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石川スライダー

スペイン留学で培った感覚を、言葉に乗せて伝える

Sportsperson
2018/06/18
インタビュー
  • 108
FC東京 通訳
石川 桂
(体育専門学群 2006年入学)

サッカー好きだった父に導かれ、中学から6年間、スペインへサッカー留学。その際に習得したスペイン語を活かして、現在はFC東京で通訳として活躍する。習得したものは単に言葉だけではない。メッシなど一流選手と戦った経験や、スペインの文化や風土、そういった肌感覚で感じ取ったものが今の仕事に大いに活かされ、次なる目標を大きく抱かせている。

中学から父子でサッカー留学。スペインでメッシと対戦

大学まではプレイヤーとして活躍し、現在はFC東京にてゴールキーパーコーチの通訳を務めています。まずは、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。

5歳の時、父の影響でサッカーを始めました。父は大学、社会人でもサッカーをやっていて、僕は小さい頃からグラウンドに連れて行かれていたので、サッカーを始めたのは自然な流れでした。
小学では地元の少年団に所属し、父は少年団のコーチ。毎日サッカー漬けの毎日を送る中で「いつかプロになりたい」と思い始めたのは小学5、6年の頃でしたね。

中学からスペインに留学されていますね。

中学に上がる前に、父が「サッカーの実力を高めるために、海外に留学しないか」と言ってきて、すぐに行くと答えました。父は勤めていた会社を辞めて、スペインで仕事を探して働きながら、僕の世話をしてくれて。自分のことよりも、まず僕の夢を後押しするために何ができるかと考えてくれた父にはとても感謝しています。

なぜスペインだったのでしょう?

留学先をどこにしようか考えた時に、僕は体が小さくフィジカルでプレーをするタイプの選手ではなかったので、南米は治安が良くない、ヨーロッパだとイングランドやフランス、イタリア、ドイツはフィジカル重視で背が高い選手が多く、強くて速いサッカーなので難しいだろうと。技術で勝負できる国はどこかを考えて、スペインに行くことになりました。

スペインではどんな形でサッカーと関わっていたのですか。

コルネアというチームに所属をしていました。トップチームは1部ではありませんでしたが、僕がいた育成は育成年代で最もレベルの高いリーグにいて、日本でいうプレミアリーグに所属しているクラブの1つ。そこで6年間、プレーをしました。

チームメイトには今、FCバルセロナで活躍しているジョルディ・アルバがいたり、のちにスペイン代表になるメッシ、セスク、ピケとは同世代で、彼らがいたチームと戦ったこともあるんですよ。

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どういった流れでコルネアに入団したのですか?

最初は入団テストに落ちて、そのクラブのチームに入ることができませんでしたが、スクールに半年ほど通ったのちにプレーが認められて。入団テストから半年後、13歳の途中からチームに入りました。そこからはずっとチームに居続けることができました。

今でこそ日本の若い選手が海外でサッカー修行するのは珍しくありませんが、当時は?

それほど多くはありませんでしたが、中学2年生の頃、スペインのエスパニョールというクラブにスカウトされて、清水エスパルスのアカデミーの高野一也と篠田悠輔が来て、彼らとは日本人学校で同じクラスでした。

言葉の習得が大変だったのでは。

何も勉強せずに行ったので最初は大変でした。ただ、僕は選手として行ったので、サッカーで使う用語といえばパスをくれとか、こんなことが言いたいんだろうと向こうもある程度想像しやすい言葉なので、それほどストレスにはならなかったですね。

性格的にも「何言ってるか分からないけれど、まあ、いっか」という感じで(笑)。ちゃんと喋れるようになったのは高校1年生の頃です。

高校卒業後に日本に帰国。スペインでプロになるという選択肢はあったのでしょうか?

