高校サッカーではインターハイ優勝、成績優秀選手に選ばれるほどの実力を誇ったが、筑波大進学後にプロの厳しさを実感。その挫折が糧となり、野村證券時代は上位15名に入るほどの業績を上げた。独立後は約60名の社員を抱える企業をけん引し、IFAという新しい金融のあり方を世間に広める、立役者の1人として活躍している。
株式会社Innovation IFA Consultingという会社を2019年に創業し、代表取締役を務めています。IFAという言葉はまだ世間に馴染みがないと思いますが、インディペンデント・ファイナンシャル・アドバイザーのそれぞれの頭文字を取った言葉で、「独立系ファイナンシャル・アドバイザー」という意味です。
特定の金融機関に属することなく、お客様の資産運用のお手伝いやアドバイスをしていて、現在約60名が会社に在籍しています。
半分が社員で半分がフルコミッションの業務委託契約です。業務委託の方の中には副業でIFAをされている方もゼロではないですが、多くの方がIFAを本業にしています。
そうですね。どちらにするのかは本人の希望によるもので、例えば業務委託の方はやったらやっただけお金が入る。見返りが大きいのでそれを選択する人もいますし、正社員もインセンティブがある一方で、家族がいるのでリスクは負いたくないであるとか、会社の成長に社員として関わりたいという人もいます。
はい。最初は野村證券時代のお客様に来て頂きましたが、それだけで食べていけるわけはなく色々あがきました。人と会って人脈を広げたり、富裕層のお客様を知っている人にアプローチして紹介してもらうなど。とにかく、どぶ板営業です、最初は。
野村證券を辞めるきっかけは、野村時代の同期が先輩と起業するというので「一緒にやらないか」と誘われたからです。その時、僕はイチ営業マンとして参加しましたから、社長がやりたい方向に僕らが乗っかるのが前提としてあって。
せっかくベンチャー企業で自分の好きなことをやろうと思っていたのに、また誰かの下で働くというのはどうなんだろう?と。それだったら言い訳ができない状況を作る、自分で会社を作るのが正解だと思い、会社を立ち上げました。
会社を立ち上げたことは正解だったと思います。今の立場になって初めて、そのベンチャー企業の社長が考えていたことが分かるようになり、「当時の自分は小さい人間だったな」と、そういうことに気付けたことも含めて全てが良い経験です。
海外修練制度といって、新入社員から3年目の終わりまでの成績上位15名が利用できる制度がありまして。同期600人がいる中、僕は15名に入ることができたので、社会人4年目の時に中国の北京に1年間留学させてもらいました。
現地では仕事をせず大学に通い、午後はフリー。中国語の勉強はしましたけど、それを仕事に活かすというよりは、色んな経験をしてこいよという会社からのご褒美みたいなものですね。
費用は全て会社がサポートしてくれたので贅沢な1年だったと思います。
ストレスを感じやすい人であれば、ノルマがあることに対してストレスを感じてしまう環境ではあるかもしれません。ただ僕は比較的ストレス耐性がありまして(笑)、あまりストレスを感じなかったですね。
お酒があまり強くないので、お酒を一気する時はバレないようにスーツにこぼして飲んだ振りをしたりとか(笑)。そういうことでの苦労はありました。
負けず嫌いかどうか、そこだけだと思います。確かに成績は良かったですけど、常に僕より成績が上の人がいて「そこに負けてたまるか!」と次の行動に移すようなタイプでしたから。
できる人の真似をする、そして自分なりにアレンジすることです。そのために同期や先輩、時に後輩など優秀な成績を修めている人に話を聞いたり、よく観察することを心がけていました。
新人時代、営業の質を上げるには限界があるので「数で勝負だ」と。そうなった時に、業務時間内だけで飛び込み営業するのではなく、営業にいく前日の夜9時から深夜12時~1時ぐらいの時間を使って、自己紹介などを書いたチラシをポストに入れておくんです。
そうすれば、営業当日にポスティングをする数十秒ずつが削減できますし、かつ次の日までにチラシを見てくれる可能性があるんですね。そうやって時間外に働くことを意識してやっていました。
そうですね。シンプルに。
両親の指導、教えでしょうね。母がよく「2位とビリは同じだ」と言っていました。要は1位しか意味がないと、その影響を受けていると思います。
母だけでなく、両親ともに負けず嫌いで。父は筑波大陸上部出身、今も高校で陸上部の先生をやっています。父が持っている負けず嫌いの精神を僕が引き継ぎ、そんな父と一緒になっている母なので、母も負けず嫌いなのではないかと。
ギブアンドテイクですね。世の中は、まず自分がギブしないとテイクが返ってこないし、ギブしてもテイクが返ってこないかもしれないという前提で、その相手の役に立つような何かを、自分の本業以外も含め、まずはギブしてみる。それをもって僕を評価してくれたら本業につながりますし、何の反応もない人とはそもそもお付き合いをしません。
とりあえずギブをすることで、相手を見極めるようにしています。
一言で言うと“後悔”ですね。それがあるから今があると言っても過言ではないです。7歳の頃からサッカーを始めて、高校はサッカー強豪校、流通経済大学付属柏高等学校に進みました。3年次にインターハイ優勝、僕自身は全国優秀選手に選ばれ、鳴り物入りで筑波大蹴球部に入りましたが、どこかで天狗になっていたんでしょうね。
蹴球部には僕よりうまい人がたくさんいて、当時の監督、風間(八宏)さんが求めているレベルについていけないことを環境のせいにしてしまい、腐ってしまいました。
高校時代はただフィジカルが強い、力技のプレーで成立していましたが、風間さんが求めるのはフィジカルは大前提として、止めて蹴るという技術の部分が大きくて。それがうまくできないことを環境のせいにし、親元を離れ自由になったこともあって遊びに走ってしまいました。
