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日本を代表して、世の中を良くするために働く

Professional
2020/02/24
インタビュー
  • 146
在キルギス日本国大使館 専門調査員
齋藤 竜太
(比較文化学類 2005年入学)

幼少時代から、世界地図を眺めることが好きだった。まだ見ぬ世界に思いを馳せ、いつか世のため人のため、特に発展途上国で働きたいと思い描いていた。筑波大には2005年、比較文化学類に入学時から、博士課程修了まで約13年在籍。筑波大に身を置いたからこそ培われたもの、そして今に発揮されているものとは一体何だろう。

医者の夢を諦め、“魂の叫び”に従った

現在、中央アジアの在キルギス日本国大使館に勤務されています。ここに至った経緯を教えて頂けますか。

幼少時代に話は遡りますが、小学6年の時、NHKの『課外授業 ようこそ先輩』という番組を観て、ある国境なき医師団の女性医師に影響を受けました。「将来、僕も医者になって国境なき医師団に入りたい」「発展途上国や紛争地帯で働きたい」。そう思ったのが、世界に目を向けるようになったきっかけです。

もう1つ大きな出来事としては、中学3年の時、9.11同時多発テロが起こり、日本はもちろん世界中が「イスラムは怖い」という雰囲気でした。でも読書家の父は、こう言うんです。「長い歴史の中で見れば、ヨーロッパやアメリカが中心なのはほんの最近。アジアやアラブなどの地域が世界の最先端だった時代も長い期間あったんだ」と。

その頃から「イスラムの人たちはどんな人たちだろう」と、その地域や人に興味を持ち始めました。

なるほど。

一方で、幼少時代から歴史や地理が大好きで、小学校の教材の地図帳は読み込みすぎて真っ二つに裂けたほど(笑)。この大陸を東から西にどんな民族が国境を越えて行きかったのだろうかと妄想するのが好きな少年でした。

どちらの道に進みたい気持ちが強かったですか?

歴史や地理好きはただの趣味趣向だと思っていたので、高校では医者の道を目指して理系クラスに進みました。でもずっと歴史や地理のテストの点数が文系クラスの人たちより上で、でも数学や化学、物理はそうでもなく。医者にはなれないのかなと、高校3年の夏休みに落ち込んで。

その時、“魂の叫び”といっては大袈裟ですけど、自分に素直に向き合って「やっぱり歴史や地理,国際関係を極めよう」と。将来、発展途上国で働けるようになったら、その学びが国際協力や開発などで生かされるのではと思ったんです。

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それが、筑波大の比較文化学類に進んだ理由でしょうか。

はい。兄も筑波大の芸術専門学群だったことと、国際総合学類(当時は国際関係学類)で助教授をされていた秋野豊先生の存在を知ったことも大きいです。秋野先生は旧ソ連やユーラシア地域、地域紛争などの研究をしながら、紛争地域を含めた現地に何度も足を運ぶなど、かなりワイルドな研究をされていた方で、筑波大退職後、国連平和維持活動に参加されていたタジキスタンで武装集団に襲撃され、1998年に殉職されました。

2005年入学の僕が直接秋野先生から学べるチャンスはありませんでしたが、先生のイズムを感じながら学びたいとの気持ちから前期で国際総合を受けましたが、うまくいかず後期で比文に。海外の文化や言語、歴史や宗教を学ぶことも重要だと気持ちを切り替えました。

筑波大だからこそ得られたものとは?

学問に関する見識を深められたのはもちろんですが、一番はフットワークが身についたことですね。筑波大は垣根なく他の学類の授業が受けられますし、宿舎文化ですから学類を超えた友達ができます。特に大浴場は裸の付き合いができる、密な空間でしたね。最近、無くなったらしいので、残念ですけど。

部活動は?

高校でバレー部だったので、トップレベルの筑波大バレー部の練習を見て感動して、「勉強と部活と文武両道で頑張るぞ」と最初は意気込んでいたのですが、僕がいたのはしょせん進学校のバレー部。トップレベルの筑波大では通用しなくて、2週間で辞めてしまいました。

部活以外の活動は?

