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松井スライダー

2020東京パラでのメダル獲得に向けて貢献したい

Sportsperson
2017/04/24
インタビュー
  • 79
筑波技術大学保健科学部保健学科理学療法学専攻 助教/特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会 医事部
松井 康
(人間総合科学研究科 体育学専攻 2009年入学)

“狭き門”と自覚しながらも「トレーナーとしてスポーツに関わっていきたい」と心に誓った学生時代。その信念が揺るぎないものになったのは、大学院進学後、トップレベルの選手をケアするトレーナークリニックやVリーグ所属のつくばユナイテッドSunGAIAで実践的な経験を積んだことが大きい。着実に一歩、また一歩。現在は東京パラリンピックでメダル獲得を目指すブラインドサッカー日本代表のメディカルスタッフとして、選手をサポートしている。

トレーナークリニックやつくばユナイテッドSunGAIAで実践的な経験を積んだ

筑波大には大学院から入られていますね。

大学時代は理学療法の勉強をしていたのですが、トレーナーの勉強を専門的にしたいと考え、筑波大の大学院に進学しました。
トレーナーや理学療法士という職業を志すようになったきっかけは、高校1年の時、『スポーツ科学バイブル』という本に出会ったことでした。

小学生の頃からサッカーをしていましたが、この本を読んでスポーツに対しての捉え方、価値観が変わりました。それまでは何となく練習前にストレッチをしたり、監督に言われたメニューを一生懸命にこなしているという感覚でしたが、栄養面やトレーニングの話、メンタルやメディカルの話が詳細に書いてあり、「スポーツって、ただプレーするだけじゃなく、科学的なことを取り入れながら頭で考えながらやるものなんだ」と考えるようになりました。

サッカーの実力としては選手としてプロになれるレベルではないと自覚していた頃だったので、サポートする側としてスポーツに関わる道を志すようになりました。

北海道大学の医学部保健学科で理学療法学を専攻されています。

スポーツをサポートすると一言で言っても、ドクターやトレーナー、コーチなど色々な職業がある中で、トレーナーはリハビリを通して選手と長く一緒にいるだけでなく、ケガをした選手を様々な面から支えることができる。やりがいがありそうだと思って調べたところ理学療法士という職業があることを知り、大学で専門的に学ぶことにしました。

大学での生活はいかがでしたか。

勉強をするにつれ現実を思い知らされたというか、「スポーツの世界で働ける人は、ほんの一握りだ」ということが分かってきて「将来的にスポーツに関わっていけるだろうか?」と不安を感じたこともありましたね。そんな不安を払拭すべく、目の前のことに一生懸命取り組もうと4年次に病院で実習をしていたのですが、スポーツ選手の受け入れが多い病院だったこともあり、改めて「やっぱりスポーツの世界でやっていきたい!」と思いが強くなりました。

進路について具体的にどう考えていましたか?

色々調べてみると、筑波大の大学院でアスレティックトレーナー(以下、AT)の資格が取れることを知りました。理学療法士の資格だけでなく、ATの資格を持っていたほうが将来スポーツの現場に関わる際に役に立つのではと直感的に考えて、筑波大に進学することにしました。

入ってみると、筑波大の大学院には、私と同じような考えを持った人も多く、色々な地域、大学を卒業してから来ている学生がいて、ATを取りに来てる人が多いなという印象でしたね。

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大学院での実験の様子

何か印象に残っていることは?

理学療法士の資格を持っていたとはいえ、それまでに臨床の経験はほとんどなく、トレーナーとしての勉強もこれからという大学院修士1年次にトレーナークリニックに所属しながら、先輩に誘われてつくばユナイテッドSunGAIAというVリーグ所属のバレーボールチームでトレーナー活動を始めました。ちょうど同時期に、日本代表のキャプテンを務めたこともある加藤陽一選手が他チームから加入し、他にも日本代表に選ばれる選手や、プロ意識が高い選手が多くいるチームでした。ほぼ毎日顔を出しながら、選手のケガを診たりトレーニングを見るなど、トレーナーとして日本トップレベルのアスリートたちが多くいる環境に身を置きながら、実践的な経験を積めたことが印象に残っていますね。

多忙を極める中でATの資格を取ったのですね。

体力的にはキツかったですよ(笑)。私の場合は大学が体育系ではなかったので、大学院にいる2年の間にAT受験の必修科目である学群の共通科目の授業も受けないといけなかった。AT科目の履修やトレーナーとしての現場活動、研究活動を同時に進めていくのは、思った以上に大変でした。

実践を積む中で、進路についてはどう考えていましたか?

