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小井土スライダー

サッカー界の隅々で活躍できる人材を育てたい

Sportsperson
2017/01/23
インタビュー
  • 66
筑波大学体育系助教 筑波大学蹴球部監督
小井土 正亮
(体育専門学群 1997年入学)

数々のJリーガーを世に輩出してきた名門・筑波大蹴球部の監督でありながら、サッカー指導者の色よりも「学生の将来のために自分ができること」を常に意識する、“教育者”としての色が強い小井土正亮さん。筑波大卒業後にプロ選手として活動し、Jリーグのコーチを務めるなど様々な経験を経て、改めて感じた筑波大の魅力を語ってくれた。

2部落ちから1部昇格。そして優勝へ

現在のお仕事について教えて下さい。

2015年から蹴球部の監督という役割を担っていますが、現在の主な仕事は筑波大学体育系の助教としてサッカ―コーチング論研究室で授業、研究をしたり、学生の卒論を見たり。体育センターの所属なので一般学生にもサッカーを教えています。

日本一を目指す蹴球部の学生を指導する一方で、サッカーをやったことがない学生に接するのは非常に面白く、「どうすればサッカーの興味を持ってくれるだろう?」と、上手な伝え方について考えさせられる機会が得られていると感じます。

2014年、蹴球部のヘッドコーチに就任した年に戦後初の2部降格。次の年に監督に就任されていますが、当時はどんな気持ちでしたか?

10数年前、私が筑波大にいた頃に抱いていた「筑波大サッカーは強い」という感覚のまま臨んでしまったのが2014年の失敗かなと。今は関東のどこの大学もレベルが高く、一昨年リーグで優勝した早稲田大が次のシーズンで2部落ちするなど、どこの大学が勝っても負けてもおかしくない時代ですから、そのあたりの意識を高めて臨んだ2015年シーズンで1部に復帰。そして2016年の全日本大学サッカー選手権では優勝を果たすことができました。

小井戸アイキャッチ

降格した年に取り組んだ改革とは?

今も継続して取り組んでいることですが、選手が指導者からの指示を待つのではなく、選手自ら考えてパフォーマンスを上げられるように“パフォーマンス局”を立ち上げました。その中にフィットネス班や、ゲーム分析をするビデオ班など役割分担をさせて、学生がサッカーを見る目を養ったり、勝つためにはどうすればいいかを多角的に捉え、自主的に考えられる力をつけさせるなど、ピッチ外での取り組みが試合に活きたと思います。

10数年前の話に遡りますが、筑波大にはサッカーのスポーツ推薦で入学されたのですか。

はい。小学生の時から始めたサッカーを中学、高校と続けていまして、特に目立った選手ではなかったと思いますが、高3のインターハイでベスト8に入ることができて。それがきっかけで筑波大2期生出身の先生に筑波大を勧められました。私が生まれ育った岐阜県からみると、筑波は“東京”というイメージでしたので「東京の大学にいきたい!」と(笑)。

ちょうどその頃Jリーグが開幕したばかりでサッカーが盛り上がっていましたし、大学サッカーで活躍して2002年の日韓W杯に日本代表として出たいという淡い夢も持っていましたね。

蹴球部に入部してみた感想は?

自分は井の中の蛙だったんだなと思い知らされました。筑波大は当時、たくさんのJリーガーを輩出していた大学だけあって日本中からサッカーが上手い選手が集い、日々ポジション争いをしていましたし、当時の上級生にはのちに浦和レッズで指導されている天野賢一さんや現在、関西国際大学で指導されている和多田充寿さんなど、今もサッカー界で活躍されている実力者が揃っていたので、自分自身の実力を思い知らされました。

筑波大ならではの指導法はありましたか?

