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佐藤菜美スライダー

子供たちが新潟でダンスの夢を描けるよう貢献したい

Sportsperson
2018/07/02
インタビュー
  • 109
新潟青陵大学/元新潟明訓高等学校ダンス部監督
佐藤菜美
(体育専門学群2001年入学)

野球部の応援という位置づけだった明訓高校ダンス部を全国優勝に導き、新潟の高校ダンスの存在を全国に知らしめた立役者。組織力を高めれば、結果がおのずとついてくることを筑波大で学んだ。それと同時に、ダンサーとして指導者として全国優勝という最高の名誉を手にしながらも「ダンスの本質は勝つことではない」と明言。彼女がダンスを通して得たもの、伝えたいものとは?

野球部の応援という立場だったダンス部が、全国優勝

現在のお仕事内容を教えて頂けますか。

福祉心理学部社会福祉学科に所属し、その中にある保育士養成コースの“身体表現”の専門教員として勤めています。同時に、ダンス部も新設し、顧問として指導しています。

新潟県は地元でいらっしゃいますね。

はい。長年、新潟明訓高校に教諭として勤め、ダンス部の生徒を指導していましたが、新潟の大学で公募が出ること自体が稀なので「今がタイミングだ」と転職を決意しました。

そもそもダンスを始めたきっかけは?

これはコンプレックスなんですけど、実は高校時代からなんです。しかも入学当初はダンスをやろうなんて考えず、小学時代にやっていたバスケットボール部に入部しました。ところが中学で一切ボールに触っていなかったせいで、バスケットボール部の練習についていけなくて。

しばらく何もせずに過ごして、「このまま高校生活どうなっちゃうんだろう」と焦りを感じていた6月頃、友人に「ダンス部に入ろう」と誘われて入部することにしました。

すぐに才能が開花したのでしょうか?

2年までは部活を辞めたいってずっと思っていましたよ。上下関係も厳しかったですし、ダンスの強豪校だったので部員が80人もいて。その中から目立つポジションを得るのは、とても大変でしたから。

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2年の時、どんな何か変化があったのでしょう?

センターに選ばれて自信がついたことが大きいですね。そして3年の時、全国高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)創作コンクールで特別賞を受賞し、「このままダンスを続けよう」と決意。ダンスが続けられて、体育のことも学べる大学はないでしょうかと監督に相談をしたら、筑波大を勧められました。

私の出身高校から筑波大にいった実績はありませんでしたから、推薦で合格した時は先生一同が喜んでくれたんですよ。

筑波大在学中の4年間、神戸で全国優勝4連覇を果たしています。

私たちが1年の時に村田芳子先生(現・平成国際大学教授,筑波大学名誉教授)が筑波大に来られて、その翌年に平山素子先生(つくばウェイvol.51で紹介)がいらして指導者の顔ぶれがガラッと変わりました。
3年で主将を務めた時には「現状を変えよう」と働きかけて、納得がいかないことがあればミーティングを開いて意見交換したり、体力学研究室の先輩に協力をお願いして、競技スポーツがやるようなトレーニングをダンス部に取り入れたり。色々と試行錯誤しました。

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卒業後、大学院に進学。

ダンス部以外にも、外部の組織であるコンテンポラリーダンスカンパニー「Leni-Basso」で活動をするようになって、現実的に「将来ダンサーとして働くことはできるだろうか」と悩んだのはこの頃です。

ダンサーという職業は自分にすごく興味がないとやれません。自分の体を追及したり、内的なものを追求したり。私は他人との関係性の中で自分の存在を確認していくタイプだから、プロは向かないんじゃないか…、そんなことを考えていた時に高校時代の恩師が声をかけ下さって、高校教員としてダンス部の生徒を指導することになりました。

2008年、地元である新潟県の明訓高校に就職されています。

明訓の野球部は甲子園常連校なのですが、私が入った当時、ダンス部は野球部を応援するポジションでした。部員たちも甲子園にいく球児たちを応援したいと集まってきた人ばかりで、自分たちが主役のダンスを知りません。そういった生徒に「創作ダンスをやろう」と促すと、反発してくる生徒も中にはいました。

どんな改革を行ったのでしょう?

