国から精鋭たちが集まるので、練習初日で「なんだ、この人たちのレベルは!」と。1年も経たないうちにバスケ選手としては食べていけないだろうと分かりましたが、そう簡単には諦めきれず。大学4年間バスケに賭けましたが結局ダメでした。

でも、それは良い経験だったと思います。人生を賭けた目標に挫折することって滅多にない一大イベントなので。貴重ですよね。

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部活以外で印象に残っている出来事はありますか。

他種目の選手や他の学部の学生、留学生などと交流する中でどんどん視野が広がっていきましたね。そんなこともきっかけで、大学1年の時ニューヨークのハーレムにあるRucker Parkというストリートバスケの聖地に単身で乗り込みました。治安の悪い地区です。
当時、“AND1 Mixtape”というストリートバスケの勃興期でした。個性が強すぎてNBAに適応できなかった選手がAND1というストリートバスケの舞台に集まってきていて実力と人気がインフレしていた時期でした。当時のストリートバスケには大企業のスポンサーがついており、NBA選手より実力も知名度も年棒も高いプレイヤーがいたように思います。その世界に身を投じることで、バスケ観を覆すような衝撃を与えられたんです。

どんな衝撃だったのでしょう?

部活動からバスケを始めると、どうしてもバスケを“教育”の中の位置づけとして捉えてしまいます。そもそも学校体育の起源は富国強兵に資する頑強な国民を養成するためのもので、学校体育は未だにその影響を受けています。そのような学校体育のバスケに対して、ストリートバスケはアメリカの都市部のマイノリティーのコミュニティーの中で培ってきた“文化”なんですね。

この対比は、例えば体操とダンスの違いにも置き換えられるかもしれません。体操というのは(筑波大体操研究室のような例外もありますが)、健康や規律などの目的のために身体を律していくものです。それに対し、本来ダンスはそれ自体に価値が内在しており生活やコミュニティーと不可分に存在しています。

ダンスと同じようにバスケもストリートの中で身体的な“文化”として存在しうるんだということを肌で感じて、衝撃を受けました。

具体的に“文化”としてのバスケは体育的なバスケとどう違うのでしょう?

体育的なバスケも含め一般的な競技としてのバスケでは、相手チームよりも得点をとるという目的のために全ての選手のプレイが最適化されています。バスケに限らず多くの競技スポーツがそういうものですよね。それに対し、ストリートバスケでは得点による勝敗だけでなく、グルーヴが大きな意味を持ちます。グルーヴというのはリズムがもたらす高揚感を意味する音楽用語で、日本語でいうところの“ノリ”に近い意味です。
ストリートバスケではその場に流れるグルーヴが個々の選手のプレイに影響を与え、個々のプレイの集積が全体のグルーヴを創っていく。大音量のブラックミュージックと歓声の中で、MCがプレイヤーを煽動し場を盛り上げます。その中でプレイヤーが踊るようにドリブルをしてディフェンスを躱しシュートを決め、観客に自己主張したりします。ルールは厳格でなく、その代わりにその場のグルーヴが動的な秩序を創り出していきます。
バスケという枠組みの中での、即興的な音楽のセッションみたいなものです。ストリートバスケに限らず音楽やダンスなどリズムを通した身体的な文化が、アメリカの都市部のマイノリティーの中で醸成されています。

ニューヨークのハーレムで感じたあの高揚感と解放感こそ、スポーツの根源的な価値だと確信しましたね。

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その後、日本に帰国してどんな変化がありましたか。

3、4年になってチームを引っ張る立場になると、自分がストリートで魅了されたバスケではなく、いわゆる体育的な枠組みの中に収まってプレイしなければなりません。

そうしたらボールの手触りが違うと感じるようになって、重くて冷たいボーリングの球を触っているかのようで、ボールのコントロールがうまくできなくなりました。ストリート仕込みのボールハンドリングこそ僕の武器だったんですけど、それがどんどん失われていって平凡な選手になってしまいました。
体育的なバスケとストリートバスケに、両方から自分の体を引っ張られているような…、アイデンティティークライシスになりました(笑)

その後、大学院に進んだ理由とは?

