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河野さんスライダー

選手に嫌われてもいい。本気でぶつかっていく

Sportsperson
2018/05/07
インタビュー
  • 105
水戸ホーリーホック ゴールキーパーコーチ
河野高宏
(体育専門学群2003年入学)

幼少時代から胸に秘めていた「サッカー選手としてプロになりたい」という夢を自ら諦めてしまったことを、大学時代、唯一の後悔として挙げる。その感情をバネに、今はゴールキーパーコーチのプロフェッショナルとして水戸ホーリーホックに所属。コーチとして同じチームに7年間も所属できることは、それほどよくあることではない。彼の骨格を作った筑波大での出会いと経験を聞く。

大学時代の後悔は、プロになる夢を諦めたこと

サッカーを始めたのはいつですか?

小学2年の時、友達とサッカーで遊ぶのが楽しくて、その延長でスポーツ少年団に入りました。最初はフィールドプレイヤーもキーパーもやっていましたが、小学5、6年ぐらいからキーパーが主になり始めて、それからずっとキーパーです。

なぜ筑波大に進学されたのでしょうか。

日本代表のキャプテンとして活躍されていた井原正巳さんは僕と同じ滋賀県出身で、井原さんが筑波大からプロになったと聞いて、「じゃあ僕も筑波大に行く!」と小学生の時に漠然と思うようになりました。

もっと身近に筑波大を感じるようになったのは、高校1年の時に外部のキーパーコーチとして指導に来て下さった高校サッカー部のOBが、筑波大蹴球部だったことです。こんな風になりたいと憧れを持つようになって、筑波大を本気で目指そうと思いました。

その方から受けた影響とは?

キーパーの専門的なことを学んだのは初めてでしたから、キーパーって奥が深い、学ぶことがたくさんあって面白いなと。それから、また新鮮な気持ちでサッカーに向き合うようになったという感じです。

競技者としての成績は?

小学の時は県の選抜チームに選出、高校の時は一学年上の先輩に元Jリーガーである矢島卓郎(清水エスパルス、川崎フロンターレ等でプレー)など、すごい人がいたことでインターハイの滋賀県予選で優勝し、インターハイのメンバーとして出場させてもらいました。

河野さん3

筑波大では、どんな生活を送りましたか。

最初はプロを目指していましたが、井の中の蛙で、蹴球部には世代別の日本代表に呼ばれているような競技力の高い選手がたくさんいましたから、僕はたまに1軍呼ばれて練習に参加させてもらうことはあっても、なかなか定着することができずにいました。

例えば同期でいうと岡田隆(ジュビロ磐田などで活躍)、大島翼(ファジアーノ岡山などで活躍)、一学年上には藤本淳吾さん(元日本代表。ガンバ大阪所属)がいて。彼らのレベルの高さに触れ、自分自身を見つめ直す機会は多かったですね。

自分自身について、どのように考えたのでしょう?

大学4年になってトップチームに関われる時間が短くなってきた時に、「俺の競技レベルはこんなものか」と、プロになる夢を諦めてしまいました。今思えば、それが大学時代の唯一の後悔です。

同期の中には、スカウトが来なくても、諦めずに自分からトライアルを受けに行ってプロになった人もいますから、「どうしてそれぐらいの熱量を持てなかったんだろう?もっと自分のやりたいことを忠実にやっていれば別の道が拓けたんじゃないか」と。自分で自分に線引きをしてしまったことは、今振り返っても悔やまれます。

卒業後は大学院へ。

プロになれなくてもサッカーに関わる仕事がしたいと、指導者を目指すために大学院に進学。学生コーチとして蹴球部に関わり始めて、大学院2年になった頃、蹴球部の監督に風間八宏さん(現・名古屋グランパス監督)が就任されたことで、自分の中でサッカー観がガラっと変わりました。

どんな影響を受けたのでしょうか。

風間監督は「個人の力を突き止めていけば、もっとサッカーがうまくなる」という理論を持っていて、例えば対面パスから始めるなど、サッカーを何年もやってきた人間からすると「そこからやるの⁉」という基礎的な練習を取り入れていました。

最初は戸惑いもありました。それまではキーパーは試合中、コーチングによって、球がゴールに飛んでこないよう味方を動かすことが役割だと教えられていたのに、風間監督からは「自分のこともできていないのに、人のことをコーチングするんじゃない」と。もっと自分自身を突き止めてプレーの精度を高めることを求められましたから。

次第に、その指導法に納得がいくようになったのですか?