練習メニューを変えたり、生徒の役割を組み直したり。私も若くてプライドがありましたから生徒との衝突も多かったですけど、少しずつ状況が変わって赴任から3年目に、明訓で初めて県大会で最優秀賞受賞。県代表として初めて全国大会にいくことになりました。

全国大会はどうなったのでしょう?

皆を説得して全国大会に向けて一致団結し、明訓ダンス部として初めて入賞しました。他の学校が部員30名で臨むところを、うちは部員10名しかいないにも関わらず入賞できたのはすごいことです。

改革が実を結び、感慨深いものがあったでしょうね。

ところが喜びも束の間、その大会を見ていた村田先生に「10人でよく頑張ったけれど、今度からはあなたじゃなく生徒に任せるようにしなさい」とアドバイスされて、たしかにその通りだと気付かされました。

ここまでは自分主導で引っ張ってきたけれど、生徒が自主的にやらない限り、もう1つ上のレベルにはいけない。そういった思いで生徒を見守るスタンスをとることにしました。

ただ見守るというのもなかなか難しいのでは?

「私がけん引する」という意識では次に進めない、限界があると悟ったのは、二度目となる全国入賞の前年の単独公演を行った時です。卒業生にスタッフをお願いしたり、保護者に裏方をお願いしたり。色んな人の協力を得ないと公演がやり遂げられない規模のイベントでした。

もし単独公演を私がけん引しようと思ったら、保護者に迷惑をかけないよう自分で問題解決するなど1人で奮闘していたでしょうが、現実的に自分だけの力では限界があって。

その経験を通して、保護者や学校の教員、ダンス部を取り巻く全ての人たちが一緒になって同じベクトルを向かないと、次のステップにはいけないと気付かされました。

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明訓高校は進学校ですから、周囲の協力を得るのは大変だったのでは?

勉強面がおろそかになると部活動を継続してはいけないという風潮の中、ダンス部生徒たちが学業面でも頑張れるよう工夫をしました。

例えば、毎朝実施されているテストを優先させるため朝練を強制しないだとか、部内での学業面での競争意識を高めたり、進路指導部の先生にお願いしてダンス部向けの進学ガイダンスを開いてもらいました。歴代の先輩たちから部活と学業をどう両立したかを生徒にアドバイスしてもらったりもしたんですよ。

生徒は部活と学業の両立ができていましたか。

進学実績は毎年上がりましたし、ダンスで成果が出れば学業でも、といった良い循環が生まれました。生徒の中にはダンスで賞を獲って、京都大学に一般で合格した生徒もいたんですよ。

ダンスの本質は勝つことではない

ダンス部を受け持って8年目の2015年には、神戸で文部科学大臣賞を受賞されています。

審査は大学部門と高校部門に分かれていて、筑波大ダンス部はこの賞の常連。ちょうど筑波大も賞を獲った年に、私たちは高校の部の1位を獲りました。

私も高校時代にこの大会に出たことがありますが、文部科学大臣賞は雲の上の存在。しかも当時に比べて、最近は100校近い学校がエントリーするほど盛り上がりを見せています。指導者として、まさかこの賞が頂ける日が来るなんて想像していませんでしたよ。

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さぞ嬉しかったでしょうね。

生徒も保護者も感動していましたけど、私は喜び一瞬で、すぐに恐怖が押し寄せてきました。全国優勝してしまうと、その“上”を結果として出すのは難しいですから、「この先どうなるんだろう?」というプレッシャーを感じてしまって…。

優勝後、県知事や市長への表敬訪問やマスコミ対応に追われながら、不安に襲われていたことを覚えています。

その2年後に転職。

環境を変えてみようと思ったきっかけは、全国優勝が大きいです。先ほどお話したように、当初はダンスにさほど興味がなかった部員の意識改革をし、結果が出ると学校もダンス部に信頼を置いてくれるようになり、世間的にも「明訓ダンス部は強い」「良いパフォーマンスをする」と評価を頂くようになって。

新潟の高校ダンスが全国的に有名になった達成感を味わうと同時に、成熟した組織の中で私にできることは他にあるだろうか?と考えるようになったんです。

役目が終わったような?

