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二択で迷ったら「失敗しても後悔しない道」を選ぶ

Sportsperson
2016/11/14
インタビュー
  • 57
ラート 日本代表
堀口 文
(体育専門学群 2009年入学/ 大学院2013年入学)

「何かしらの日本代表になりたい」と夢見ていたスポーツ少女は、夢に一歩近づくため筑波大体育専門学群に入学。「日本代表になりたい人、ぜひ」という言葉に導かれてラートの世界に飛び込んだ。競技を始めて2年目には日本代表に。リスクを取ってでも難易度の高い技に挑んでテッペンを目指す――愛くるしい見た目からは想像もつかないほどの勝負強さで、今では世界を代表する選手にまで上り詰めている。

昔から“日本代表”に憧れていた

大学時代からラート日本代表として活躍されていますが、幼い頃からスポーツに親しんでいたのですか?

ラートを始めたのは大学に入ってからですけど、小さい頃からスポーツが好きで、親にも「体育会系の道に進んだら」と、ずっと言われていたんですね。中学では陸上部、高校ではバドミントン部に所属して、いつも何かしらのスポーツに熱中していました。

筑波大を目指した経緯とは?

進路を考え始めた高校1年の時。志望校を学校に提出しなければいけなくて、あまり体育の大学のことがよく分からなかったので先生に相談をしたら「体育を学びたいなら筑波大を目指すといいよ」と勧められて。初めて筑波大に体育専門学群というものがあるのを知り、それから目指すようになりました。

高校3年で初めて筑波大のオープンキャンパスに訪れた時は「絶対ここに入りたい!」と。あの“桐の葉”に憧れたというか、「あのユニフォームがカッコイイ!」と思いました。

ところが、現役では入学できず。

筑波大学以外の大学には受かりましたが、私はどうしても筑波大の体育専門学群に行きたくて親に「浪人させて欲しい」とお願いしました。1年の浪人期間があったぶん、合格できた時は嬉しくてたまらなかったですね。

大学に入って、いかがでしたか?

同期にはなでしこジャパンの熊谷紗希さん(つくばウェイvol.39で紹介)など、すでにトップアスリートとして活躍している学生がいたことが刺激的で、「私はこういうところで勉強したかったんだ!」と日々実感していました。

授業に出て驚いたのは、各種目に専門の子がそれぞれいて、他の種目だとそんなに目立たなかった学生が、専門分野となった途端にプロアスリートの顔になる。最初は友達という形から入っているので、圧倒的な実技や試合の結果を見せつけられると、「あの子が⁉」といつも驚かされました。

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たしかに、アスリートは普段とのギャップがありますよね。堀口さんは、入学当初ラクロス部に入部していますが?

浪人中はバドミントンから離れていましたから、「大学からでも一番が取れるスポーツってなんだろう?」と考えて、ラクロスなら大学から始める人が多いからチャンスがあるかもしれないと。

その後、ラートを始めた経緯とは?

1年の必修授業にラート日本代表であるTAの先輩が来て、少しラートに触れる機会があったんですね。足を固定して回るぐらいのものでしたけど、楽しいなと感じていたら、先生が「日本代表になりたい人、ぜひ」と皆を勧誘して。直感的に「ラートがやりたい!」と授業が終わってすぐにTAの先輩に「やらせてください」と申し出ました。

「日本代表になりたい」と思ったのでしょうか。

当時はそこまで本気ではなかったですけど、その時は「これなら、できそう」と感触が良かったことを覚えてます。最初はラクロス部と並行して体操部でラートの練習をしていましたが、宙返りとか技のレベルが上がるにつれて、どんどんハマっていって試合にも出られるようになったので、ラートに専念することにしました。

ラートを始めて2年目でインカレ総合優勝。続く全日本大会では直転2位、跳躍3位という成績を収め、日本代表に。

日本代表になることは狙っていたといいますか、昔から「何かしらのスポーツで日本代表になりたい」という憧れを持っていたので、決まった時はすごく嬉しかったです。代表として日々の練習に取り組むことで、競技に対してのモチベーションも上がりました。

そして3年生で初めて世界選手権に出場。

この大会で、演技の最中に音楽が止まるというトラブルに見舞われました。運営側のミスだったんですけど、「あとちょっとで演技が終わるから、このまま音楽無しでやろう」と演技を続けたところ、演技後に審判に呼ばれて「演技をやり直すか、今の演技で点数をつけてもいいのか。選んで下さい」と言われて。実は、あまり納得のできる演技ではなかったので、内心「ラッキー♪」と思いながら「もう一回やります」とお願いしました。

その結果は?