修士の頃から非常勤で理学療法士として働き始めましたが、「もっと専門的に勉強や研究をしたり、大学の交換留学制度を使って海外のスポーツ現場も見てみたい」と考え、博士課程に進学。結局、海外留学は実現していないのですが、博士課程では、自分で研究をして、論文を書く時間の他、時間の使い方は各々に任されていたので、私は病院の非常勤理学療法士の仕事を継続しながら、スポーツ現場での活動も続けていこうと考えていました。

そんな時、縁もあって、筑波技術大学が募集していた理学療法士の特任研究員の仕事を得ることができ、2011年7月から勤務しています。

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米国の国際学会での発表の様子

ブラインドサッカーの魅力とは

今は、どんなお仕事をされているのですか?

普段は筑波技術大学の理学療法士を養成している専攻で、教員として授業や研究をしています。また、附属の医療センターで、理学療法士として臨床現場にも出ています。
ブラインドサッカーに関連する私の仕事は、日本ブラインドサッカー協会の医事部に所属し、主にメディカル面で活動をサポートしています。最初にブラインドサッカーに出会ったのは2011年10月、ロンドンオリンピックアジア予選の直前合宿でした。

当時、チームドクターとして在籍されていた筑波大学技術大学の木下裕光教授(筑波大学大学院出身)に、前十字靭帯を損傷した選手へのテーピングを任されたことがきっかけで関わるようになりましたが、その時は正式なスタッフではなく、あくまでもお手伝いという関わり方でした。

ブラインドサッカーについて、どんな印象でしたか。

最初はびっくりしましたね。サッカーの経験を踏まえて自分自身に置き換えてみた時に、ブラインドサッカーの選手がアイマスクを装着してプレーをしているのはすごいなと。転がると音が出る特殊なボールを使うのですが、その音を頼りに、競技を進めていくことにも驚きました。

ブラインドサッカー競技中の場面

ブラインドサッカー競技中の場面

正式なスタッフになった経緯は?

ロンドンオリンピックのアジア予選に敗れた後、新しい体制がスタートする際に木下先生が医事部という部署を立ち上げ、私も入ることになりました。そこからですね、より深くブラインドサッカーに関わることになったのは。

ブラインドサッカーでは、どのようなケガがあるのでしょう?

サッカー自体ケガが多いスポーツだと思いますが、サッカーと違って目が見えないぶん接触系のケガはどうしても避けられません。しかも受け身が取れないので、接触がなかなか避けられず、歯や鼻が折れたり、まぶたや口の中が切れたりすることがあります。

ただ最近では、代表に選ばれるような選手だと空間把握力や接触回避の技術レベルも上がってきたので、ひどい怪我は減ってきていますね。

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ブラインドサッカーによる傷害への対応

お仕事でどんな苦労がありますか。

今の体制にはフィジカルコーチという専門的なスタッフがいるので、僕は練習中のトレーニングの指導まではしていませんが、参加当初はトレーニングを仕切らなければいけない場面がありました。目が見えている人に対しては動きのデモンストレーションを見せて、それを模倣してもらえば、あとは細かいところを修正するだけですが、目が見えていない人、しかも一度に大勢にイメージを共有してもらうためには、いかに言葉で伝えるかが大事になってきます。最初はその点で苦労しました。

5年が経ってみて、ブラインドサッカーの魅力をどう感じていますか。

少しずつ減ってきたとはいえ、やはり接触が多いスポーツであるにも関わらず、選手が全く臆することなく勇敢にゴールに向かっていく姿は魅力的です。それに、普通のサッカーでは当たり前に見られるような、パスをダイレクトでシュートすることは、ブラインドサッカーでは視覚情報が遮断されているため、基本的には難しいのですが、最近ではゴールの傍に選手を配置し、ゴールを外れたボールを直接ダイレクトで選手が押し込むということにもチャレンジしています。そういった新しいことや今までできなかったことにチャレンジしている選手の姿から、新しいことにトライすることの大切さを学ばせてもらっています。

試合自体もサッカーとは違う雰囲気ですか?