いつか発展途上国で仕事をするなら、特派員記者という道もあるのかもしれないと思って大学新聞に在籍しました。学内のスポーツや研究を取材して、記事を書いて。つくばウェイに登場するスポーツ選手も何人か取材しました(笑)。元新聞記者の先生が顧問だったので、本物の新聞の作り方に沿った編集をしていたことも、大きな学びになりました。

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博士課程まで進まれていますね。

中央アジア地域の研究をして、2018年3月に博士号を取得しました。大学4年次、アラビア語のサマースクールに参加するためにチュニジアに行き、人生で初めて海外に触れたことで、もう少し勉強したいという気持ちが芽生えたので大学院に進み、研究職の可能性も探りながら、結局、博士号を取得するまで在籍しました。

ウズベキスタンの砂漠地帯で地獄を味わった

ウズベキスタンの砂漠地帯で地獄を味わった

イスラムについて卒論を書こうと思っていたのですが、僕が3年次にイスラム神学の担当の先生が退官され、その先生が、中央アジアのウズベキスタン出身の先生を紹介してくれたことがきっかけです。

そういったご縁があり、修士の時にウズベキスタンに1年、博士の時に2年間滞在しました。

ウズベキスタンはどんな国ですか。

イランやアフガニスタンといった中東と、ロシアに挟まれた地域なので色んな文化が入り混ざっています。歴史的に、中国やモンゴルのような雰囲気もあります。人種も言葉も同じく多様です。

留学中、印象に残った出来事は?

砂漠地帯で体調を悪くして倒れてしまって、砂漠地帯のど真ん中の病院に3日間入院したことですね。真夏で、蛇口を引っ張っても水が一滴も出ない……。あれは地獄でした(笑)。

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それは大変な思いをしましたね。滞在中は、どんなことをしていたのですか。

一番の目的は現地語を勉強すること、そして現地調査を行うことです。主に中央アジアの水資源問題が研究テーマでしたが、砂漠地帯ということと、アラル海という大きな湖の環境問題がクローズアップされていたので、それに対してどういう政策がとられているのか、中央アジア地域内の国同士でどういう水配分なのかといった研究関心のもと研究していました。

どういった経緯で今の仕事に?

博士課程最後の年に、ウズベキスタン留学中に知り合った国連の日本人職員の方に受けてみないかと紹介され、今の僕のポジション、在キルギス日本大使館の専門調査員になりました。

2年間の任期で終身雇用ではないのですが、政治・経済の情報収集や分析に加えて、開発協力の仕事も担当しています。以前から実務的な立場から開発援助に関わりたいと思っていたので、経験を積み視野を広げる大きなチャンスだと捉えています。

具体的にはどんなお仕事を?

政治・経済の情勢分析としては、現地のロシア語の新聞やメディアから情報を集め、それを日本語に訳し,必要に応じて関係者からも話を聞くなどして,日本に報告すること。

もう1つの先ほどお話した開発援助の仕事ですが、国連が実施するプロジェクトに対して、日本政府がお金を出せるか、日本政府の援助方針に沿っているか等を踏まえつつ,プロジェクトのプロポーザルを精査し東京の外務省に推薦する。そのような中継地点の役割です。

国連のプロジェクトとは?

キルギスは中央アジアの中では民主化を強く推進している国であることから,民主的な政治ができるよう投票制度を整備したり、また,山岳国で災害が多いことから、災害をモニタリングできる体制を作ったり。災害に巻き込まれた際、学校の子供たちがすぐに避難できるよう日本の避難訓練のシステムを取り入れようというプロジェクトもあります。

僕は、それらのプロジェクトに対して日本の予算が適切に使われているか、プロジェクトがうまくいっているかなどをチェックしています。

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これまで苦労したこと、大変だったことは?