インカレで準優勝するなど結果が出ましたからね。それに、一緒に学んでいた仲間の成長も大きな影響の1つでした。風間さんが設立したトラウムトレーニングで働いていた同期の内藤清志(現在はトラウムトレーニングを退職)と小林大輔は、当時、一緒にコーチを務めていたんですけど、風間監督の影響を受けてみるみる成長していくのが分かって「自分も、もっと成長したい」と思わされました。

それでメキシコにサッカー指導者として留学することにしたんです。全く違う環境の中で、サッカーを見る目を養いたいと。

河野さん4

なぜメキシコだったのでしょう?

あてもなく色々調べていたら、日墨交流計画(現 日墨戦略グローバルパートナーシップ)という日本・メキシコ政府間の交換留学制度を使えば奨学金がもらえることが分かって。筑波大の先生たちに推薦文を書いて頂き、自分で応募しました。

2009年から現地の指導者学校に半年通い、分からない言葉を必死に訳しながら勉強して、翌年にはクルスアスルという名門のクラブで練習に参加させてもらいました。とはいえ完全にオブザーバーとして横で見ているだけ。それでも、チームの人は皆いい人たちで間近でトレーニングを見せてくれて、今日のトレーニングどうだったかと感想を聞いてくれたり。ウェルカムな雰囲気が充満していて、良い思い出ばかりです。

帰国後、蹴球部のゴールキーパーコーチに復帰されています。

そこで再び風間監督の指導に触れることで、改めてキーパーとはどうあるべきかを学びました。大事なことは余計な先入観を持たず、理屈をこねず、テクニックに走らず、とにかくゴールを守ること。とてもシンプルですが、それこそがキーパーの役割だと実感させられました。

監督に「お前には、そういうキーパーを育てて欲しい」と言われた通り、現在の僕の指導にも大いにその学びが活きています。

震災がきっかけでチームとサポーターが1つになった

2011年から現在まで、水戸ホーリーホックのキーパーコーチを務められています。チームに入られたきっかけを教えて下さい。

大学時代にお世話になっていた萩原武久先生が2009年に筑波大を退官されて、水戸ホーリーホックに強化・育成部長として入られました。その翌年のシーズンで木山隆之監督(現モンテディオ山形監督)が退任されることになり、スタッフを一新するということで萩原先生に声をかけて頂いたことがきっかけです。

コーチとして意識していることは何ですか?

10人いたら10人の特徴がありますから、それに対して柔軟に対応していくことですね。自分の型にはめて、こうじゃなきゃダメだではなく、1人1人の特徴を活かしたゴールの守り方を提案することを心がけています。

引き出しの多さや器の大きさが試されますね。

こうだと答えを1つに決めて、そのように育てるほうが簡単ですけどね。今のやり方は、僕自身の引き出しを増やすための努力をしないといけないです。

特に最近、日本人のGKも特徴の幅が広がってきて、例えば体格にしても170cm台の人もいれば190㎝台のもいる。その二者ではプレースタイルは全く異なりますから、同じことを求めてはいけない。私が色んな答えを持つことが大切だと感じています。

引き出しを増やすために実践していることはありますか?

指導法が固まらないように、機会を見つけては海外で学んできたり、他のスポーツのキーパーを観察したりします、ハンドボールのキーパーやフットサルのキーパーのゴールの守り方はとても参考になります。

7年間、同じチームに在籍するのは珍しい。チームに信頼されている証ですね。

このチームは僕にとって初めてのクラブチームであり、特別なチームです。

2011年に入った年に東日本大震災があり、水戸も大きな被害を受けました。グラウンドはめちゃくちゃで「練習はどこでやるんだ。そんなことよりサッカーをやってていいのか⁉」という雰囲気の中、それでも、サッカーを観たいと言ってくれている人がいる。それなら、サッカーでしかできないことがあるんじゃないか、など色々考えさせられた出来事でした。

何をやっても不謹慎というムードをスポーツやエンターテインメントが打ち破り、日本中を元気にしてくれました。

あの時、チームが1つになり、サポーターの皆さんも他のクラブのサポーターの皆さんも助けてくれて。皆さんのあたたかさに触れたからこそ水戸がすごく好きになりましたし、7年いたから満足ではなく、今後も長くいられるだけいたい。必要とされる以上は、このチームで仕事がしたいという気持ちで一杯です。

河野さん1

コーチとして苦労したことはありますか。

選手に接する時、嫌われたくないという気持ちが出てしまって、選手にとって耳障りのいい、上っ面なことだけを並べてしまいがちなんですけど、それでは選手は変わらない。本気で選手のためになることをしようと思ったら、本気の熱量で接さないとダメだと実感した出来事がありました。

どんなことがあったのでしょう?