ボールの音、監督やガイド、キーパーの声の情報が重要なので、試合中は、観客は静かにしないといけない。サッカーと違ってプレー中は、観客は声援を送ることはできないんですね。ところがゴールが決まったら「ワーッ!」と大歓声が飛ぶ。静寂から、あの盛り上がりへのメリハリは、普通のサッカーとは違った興奮が味わえます。

これまで、2014年の世界選手権で6位が最高成績。

2014年の世界選手権と2015年のアジア選手権(共に東京@代々木で開催)では、新しい試みとして初めて有料としました。障がい者スポーツで有料の試合はほぼないのですが、日本チームの開幕戦は1300席が満席となり、スポーツイベントとしては成果を残すことができました(日本の競技成績としてはリオパラリンピック出場を逃し、とても悔しい思いをしました)。色々な分野の方から注目されたと聞きますので、今後もっと皆さんに見ていただける機会を増やして、多くの方に競技を楽しんでもらえたらと思います。

2020年の東京パラリンピックに、開催国としての出場が決まっていますね。

東京パラリンピックが、たくさんの方にブラインドサッカーを楽しんで頂けるきっかけになると良いですね。2004年のアテネで正式競技となって以降、今まで一度もパラリンピックに出場したことがない中でも、「東京では良い成績を残す。メダルを獲ろう!」という意識でチーム一丸となって頑張っていますし、その前に2年に1度のアジア選手権が今年開催されるので、まずはアジアで優勝できるように、私自身の役割を全うしてチームに貢献したいです。

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海外遠征時のコンディション調整目的のストレッチの様子

その活動と並行し、今も筑波大の博士課程に在籍。改めて筑波大の良さとは?

当初、学生としてトレーナーの勉強中でありながら、トレーナークリニックやつくばユナイテッドSunGAIAでトップレベルの選手に接する機会を得られたのは筑波大だからこそだと思います。

特に自分は、スポーツでトップにいけなかった立場としてトップ選手への尊敬の気持ちが強いので、最初は彼らの体に触れる時に緊張しましたが、そういった実践的な場でトップレベルの選手への対応を早いうちに学べたことは大きな収穫だったと思います。

得たものは大きいようですね。

そうですね。それに先生や先輩、後輩など人脈が広がりましたし、特に同じ夢に向かって切磋琢磨している同期と毎週末お酒を飲み交わしながら反省会をしたり、トレーナーに関する情報交換をしたり。そういった時間も財産だったと改めて感じています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

一つは、トップアスリートと接することによって得られる経験です。
もう一つは、同じ志を持ち、様々な分野で活躍している仲間との出会い!現在、トップレベルの選手(Jリーグ、プロ野球、ラグビートップリーグなど)のサポートをしていたり、中にはアスリートをサポートするジムを起業して実際に直接トレーニング指導をしている同期もいます。久しぶりに会って、色々な話をすると、多くの刺激をもらいますね!

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

トップレベルの選手がいて、経験豊富な先生がたくさんいる筑波大は日本だけじゃなく世界的にみても恵まれているということを自覚して、目一杯学んでもらえたらと思います。

プロフィール
松井プロフィール
松井 康(まついやすし)
1986年生まれ、北海道出身。北海道大学を卒業後、筑波大学人間総合科学研究科体育学専攻に進学。北海道大学では理学療法士の国家資格を取得するが、よりスポーツと関わる仕事をするために、アスレティックトレーナーの資格の取得を目指した。在学中はトレーナークリニックでのトレーナー活動と並行してバレーボールチームのつくばユナイテッドサンガイアに携わった。大学院修了後は筑波技術大学の特任研究員として就職。そこで2004年のアテネパラリンピックから正式種目となったブラインドサッカーと出会いトレーナー活動を開始。現在、筑波技術大学保健科学部保健学科理学療法学専攻助教、特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会医事部所属。保有資格は、理学療法士、日本体育協会公認アスレティックトレーナー、日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツトレーナー、NSCA-CSCSなど。
基本情報
所属:筑波技術大学保健科学部保健学科理学療法学専攻 /特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会
役職:助教/日本ブラインドサッカー協会 医事部
出生年:1986年
血液型:A型
出身地:北海道札幌市
出身高校:北海道札幌東高校
出身大学:北海道大学 医学部 保健学科 理学療法学専攻
出身大学院:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 体育学専攻
所属団体、肩書き等
  • ブラインドサッカー協会 医事部
筑波関連
学部:人間総合科学研究科 体育学専攻 2009年入学
研究室:スポーツ医学研究室(宮川研究室)
住んでいた場所:桜2丁目
行きつけのお店:鳥吉 筑波大学店
プライベート
年間読書数:30冊程度
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:寿司、焼肉
訪れた国:8カ国

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