ストリートバスケの影響もあって、アフリカンアメリカンの文化やダンス、音楽にも興味を持ち、筑波大学舞踊研究室に所属しフリースタイルバスケットボールやダンスなどをしていた時期もあります。その中でカウンターカルチャーとしてのスポーツに関心を持ち、大学院の人間総合化学研究科のスポーツ社会学を学びました。

2年次に大学院を辞めていますね。

そうですね。社会学を学ぶ中で社会を学問の対象として相対化することは自分の性に合っていたのですが、ある時から大学という安全地帯に身を置きながら色んな業界に物申すことに違和感を覚えました。

そして社会学を通して得られた評論家的視点からみると、就職活動をしても業界の悪いところばかりが見えてきました。次第に日本社会すら嫌になって、文明社会までも嫌になって。

今では笑い話ですが、当時は「文明的な生活を排除したい」という信念から、家を持たずに筑波大学の芝生に寝袋で寝ていた時期もあります。携帯やパソコン、テレビすら持っていませんでした。

色々悩んだ末、「自分の根っこになる価値観、哲学を得よう」と日本を脱出することにしました。日本から離れて、文明に毒されていない人間が人間らしい生活を送っているだろう地域で働こうと思い大学院を辞めました。そこで偶々見つけたのがガーナのオブアシという町にある医療系NGOでした。

若さゆえの極端な行動ですね(笑)。ガーナでの生活はいかがでしたか?

ガーナ人は、まさにグルーヴの中に生きているんですよ。街中には常に音楽があって、葬式でも学校でも病院でも教会でもサッカーでも、踊って歌いながら生活しています。その生き方が僕の性に合いましたね。医療系NGOの仕事も充実していました。

その一方で、ガーナ社会の腐敗も目の当たりにして。例えば、郵便物1つ受け取るにも何度も賄賂を払わなければいけないし、道端で警察にいちゃもんをつけられて「賄賂を払わないとこの道を通さない」と言われたり。
極めつけが、ある日、目の前で交通事故が起こったのですが、その悲惨な現場をガーナの警察官が見て見ぬふりをして素通りし、賄賂をもらうためにパトロールに出かけたのを目撃したことです。

長嶋3

現地に行かなければ分からない現実を目の当たりにした、と。

はい。そういった光景を見ていると、あれだけ馴染めなかった日本のルールや慣習は人々の生活を守るために先人達が積み重ねてきたものだったと理解しました。筑波大バスケ部の慣習にも合理性があったことにも気付きました。もちろん日本での生活は耐用年数を過ぎたルールや慣習に雁字搦めになっている面もありますが、どんなルールも始めは良かれと思って昔の人達が作ったんだろうなと。
 それと、ガーナのような社会で人の役に立つ仕事をするには、もっと僕自身に専門性のあるスキルが必要だと感じ始めて、1年ほどで帰国することにしました。

専門性のあるスキルとは?

人の生活の基盤に貢献できるスキルのことです。1000年前も1000年先もずっとあり続けるような普遍的なニーズに貢献できる仕事をしようと、ガーナにいて強く思いました。
農家か漁師か…、色々悩みましたけど、結局、自分の適性を考えて医学の道に進むことにしました。

なるほど。

それと、こんな偶然もあったんです。
黄熱病の研究をしていた野口英世はガーナのアクラという町で黄熱病にかかって亡くなりましたが、彼の研究室がアクラの病院の一角に当時のままひっそりと保存されています。
元旦に1人でそこを訪れて、誰もいない静かな部屋で数時間ほど呆けていたんですが、ふと「将来、医者になるかもな」という気がしてきました。

それは面白い偶然ですね。では、帰国後のことを教えて下さい。

医学部再受験の準備を始めました。
高校時代も理系ではないので、数学や理科はちんぷんかんでした。独学で小学校の算数からやり直しましたね。某国立大学の医学部に拘り続け3度失敗。最終的に高知大医学部に編入試験で拾って頂いて今に至ります。

海外の病院での経験や
医療アプリの開発を通して見えたもの

現在、医学部生6年生でありながら、様々な活躍されています。

日本の病院の中での医療は医者になればいくらでも経験できますから、それ以外の医療を広く学ぼうと努めました。
行政機関や医療系スタートアップでインターンシップをしたり、学会発表したり、アフリカや南米の病院でも実習をしてみました。また、被災地に医療支援に入ったり、へき地の離島の診療所で寝泊まりしてみたり。とにかくエクストリームな環境に飛び込んで自分の視野を広げることに努めました。

そういった活動の中でスタンフォード大学主催のヘルスケアハッカソンのことを知り、2年前に応募をして合格。

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ハッカソンとは?

