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岩下スライダー

大学時代から子供たちにバスケを指導。教える面白さに目覚めた

Sportsperson
2018/12/03
インタビュー
  • 119
サイバーダイン茨城ロボッツ ヘッドコーチ
岩下 桂太
(体育専門学群 2007年入学)

今があるのは苦労が積み重なったおかげだと前を向く、30歳の若き指導者。二十代前半からバスケットボールチームのアシスタントコーチを任され、順風満帆かと思いきや、チームの経営破たんなど苦労もずいぶん多かった。現在はサイバーダイン茨城ロボッツのヘッドコーチとして活躍を期待され、「いつかトップリーグで優勝したい」と大きな目標を掲げる。彼の歩みを追う。

バスケへの情熱は、大学時代により強くなった

筑波大を目指したきっかけを教えて下さい。

小学3年からバスケットボールを始めたのですが、中学時代の恩師がとても熱心に指導してくれたことがきっかけで体育の教員を志すようになりました。「先生のように、僕もいつか子供たちにバスケを教えたい」と、そんな気持ちでした。両親が教師だったことも影響しています。

大学でバスケを続けるなら一番上を目指そうと、日本のトップレベルである筑波大へ。中学では市の大会で優勝しましたし、高校時代でもそこそこ上手なほうだと思っていたので、大学でもやってやろう!と意気込んでいましたが、まるで世界が違いましたね。自分の実力になさに愕然としました。

大学では、どんなことを学びましたか?

コーチングを選択していたので、授業でバスケットを専門的に学べたことは今でも役に立っています。あとは、バスケットへの熱意と情熱がより強くなったのは大学時代、仲間と一緒にチームを作り上げたことが影響しています。それが今でも自分の真ん中にあるものです。

ただ一つ後悔があるのは大学時代、若いうちに海外で経験を積んでおけば良かったなと。僕、いまだにこの島国から出たことないんですよ(笑)。

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大学中に選手としてプロ契約をするなど、忙しく過ごされていたそうですね

23歳の時、デイトリック茨城というチームに少しだけ在籍しましたが、そこでも他の選手と比べてレベルが違い過ぎることを実感し、1年ほどで選手は辞めました。

どのようなきっかけで、チームに所属したのですか?

大学時代から、そのチームの下部組織で子供たちにコーチングをしていたことがきっかけで「選手としても契約しましょう」と声をかけて頂きました。1年間弱、選手として活動しましたが、2013年のリーグ前、チームにアシスタントコーチがいないということでコーチングの経験がある僕がコーチを務めることになって。

将来、教員になるなら大学院を出たほうがいいと思って、ちょうど大学院に入った年でしたが、チームの活動に時間を割くことが多くなり、「今、大学院にエネルギーを注ぐべきだろうか」と真剣に考えた結果、両親に謝って、退学することにしました。

教員ではなく、コーチングの世界に絞ることにしたのですね。

教員免許は取りましたが、早くから現場で子供たちに指導をする機会を得て、どんどんコーチングの面白さに惹かれていたので、コーチングのほうに進むのは自然な流れでしたよ。

僕の指導がきっかけで、目に見えて子供たちの実力が伸びていく、そういった姿を見ることに喜びを感じました。

コーチとしての活動は順調でしたか?

コーチになった一年後にチームが経営破たんしてしまって……。給料は支払われないし、選手は辞めていくしで大変な思いをしました。

その後、デイトリックつくばの経理担当だった方が新しいチームである、つくばロボッツを立ち上げてNBLリーグに参戦。コーチ陣はそのまま残ることができましたが、一年目は10勝44敗。ボロボロに負けて、二年目は開幕20連敗。選手はシーズン途中で半分以上去って行きました。

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大変なご苦労があったのですね。

はい。試合直前になんとか選手を集めて、急きょ試合に出てもらったこともあるんですよ。当然、試合は惨敗です。

ただ、ヘッドコーチ代行を任されるなど、コーチとしての経験を積むことができた側面もありましたね。

翌年、2015年にアシスタントコーチ兼通訳に。

2013年からアシスタントコーチを務めていた頃、外国人のヘッドコーチの送迎をしたり、2人きりでミーティングをしたり。当時は英語が全く分からなくて、「何を言ってるんだろう?」というレベルでしたが、どんどん英語力が身について。2015年からはアシスタントコーチと並行して、外国人選手の通訳も勤めていました。

バスケで茨城県の皆さんと茨城を盛り上げたい

2016年、メインスポンサーであるサイバーダインが命名権を取得し、チーム名はサイバーダイン茨城ロボッツに改称。

Bリーグが発足する時期で、僕が正式にヘッドコーチになり、初めてチーム作りからやらせてもらいましたが、なかなか成績が上がらず。選手だった岡村(憲司)さんが監督になり、僕はヘッドコーチのままでしたが、指揮の多くは岡村さんが取るようになりました。なんとか終盤で調子が上がって、32勝28敗と勝ち越すことができました。

翌年から岡村さんは選手兼コーチ、僕はヘッドコーチという立場で、現在も岡村さんが指揮を執っています。

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岩下さんはどんな役割を担っているのですか。

岡村さんが戦略を練って、それに沿った細かい部分を詰めていくことが僕の役割です。具体的には、選手から話を聞いて個人のスキルアップをしたり、チームを細かい部分を修正したり。相手チームのスカウティング(分析)も担当しています。

チームはどう変わりましたか?

