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金子スライダー

10代で活躍ができなかった僕が、リオ五輪に

Sportsperson
2017/07/31
インタビュー
  • 87
オリンピック競泳日本代表
金子 雅紀
(体育専門学群 2010年入学)

1歳にならない頃からスイミングスクールに通い始めたが、思うような結果が出ず、10代の頃は決して注目選手ではなかった。それが筑波大に入学後、20歳を超えた頃からタイムが伸び始めて、2016年、24歳の年で初めてオリンピックに出場。その背景には持ち前の“負けん気の強さ”が活きていると自己分析する。

負けず嫌いな性格が水泳に活きている

まずは、水泳を始めたきっかけを教えて下さい。

水に触れ合い始めたのは0歳6か月の頃、親が自分をベビースイミングに入れたことがきっかけでした。選手コースで本格的に水泳をやるようになったのは小学校2年生の時。地元のスイミングでジュニアクラスに通っていたんですけど、選手コースのコーチが僕の泳ぎを見て「選手コースに入らないか」と声をかけてくれて。試しに入ってみたら記録がどんどん伸びていきました。

ご両親は水泳をされていたのですか。

いえ、全く。文科系の部活だったそうです。兄が先に水泳をやっていたから、僕にも水泳を始めさせたという経緯だったと聞きました。

選手コースでのレベルは?

全国大会に初めて出たのは高校1年になってからで、それまでは良くて関東大会に出場できるレベルでした。3月27日生まれで、JOCジュニアオリンピックカップが開催されるのも、ちょうど3月27日。大会当日にタイムが1つ上の学年のものに上がるので、幼い頃は不利だったんです。

体格にしても中学までは小さく、ようやく中学2年から伸び始めて高校3年で180㎝に。高校になってからは他の人と比べて「大きい」と言われるようになりました。

クラブチームに所属していたのですか?

中学2年からは強い選手が多く集まっているスイミングスクールに移籍し週6回通いながら、中学の水泳部の朝練にも参加していました。多い時で週に10回は練習していたでしょうか。

当時は泳げば泳ぐほど記録が伸びましたが、全中(全国中学水泳競技大会)には出られなかったんです。いつも関東大会止まりで。

オリンピック選手のほとんどは10代の頃から速いと聞きますが。

僕のようなケースは、なかなか珍しいと思いますね。

高校ではいかがでしたか。

練習量を減らし、質を求めるためにスイミングスクール一本に絞るとどんどん記録が伸びていって。高校1年で初めてジュニアオリンピックに出場し、高校2年で初めてインターハイ、高校3年ではインターハイ100メートル背泳ぎで7番という初めての入賞を味わいました。

ようやく開花したのですね。

いや、それが少し違うというか。高3の時は高速水着が真っ盛りで、それを着用したらありえないぐらい速くなって決勝に残っちゃったんです(笑)。今は禁止ですけど、当時、あって良かったなと思うのは、高3で出したインターハイの記録があったから筑波大の推薦を頂くことができたからです。高速水着がなかったら今の僕はないといっても過言ではないです。

なぜ筑波大にいこうと?

それも運が良くて、途中まで他の大学にいこうと思っていたら筑波大の推薦枠が1人空いたからと声をかけて頂いて。「国立だから勉強も頑張れるしいいな」と思って決めました。筑波大は水泳の強豪校で、日本のトップで活躍している選手もいたので魅力を感じていたというのも筑波大に決めた理由の1つです。

入学してみていかがでしたか。

高校時代まで陸上トレーニングをしていなかったので、陸上トレーニングにも力を入れている筑波大の練習についていくのは大変でした。朝練もキツかったですし、1年生としての仕事もあって。入学して2週間は体調を崩したりしていましたが、周りの同期を見渡して「苦しいのは自分だけじゃない」と奮い立たせて、耐えて耐えて……1か月はかかりましたよ。練習や環境に慣れるまでに。

でも筑波大は他の大学と比べると量より質を求める練習内容で、陸トレさえ慣れてしまえば水中はそこまでたくさん泳ぐわけではないので、なんとかついていくことができました。

指導者は?