ソフトウェア開発者が短期間の合宿を行い、最終日にモックを作ってプレゼン。場合によっては投資家から資金をもらえるといったアメリカのシリコンバレーで頻繁に行われているイベントです。ヘルスケアに特化したハッカソンがスタンフォード大学で行われました。

ソフトウェア開発者ではない長嶋さんが参加し、どんな収穫がありましたか。

ソフトウェア開発者はソリューションの部分は熟知しているけれど、どこに課題があるかが見えていません。逆に医療者側は医療の現場に身を置き、課題を抱えているけれども解決法が分からない。両者が持ちつ持たれつ協力することで、課題解決ができるようになるのではないかと。

昨今、各業界で革新的なサービスが立ち上がり、既存の業界構造を変えているにもかかわらず、医療は未だにマンパワー頼みで非効率な作業が多い現状です。テクノロジーの参入には時間がかかるだろうといわれていますが、「いずれ大きな変化が起こる領域だ」と感じました。

それでアプリ開発を?

はい。
昨年はそのハッカソンを日本支部の運営していたんですが、今年は自分のやりたいことをやろうと思い、今エンジニアを集めてアプリを作っているところです。

どんなサービスなのですか。

帰国してからあれこれ手を出してみましたが、今メインでやっている1つは症例レポート作成の際に検査データの入力支援するアプリです。医療の現場では検査データを片っ端から手打ち入力していたりするので、OCRを使ってテキスト化するサービスを作っています。
OCRに強いエンジニアを募集しているので、これを読んでくださっている方の中でもしピンとくる人がいたら“つくばウェイ”を通して僕に連絡ください。一緒にやりましょう。

なるほど。興味深いですね。

ただ将来的には、もっと抜本的なことをできればと思ってます。今やっていることは、そのとっかかりです。

といいますと?

既存の医療の枠組の中での業務の効率化はとても意義のあることだと思いますけど、ともすると既存の枠組をよりリジットにすることに加担してますよね。おそらく僕が医師として働く間には、この医療の枠組自体に大きな変化が起きるでしょうから、その時に変化を起こす側にいたいです。

今ヘルステックが大流行していますけど、その次の医療の世界はどうなるのかと思索しています。今の僕のレベルでは、この程度の抽象的な話しかできませんが。

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そのような展望の中で、筑波大での経験はどう活きるでしょうか?

“文化”としてスポーツをみてきた経験が効いてくるかもしれないと考えています。
生活習慣病に対する予防医療の重要性が増す中で、ハイリスクポピュレーションの行動変容が課題になっています。健康情報って健康意識の高い人にしか届かないものです。しかし疾患のリスクが高く行動変容が必要なのは、健康に興味がない層なんです。簡単にいえば、運動嫌いで暴飲暴食する頑固なおじさんの生活習慣を改善することが難しいんです。こういうおじさんに、医者が正しいこと言ってもなかなか難しいですよね。

 これって今の体育のあり方と似ています。つまり教師が一方的にあれこれいっても、スポーツを好きになれるのは運動神経が良くて素直な生徒に限られます。この枠組みでは、スポーツが広く普く民主化されないんですよ。病院でも学校でも、医者や教師が辛いことを要求してくるじゃないですか。

 翻ってガーナ人をみると、生活の中にダンスがあるんです。彼らは決して「痩せるために踊ろう、認知症予防のために踊ろう」とか「ダンスの練習頑張ろう」とか思ってないんですよね。ダンスがそのまま彼らの生活なんです。上手いも下手もありません。心身が昂ぶったら踊る、ただそれだけです。こういう身体文化は日本をはじめ多くの地域で失われてしまって、それを補完する形で健康教育や学校体育が生まれたんだと思います。ただ医療や教育の介入がなくても、人間は体を動かしたい、健康になりたいといった原始的な欲求があるはずです。そういう原始的な欲求に基づく身体文化とその感性を、今の社会の実情に合わせてどう再構築するか。そこに今後の予防医療のヒントあるのだろうと考えています。

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非常に面白いですね。ところで、医学生と平行して、色々な活動するのは大変では?

