プロサッカー選手を目指していたジュビロ磐田ジュニアユース時代、ケガがきっかけでアスレティックトレーナーの存在を知った。アメリカの高校生活を経て、進学した筑波大で人との出会いに恵まれ、サッカー日本代表カタールW杯に帯同するまでに。「周りの人が導いてくれた」という道のり、そしてアスレティックトレーナーに一番必要なものとは。
2つありまして、まず1つは、東京メディカル・スポーツ専門学校の教員としてアスレティックトレーナーの養成に携わっています。
学校では鍼灸と柔道整復師、理学療法士という医療の国家資格が取得でき、それと並行してアスレティックトレーナー専攻という付帯教育を選択すれば、アスレティックトレーナーの資格も取得できます。
サッカー日本代表のアスレティックトレーナーとして働いています。昨年のカタールW杯と、今年3月にはキリンチャレンジカップにも帯同しました。だいたい年間80日から100日は代表チームについて、それ以外は学校で働いているという形です。
トレーナーと仕事内容に変わりはないのですが、アスレティックトレーナーは日本スポーツ協会公認の資格で、国家資格ではなく民間資格です。
資格を取るには600時間ぐらいカリキュラムを受け、プラス180時間以上の現場実習を終えた後に筆記試験があって、それをクリアすると次は実技試験。それに合格すればアスレティックトレーナーの資格が得られるというプロセスがあり、受験者の合格率は30%以下と難易度が高いので、アスレティックトレーナーの資格を持っているだけで知識も経験も積んでいることが証明できます。
ただ、それを持っているから独占的に何かができるというわけではなく、僕の場合は国家資格の鍼灸、あんま、マッサージ指圧師も持っていて、プラスで、アスレティックトレーナーの資格を持っているという感じですね、
とはいえ、サッカーの日本代表チームで働きたい場合はアスレティックトレーナーの資格が必須となっており、スポーツ現場、特にトップレベルではこの資格が求められていると感じます。
アスレティックトレーナーという仕事を知ったのは、ジュビロ磐田のジュニアユースに所属していた中学3年の時、プレー中に右の外くるぶしを骨折したことがきっかけです。
病院で理学療法士さんにリハビリ指導をしてもらいましたが、復帰間近にチームに戻ると、当時チーム内にはトレーナーがいない状況で、たまたまインターンに来ていた学生さんがリハビリしてくれたんですね。その方がアスレティックトレーナーの資格を目指していた方でした。
その経験を通して「こんな仕事があるんだ」と。当時はサッカーのプロを目指していましたが、「選手としてダメだったら、こういう仕事もいいな」と思うようになりました。
はい。さらに興味を持ったのは、高校時代、親の仕事の関係でアメリカに暮らしたことが大きいですね。学校に1人アスレティックトレーナーが雇われていて、部活でケガをした人がリハビリをしたり、筋トレのトレーニングを受けるなど日常的にアスレティックトレーナーが活躍していたんです。
はい。日本よりも、アメリカの方がアスレティックトレーナーとしての歴史が長く、研究も進んでいると言われています。そのままアメリカに残って、アメリカの大学で勉強しようかとも考えたのですが、気持ちとしてはすごく日本に帰りたくて(笑)。
そんな中、当時、ジュビロ磐田のフィジカルコーチをやっていた菅野(淳)さん(公益財団法人日本サッカー協会 フィジカルフィットネスプロジェクトリーダー / U20日本代表フィジカルコーチ)が、ジュビロのHPで一般の人からの質問を受け付けているのを知り、質問してみることにしたんです。
「僕はアメリカにいる高校生です。将来トレーナーになってJリーグで働きたいのですが、日本かアメリカか、どちらがいいと思いますか」って。
今振り返ると、よくそんな質問できたなって思うんですけど、菅野さんは「Jリーグでトレーナーをやりたいんだったら、つながりが物をいう世界だから、日本に帰ってきた方がいい」、かつ、「筑波大がいい」というアドバイスを下さって。
菅野さん自身、筑波大大学院で学ばれている方なので、その影響で筑波大を目指すことにしました。
