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短期契約だからこそ力が出せる。それが次の出会いにつながる

Sportsperson
2022/01/24
インタビュー
  • 167
U24(東京オリンピック2020) 日本代表テクニカルスタッフ
中下 征樹
(2004)

高校時代すでに、選手として第一線で活躍する考えは捨てていた。「恩師のような指導者になろう」と筑波大に進み、蹴球部に入部。第一線で活躍する選手、そして監督に出会う機会を得ながら指導者としての経験を積み、東京オリンピック・サッカー日本代表のテクニカルスタッフとしてベスト4に貢献した。冷静かつ客観的に自分自身、そしてサッカーに向き合う、その思いとは。

東京五輪で大学院同期率いるメキシコ代表と対戦

現在のお仕事について教えて下さい。

2019年1月から日本サッカー協会のテクニカルハウスに所属し、東京オリンピック・サッカー日本代表チームの分析スタッフ、テクニカルスタッフとして働いています。
その前はジュビロ磐田で4年、サンフレッチェ広島で3年、テクニカルスタッフを務め、2年ほどサンフレッチェ広島ジュニアユースのコーチを務めた経験もあります。
サンフレッチェ時代に森保さん(現 日本代表監督)とご一緒した経緯があり、今の仕事に呼ばれたという感じです。

テクニカルスタッフとしてどんなお仕事を?

仕事内容は、ざっくり言うと監督とコーチのサポートです。例えば選手選考のための資料を作成したり、対戦相手の情報をまとめたり。監督と選手の間を結ぶ役割もしています。

選手とはどう関わっているのですか?

選手が練習や試合に役立てるために映像が必要な場合は、直接僕のところに来てもらって、僕が映像をまとめます。

プレーに関してアドバイスすることは自分の役目ではありませんが、選手が監督には言えないような、「実はこういう風にしたいんだよね」っていうような話を聞いたりすることもあります。

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もともとテクニカルスタッフ志望だったのでしょうか。

いえ、指導者になりたくて筑波大に進みました。高校時代の恩師である松田輝幸先生が筑波大の前進である東京教育大学の出身で、先生のようなサッカーの指導者になりたいと思い、筑波大を目指すことにしました。

どのような先生だったのですか?

先生は、日本サッカー界初の外国人コーチ、デッドマール・クラマーさんのもとでコーチングを学び、ユース年代の代表監督を経て、広島県工業高校で一時代を築いた方で。僕が通っていた呉三津田高校に指導者として来られた時には60歳近い年齢で、第一線を退かれていました。

先生自身、グラウンドにいることがとても楽しそうで、もちろん教え方も上手でしたから、気付いたら僕たち皆、夢中になってプレーをしていて。

僕の高校はサッカー強豪校ではありませんでしたし、県大会の一回戦で負けるようなレベルでしたが、「僕も松田先生のような指導者になって、サッカーを頑張っている人をサポートしたい。サッカーの楽しさを伝えたい」と思うようになりました。

楽しむという視点で、サッカーに向き合ってこられたのですね。

はい。Jリーグのクラブチームでテクニカルスタッフとして働いたのち、サンフレッチェのジュニアユースでコーチにチャレンジしたのも、やはり指導者になりたいという夢を捨てきれなかったからです。

そのままコーチを続けず、今はテクニカルスタッフに戻られています。

葛藤はありましたが、周囲に求められる仕事で力を発揮するのがいいのではないかと。

仕事の環境が数年毎に変化していますが、どういった雇用形態なのでしょう?

今は日本サッカー協会に2年契約で雇用されています。

厳しい環境ですね。

一般的には厳しい環境と思われるかもしれませんが、これまでの経験から、「自分の力を出し切れば次につながる」という実感がありますし、同じ場所にいて「この先、何十年もここに居続けられる」と思ったら、力を出し切らない弱さが自分にはあるのではないかと。

そういう考えを持っているから短期契約を受け入れられるし、また新しい環境や新しい人に出会って、より自分自身が成長できるのではないかととらえています。

指導者としての経験もありつつ、今現在は指導者をサポートする立場に。ご自身の性格はどちらに向いていると思いますか?