時間を有効に使うために、医学書のデータを全てiPadに詰め込んで移動時間を勉強に充てています。未だに高知―東京間を夜行バスで片道13時間かけて移動していて、乗客が寝静まった深夜にカーテンをかぶってiPadで勉強してますね。ちなみに今も家ありません。

それとアメリカの医師国家試験も勉強していて、在学中に受けます。その勉強をしつつアプリの開発、そして研修病院のマッチングもしているので、充実感があります。

今後のビジョンを教えて下さい。

最終的には、途上国の人の役に立ちたいです。医療が足りない地域に医療を提供するために、臨床医としていくのか、行政として介入するのか、もしかしたらビジネスかもしれないですが、何らかの戦力になれるように、スキルを必死に集めているのが今現在で。

これから色んな経験をしつつ、臨床だけでは解決できないような途上国の問題を色んな観点から解決していきたいと思っています。

大切にしている価値観、こだわりは?

自分の1つ1つの意思決定が、誰に対してどういう価値をもたらすかを問い続けること。他人が無理だと言ったことを一度疑ってみること。そして、いつもワクワクできるような環境に飛び込むことですね。

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それは筑波大時代から一貫していますね。

総合大学で他学部の人や留学生と触れ合えたのは、本当に大きな経験だったと思います。誰でも年齢を重ねるにつれリスクを取るのが困難になりますよね。そうすると若い頃の経験の広さが、その人の取れるリスクや動ける幅を決めるんだと思います。

筑波大時代に人生で最も多様な仲間と触れ合う機会を得て、自分の価値観が広がり削り出されていったことが、今につながっています。

意識的に色んな人と接点を持つようにしたのですか。

そうですね。
すれ違った筑波大生全員に声をかけるぐらいでしたよ。学食で面識のない教授に挨拶して相席したり。つくばエクスプレスで隣の席の見知らぬ人と世間話していました。大学院では大教室の講義で元気に挙手して、教壇の先生の話に割って入り議論をふっかけていましたね。

一見、変わっている人のような(笑)。

そうかもしれません。
でもその甲斐あって、色んな人と交流がありました。ほとんどの留学生と面識がありましたし、今でも世界中に繋がりがあります。早い時期に多様な価値観を受け入れられる土壌を作っておけば、何年経っても多様性に関して寛容でいられる。第二宇宙速度に到達してしがらみの重力から脱出しておけば、一生新しいものにワクワクしながら色んな世界を飛び回っていられると思います。人生100年時代とかいいますし、こういう生き方もあってもいいんじゃないでしょうか。

あなたの“つくばウェイ”とは?

死なない程度にリスクを負い続けること。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

いつもの仲間といつもの話をしているのはもったいない。筑波大ほど、多様な才能が一か所に集まる総合大学はありませんから。出来るだけ色んな先生、色んな学生とぶつかりあって、自分の価値観を広げて形作ってください。

プロフィール
長嶋プロフィール
長嶋友希(ながしまともき)
1985年千葉県出身。小学校より始めたバスケットボールで選手を目指し、筑波大学体育専門学群に入学。卒業後、筑波大学大学院に進学するも中退。その後アフリカへ渡りNGOに勤務する。帰国後、高知大学医学部に編入学。医学部在学中にはアプリ開発、ハッカソン運営など幅広く活動してきた。今春より研修医として千葉県で勤務予定。
基本情報
所属:高知大学医学部医学科6年
出生年:1985年
血液型:O型
出身地:千葉県
出身高校:佐原高校
出身大学:筑波大学体育専門学群
出身大学院:筑波大学人間総合科学研究科
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:体操研究室、舞踊研究室、スポーツ社会学研究室
部活動:バスケットボール部
住んでいた場所:平砂宿舎、追越宿舎、一の矢宿舎
行きつけのお店:餃子やまっちゃん
プライベート
ニックネーム:Mr.
趣味:
特技:バスケットボールフリースタイル
尊敬する人:中村哲(医師)
年間読書数:約30冊
心に残った本:医者井戸を掘るーアフガン旱魃との闘い
心に残った映画:十二人の怒れる男
好きなマンガ:スラムダンク、ブラックジャック
好きなスポーツ:バスケットボール、ストリートダンス
好きな食べ物:和食
嫌いな食べ物:グリーンピース
訪れた国:20カ国
大切な習慣:朝走る
口癖は?:最高すね!

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