もちろん、スペイン1部や2部のクラブからオファーがあればプロになっていたかもしれません。しかし現実は、コルネアのユースチームに所属していた高校3年生の時点でそういったオファーはなく、ここまで頑張ったけれど実力が足りなかったんだと思い知らされました。

コルネアからは、当時4部にいたトップチームに入ることはできると提案されましたが、給料は10万円ほどで、平日は仕事をしながら夜練習し週末にリーグ戦を戦うといった生活を送るのはどうだろう?と。

それで帰国を決意。

日本の大学でサッカーをやりながら、自分の将来をきちんと考えられる環境に身を置こうと日本に帰ってくることにしました。

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なぜ筑波大を志望されたのでしょうか。

スペインにいる間にサッカーしかしてこなかったので、今後の人生を考えた時に「サッカーしかできません」という人間になるのはダメだと。

そんなことを考えていた時に、スペインの日本人コミュニティでサッカー指導者を目指している人や、ジャーナリストと出会う機会があり、サッカーだけではなく人間的にも成長できる大学に行きたいと思うようになりました。

とはいえ勉強が好きではなかったので、唯一興味のある分野である体育が学べる筑波大に進学することにしました。

大学4年間で印象に残っていることは?

蹴球部の仲間だけではなく、帰国子女グループと体育会に所属していたので、そういった仲間たちからの影響は大きかったですね。

自分の価値観が全てではなく、色々な価値観がある、例えばスペインでサッカーをしていた時は、体育が嫌いな人なんていないと思っていたけれど、筑波大にはスポーツは好きではないけど、他の分野を極めている人がたくさんいます。そういった気付きは、筑波大に行ったからこそ得られたものです。

久々に日本のサッカーに触れて、何か感じたことはありますか。

同期が1人遅刻をした時、「学年全体のせいだから、連帯責任を取りなさい」と、そういった日本の文化が最初は理解できなくて、先輩に対して疑問を投げたことがありました。

ところが筑波大の先輩は、僕を叱りつけるでもなく2人できちんと話をする時間を設けてくれて、「チームにとって必要なことだから」と丁寧に説明してくれたんです。

あの時もし、体育会系のルールだから言うことを聞けと頭ごなしに言われていたら、納得できないままチームになじむことはできなかったかもしれません。そういったエピソード1つをとっても、筑波大に進学して良かったと思います。

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一般企業に就職して3年。やっぱりサッカー界に戻りたい!

卒業後は一般企業に入社。サッカー留学を経て、一般企業に就職することは大きな振れ幅がある気がしますが?

いざ卒業する時に選択肢が3つあって、1つはそのままサッカー界にいくこと、2つめは学校の先生になって部活でサッカーに関わること、そして3つめは一般企業に就職することでした。岐路に立って考えたのは、22歳までサッカーを続けてきて一度サッカーを離れて別の環境に身を置くんだったら、このタイミングしかないということでした。

会社員として新しい経験をすることで、自分の人間としての幅、人間力を高めることができるのではないかと、そんな気持ちで一般企業に絞って就活しました。

どんな学びがありましたか。

その企業に入りたいと思った理由は、社内で全てのビジネスを完結しているところです。例えば広告代理店に頼むようなCM制作も自分たちで行いますし、商社に頼むような材料の買い付けも自分たちでやります。

実をいうと就職活動の際、どうしてもこれがやりたい!と思うことがなかったんです。だからこそ全部いいとこどりができて、社会の流れが勉強できるという点で魅力を感じました。

3年で退職。2014年からサッカーの通訳の仕事に就いています。

入社当初から、社会人として3年経験してみて、やっぱりサッカーがいいと思えばサッカー界に戻ろうと思っていました。そして3年経った時に、やっぱりサッカーだと思った。

その気持ちに素直に従って、とにかくどんな職種でもいいから、サッカーに関われる仕事を探そうと知り合いに連絡してみたところ、スペイン時代にお世話になっていた方が、当時、湘南ベルマーレに所属されていて、湘南ベルマーレのアカデミーがスペイン語の通訳を探していると教えてくれました。それで、ぜひお願いします!と。

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ゴールキーパーコーチであるジョアン ミレッ氏の通訳になり、ジョアン ミレッ氏がFC東京に移るとともにFC東京へ。通訳としてのこだわりとは?