そうかもしれません。ところが新潟の大学となると、創作ダンスを続けられる場所が少なくて。新潟には日本で唯一、劇場専属のダンスプロ集団がいるにもかかわらず、高校とプロの間がすぽっと抜けています。

新潟の子供たちが新潟でダンスの夢を描けないのはもったいない、新潟の環境を生かしながらダンスに貢献したいと考えていた時に、恩師である村田先生に「影響を与える範囲を広げなさい」と言われて。その頃、青陵大学の公募を知り「次のステップは大学だ」と。

恩師との出会いをはじめ、筑波大で印象に残っていることは?

大学4年次、所属していた舞踊研究室主催で卒業公演があり、実行委員長を担当しました。その公演にはダンス部や舞踊研究生だけではなく、一般の体育の学生も参加して総勢300名以上が出場しましたが、中にはダンスというものに好意的ではない人もいて。

高校ダンス部の単独公演の話ともリンクしますが、大きなイベントを成功させるには、ダンスに興味のない人も含め大勢の人たちを巻き込まなければうまくいきません。そういった大学時代の経験が後になって役に立ちましたし、人とのつながりの大切さにも気付くことができました。

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筑波大にいって良かったと感じることはありますか。

全国で優勝するほどの実力でありながら、「ダンスの本質は勝つことではない」という美学を持っているのが筑波大ダンス部。競技スポーツであれば、“勝つために”やっていくプロセスが面白かったり難しかったりするわけですけど、ダンスの場合、勝つことは1つの目標ではあるけれど、最終目標ではありません。

自分の突き詰めたいものを追求した結果として評価されることが理想ですし、筑波大のダンス部はそういうところを信じていて、決して「勝ちたい」とは口に出しません。ただ、ひたむきにダンスを磨く、そういった風潮は私にも染みついています。

佐藤さんのパワーの源とは?

現状に満足しない、そういった性格が根底にあると思います。「どうして、そうなるんだろう?」と、いつも疑問を持って何かを変えようとして、納得できないと次に進めません。

たとえ大きな変化はなくても少しずつ前に進んでいることが実感できれば、また次を目指せる。その少しずつが生きがいとなって、「嬉しい」「幸せだな」と思えるからまた頑張れる。それが私のエネルギーの源だと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

結果や数字や肩書き、そして勝つことが全てではないこと。特にダンスは自由であっていい世界なので、そういったことを学びましたし、大事にしています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

過去の栄光や失敗、傷を引きずったり、どうなるか分からない未来を悲観せず、今を燃やして、今を充実させて下さい。いずれ1つ1つが線になり、面になるはずです。

佐藤菜美さんが所属する
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プロフィール
佐藤プロフィール
佐藤菜美(さとうなみ)
1982年生まれ。新潟県新潟市出身。新潟中央高校を卒業後、2001年筑波大学入学。在学中はダンス部に所属し、3年次には主将を務める。在学中の4年間、全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)にて4連覇を果たす。大学院修了後、新潟明訓中学高校に赴任しダンス部の改革を実践する。採用から3年目の2009年には部員数10名で全日本高校・ 大学ダンスフェスティバルにて特別賞受賞という異例の快挙を成し遂げる。2013年から連続入賞を果たし、2015年には遂に、文部科学大臣賞を受賞(全国優勝)。2017年より新潟青稜大学にて助教としてダンスの普及に務める。ダンス界の若きリーダーとして今後が期待される。
基本情報
所属:新潟青陵大学
役職:助教
出生年:1982年
血液型:B型
出身地:新潟県新潟市
出身高校:新潟県立新潟中央高等学校
出身大学:筑波大学 体育専門学群
出身大学院:筑波大学 体育研究科
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:舞踊研究室
部活動:ダンス部
住んでいた場所:天久保一丁目
プライベート
ニックネーム:なみ/なみちゃん
座右の銘
  • ダンスの本質は、「勝つこと」じゃない。

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