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熊谷スライダー

海外で培った経験を、なでしこジャパンに活かしたい

Sportsperson
2016/09/08
インタビュー
  • 39
サッカー日本女子代表 / オリンピック・リヨン(フランス)DF
熊谷 紗希
(体育専門学群 2009年入学)

世代交代が求められているなでしこジャパンを、今後けん引していくであろう人物。筑波大在学中にドイツ女子リーグに移籍し、現在はフランスのリーグに移籍。言葉や文化の違いを「そういう細かいことは、あんまり気にならない」と笑い飛ばせるおおらかさは、持って生まれた気質、そして海外で荒波にもまれて培われたのかもしれない。会話中、何度も口にした「なでしこジャパンのため」という志が、彼女の原動力だ。

なでしこの優勝で気が引き締まった

今年5月、欧州チャンピオンズリーグで優勝を果たし、国内フランスリーグ、国内カップ戦とで三冠を達成しました。今の気持ちは?

優勝をするために2013年にドイツからリヨンに移籍しましたが、最初2年間は2回戦敗退という結果で、なかなか上手くいくもんじゃないなと実感しました。「今年こそは」と意気込んで臨んだ2015-2016シーズンは、途中からチームの状況も良くなってきたし、「もしかしたら(優勝が)いけるんじゃないか」と思いながら前向きにプレーすることができて。結果、優勝が実現して、しかも三冠達成。すごく嬉しかったです。

この優勝が日本女子サッカー界に与える影響は大きいと思います。

「日本人もやればできる」ということを、日本だけじゃなく世界にも示せていたらいいですね。

海外移籍したのは、筑波大3年の時。海外リーグはいつから意識していたのですか?

高校生の時から日本代表として海外に行かせてもらう機会が増えて、大学に入る前から「大学を卒業したら行きたい」とは思っていたんです。でも、大学2年生の時に知り合いから「海外に興味はないか」と声をかけられて、「え、今ですか⁉」と。まだ大学も終えていないし……という気持ちはあったんですけど、興味はありましたし、海外のチームは、実際プレーを見てからじゃないとオファーをくれないということもあって、2011年1月に、まずは練習に参加してみることにしたんです。その後、すぐにドイツのフランクフルトがオファーをくれました。

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ところが移籍は、その半年後。すぐに移籍をしなかった理由は?

チームにはすぐに来て欲しいと言われたんですが、1月に移籍することで3学期分を無駄にしたくなかったのと、6月にドイツで開催されるワールドカップを控えていたので、移籍はワールドカップが終わってからにしようと。

ワールドカップ優勝で一気に女子サッカーへの認知度が上がりました。その時に感じたことは?

色んな方から、「なでしこジャパンの優勝を見て、知り合いの娘さんがサッカーを始めたんだよ」と言っていただきました。たくさんの女の子たちが、なでしこがプレーしている姿を見て何かを感じ取ってくれて、憧れや目標にしてくれているんだなと実感できましたし、もっと多くの人に女子サッカーを広められるように、自分たちが結果を出し続けなければいけないと、気が引き締まった瞬間でもありました。

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大学での反応はいかがでしたか。

仲の良い同期がみんな集まってお祝いしてくれました。その後、すぐにドイツに移籍したのですが、夏に日本に帰ってくる度に、大学でトレーニングをしていた友達とご飯に行ったりしていたんですよ。

ドイツに2年、そして2013年にフランスに移籍してみて、それぞれの印象は?

ドイツ人は日本人と似ていて、決まり事も多いですし、それをしっかり守ります。だから、そこまでのカルチャーショックは感じませんでしたけど、フランスに行って、「同じヨーロッパで、こうも違うのか⁉」と驚きました。フランス人は比較的ルーズな部分が多いから、私も細かいことを気にしていたらやっていけません。でもハングリーさというか、負けず嫌いな部分はフランス人のほうが強いので、それがプレースタイルに影響していると思います。

言葉の問題はありましたか?