36歳にもなると、自分は先頭に立って引っ張っていくタイプなのかとか、自分の考えで物事を押し進めていきたいのか、といったことに対して、必ずしもそれがベストではない、自分の役割ではないということに気付いてきます。

グループやチームの中で1.5列目のような立ち位置から先頭に立っている人を見ながら、「この人はどういう方向にいきたいのか」と。そう考えながら、この3つの選択肢がありますよと提案する、そういった役割の方が向いているように思います。

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大学時代から、そのような役割でしたか?

同期の中には、高校生で日本代表に選ばれた平山相太がいたり、サッカー以外の競技以外でも日の丸をつけて活躍している学生がいたり。自分は蹴球部で6軍でしたが、そんな人たちが集まる環境に身を置くことで、自分の役割を認識できたと思います。

どのように持ち味を出していこうと?

より指導者としての勉強や活動に興味を持ち、大学2年から少年サッカーの指導や、日本サッカー協会のトレセン活動や指導者育成のお手伝いを始めました。

4年になると、自身のサッカーよりもJFAの活動のお手伝いに比重を置くようになり、U17日本代表テクニカルスタッフとしてナイジェリアで開催されたU17W杯に帯同し、柴崎岳や宇佐美貴史などと共にネイマールがいるブラジル代表と闘い、世界にはこんなにすごい選手がいるんだと衝撃を受けました。

大学時代から指導者として多くの経験を積んでいたのですね。

はい。その後は、さらに指導者の勉強をするために大学院に進学。筑波大、大学院で人脈を作ったことが今の仕事につながっています。

テクニカルハウスの分析を担当するスタッフには筑波大蹴球部出身者が多く、みんなコミュニケーションの取り方や価値観が似ているので、仕事を前に進めやすいといったメリットがあります。

クラブや代表チームのスタッフになりたいと思う学生がいたら、どうすれば良いですか?

もちろん、筑波大に入れば、サッカー界の人脈はつくりやすいです。ただ、一方で、同じ価値観の人間が集まるコミュニティにいると、その中で、いかに自分が突き抜けるか。という課題を意識することもあります。
だからこそ、これからプロクラブや代表チームで活躍したい学生がいたら、色んなセミナーに参加して人脈を作ることと、自分だけにしかない能力を身につけること、そして、その能力をアピールすることが大事だと思います。

大学で印象的な出会いはありましたか?

大学院で出会った指導者同期ですね。彼らは、僕の礎になっています。

例えば、今回の東京オリンピックのサッカーメキシコ代表でコーチを務めた西村亮太(つくばウェイvol.130で紹介)や、スペインで起業している岡崎篤(つくばウェイvol.6で紹介)。西村は、仕事があるかどうか分からない中、スペインに渡るというものすごいバイタリティの持ち主で、東京オリンピック3位決定戦で西村のいるメキシコと対戦した時は、非常に感慨深かったです。

指導者同期が、オリンピックの対戦相手になるというのはすごい話ですね。

2年ぐらい前にフランスで開催された大会で初めて、選手に指導をしている姿を見た時は感動しました。選手との距離感や歩み寄り方が、筑波大時代にやっていた彼のスタンスと変わっていなくて、国は変わっても大事なところは変わらないんだなと。

メキシコが点を入れたらめちゃくちゃ喜んでいて、彼は彼自身、チームのために全力で頑張っている姿を見て刺激を受けました。

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ご自身の仕事ぶりはいかがでしたか?

グループリーグを突破し、準決勝でスペインに負けた時、スペインに勝っていれば金メダルか銀メダルが確定だったのに……と悔しい思いもありましたが、三位決定戦に臨むには、チームを沈んだところからもう一回浮き上がらせなければいけませんから、僕がすべきことを必死に考えて。

選手や監督に言われてから準備するのでは遅いので、「こういう風にチームを持っていきたいのであれば、この映像を準備しておこう」と先読みして準備をしておき、それを選手と監督に託す。結果は負けてしまいましたが、大会が終わった後は「自分がやれることはやった」と思いました。

なかなか経験できることではありません。

あの大舞台で自分の力を出し切り、それでも結果がついてこなかったという経験は、やっぱりあの舞台を踏まないとできませんから。今度、さらに頑張る理由になったと思います。

森保監督は“お兄ちゃん的な親分”

その他、大学時代で印象に残っていることはありますか?