大学1年の夏から7年間、一貫して仙石(康雄)先生にお世話になっていました。競泳の場合は、あまりコーチを変えないんです。

大学3年、ロンドン五輪の選考会で9位に。当時、オリンピックに対して抱いていた思いとは?

選考会では100mと200mの背泳ぎで自己ベストを更新することができたのですが、200m背泳ぎで代表を決めた選手とは3秒以上の差があって全く歯が立ちませんでした。ロンドンはもちろんですが、その4年後(リオ)に関しても、そこまで現実的に考えられなかったです。

オリンピック選考会は一発勝負ですし。

そうですね。いくら1か月前まで日本記録とか世界記録を出していようが、当日にインフルエンザで出られないとか体調を崩すとアウト。神経質になったこともありましたけど、いつも通りの生活をしていればそんなに大きく体調を崩すことはないだろうと、極力、普段通りでいることを心がけていました。

その後、大学4年になって急激に記録が伸び始め、日本選手権6位、日本短水路選手権では日本新を叩き出しました。

大学最後の年、その後も水泳を続けられるかはその年にかかっているので、今まで以上に練習の質を重視して頑張ったら結果がついてきたといった感じです。

金子2

ご自身の性格は水泳に向いていると思いますか?

負けず嫌いな性格は水泳に活きていると思いますね。例えば練習でクロールをするにしても、クロールが筑波大で一番速い選手に負けないように泳ぐことを心がけていたら練習が強くなって、それが試合にも活きたことを実感しました。

普段から「最後に競り負けないように」と相手を意識して練習をすることが性格に合っていたのかもしれません。周りを意識し過ぎて自分の泳ぎができない人もいるので、人によるとは思いますが。

では、部活以外で筑波大で印象に残っていることは?

卒論ですね。競技を続けながら大学院に入るための勉強をして、卒論もやるという三本柱でやっていた時期は本当に大変でした。大学院は推薦で落とされてしまったので、一般に回って3か月ぐらいみっちり勉強をして合格。周囲の支えがあったから、乗り越えることができましたし、その3つの全てで結果が残せたのは自信になりました。

リオ五輪では興奮して眠れなかった

大学院に進学すると同時に株式会社ユラスに入社。その後も記録が伸びて23歳で初めて世界大会出場。

ここにきて記録が伸びるのは珍しいことで、周りから「なんで、そんなにタイムが伸びたの?」と、よく聞かれましたね。

その背景には、社会人1年目で日本代表に入れなかったことで「今までの取り組みじゃ甘いんだ」と、さらに練習以外のこと、例えば栄養面や体のケアに対してもプロの意識をもって取り組むようになったことが大きいと思います。陸トレも海外のトレーニングを取り入れたり、日本のトップ選手が行っているトレーニングを取り入れたり。

2015年、修士2年で世界水泳の代表入り。初の日本代表として何か感じたことはありますか。

自分が目標とする試合までの持っていき方が難しいということですね。大学時代なら4月に日本選手権が終わってから次の大きい大会であるインカレまで5か月ありますが、世界水泳に出場するとなると日本選手権からは4か月しかない。

それだけでトレーニングの計画が変わってきますし、日本代表に入ると海外での試合が入ってくるので、5月にオーストラリア、6月にヨーロッパ3か国を回り、その後もアメリカ、ロシア……と強化合宿が続きます。

大変なスケジュールですね。

それに加えて海外だと食事面で十分に栄養がとれず、時差ボケもあって本調子で世界水泳に臨むことができませんでした。でも、その経験があったからこそ、しっかり準備をして次の年に臨めたのだと思います。

翌年、リオ五輪に出場。

リオの年は参加する合宿と試合を絞って、選考会で100%の力が出せるように計画しました。それでも選考会では200mの前に行われた100mの記録が思わしくなく、周りも動揺していましたし、自分もどうしていいか分からなくなって。レースの映像を何度も見返しながら2日後に行われた200mに向けて、なんとか立て直してギリギリ間に合わせたといった感じでした。

金子1

オリンピックに出場する当日はどう迎えましたか?