たらればですけど、もっとサッカーに真摯に向き合っていたらサッカーでの違う人生があったんじゃないかと。そういう後悔だけが残っています。
風間さんは良い指導者ですが、とにかく厳しい。そういう指導を乗り越えられないのであれば、プロにいっても結局活躍できない可能性があるので、学生が中途半端にプロの道に進まないよう精査してくれていた、という意味合いもあったように思います。
あの時にプロの厳しさを実感し、挫折したからこそ今は「金融のプロになってやる!」と前向きに思えていますし、プロフェッショナルになるために必要なものを学ばせてもらったと思います。
蹴球部の活動を休むことなく就活するという大前提があったので、積極的に就活していたわけではなかったのですが、野村證券のリクルーターが筑波大で説明会を開くということで、時間が空いていたので参加してみたんです。すると、その人のオーラがすごくて。めちゃくちゃカッコ良かったんです。
当時、それほどたくさんではないにせよJリーガーと試合することもあり、Jリーガーのかっこいい姿も見ていましたが、それを超えるカッコ良さがあって野村證券を志望するようになりました。
金融業界に惹かれた理由もあるんです。サッカーは陸上や水泳とは違って、数字だけで良い選手かどうかが測れるスポーツではないですよね。フィジカルを求めているチームもあれば、違うものを求めているチームもあり、監督の主観で求められているものが変わります。
でも野村證券では「数字が人格」と言われるぐらい数字で人を評価してくれるので、サッカーにはない、ある意味平等な世界だと感じました。サッカーで苦い経験をしたぶん、数字で僕を評価してくれる世界にいきたいと、それが野村を志望した動機ですね。
いえ、野村證券とは少し違います。数字で評価する世界である程度評価をもらったので、次は世の中にもっとインパクトとか良い影響を与えたいという思考に変わり、それが僕にとってはIFAでした。
人によるとは思いますが、僕は大きな会社に入って大きな会社ならではの良い点と悪い点を知って今に至ります。新卒でしか入れない企業もあったりするので、一度企業に勤めてから独立してもいいのではないでしょうか。
野村證券に関して言えば、良い点は給料が良いことであるとか、会社の体制や仕組みや福利厚生がちゃんと整っている点。これが一番だと思います。
スピード感が遅いことや、コンプライアンス的なリスクも含めて、なんでもかんでも手を出せないので、ベンチャーならできるけれど大企業ではできないということがある。それがデメリットですね。
「今決断し、今行動し、今結果を出す」。これは自分自身に向かってよく言う言葉です。
IFAという業界はマーケットがまだまだ小さいですが、その中でもうちは特に成長していると思う一方でライバルもたくさんいるので、「今、やるしかない、今、成長するしかない」、そんな気持ちがこの座右の銘につながっています。
金融というと、銀行、証券、保険が大きな3大金融機関ですが、IFAを第4の金融機関として日本に定着させたいというのが僕であり会社のミッションです。IFAが日本に定着した時のリーディングカンパニーが僕らでありたい、それが今目指しているものです。
日本は他の国に比べて金融が遅れているといわれていて、運用するにしても一部のお金持ちが証券会社と付き合っているのが現状です。IFAを通して金融の良さをきちんと広めて、富裕層ではない人にも運用に興味を持って頂ければと思っています。
最近はサッカー選手の運用のお手伝いもさせていただいているので、そういう形でサッカー界に貢献できることは嬉しいですね。
真面目であり勤勉。東京都内の大学に進学せず、筑波大にわざわざ来る人はそういう人が多いと思います。その根底には「大学で学びたい」「成長したい」という思いがあるからではないでしょうか。その思いを大事にしながら真面目に勤勉に励めば、色んなことが学べる環境だと思います。
僕は遊びに走ってしまいましたが(笑)、大学での遊びは社会人になってからいくらでもできるので、それは我慢して、皆さんには筑波大らしい真面目さと勤勉さを貫いて欲しいです。
所属: | 株式会社Innovation IFA Consulting |
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役職: | 代表取締役 |
出生年: | 1990年9月9日 |
血液型: | AB |
出身地: | 茨城県つくば市 |
出身高校: | 流通経済大学付属柏高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | サッカー |
部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 実家 |
行きつけのお店: | まんぷくや |
ニックネーム: | ばばちゃん、BB |
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趣味: | ドライブ、サッカー、フットサル |
特技: | サッカー |
尊敬する人: | 株式会社イノベーション 富田社長 |
年間読書数: | 12 |
心に残った本: | ビジョナリー・カンパニーZERO |
心に残った映画: | ウルフ・オブ・ウォールストリート |
好きなマンガ: | ワンピース |
好きなスポーツ: | サッカー、フットサル |
好きな食べ物: | 石焼ビビンバ |
嫌いな食べ物: | アボガド、ゴーヤ |
訪れた国: | 10カ国 |
大切な習慣: | 毎日相場を見る |
口癖は?: | ウケる |
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