そうですね。その後、菅野さんとはジュビロで一緒に仕事をしたり、今は日本サッカー協会の仕事を通じてご一緒することがあります。菅野さんは、間違いなく人生の選択に大きな影響を与えて下さった方々の1人ですね。
東京で生まれてすぐ静岡県浜松市に引っ越したのですが、静岡はサッカーをやっている子供が多く、遊びといえばサッカー。小学生の頃に自然とサッカーを始めました。
選手としてサッカーをしていたからこそ感じられた、選手を支える人たちへの思いや、どのように寄り添うのが選手にとって良いのかといったことは、今の仕事に生きていると思います。
3年次、蹴球部のドクターをされていた宮川(俊平)先生のスポーツ医学研究室に入って、基礎を学びました。宮川先生は1998年のフランスW杯で日本代表のチームドクターを務めていた方で、当時は蹴球部のドクターをされていたので、僕が1年の頃からケガした人を診てもらうなど交流がありました。
今思えば、部活にチームドクターがいる大学なんて筑波大以外にそれほど無いんじゃないでしょうか。Jリーグなどトップチームのような環境が大学にあり、しかも第一線で活躍していた先生に指導して頂けるなんて、本当に恵まれた大学生活だったと思います。
鍼灸の資格とアスレティックトレーナーの資格を持っている吉田成仁さん(つくばウェイvol.76で紹介)が週に1回、蹴球部に来ていた時に初めて鍼灸と出合い、それまでは鍼灸なんて怪しい世界だと思っていたんですけど(笑)、効果を実感したことで卒業後に鍼灸の専門学校にいくことにしました。
それと、3学年上の北原次郎さんがジュビロ磐田のテクニカルスタッフとして働いていたご縁で、専門学校を卒業した翌年のタイミングで声をかけて頂き、ジュビロに入ることができたので、筑波大に入ったからこその出会いは確実にあったと思います。
今でも悔いが残っていて、それが原動力になっている――そんな経験を大学時代にしました。
蹴球部で学生トレーナーをしていた頃、トップチームで活躍している同級生が膝の前十字靭帯を損傷してしまい、そのリハビリを僕が担当することになったんです。長いリハビリを経て、ようやく戻れたと思ったらパフォーマンスが上がらず、試合に出られない日が続きました。
結果、彼が目標としていたプロにはなれず、今は教員として立派に活躍してくれていますが、トレーナーとして自分が未熟だったから彼を良い状態で戻してあげられなかったんじゃないかと……。そういう気持ちが、今も心の中に残っています。
でも、そのことを思い返して「何クソ!」と自分を奮い立たせたことが、今につながっているんです。
ジュビロにいた頃、アキレス腱を痛めた選手が、半年ぐらい痛みが取れないまま試合に出続けて、僕の立場としては止めたいけれど本人は試合に出たい、監督も本人がある程度のパフォーマンスを出せるのであれば試合に使いたいと。そんな状況の中、そのシーズンが終わると、活躍が認められてその選手は日本代表に選ばれました。
そうなんです。その経験を通して、僕は単純に医療のスペシャリストとしてだけじゃなく、チームの一員として色んな視点を持たなければいけないことを学びましたし、もっと僕が高い治療技術を持っていれば、ケガをより良くした状態で、迷うことなく試合に出してあげられたかもしれないと。
そう考えると、これからも技術を向上させることが大事だと、気を引き締めた良い経験になりました。
当時35歳、2019年にジュビロを辞めたのは、ジュビロという恵まれた環境の中で自分の存在が認められるようになると、なんとなく、ぬるま湯に浸かっているような気がしたからです。
先ほどお話したように、もっと自分の技術を向上させるには違う環境に身を置くことが大事だなと。そう考えてゼロからスタートできるような環境に移ることにしました。
1つだけ挙げるとしたら、人間性に尽きるのではないでしょうか。技術はもちろん必要ですが、トレーナーは選手と関わる機会が長いですし、ほとんどのJリーグのチームはトレーナーが2、3人いて、そこでの人間関係も大事です。
それ以外にもコーチやドクターとの連携など、とにかく色んな人と関わる職業なので、「この人だったら任せられる」と信頼される人間性が求められます。