イメージとして、すごい指導者が名人芸のように指導してくれるものだと思っていたら、そうではなく。大学院生が学生とコミュニケーションを取りながら指導する学生主体の環境が、結果的に選手と同時に指導者も育てているのだと感じました。

私自身も大学卒業後に1年間プロとして活動した後、大学院に戻って指導者として後輩と濃い時間を共有できたことは、指導者としての良いスタートだったと思います。こういった環境は今にも引き継がれている筑波大の良さですので、これからも大事にしたいですね。

小井戸2

今お話にあったように、卒業後は水戸ホーリーホックで選手としてプレーされました。

大学3、4年次にインカレで準優勝をしたことで、プロサッカー選手になる目標を抱くようになり、ご縁のあった水戸ホーリーホックで選手を続けることになりました。それでも薄々、「この世界で5年10年食べていける選手ではないだろう」と感じていたので、プロ選手でありながら、卒業後すぐに大学院にも籍を置きました。

なぜ、プロとして長く活躍できないと?

大学時代、下の代には今も現役で活躍している羽生直剛(ジェフユナイテッド市原・千葉所属)や石川竜也(モンテディオ山形所属)のように化け物みたいにサッカーが上手い後輩がいて、僕は3、4年次にインカレ優勝したといってもほとんど試合に出られていません。

それに、プロ1年目で相手チームの外国人選手と1対1という場面でファウルする間もなく抜かれて、ここは自分の住む世界じゃないと実感したというか。努力だけではどうにもならない世界だと思い知らされたことが大きかったですね。

そして現役を引退し、大学院に専念することに。

「指導者の道に進もう」と大学時代から学んでいた体育心理学を専攻しました。その年に蹴球部のヘッドコーチをさせていただく機会に恵まれ、インカレ優勝という結果を出すことができました。翌年はまったく進んでいなかった研究に取り組まねばならず、コーチから外れました。

当時、進路についてはどう考えていましたか。

筑波大に送り出してくれた高校の先生が「教員として岐阜に戻ってきなさい」と言って下さっていたので大学時代に教員免許を取得し、大学院を修了する前には教員試験を受けたのですが、「まだ、こっちで広い世界を見てからでも遅くはない」という気持ちが見透かされてしまったのか、不合格に。

この先どうしよう?と考えていた時に、お世話になっていた方が柏レイソルの監督に就任したことで声をかけてもらって、分析担当のテクニカルコーチを務めたのが2004年のことです。

指導者1年目で学んだことが、私の根底にある

その後、2005~2010年に清水エスパルス、2013年にはガンバ大阪でアシスタントコーチを務めています。コーチとして、どんな役割を担っていましたか?

筑波大の先輩であり、ガンバ大阪の長谷川健太監督(つくばウェイvol.19で紹介)の下で働かせてもらった時は、監督と選手を“つなぐ役割”であることを常に意識していました。

肩書きはコーチとはいえ、プロの選手に私が技術や戦術を教えられるような力はなかったので健太さんが直接選手に言えないことを私が噛み砕いて選手に伝えたり、選手が監督に直接言えないことを監督に伝えたり。いわば組織が上手く回るための課長のような役割でしたが(笑)、そういった仕事は組織が円滑に回るために非常に大切だと感じました。

小井戸1

選手、そして指導者とサッカーに携わり、どちらの立場が大変だと感じますか?

圧倒的に指導者のほうが大変ですね。選手時代は一生懸命練習をするつらさがありましたが、そんなことは何でもないと思えるほど指導者は大変です。

特に大学院でヘッドコーチを任された時は指導者1年目ということもあり、たくさんのことを考えさせられました。指導者に必要なのは教え方の上手さではなく、私自身の姿勢を選手に見せることであったり、ちゃんと選手に向き合うことでチームが1つのところに向かうのだなと。そんなことを痛感させられた機会でしたし、あの時の学びが、いつも私の根本にあると思います。

Jリーグでコーチとして活躍した後、筑波大の博士へ戻られていますね。

Jリーグの選手やスタッフたちと仕事をすることはとても刺激的で、日々サッカーだけに集中できる環境は充実していましたけど、ふと5年後、10年後を見据えた時に「私は何をすべきか」と考えてみると、やはり「人を育てる仕事に就きたい」と。

教員になる夢を、また追いかけることにしました。今は助教として大学に勤めながら、博士論文を書き進めています。

改めて思う、筑波大の良さとは?

