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ネパールで出会った子供に衝撃を受け、僕の進むべき道が決まった

Professional
2022/04/10
インタビュー
  • 169
ATLIKE株式会社/ GY Consultancy Group Inc (フィリピン側) 専務取締役
飯田 祥史
(筑波大学 第二学群 生物資源学類)

大学時代に参加した講演会がきっかけで「起業しよう」と心を決め、現在、日本とフィリピンでITビジネスを展開。もともとは、公務員か、大企業に永久就職を考えていたごく普通の青年が起業家となり、ある目標に向かってまい進する、その背景には数々の印象的な出会いがあったようだ。

 グッドウィル折口さんの講演を聞いて「起業しよう!」と決意

現在のお仕事について教えて下さい。

日本とフィリピンで会社を経営しています。フィリピンでは通信会社をやっていて、以前、日本でBフレッツ光などがありましたが、そういった光ファイバーを企業向けに提供しています。

もう1つは、日本のサイボウズ社の総販売代理店をフィリピンでやっていて、サイボウズ社の商材を宣伝すること、そして、フィリピンの日系企業や現地企業には我々経由で商材を入れて頂き、その導入支援や導入後のアフターサービスをしています。

日本でのお仕事は?

メインになっているのはIT人材の派遣です。自社社員、フリーランスなどITに強い人材を抱え、プログラミングができる人や、システムの全体設計ができる人を大きなシステム開発のプロジェクトに派遣し、100人、200人いる社員の方の進捗管理をしてもらう。そういった事業をしています。

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なぜITに進んだのでしょうか。大学での専攻は?

筑波大の生物資源学類卒業。筑波大大学院では環境科学専攻でしたからITとは無縁でしたが、21歳の時、「30歳までに起業しよう」と思い立ち、それからITでの起業を視野に入れるようになりました。

なぜ起業しようと?

大学3年次、友人に誘われて経済産業省主催のDream Gateというイベントに参加したことがきっかけです。

そのイベントではサイバーエージェントの藤田さんやライブドアの堀江さんなど、テレビで見かける起業家が講演をしていたのですが、僕が心を打たれたのは、グッドウィルの折口さんの講演でした。

「サラリーマンには限界があるが、起業家には限界がない。日本では、起業して借金しても破産申告すればゼロに戻せるんだ」とおっしゃっていて。「僕もチャレンジしよう!」と思わされたんです。

1つの出会いがきっかけになったのですね。

ただ、大学卒業後に起業できるほどの才能は無かったので、大学院、そして大手企業で力を蓄えてから起業することにしました。

起業する際、特に参考になったのは堀江(貴文)さん監修の「拝金(徳間文庫出版/堀江貴文著)」「成金(徳間文庫出版/堀江貴文著)」という漫画です。ビジネスを始める上で最低限知っておいたほうが良いこと、例えば「利益率の高さ」、「継続性」、「マーケットがあること」、「初期費用を抑える」といったことが描かれていたので、起業に興味のある人はぜひ読んで欲しいですね。

起業したいと思っている学生は、一度就職をした方がいいのか、それともすぐに起業した方がいいのか。アドバイスを頂けますか?

圧倒的な自分の強みがあるんだったら就職しなくてもいいと思いますが、世の中の割と大部分の人は普通の才能だと思うんですね。なので一度就職してみて、日本の商習慣を学んだ方がいいのではないでしょうか。

なぜなら皆さんが起業した後、お客様になる人の商習慣を知っていることは、とても重要だからです。

飯田さんの就職活動は順調でしたか?

アクセンチュアとIBMのコンサル部門、リクルートと三井住友銀行から内定を頂き、「30歳で起業するにはどこがいいか」という視点で、アクセンチュアを選びました。

まず給料が高かったこと、それとブランド力があるので、元アクセンチュアだというだけでお客様から信頼が得られること。そして何より卒業生ネットワークが大きく、起業した際の助けになるだろうと思いました。

そういった情報は学生時代に得られるものですか?