今働いている学校は、2006年のサッカーW杯ドイツ大会から長きに渡ってレフェリーのコンディションニングを担当した妻木充法さんが名誉校長を務めていて、先生はよく「一つの塵(ちり)を見つけられない治療家に良い治療ができるはずがない」とおっしゃるのですが、ごみを見落とす人は選手の細かい変化を見つけられないとの精神から、駅から学校までゴミを拾いながら来るんです。
その姿勢に感銘を受けますし、先生が普段どんなことに気を付けているのか、大事にしているのか、どんな本を読んでいるかを教えて頂きつつ、技術だけでなく人間性も高めていける。とても良い環境だと実感しながら働いています。
カタールW杯の際、日本代表のロッカールームが使用後にきれいに清掃されていて、しかも清掃をする人に対して、感謝の折り紙を置いていると世界のメディアで報じられましたよね。
あれは誰が始めたことなのか、中にいた僕自身もよく分からないのですが、W杯に限らず海外に行く際、スタッフ陣はマイちりとりとマイほうきを持っていき、練習場や試合会場を掃除するのが習慣です。それに賛同して、自らのほうきで掃除してくれる選手もいるんですよ。
海外の一部メディアでは「ロッカールームの清掃をする人の仕事を奪っている」との批判もあるようですが、海外には海外の、日本には日本の考え方がありますし、FIFA(国際サッカー連盟)の公式ツイッターで、日本代表のロッカールームの写真と感謝の言葉が載せられていたことを思うと、僕たちがやっていることに間違いはないと実感しています。
一番の目標は、トレーナーとして変わらず代表チームに帯同しながら、前回のカタールW杯で実現できなかった“新しい景色”、つまり、もっと高いところを目指すことです。
W杯を振り返ると、もっとこうできたんじゃないかと悔しさだけが残っているので、次に関わらせて頂くチャンスがあれば、悔いのないよう自分の役割をしっかりと果たしたい。
教員としては、教え子たちに強い思いを持ってJリーグなり、代表チームなり、プロフェッショナルな現場で活躍して欲しいですね。技術だけじゃなく、アスレティックトレーナーとして必要なものが何かを伝えながら、スポーツ界の未来を担う人材を育てていきたいです。
人とのつながり、それに尽きます。同期との横のつながり、先輩との縦のつながり、そして他大学の学生トレーナーとの斜めのつながりがあって、周りに導いてもらったからこそ今の自分がある。そうしたつながりが、僕の人生やキャリアに影響を及ぼしていると思います。
人とつながれる場所であり、自分の夢に向かって突き進める環境や施設が揃っているので、目標を持って入学している人には最高だと思いますし、夢や目標がなくても、必ず見つかる場所だと思います。
所属: | 学校法人滋慶学園 東京メディカル・スポーツ専門学校 |
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役職: | 専任教員 |
出生年: | 1984年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 静岡県浜松市 |
出身高校: | Woodbridge High School(アメリカ・カリフォルニア州) |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | スポーツ医学研究室(宮川研究室) |
部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 春日2丁目 |
行きつけのお店: | まんぷくや |
ニックネーム: | さとし |
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尊敬する人: | 両親、お世話になっている方々 |
年間読書数: | 10冊程度 |
心に残った本: | 論語と算盤 |
好きなスポーツ: | サッカー |
好きな食べ物: | チャーハン |
訪れた国: | 16カ国 |
大切な習慣: | 家族との会話、ものを正面・右斜め前向きに置く |
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