指導者として筑波大に関わっていて感じるのは、大学院のコーチ陣をはじめ皆が「やるとなったらやる」という集中力が高く、仕事に対するプライドがものすごく高いことです。皆、Jリーグのコーチとしていつ働いてもおかしくないような質の高いレベルを保ちながら、それを当たり前のこととしてやっている。

私が彼らにできることは、そのレベルを在学中にどんどん上げて、社会に出た時に余裕が感じられる力をつけさせて世に送り出すこと。自分で考えて他の誰にもできないような仕事をできるようになること。そんなことを考えながら日々指導をしています。

学生についてはどう見ていますか?

やはり学生の質も高いです。蹴球部でいえば、体育学群の学生が意識が高いのはもちろんですが、他学群の学生に関しても、例えば情報学類で学んだ知識をゲーム分析やグラフィックの見せ方に工夫して分かりやすく伝えてくれますし、社会工学類の学生も自らの研究や知識を活かして、色んな提案をしてくれるので非常に助かっています。

体育の学生だけでなく、学校内で色んな知識を得た学生が自らのスキルをサッカーに集約して活かせるのが筑波大の良いところだと思いますし、かつ彼らがサッカー関係の企業に就職するのを見ると、教育者としてやりがいを感じます。

小井戸3

プロ選手になることだけが成功ではない、サッカーの可能性を感じますね。

蹴球部での経験を活かして、「アナリストになりたい」とデータ会社に就職した学生もいるんですよ。そういった色んな可能性を学生に示して、サッカー界の隅々まで筑波大の人間が活躍できる、そんな人材をここ筑波で育てていくことが今後の目標ですね。今の現役部員の中にも、選手としてだけじゃなくて、指導者、トレーナー、審判、アナリスト、運営スタッフ、スポーツメーカーなどいろいろな目標を持って取り組んでいる部員が混在していて、日々切磋琢磨しながら活動してくれています。

仮に卒業後にサッカーに携わらなかったとしても、筑波大、蹴球部で4年間学んだことを社会で活かし、周囲の人から「あいつはしっかりしている」と評価してもらえるような人を育てることが私の役割だと考えています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

何気ない毎日に大事なものがいっぱい転がっている。そんなことに気付かせてくれた環境だったと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大蹴球部は120周年の伝統がありますが、自分次第で新しいものを生み出していける組織だと思うので、熱い気持ちを持って過ごして欲しいと思います。その気持ちを、教員として小井土は受け止めます(笑)。

プロフィール
小井戸プロフィール
小井土 正亮(こいどまさあき)
1978年生まれ、岐阜県出身。岐阜県立各務原高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。在学中は大学3年次と4年次に全日本大学サッカー選手権大会で準優勝の実績を残す。卒業後は大学院に進学しながら、水戸ホーリーホックで1年間プロ生活を送った後、現役を引退。修士2年次より筑波大学蹴球部のヘッドコーチとして活動。修了後の2004年には柏レイソルのテクニカルスタッフ、翌2005年からは清水エスパルスのアシスタントコーチ、2013年にはガンバ大阪のコーチとして活躍。筑波大学蹴球部のヘッドコーチに就任した2014年には2部降格を経験するが、1年で1部昇格を果たした。2016年12月に行われた全日本大学サッカー選手権大会では13年振りの優勝にチームを導いた。現在、筑波大学体育系助教、筑波大学蹴球部監督。
基本情報
所属:筑波大学体育系 サッカーコーチング論
役職:助教
出生年:1978年
血液型:A型
出身地:岐阜県岐阜市
出身高校:岐阜県立各務原高等学校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
所属団体、肩書き等
  • 筑波大学蹴球部監督
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:体育心理学研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:春日4丁目
行きつけのお店:クラレット
プライベート
ニックネーム:コイド
趣味:読書
尊敬する人:両親
年間読書数:約30冊
心に残った本:奇跡のリンゴ(石川拓治)
好きなスポーツ:スポーツ全般
好きな食べ物:和食
訪れた国:5か国
大切な習慣:よく寝る
口癖は?:全力を尽くす

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