最初の2シーズンでは金銭面などで苦労しましたが、拠点が水戸に移り、2018年から株式会社グロービスの子会社になったことでスポンサーが増え、良い選手も来てくれてチームが強くなるという良いサイクルが生まれていますね。

選手もスタッフも安心して仕事に取り組めるようになったことで、パフォーマンスの向上につながっていると思います。

グロービスは、「選手がMBAをとれるようにする」と謳っています。

素晴らしい試みだと思います。選手が引退したあとのことを考えてMBA取得を支援すると、そんな姿勢を会社が見せてくれることで、今後はもっとより良い選手が集まるでしょうし、僕としても、自分のチームに誇りが持てるようになりました。

つくば市、並びに水戸市を拠点としているチームとして、スポーツによるまちづくりにも取り組んでいるそうですね。

はい。
来年には水戸市に5000人規模の体育館が完成しますし、市も市民の皆さんも熱く応援して下さっていることを、ひしひしと感じるので力が湧きます。

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この仕事のやりがい、魅力とは?

選手やファンの皆さんに貢献できる機会が、とても多いことですね、

具体的には、コーチとして選手の実力を伸ばすことで選手が試合で活躍する、それを見たお客様が喜んで下さるという一連の結果が、目に見えて実感できるのがこの仕事の素晴らしさだと思います。

応援して下さる方が増えれば増えるほど、プレッシャーも大きくなるのでは?

もちろん、チームの成績が悪ければ職を失うというプレッシャーはありますが、先ほどお話した通り、以前のチームでは給料が支払われない、選手が足りないといった苦労を味わっているので、今はそういった悩みがないぶんチームのことに集中できている。どんな困難がきても必ず乗り越えられると、精神的に強く構えています。

大変なことが多かったから、それを乗り越えるたくましさが身についたのでしょう。今、責任のあるポジションを任されているのは、あの苦しい経験があったおかげかもしれません。

3チーム目にして、ようやく充実しているのですね。

そうですね。振り返れば、他の職業からのお誘いもありましたし、自分でもよく辞めなかったなと思いますが、ずっと継続して子供たちに指導をしていたので子供たちを置いていけない――その一心でした。

一時期はボランティアに近い、身銭を切りながら仕事をしていた時期もあるんです。でも、子供たちは会社の内情を知りませんから、いつも僕のコーチングを楽しみにしているし、親御さんもきちんと月謝を払ってくれて、子供たちの送迎をしてくれます。

皆の期待を裏切ってはいけないという気持ちが強かったのと、根本にある「プロのコーチになる」ことは自分の中で確固としたものでしたから。その思いが僕をチームにとどまらせたのだと思います。

恩師の影響で「子供たちにバスケを教えたい」と目標を持った中学時代から、全く軸がぶれていません。その目標を、茨城県で成し遂げることへのこだわりは?

大学時代から数えると茨城に12年いるので、この地で成功したい、茨城の皆さんと一緒に茨城を盛り上げたいという気持ちはありますね。

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これから向かう先は?

あと何年かかるか分かりませんが、いつかトップリーグで日本一を獲りたい。そして、いつかはプロのコーチとして海外で指導をしてみたいです。

海外で経験を積んで日本で活躍している人は多いのですが、日本で経験を積んで海外のチームから声がかかった人は僕の知る限りではいないので、その第一人者になれたら後に続く人にお手本を示すことができます。そのために、まずは英語以外の言語も勉強しようと思っているところです。

コーチになったから成功、ではなく、コーチになってからが勝負といった感じですね。

まだまだ、これからが勝負です。5年前に今の自分の姿が想像できなかったことを思うと、今から5年後には今の僕が想像していない自分になれているかもしれません。

コーチとして自分の未来がどうなるかは、これからの行動にかかっているのだろうと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

今に全力を出すこと。過去や今後どうなるかは考えない、とにかく今に集中すること。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

友人関係や構内の施設など、自分の今後にプラスになる環境が整っているので、とにかく色々チャレンジして下さい。筑波大で培った知恵を、経験値に変えられる東京も近いですし、とても良い環境だと思います。

岩下 桂太さんが所属する
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プロフィール
岩下プロフィール
岩下 桂太(いわした けいた)
1988年熊本県熊本市生まれ。サイバーダイン茨城ロボッツヘッドコーチ。済々黌高校卒業後、2007年に筑波大学体育専門学群入学。幼少期にバスケットボールを始める。在学中にデイトリック茨城とプロ契約を結んだが、すぐにプロコーチに転向。アシスタントコーチとしてチームのリーグ3位に貢献するも、所属チームが経営破綻。その後所属したつくばロボッツもシーズン中に経営破綻をするという波乱万丈なバスケットボール人生を送る。現在、3チーム目となるサイバーダイン茨城ロボッツのヘッドコーチとして、指導者のキャリアを積んでいる。B1昇格を目指して今シーズンも駆け抜ける。
基本情報
所属:サイバーダイン茨城ロボッツ
役職:ヘッドコーチ
出生年:1988年
血液型:B型
出身地:熊本県熊本市
出身高校:済々黌高校
出身大学:筑波大学体育専門学群
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:アダプテッド・スポーツ研究室
部活動:バスケ部
住んでいた場所:天久保4丁目
行きつけのお店:がむしゃ
プライベート
ニックネーム:いわげ
趣味:釣り
特技:カラオケ
尊敬する人:グレッグ・ポポビッチ
年間読書数:10冊くらい
心に残った本:嫌われる勇気
心に残った映画:ショーシャンクの空に
好きなマンガ:スラムダンク、寄生獣
好きなスポーツ:バスケ
好きな食べ物:餃子
嫌いな食べ物:なし
訪れた国:なし
大切な習慣:常にポジティブ
口癖は?:ビール飲みたい
座右の銘
  • 不撓不屈

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