ドイツに移籍した頃は、右とか左とか少しの単語しか分からなかったので、たとえ相手が言っていることを理解していたとしても、言葉で「分かっている」と言えないところもありました。またプレーで示さないと「分かっている」ことが伝わらない歯がゆさもありましたね。
でも最初はしょうがない、言葉だけでサッカーをするわけじゃないと割り切って、ようやく半年ぐらいで意思の疎通ができる程度にドイツ語を修得すると、自分の良さがプレーで出せるようになりました。

その後、フランスに移籍したら移籍したで、今度はまたフランス語をゼロから覚えなければいけませんでしたが、やっぱり、その時も「言葉ができない期間があるのはしょうがない」と開き直っていましたね。

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海外に行って気付いた日本の良い点、悪い点は?

日本人は気が利きますよね。この人がこうしてるから、私はこうしようとか、プレーにもそういう気質が生きているし、外国の人に比べて器用だから、細かい技術は上手。それが日本人の良いところでもあり、私が海外でやれている生命線だとも思いますが、そういう役回りに徹してしまうことで、悪い面でいうと“目立たない”存在になってしまいます。自らスポットライトが当たるほうに積極的に出ていけるのは、自己主張が強い外国の人のほうが圧倒的に得意です。両方を経験している立場としては、日本人と外国人の間をいくのが理想なのかなと思います。

朝6時台の電車で毎日筑波に通った

そもそも、サッカーを始めたきっかけは何だったのでしょう?

兄がサッカーをやっていたことがきっかけです。家族みんなで兄の練習や試合を観に行くうちに私もサッカーが好きになって、小学生になると昼休みに男子と一緒にサッカーで遊ぶようになりました。小学3年からサッカーチームに入ることが許可されたので、3年生になってすぐに本格的に練習を始めましたが、男子に混ざって女子は私1人。中学校の部活でも女子は私だけでしたけど、今思えば、その環境の中で鍛えられたと思います。

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熊谷さんが通っていた常磐木学園高校のサッカー部監督が、「彼女は首席で高校に入学し、東大を狙えるほどの能力がある」とおっしゃっていますね。

東大は言い過ぎだと思います(笑)。でも首席で入ったことは確かで、私が通っていた札幌市立真駒内中学校は進学校でしたし、両親の方針でサッカーだけじゃなく勉強にも力を入れなければいけなかったので、練習後、週に2~3回は学習塾に通っていました。

では、高校でのサッカーへの向き合い方は?

勉強というより、ほぼサッカーでしたね。私を含め、サッカー部の8、9割が親元を離れてサッカーをしに来ている寮生でしたから、朝練から始まり、授業が終わったら練習。いつもみんなと行動を共にする毎日でした。

そういった意味では、お互いを高め合える仲間と出会えた良い機会でしたし、常磐木学園高校に行ってなかったら今の自分はないと思えるほど、私のサッカー人生のターニングポイントだったと思います。厳しいけれど情の深い監督と、刺激し合える仲間に恵まれてサッカーができたことは、私の財産です。

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卒業後の進路はどのようにして決めたのですか?

学校の先生から、「大学を決める前に、まずはどこのチームでサッカーをするかを決めなさい」と言われていたこともあって、かなり早い段階で浦和レッズレディースにいくことが決まっていました。チームのある浦和を拠点にして通える大学を探していた時に、当時、なでしこジャパンで一緒だった安藤梢さん(筑波大卒 ドイツ女子リーグ所属)と進路について話す機会があって、「私が通っていた筑波大はとても良い環境だよ」と教えていただいて。それから筑波大への進学を目指すようになりました。

どんな学生生活でしたか?

当時は浦和に住んでいたので、大学の授業に出るために毎朝電車で1時間半かけて学校に行っていました。学校が終わると、浦和に帰ってチームの練習に参加するスケジュールが、とにかくキツかった記憶がありますね。そして夜に練習が終わると、ご飯を食べて、眠って。翌朝6時台の電車には、もう乗っていました(笑)。浦和レッズでの練習がメインだったので大学の部活には入りませんでしたが、お昼休みや授業が終わった後に大学のトレーニングルームをよく利用していました。

大学時代で何か印象に残っていることはありますか?