今年、大宮アルディージャに移籍した笠原昴史という選手が、水戸にいた頃。彼はキーパーとして、高い能力を持っているのに、どうしてもレギュラーになれなかった。一番手のキーパーと比較した時、その差はコミュニケーション能力や、リーダーシップという部分でした。チームメイトとコミュニケーションをとることなど何度もアドバイスをしていました。

それでも彼は変わらない。じゃあアプローチ方法を変えてみようと、一度本気で自分の感情をぶつけてみたんです。そしたら向こうも言い返してきて、練習中に周りの選手がドン引きするほどのケンカになって。最後は僕に背を向けて彼は去っていきましたが、その背中に向かって「今変わらなかったら一生後悔するぞ!」という言葉をぶつけました。

彼に変化はありましたか?

次の日に彼が、前日の態度を謝りに来てくれました。その時に「俺たちはプロなんだから意見のぶつけ合いがあるのは構わないよ。言い返す力があるんだったら、その感情をプラスの方向に変えて、もっと自分の思っていることをチームメイトに伝えていったら」と和解。その後、彼は自分の意思を味方に伝えるようになっていった。それに伴って、プレーも素晴らしく良くなってレギュラーに定着したんです。

そして、ついに2017シーズンには全試合に出場するような頼れる選手に成長し、今シーズンは大宮アルディージャに移籍していきました。

河野さん5

それは良いお話ですね。

あとあと聞いたら、僕が彼の背中に向かって投げかけた言葉が一番響いたそうです。

この経験を経て、本気でその人を思うのだったら感情を込めて本気でぶつかっていかなきゃいけないと気付かされたんです。その瞬間は嫌われたとしても、僕の言葉が選手の中に残って、何年後かに選手が成長する手助けをするかもしれないですから。

では、今後の目標を教えて下さい。

26歳の年にプロの世界でキーパーコーチとして仕事を始めて、1年目、2年目はプロと大学生との違いをひしひしと感じながら、右も左も分からない状態でとにかく選手のためにやろうと必死でした。

今、チームはJ2なのでJ1に上がることはもちろん目標の1つですが、その初心の気持ちを持ち続けて、自分が関わった選手のために全力を尽くすこと。そして、選手が1つでも2つでも上のステップで活躍できるよう手助けをすることが、僕の使命だと感じています。

あなたの“つくばウェイ”とは?

プロや高校の先生になることだけじゃなく、指導者になる道もあると知ったのは筑波大にいったからこそ。当時の仲間は選手になった人もいれば指導者もいる、フロントで頑張ってるやつもいます。今につながる人脈作りができたことも財産です。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

僕は大学時代にプロの夢を諦めてしまったけれど、皆さんには自分のやりたいことを素直に「やりたい」と言い続けて頑張って欲しいです。

河野高宏さんが所属する
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プロフィール
河野さんプロフィール
河野高宏(こうのたかひろ)
1984年生まれ。滋賀県出身。滋賀県立膳所高校卒業後、2003年筑波大学体育専門学群入学、2007年筑波大学大学院体育研究科入学。大学院在学中にはGKコーチとしてインカレ準優勝を裏からサポート。その後日墨交流計画(現 日墨戦略的グローバルパートナーシップ)によるメキシコ留学を経て、大学院修了後は一貫してJクラブチームである水戸ホーリーホックにてGKコーチを務める。
基本情報
所属:株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホック
役職:水戸ホーリーホック ゴールキーパーコーチ
出生年:1984年
血液型:B型
出身地:滋賀県大津市
出身高校:滋賀県立膳所高等学校
出身大学:筑波大学体育専門学群
出身大学院:筑波大学大学院体育研究科
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:サッカーコーチング論研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:天久保2丁目
行きつけのお店:夢屋、砂島、餃子屋、ホワイト餃子、ごう家
プライベート
ニックネーム:たかひろ
趣味:ウエイトトレーニング、スノーボード、サーフィン
特技:どこでも寝れる
尊敬する人:風間八宏、坂本龍馬
年間読書数:20冊程
心に残った映画:Life
好きなマンガ:スラムダンク、キングダム、アオアシ、BeBlues
好きなスポーツ:球技全般、スノーボード、サーフィン
好きな食べ物:焼肉、ラーメン
嫌いな食べ物:しいたけ
訪れた国:韓国、メキシコ、スペイン、ドイツ

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