やり直したら、めちゃめちゃ良い演技ができて(笑)。普段ならラート強豪国であるドイツの選手に声援が集まりがちですが、観客が「さっき音楽が止まってしまった選手だ」と覚えていてくれたので、すごい拍手で応援してくれたんですね。すると気分が乗ってきて、練習でも出来ないぐらいの良い演技ができたんです。あの気持ち良さというか、やりがいを実感できたからこそ、「またここに戻ってきたい」と思わされた出来事になりました。

翌年、世界大会で初めてメダルを獲得。

世界ラートチームカップ団体戦のメンバーに選ばれ、スイス大会で3位、ドイツ大会で2位の成績を収めました。チームカップは、男女合わせて4人しか代表に選ばれない狭き門で、男子が強い日本からは男子4人だけが出場した年もあるぐらいなので、そのメンバーに選ばれたことが嬉しかったです。この大会に出れば世界から注目してもらえるので、「日本の代表選手だ」と認識してもらえるきっかけになったと思います。

当時4年生で、進路については考えていましたか?

教員になるための授業は受けていましたけど、何よりもラートが楽しかったですし、上が目指せそうな限りは現役を続けたいと思っていたので卒業後も選手としてやれたらいいなと。と同時に、専門的な知識を身につけたいと思っていたので、大学院に進んで運動学研究室に入ることにしました。大学院では研究メインでやるべきだという考えの先生も多い中、担当の先生が「競技も研究もしたい」という私の意思を汲んで下さったおかげで、競技にも時間を割くことができました。

そのおかげもあって、その年の世界選手権では“直転”という種目で、世界大会で初めて個人のメダルを獲得しました。

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留学から帰国したその日に大ケガ

大学院2年、日本が初優勝を収めた世界ラートチームカップにチームの一員として参加。その後、ドイツにラート留学されていますね。

ラート発祥の地であるドイツで学びを得たいと、休学してドイツに留学しました。日本の選手は大学からラートを始める人が多いので、「世界に早く追いつきたい」という高いモチベーションで土日も練習するのですが、ドイツ人選手は小さい頃から長年ラートをやってきた人が多いので、土日は必ずお休みですし、1日の間にも適度に休みを入れつつ、練習する時はグッと集中します。

そういう背景もあって午後にしか練習がなかったので、午前は語学学校に通っていました。ドイツナショナルチームのコーチのお宅に滞在し、ドイツ語は完璧とまではいきませんけど生活に困らない程度は修得できたと思います。

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日本との大きな違いとは?

日本では先輩方に教えていただくことが多く、ドイツには練習にいつもコーチがいることが大きな違いでしたね。どちらがいいということではなく、日本人選手が世界の中でも強いのは、「自立心を持って、自分たちで考えながら練習しているからなのだな」と実感させられました。

7カ月後に帰国。

「ドイツで得た経験を日本で試したい」と、テンションが上がっていたのかもしれませんが、帰国したその日に筑波大の体育館で練習をして、アキレス腱を切ってしてしまいました。成田空港に着いて、たった6時間後のことです(笑)。

すぐに頭の中によぎったのは、「1か月後に控えている全日本選手権には出られないな」ということ。周りにはすごく心配されましたけど、私は妙に冷静で、いつかやるだろうと思っていたというか、競技を始めてドイツに行くまでの過程がポンポンっと上手くいき過ぎていたので、「きっと“何か”落とし穴があるだろう」と覚悟ができていたように思います。

すごく冷静ですね。

なんだか、その“何か”を乗り越えない限りは世界一になれないんじゃないか……そんな気持ちをずっと抱いていたんです。だからアキレス腱を切った時は「これだったのか。“何か”起こりそうな予感がしていたのは」と。

試合に出場できず、他の選手から置いていかれたような気分になったのでは?

全日本選手権では装具をつけたまま審判をやりましたが、他の選手を見ながら、その世界から少し離れられたことにホッとしていた自分がいました。それまでの4~5年は3か月に1回ぐらい試合がある生活で、1年中ずっと試合のことを考えていましたから。上を目指して、新しい技に挑戦し続けていた生活から離れて、客観的に競技や自分自身を見つめ直す時間がようやく得られたという気分でした。

逆にドイツから帰国してすぐに日本選手権、世界選手権に出ていたら競技に対してモチベーション下がっていたんじゃないかと思うほどです。

どれぐらいで復帰したのですか?

1か月ぐらいでラートに乗れるようにはなりましたが、競技ができるまでに半年、元通りになるまでには1年かかりました。復帰後は、2015年の全日本選手権で個人総合2位、直転で優勝という成績を収めています。それにしても、あの時ほど“SPEC”のありがたさを感じたことはなかったですよ。大学1年の時、メディカルチェックで入ったことがあるぐらいの施設でしたけど、まさか院生になってあれだけお世話になるとは……(笑)。

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SPECもそうですが、何か競技に対しての変化はありましたか?