キルギスは、アフガニスタンと近い距離に位置するので国境管理が重要です。テロリストや麻薬が流出しないようにしたり、それらの通過点にならないようにしたりする。そのような分野を支援する国連機関がプロジェクトを実施していますが、日本政府が出資するプロジェクトもあり、僕が交渉をします。

ですが、日本国民の血税から出資するわけですから,外務省の審査は厳しく行われます。また,その年の日本政府の方針や予算状況によっては、僕をはじめキルギスの現状を知る人間にとっては重要だと思う案件も通らない場合もあって。

プロジェクトが動かない、と。

はい。以前、ある案件に関して日本政府からの予算が期待できず、それを国連の職員に伝えるとすごくがっかりされたことを覚えています。

僕はキルギスの現状を知っているからこそ、その案件がとても重要だと分かっている、でも予算がなければそのプロジェクトは動かない……あの時は落ち込みました。

日本政府と国連の間で、とても難しい立場なのですね。

採用されなかったプロジェクトのプロポーザルは多くの場合,修正を経て次の年に再チャレンジされます。日本を代表して国際機関と協力をし、世の中を良くするために仕事をする――その責任を日々感じています。

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とても、やりがいを感じられそうなお仕事です。

やりがいは、いつも感じてますよ。うちの大使館は小規模公館なので、僕のような下っ端でも大使館を代表して、あるいは日本政府を代表して国際機関の会議に出席し,議論することもあります。そうなると最前線に立っている、しびれるようなやりがいを感じます。

海外で働くことの大変さは?

日本大使館の館内の業務は、日本政府のために働き、仕事の進め方は日本式。でも一歩、大使館の外に出て現地の役所にいくと、あちらはあちらのスタンダードで動いています。

海外で暮らしているからといって海外のやり方に必要以上に合わせるのではなく、僕の立場としては日本政府のために動かないといけない、そのバランスのとり方にも気を付けています。

今の仕事に、筑波大での学びが生きていると感じることは。

フットワーク、そしてボーダーレスに物事を考えることですね。何かあった時に、自分のテリトリー以外に答えのヒントを探しにいけるフットワークは筑波大で培ったものですし、それが僕の強みだと思います。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

境界を飛び越えること。筑波大を卒業して社会に出た後、境界だらけの社会に直面し戸惑う筑波大出身者がけっこういるように感じます。日本社会では、その特性がゆえに壁にぶち当たることもあるかもしれませんが、それならいっそ,日本を飛び越えてしまえば,筑波大出身者の強みを生かせるのではないでしょうか。

現役大学生と筑波大を目指す人に一言!

ローカルとグローバルを掛け合わせたグローカリゼーションの精神で、どんどん筑波という遊び場を掘り起こして欲しいです。僕の好きな言葉に“通底”という言葉があるのですが、1か所をどんどん掘り起こせば、地面の下には水脈があり、水脈は国境を越えてつながっている。筑波は狭いけれど、どんどん掘り起こしていけば、いつか広い水脈にたどり着き,問題意識を同じくする人々との境界を越えた出会いがあると、僕は思います。

プロフィール
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齋藤 竜太(さいとう りょうた)
1986年生まれ。山形県長井市出身。高校生の時、当時筑波大学で助教授をされていた秋野豊先生に憧れ、筑波大学を目指すことに。大学在学中、中央アジアに留学。大学院修了後は在キルギス日本人大使館に勤務。政治・経済の情報収集や分析に加えて、開発協力の仕事も担当している。
基本情報
所属:在キルギス日本国大使館
役職:専門調査員
出生年:1986年
血液型:A型
出身地:山形県長井市
出身高校:山形県立長井高等学校
出身大学:筑波大学第二学群比較文化学類
出身大学院:筑波大学人文社会科学研究科
所属団体、肩書き等
  • 日本中央アジア学会
  • 国際政治学会
  • 国際開発学会
筑波関連
学部:筑波大学新聞編集部
研究室:現代思想専攻
住んでいた場所:春日4丁目→天久保2丁目→天久保1丁目
行きつけのお店:びすとろcincin 追越店、龍郎、フィンラガン
プライベート
趣味:ドライブ、街歩き、料理
特技:料理
尊敬する人:秋野豊、坂本龍馬
年間読書数:50-60冊(研究・仕事関連を除く)
心に残った本:医者、井戸を掘る
心に残った映画:スパニッシュ・アパートメント
好きなマンガ:宇宙兄弟
好きなスポーツ:野球、バレーボール
好きな食べ物:和食
嫌いな食べ物:ホヤ
訪れた国:13
大切な習慣:年1回帰省して親に顔を見せる
口癖は?:腹減った
座右の銘
  • 脅かされず 踊らされず 踊る

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