色んな会社にOB訪問して、たくさん情報収集しましたね。院の時につくばエクスプレスができて都内に出やすくなりましたし、早稲田や慶応の就活サークルに入れてもらったりしました。

アクセンチュアでは、どんなお仕事をされていたのですか。

3年間の在籍中、最初の1年半は大手企業にアクセンチュアのチームの一員として常駐し、システム導入を支援していました。SAPという大きなシステムをどうお客様のところに導入するのか、朝から翌朝まで皆で議論したことは良い思い出です。

辞めるまでの1年半は業務寄りで、お客様の業務改善を促すなどしていました。

会社員時代の経験で、起業後に役立ったことは?

パワーポイントのスキルですね(笑)。それと、大企業とやりとりすることが多かったので、起業後、どんなに偉い人と対峙しても緊張することがない、ということでしょうか。

先ほど卒業生ネットワークのお話をされていましたが、当時の人脈は今につながっていますか?

まさに今、フル活用しています。同期や先輩でアクセンチュアに残っている人もいますし、他の事業会社に転職した人からお仕事を頂くこともあります。

今39歳ですが、僕ぐらいの年齢の人はどこの事業部でもポジションが上がっている人が多いので、今のところ仕事に困ることはありません。

そのぶん今がピークだと思って、次の世代、45歳、50歳になった時に生き残れるよう、頑張らなければと気を引き締めています。

行動を起こす前に、必ずワーストケースを考えておく

ではフィリピンでの事業についてですが、フィリピンとのつながりはどのように始まったのでしょう?

大学時代、春休み、夏休みにはアジアにバックパッカーの旅に出かけていました。タイ、マレーシア、シンガポールに始まり、インド、ネパールなど。

フィリピンには、大学時代と院生の時にマングローブの研究として一か月ずつ滞在し、その際に現地の方に本当によくしてもらったので、いつかフィリピンに恩返しがしたいと。そう思っていたところ、フィリピン人のビジネスパートナ―に出会えたことで一緒にビジネスを始めることになりました。

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なぜバックパッカー旅をしようと?

高校は進学校、かつサッカーに真剣に取り組んでいたので、平日も週末も自由な時間がない、そんな高校時代でした。だから、いざ大学生になって自由な時間ができると、何をすればいいのか分からなくて。

そんな時、友人がバックパック1つでタイを旅したと聞いて面白そうだなと。沢木耕太郎の『深夜特急』という本にも影響を受けました。

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その他、印象に残っている出会いは?

人を笑わせて、場をほっこりさせてくれる友人の存在ですね。例えば、全裸で自転車に乗ったり、卒業式の日に『おぼっちゃまくん』に出てくる、びんぼっちゃまの服を着てきたり(笑)。イタズラ心がすごいんです。

彼の影響を受けて、僕もビジネスシーンでクスっと笑えるような話をするようになり、張り詰めた空気感でのちょっとした笑いが、お互いの距離を一瞬で縮めてくれることを実感しています。

あいつの顔を思い浮かべると自然と笑みがこぼれるぐらい、いまだに影響力がある存在です。僕の感性を変えた人ですね。

学生時代の全ての出会い、そして行動が今につながっていますね。

 サントリー社長の佐治さんがいうところの「やってみなはれ」ですよね。やらずに後悔するより、やって後悔しようと。そんな気持ちで行動しています。

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何かしたいけれど、一歩が踏み出せない人は多いですから。

行動を起こす前に必ず考えるのは、ワーストケースです。「最悪のケースはこうなる」「最悪がこれぐらいだったら、じゃあやってみよう」と、一歩を踏み出す。

一歩を踏み出せない人にアドバイスするとしたら「ワーストケースを考えてみて、それぐらいだったらやっても良いんじゃない? 失敗しても良いんじゃない? 失うものはそれだけでしょ」と言いたいですね。

事前にネガティブ要素を視覚化しておけば、大体のことには挑戦できるのではないでしょうか。

では最後に、今後成し遂げたいことや目標を教えて下さい。

バックパックで旅していた時、ネパールの子供がドラッグをしている姿に衝撃を受け、発展途上国、先進国にかかわらず、「全世界の子供たちの生活水準や最低限の教育は保証されるべきだ」と、考えるようになりました。