ケガをした後、難しい技ができずに簡単な技ばっかりやっていたことが、逆に基礎を1から見直す機会になりましたね。それが大いに役立ちましたし、ケガを経験したことで解剖学的なことや筋トレを勉強したり。そういったことがラートの技術向上につながりました。

何よりも成長が感じられたのはメンタル面です。手術や入院を経験して、再び競技に復帰できたことで、以前よりメンタル面が強くなったと感じました。

2016年に修士を終えられ、6年間の筑波大生活で何か得たものとは?

スポーツにしても他の学群にしてもレベルが高い学生や先生が多く、言葉で言うのは簡単ですけど“プロフェッショナルな気持ち”を持っている人に出会えたのは筑波大だったからだと思います。そんな恵まれた環境の中で授業と練習に集中できたことは、競技だけじゃなく私自身の成長にもつながったと思います。

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では、現在のお仕事について教えて頂けますか。

体操教室でラートや体操を指導しながら、ご依頼があれば雑誌の取材を受けたり、パフォーマンスをしたり。大学の同期が赴任している高校に招かれて講演会や体験会したこともあるんですよ。最近はラートの認知度が上がって、子供のうちから始める人もいるなど競技人口が増えていると感じます。

競技者としては、まずは2017年4月に開催されるラートチームカップの代表に選ばれること。そして、そこで金メダルを獲得することが身近な目標です。2018年の世界選手権でも金メダルを目指して練習に取り組んでいます。

競技者として、社会人として、どんなことを大切にしていますか。

どちらにも共通することですが、高校の時からずっと心がけているのは「後悔しない選択をすること」。例えば2つの道があって、どちらに行こうか迷った時はいつも「こっちに進めば、失敗しても後悔しないだろう」という道を選ぶようにしています。

失敗のリスクを取ってでも、後悔しない道を選ぶ。

その通りです。例えば筑波大に一度落ちた時も、他の学群や他の大学に行くか悩みましたが、他の大学に行ったら絶対に後悔すると思って一浪することにしましたし、もし2度目に合格できなかったとしても、本気で挑戦したのだから大きな後悔にはならないだろうと考えていました。

競技においても、難しい技を入れるか入れないかという時に、入れずにそつなく演技を終えれば銅メダルを取れるかもしれないけど、金メダルには届かない。という考えと、成功すれば金メダルが狙えるけど、失敗すれば銅メダルにも届かないという2つの道を想定するんですね。

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そして選ぶのは、後者。

はい。あえて挑戦的なプログラムにして「メダルがダメでも、あとで後悔しない道」を選ぶ。それが私のスタイルです。

あなたの“つくばウェイ”とは?

「これがやりたい」と決めて突き進んだ時、恵まれた環境の中で手助けてくれる人も現れる。それが筑波大の良さだと実感しました。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

何事も本気でやればやるほど、その過程で得られる経験や人脈が財産になると思います!

プロフィール
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堀口 文(ほりぐちあや)
1990年生まれ、秋田県出身。秋田県立秋田南高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。大学1年次の授業でラートと出会い、体操部に入りラートを本格的に始める。競技開始後、わずか1年半で日本代表に選出され、早くから才能を開花させる。大学3年次には世界ラート競技選手権大会に出場し、日本を代表する選手へとなる。卒業後は大学院へ進学しながら競技を続け、2014年の世界ラートチームカップで優勝後はラート強豪国のドイツに7か月間留学しさらなるレベルアップを目指す。しかし、帰国当日の練習中にアキレス腱断裂の大怪我を負い、1年近いリハビリ生活を送る。復帰後の2015年に世界ラート選手権への出場権を手にし、完全復活を果たす。現在、株式会社アレナトーレに所属し、講演会やラートの体験会を行い、普及活動を精力的に行う。公式ブログ http://ameblo.jp/aya-ra-to
基本情報
所属:株式会社アレナトーレ
出生年:1990年
血液型:A型
出身地:秋田県秋田市
出身高校:秋田南高校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:スポーツ運動学研究室
部活動:体育会 体操部
住んでいた場所:春日4丁目
行きつけのお店:SORACAFE
プライベート
ニックネーム:あや、あやちゃん
趣味:Youtube鑑賞
特技:Gボール
尊敬する人:留学中にお世話になったドイツ人コーチ
心に残った本:西の魔女が死んだ
心に残った映画:宇宙兄弟
好きなマンガ:風の谷のナウシカ
好きなスポーツ:ラート、バドミントン
好きな食べ物:フルーツ
嫌いな食べ物:リコリス
訪れた国:9カ国
大切な習慣:寝る前のストレッチ

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