水泳競技5日目の試合でしたから、どんどん皆がメダルを獲っている姿を見て興奮状態で。「早く泳ぎたい!」ってずっと思っていたんですけど、興奮し過ぎて試合の前日にちゃんと眠れなくて(笑)。あんな経験は初めてでしたね。

終わって、何か反省点は見つかりましたか。

オリンピック前に仕上がるのが早かったり、選手村での生活に慣れずきちんと眠れない日が多かったのが反省点ですね。

学生生活としてはリオに向けて一年休学し、その後に復学。

修士論文では「ドルフィンキックの3次元動作解析」を行いました。沢山の方々のサポートもあり、なんとか研究を終えました。ドルフィンキックには卒論を書いた時から興味を持っていて先行研究を読み漁っていましたから、さらに研究を掘り下げることができて良かったです。

研究と現場の違いを、身をもって感じたのでは?

いや、意外と研究で言われていることが現場で考えている人と一致することも多かったですよ。例えば水中ドルフィンキックって、それまでは2次元で横から見たもので分析していたので上下の動きしか分かりませんでしたが、修士論文の研究の際には複数のカメラを使って3次元で下肢の動作を撮影したんですね。すると、足首がねじれる様子が鮮明に映っていて。

僕自身、足を振り下ろすときに股関節から足を絞るイメージがあったので、「やはり、その辺りが大事なんだ」と再確認できたのと、泳ぐのが速い人と遅い人の統計をとって優位差を見られたことも良い勉強になりました。もう少し研究が進めば、もっと新しい発見があると思います。

7年間、筑波大に在籍し、筑波大で良かったと思うことは?

全て、ですね。実家から離れて一人暮らしをしながら自立心を養い、部活動という集団に属してチームのために戦うことを学べたことは非常に大きかったです。それに、練習の内容も科学的で理にかなった内容なので、競技を続けつつ、そういったことを学べたのは筑波大だからだと思います。

今年4月から株式会社ナガセに入社。今もなお競技を続けていますが、その先には東京五輪が?

もちろん、東京オリンピックで金メダルを獲得するという目標を持っています。今年は代表落ちしてしまったので、しっかりトレーニングを積んで来年に向けてのベースを作っていこうと。まずは、来年のアジア大会で金メダルを獲得し、世界のトップと争えるぐらいのタイムを出す事が目標です。

あなたの“つくばウェイ”とは?

文武両道。1つに絞ることは簡単だけれど、「将来のため」と水泳も勉学も頑張っていると、意外と両方で結果が出せますし、双方に良い影響を及ぼす事もあります。しかも、そのための環境が整っているのが筑波大の強みです。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

筑波大は施設や優秀な人が揃っていて、どんな分野でも世界のトップを目指せます。1人にならず、そういった環境をフル活用して高みを目指して下さい!

プロフィール
金子プロフィール
金子 雅紀(かねこまさき)
1992年生まれ、埼玉県出身。細田学園高等学校を卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。 0歳からベビースイミングを始め、8歳からは地元のスイミングスクールの選手コースで競泳選手のキャリアをスタート。高校時代は100m背泳ぎで、7位入賞の実績を残す。大学入学後に頭角を現し、大学4年次に200m背泳ぎの日本短水路新記録を樹立。卒業後は大学院に進学し、研究と競技を両立させる。2015年には初の日本代表として世界水泳に出場。2016年の日本選手権も200m背泳ぎで派遣標準記録を突破し、2位入賞を果たしリオデジャネイロオリンピックに出場。現在、株式会社ナガセ(イトマン東進)所属。
基本情報
所属:イトマン東進(株式会社ナガセ)
役職:人事部
出生年:1992年
血液型:O型
出身地:埼玉県川越市
出身高校:細田学園高等学校
筑波関連
学部:体育専門学群 2010年入学
研究室:水泳競技コーチング論
部活動:水泳部
住んでいた場所:天久保4丁目
行きつけのお店:プリムローズ
プライベート
ニックネーム:まさやん
趣味:ボウリング、コーヒー
特技:腹踊り(笑)
尊敬する人:マイケルフェルプス
年間読書数:約5冊
心に残った映画:グリーンマイル
好きなマンガ:キングダム
好きなスポーツ:水泳(その他のスポーツは苦手)
好きな食べ物:肉、モモ
嫌いな食べ物:しそ
訪れた国:12カ国
大切な習慣:毎日コーヒーを飲む
座右の銘
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