海外の人に比べて日本人の伝え方は柔らかく、相手を否定しないように「それも悪くないけど」と前置きをして自分の意見を述べたり、遠回しに「あんまり良いとは思わないな」と言いますよね。一方、海外の人は白黒はっきりした物言いをします。

それに慣れていない日本人は全否定されているような感覚に陥りがちなので、できるだけ直接的な表現は避けて、ジョアンコーチが言っていないことも日本語で付け足しながら、柔らかい表現をするようにしています。

相手の感情をくみ取ること、場の空気を読むことも求められますね。

そうですね。コーチ同士の話し合いでは議論が白熱することもあって、僕を挟んで2人が意見を主張し合っている時は、まるで僕が怒鳴られているかのような気分にもなりますが(笑)、両者ともプロとして主張しなければならない場面はありますから。

そういう時はお互いのプライドを傷つけないよう言葉を慎重に選んで、お互いが納得できるよう通訳をすることを心がけています。

ただ言葉を訳せばいいというものではない。

ただ言葉を訳すだけではなく、グランドに立つ前に、ある程度ジョアンコーチがどういう考えを持ってトレーニングや試合に臨んでいるのかを理解しなければ通訳は務まらないと思います。そうでないと選手に伝える時に説得力が生まれません。

ですから、特に、この仕事を始めた一年目はキーパーについて熱心に勉強しました。同じサッカーとはいえ、僕はずっとフィールドの選手でスペイン語のキーパー用語すら知らなかったので。

通訳として4年目。今後、目指すものとは?

将来的にはクラブの運営やチームの強化に携わるような仕事がしたいです。それに加えて、最近は育成年代の指導者になる勉強をすることにも興味が出てきました。

育成年代の選手は上手くなるスピードが速く、変化が目に見えて面白い。これからプロになるであろう選手の手助けができるのは、とても意義のある仕事だろうと思います。

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指導者になることに興味を持つようになったきっかけは?

これまでスペインから筑波大、そしてJリーグに身を置くことで色んな人との出会いがあり、その出会いが僕を突き動かしています。

先ほどお話したようにスペインでは一流の選手と戦うことができましたし、筑波大では同期の碓井健平(現在、沖縄SV所属。つくばウェイvol.12で紹介)や奈良輪雄太(現在、東京ヴェルディ所属。つくばウェイvol.16で紹介)といった第一線で活躍する選手と共に汗水を流しました。

指導者では、筑波大で風間八宏さん(現名古屋グランパス監督)の指導を仰ぎ、湘南ベルマーレ時代はアカデミーダイレクターの浮嶋敏さん、そして現在、FC東京の監督である長谷川健太さん(つくばウェイvol.19で紹介)という素晴らしい指導者の方々と一緒に働かせていただいて、大きな影響を受けています。

そういった出会いによって、次なる目標を持つようになったのですね。

そんな環境で自分のサッカー観を見つめ直したり、自分だったらこういう風にやりたいと考えるようになり、指導者になることに興味が湧いてきました。

彼らのプレーや指導を近くで見られるのは、まさに幸運。いつか指導者になった時に、この経験が活かされるのではないかと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

多様性。仲間が多方面で活躍している姿を見て、あいつが頑張っているから僕も頑張ろうと思える。そういった仲間のおかげで自分の世界や価値観が広がったことが、筑波大に行って一番良かったことです。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

学部の仲間や同じゼミの人とずっと一緒にいることは心地いいですが、できるだけ色んな人と知り合って、良い影響も悪い影響も受けて(笑)、とにかく全てを自分の糧にして下さい。

石川 桂さんが所属する
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プロフィール
石川プロフィール
石川 桂(いしかわ けい)
1988年生まれ。神奈川県出身。幼少期よりサッカーに親しみ、12歳でスペインへサッカー留学。中学・高校年代はスペイン育成年代トップクラスのチームでメッシやピケらを相手にプレー。帰国後、2006年筑波大学体育専門学群入学。蹴球部にてプレーする傍、体育会幹事も務めた。大学卒業後は、一度一般企業に入社するも、サッカーへの想いは冷めず、再びサッカー界に。現在JリーグクラブであるFC東京でスペイン語通訳を務める。
基本情報
所属:FC東京
役職:通訳
出生年:1988年
血液型:A型
出身地:神奈川県横浜市
出身高校:The Benjamin Franklin International School
出身大学:筑波大学 体育専門学群
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:レジャー論研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:追越宿舎 一の矢宿舎
行きつけのお店:めしくうべ
プライベート
ニックネーム:けい けっけ
趣味:旅行
特技:スペイン語
尊敬する人:
年間読書数:20冊
心に残った本:西の魔女が死んだ(梨木香歩)
好きなマンガ:ラフ(あだち充) 三月のライオン(羽海野チカ)
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:
嫌いな食べ物:納豆
訪れた国:20カ国
大切な習慣:早く寝る
口癖は?:たしかに 大丈夫
座右の銘
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