今、必死に働いている意味はそこにあって、45歳位になった時に、そういった子供たちや国を支援するNPOまたはNGO団体をサポートしたいんです。

そのための準備として色んな企業とのコネクションを作り、国際協力に興味のある若い世代や色んなNPO、NGO団体ともコンタクトを取るなどしています。

それほど明確な目標を持ち、そこに突き進むとはよほどの衝撃だったのですね。

大きな衝撃でした。「お金をちょうだい。ドラッグがほしい」と言ってきた子供たちに、なぜドラッグが欲しいのかを聞いたら、「だって明日生きていられるか分からないでしょ。将来なんて考えられないから、今、楽になれればいいんだ」と。

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それは確かに衝撃的ですね。

……何か、これはおかしいんじゃないかと。それがきっかけでNGOやJICA、農林水産省でインターンをしてみて、僕の中で出た結論は「僕に社会的権力がないと、この状況を変えることはできない」ということでした。

例えば大学を卒業してNGOの職員になったとしても、たかが一労働者なので、社会の仕組みを変えることはできません。それなら僕が社会で影響力のある人間になって、僕が考える国際協力を、僕の力で、僕が先導してやっていきたいと。

そこまでの使命感を持っていらっしゃる。

はい。それにはまずお金が必要ですし、知識や人脈も必要です。それでITの世界へ飛び込んだ経緯があります。

飯田さんが考える国際協力の形とは?

ただの慈善事業で終わるのではなく、ちゃんと現地の人々が自立して働けるような仕組みを作ること。援助ありきの活動にはいつか終わりが来てしまうので、我々がお金と労力を投じた後、持続可能な活動にしていくことです。

そのためにNPOやNGOの団体に出資したり、マネージメントをしたり、企業を連れてくるなど僕ができる限りのサポートをして、そういった団体ですらビジネスで回していきたい。そんな風に考えています。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

仲間との時間を絶対的に大事にすること、かな。
仲間が困っていたら何が何でも助けるし、親身になって寄り添う。仲間と遊ぶ時は全力で遊ぶし勉強も全力でする。学士論文の中間発表とスポデーが重なった際には、朝からスポデーに出場して、隙間時間で論文作成をし、またスポデーに出場、なんてこともありました。

現在も日本とフィリピンで、“仕事は遊び、遊びは仕事”という考えで大事な仲間と一緒に楽しく仕事をしております。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

入学して絶対に後悔しない大学だと思います。学業をやりたければやれる環境も仲間もいるし、遊びたければ全力で遊べる仲間がいる。あの環境で仲間と切磋琢磨することが、人生において有意義な時間になると僕は思います。

飯田 祥史さんが所属する
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プロフィール
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飯田 祥史(いいだ よしふみ)
筑波大学生物資源学類卒業、筑波大学大学院環境科学専攻修了。大学院、大手企業にて経験を積み、起業への階段を駆け上った。大学時代に、アジアをバックパックで旅した際に直面した、世界における教育の実情に衝撃を受け、持続可能な国際協力に尽力することを決意。ワーストケースを事前に視覚化することで、挑戦への弾みをつけ、様々な企業とのコネクション作り、国際協力に興味のある若い世代やNPO・NGO団体とのコンタクトに努めている。今後も、持続可能な発展を志として掲げ、「日系企業のグローバル化の支援」「若手起業家の育成」「ATLIKEにかかわる全ての人を幸せにすること」を目指し、日々挑戦していく。
基本情報
所属:ATLIKE株式会社/ GY Consultancy Group Inc (フィリピン側)
役職:専務取締役
出生年:1982年
血液型:A型
出身地:東京都町田市
出身高校:東京都立町田高校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学院
所属団体、肩書き等
  • ATLIKE株式会社/ GY Consultancy Group Inc (フィリピン側) 専務取締役
筑波関連
学部:筑波大学 第二学群 生物資源学類
研究室:増田美砂研究室
部活動:なし
住んでいた場所:春日4丁目
行きつけのお店:うめちゃん
プライベート
ニックネーム:ヨシ
趣味:サッカー、旅行、ホテルの上級会員、航空会社の上級会員
特技:人の名前と出身を覚えること
尊敬する人:大前研一
年間読書数:20冊ぐらい
心に残った本:なし
心に残った映画:マイインターン
好きなマンガ:島耕作
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:麻婆豆腐、ほうとう
嫌いな食べ物:なし
訪れた国:30か国以上
大切な習慣:嫌なことがあってもお酒を飲んで寝たら、気持ちを切り替えること
口癖は?:なし
座右の銘
  • なし

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