友達に支えてもらったことですね。代表の活動で授業を休むことが結構あったので、テスト前に一緒に勉強してもらうなど色々手伝ってもらいました。それと、西嶋尚彦先生の研究室によく行っていた思い出があります。安藤(梢)さんが西嶋先生に見てもらっていたご縁で、先生には1年生の時からお世話になっていました。……でも、研究室が大学での思い出って記事にされると、私が面白みのない人に見えてしまうんじゃないかって心配なんですけど(笑)。

逆に、イメージアップになるかもしれません(笑)。

でも本当に実際、大学生らしいことはほとんどしていなかったんです。西嶋先生に、効率的にトレーニングする方法を教わったことが今に活きていることを思えば、筑波大に行ったからこその有意義な出会いだったと思います。その他、他種目の先生方からトレーニング方法を教えていただく機会もありましたし、今から考えると短期間ではあっても国内最高峰の環境を体感できたことは幸せなことですね。

そして、2011年、大学を休学しドイツへ。

はい。ワールドカップを終えて、3年生の1学期を終えた頃にドイツのチームに移籍することになり、大学を休学することに。当初は「海外でプレーするのは初めてだから、もしダメだったらすぐに帰って来よう」という気持ちだったんですけど、気付いたら5年が経っていました。

では、今後のビジョンを教えて下さい。

リヨンともう1年契約してるので、昨シーズンに味わった、あの3冠の喜びをもう一度味わいたいです。それがまた“二連覇達成”ということになったら、また喜びも増すだろうなと思うと、まだ見たことのない世界を見にいきたいと思います。それが結果的に私自身のレベルアップにつながって、なでしこの力になればいいなと。

3年後にはフランスワールドカップ、その翌年には東京オリンピックが開催されることもすごく楽しみですね。私は今年26歳で、まだ東京オリンピックも目指していけると思うので、第二の故郷であるフランス、そして生まれ故郷の日本で良い結果が出せるように、しっかり予選から勝ち抜いていきたいと思います。

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その時は、リーダー的な立場を求められるのでは?

年齢的にはそうかもしれませんね。それまでに自分の海外経験をもっと増やしていきたいですし、もっと若い選手も気兼ねなく海外に出て欲しいとも思います。人間は新しいことにチャレンジすることで成長できるし、私はサッカー選手としてだけじゃなく、海外での生活を通して人として成長できたと実感しています。

大学3年生で海外挑戦のために休学(2011年から5年間の休学を経て、2016年退学の手続きが完了している)することになってしまいましたけど、人にはそれぞれ“やるべき”タイミングがあって、私の場合は「あの時、チャンスをつかんだからこそ今がある」と心から思えているので、そういうことは若い世代にどんどん伝えていきたいと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

サッカーだけしていたら学べなかったことが筑波大で学べました。陸上など他の種目の先生に指導を受ける機会もあって、色んな指導をして頂けたことが今に結びついていると思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

休学して海外へ飛び出した身で言うのもなんですが(笑)、つくばは色んな人との出会いや経験ができる場なので、自分の世界をどんどん広げてください!

プロフィール
熊谷プロフィール
熊谷 紗希(くまがいさき)
1990年生まれ、北海道札幌市出身。小学生からサッカーを始め、札幌市立真駒内中学校卒業後、親元を離れ常盤木学園高校に入学してサッカー部に入部。1年からレギュラーの座をつかみ、3年時には主将として全日本女子ユース3連覇を果たす。在学中の高校2年で日本代表に初選出。2009年、筑波大学体育専門学群に進学するとともに、浦和レッドバイヤモンズ・レディースに入団。初年度から全試合出場し、リーグ優勝に貢献。2010年にはU-20女子ワールドカップに主将として出場するとともに、なでしこジャパンの主力としても定着。2011年の女子ワールドカップドイツ大会では全試合にフル出場し初優勝に貢献した。2011年7月から女子ブンデスリーガ(ドイツ)の1.FFCフランクフルトに移籍。2012年のロンドン五輪でも全試合出場し銀メダルを獲得。2013年より、フランス女子1部リーグのオリンピック・リヨンに移籍。2015–2016シーズンでは、国内フランスリーグ、国内カップ戦、欧州チャンピオンズリーグと三冠を達成。 オフィシャルブログ http://ameblo.jp/brave05/
基本情報
出生年:1990年
出身地:北海道札幌市
出身高校:常盤木学園高等学校
出身大学:筑波大学
所属団体、肩書き等
  • サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)
筑波関連
学部:体育専門学群 2009年入学
研究室:体育測定評価学
住んでいた場所:浦和
プライベート

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