大学院の時、風間八宏さんが蹴球部の監督に就任されたことです。風間さんは、サッカーに対しての基準や理想がはっきりしていて、個人個人どのようにサッカーに向き合うべきか、チームとしてどう向き合うかを言葉で明確に示し、皆の力が最大限発揮できるよう引き上げてくれる、そんな監督でした。

チーム全体の意識も高まり、皆でヨーロッパのサッカーを見ながら、先輩、同期、後輩一丸となってチームの練習や試合について語り合えたことは、他にはない環境だったと思います。

現在、日本代表監督を務める森保さんは、どんな監督でしたか?

ざっくり言うと、森保監督は“お兄ちゃん的な親分”といった感じでしょうか(笑)。選手やスタッフだけでなく、広報の人やメディカルの人からも「この人のために頑張ろう!」と親しみを持たれている人で、それは不思議な力だなと感じました。

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一流と言われる人は、その他の人とどう違うでしょうか?

森保監督でいうと、人に自分の考えを押し付けることはありませんが、自分の中に基準をしっかり持っていると感じます。その基準を下回ると自分自身が許せない。人と比べてどうということではなかったように思います。

色んな大舞台、例えば大学のインターハイ、Jリーグの試合、代表の試合で経験を積んできた人は、自分の力を出し切ったがどうかに基準を置いていて、結果は後付けのような人が多いですよね。

出し切らないと何もついてこない、出し切っていれば負けたとしても見てる人は見てるといった経験を、これまでにしているからだと思います。

なるほど。

それに、そういう人たちに共通するのは「最後は神のみぞ知る」といった雰囲気があることですね。もちろん神頼みをする前に、全部やり切ったかどうかが大事なのですが。

監督も選手はもちろん、僕自身も将来安泰の職業ではありませんが、まずは、あとがないと思って自分の力を出し切ること。そうすればおのずと結果が出て次につながるのではないでしょうか。

この先、目指すものとは?

先ほどお話した高校時代の恩師、松田先生のような存在になることです。職業がコーチなのか、テクニカルスタッフなのか、それはまだ分かりませんが、目指す理想像は筑波大に入る前から今まで一度も変わっていません。

そこに向けて1年1年、力を出し切ることができれば、必ず結果がついてくるのだと思います。

あなたの“つくばウェイ”とは?

筑波大は、世界を広げてくれる場所。広島の田舎者だった僕が、全国各地から集まっている世界レベルの選手に出会うことで世界が広がり、自分のやりたいことも明確になりました。筑波大にいって、めちゃくちゃ良かったです。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

世界を広げていって欲しいです。筑波大で出会う人の影響で、海外に目を向けることもいいと思いますし、どんどん自分自身の可能性を広げていって欲しいですね。

中下 征樹さんが所属する
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プロフィール
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中下 征樹(なかした まさき)
サッカーの楽しさを学んだ高校時代の恩師の影響を受け、指導者の道を志す。筑波大学蹴球部時代には、U17日本代表テクニカルスタッフとして活動した。 卒業後、ジュビロ磐田、サンフレッチェ広島でテクニカルスタッフを務め、森保現日本代表監督とサンフレッチェ時代に出会ったことが、現在の仕事につながっている。現在は、Uー24(東京オリンピック2020)テクニカルスタッフを務めるなど日本代表のテクニカルスタッフとして活躍。今後も、厳しい環境の中、テクニカルスタッフとして多くの選択肢を探し出すエキスパートとして、日本サッカーを支えていく。
基本情報
所属:(公財)日本サッカー協会
役職:SAMURAI BLEU テクニカルスタッフ
出生年:1986
血液型:B
出身地:広島県呉市
出身高校:呉三津田高校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:サッカーコーチング論
部活動:蹴球部
住んでいた場所:天久保3丁目
行きつけのお店:まんぷくや、初花
プライベート
ニックネーム:まさき
趣味:魚釣り
特技:なし
尊敬する人:なし
年間読書数:5
心に残った本:失敗の本質
心に残った映画:なし
好きなマンガ:なし
好きなスポーツ:サッカー
好きな食べ物:メロン 寿司 とんかつ
嫌いな食べ物:なし
訪れた国:25カ国
大切な習慣:なし
口癖は?:なし
座右の銘
  • なし

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