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サッカーのパワーに魅せられて

Sportsperson
2016/04/06
インタビュー
  • 06
サッカー監督 / バスク法人フッボラ代表
岡崎 篤
(体育専門学群 2004年入学/大学院 2008年入学)

インターネットを通して、世界中のあらゆるトピックに触れられる時代。海外に行ったつもりで、簡単に美しい景色を眺めることもできる。しかし実際に足を運んで、肉眼で目にした際の震えるような感動は得られるだろうか。6年前、サッカー指導者としての経験を積むためスペインに渡った岡崎篤さんは、彼が今現在も拠点とするスペイン・バスク地方で見た“ある光景”が忘れられないという。その光景がサッカーそのものの価値観を変え、彼を未来へ導いている。

4社の内定を蹴って、スペインで武者修行

まず、どのような経緯でスペインに渡ったんでしょうか。

大学院時代に大学生チームのコーチを担当していた関係で、スペインのCAオサスナというプロクラブと親しかった日本人と知り合いました。僕は当時から、日本だけじゃなくヨーロッパでも監督をしてみたいという夢を持っていましたが、元プロサッカー選手という肩書きがあるわけでもない。だったら現地で武者修行をしながら、指導者としての実力を高めるしかないという思いで知人にお願いして、彼の紹介でプロクラブでの研修をさせてもらうことになりました。研修後は別の知人の紹介で、街をパンプローナ(オサスナのホームタウン)からビルバオへ移動し、そこから今日までとにかく「第一監督」という立場にこだわり、子どもから大人まで全ての年代で「第一監督」を務めてきました。そうする事で現地のサッカーを包括的に感じたかったわけです。スペインに渡ってこれまで6年間、ずっと現場での感覚を磨いてきました。今はジュニアと高校生、2チームの監督を受け持っています。スペインでのきっかけを作ってくれた二人の友人がいなかったら、今の私は無かったかもしれません。このご縁に本当に感謝しています。

昔から指導者志望だったんですか?

サッカーを始めた小学1年生から筑波に入るまでの12年間は当然、プロサッカー選手になりたいという夢を持ってましたよ。でも筑波に入って1年で挫折しました(笑)。僕は大学1年目でトップチームの一員になれたんですが、そこには僕より競技レベルの高い先輩方や同期たちがたくさんいて。それまでは、ただ楽しくて仕方がなかったサッカーを、初めて「辞めたい」と思いましたね。自信喪失して、練習にさえ行きたくなくなったほどです。

その逆境をどう乗り越えたんですか?

乗り越える間もなく、1年経たないうちに下のレベルのチームに落とされました(笑)。すると次の年には優秀な後輩が入部してきて、また自分の実力を思い知らされて……。プロサッカー選手以外の道を考え始めたのは、その挫折がきっかけですね。漠然とでしたが指導者としての道も考えて、でも指導者として活躍するには時間もかかるし、なかなかお金にもならないことが分かっていたから、どこか大企業に就職して、安定したお給料をもらいながら結婚するのもひとつの選択かな……と現実を目の当りにしました。

そこで指導者として生きることを決断したわけではない?

本当のターニングポイントは就職活動のあとにやってきました。就職活動のために1年間、会社訪問したり面接を受けながら、筑波と東京を行ったり来たりする中で「僕が本当にしたいことは何か?」を、とことん考えたことが大きかったです。結果として4社から内定がもらえて、いわゆる大手企業からも声をかけてもらったんですが、その4社の中からどうしても1社に絞ることができなかった。そこで、また自問自答ですよ、「なんで決められないのか?」と。

どうやって決断を下したのでしょうか?

もう一度、自分がサッカー指導者として歩んでいるイメージを思い浮かべてみたんです。すると、今度はスパン!とハマって、一気に道が開けました。「僕はサッカーをしている時が一番生き生きしているから、そこで勝負がしたい。勝負するからには世界に出たい!」。部活で挫折した時とは違って、1年間の就職活動を通して自分にとことん向き合えていたからこそ、迷いなく、その結論にたどり着いたのかもしれません、その後は大学院進学を目標に定めて、とことん指導者としての知識を深めようと心が決まりました。

今こうして大学生活を振り返ると、競技のことよりも、その就職活動での経験が一番印象に残っているといっても過言ではないですね。それほど大きなターニングポイントでした。だって「最終的に僕が死ぬ時、自分の人生をどう振り返るだろう?」ということまで考えたんですよ(笑)。人生の3分の1は寝てる時間で、3分の1は仕事している時間だと。じゃあ、内定をもらった会社で残りの人生、40年働くことを想像した時に、まったく納得のいかない人生だと思って。次に、その40年をサッカーの指導者をやっている自分に置き換えてみたら、きっと死に際に「幸せな人生だ」と納得できるだろうなと思ったんです。どうせ一度しかない人生なら、ツラくてもやりがいがあることをやったほうが良いと思いませんか?

その岡崎さんの経験は、今就職活動で悩んでいる学生たちに響くかもしれません。

そうだと良いですね。筑波での時間は、人生で最後の“自分のとことん愛せるもの”を見つけられる尊い時間ですから。世間体を気にしたり、周りが就活するから自分もじゃなく、とことん自分に向き合う時間を作って欲しいです。自分の心にどんどん質問して、どんどん悩んで……自分が本当にやりたいことを見つけて欲しいですね。

指導者への道を志すわけですが、大学時代、大学院時代は、サッカー指導者としてのどんな活動をされていましたか?

実は、大学入学とほぼ同時に、先輩の誘いでサンダーズFCという大学近隣のジュニアクラブの指導に関わり始めました。最初はアルバイト感覚だったんですが、次第に熱中していきました。また、大学院時代には、サンダーズFCでの指導を続けながら、大学蹴球部のコーチを2年間務めました。現在川崎フロンターレ監督の風間さんが監督をされており、国内トップレベルの指導にも触れることができ、大きな刺激を受けました。

指導者として人生をまっとうする決意をし、大学院卒業後にスペインへ。武者修行は順風満帆だったのでしょうか?

それが、まったく。現地で語学学校に通ってはいましたけど、一番はじめに僕が受け持ったのは、14歳の思春期真っただ中の子供たちが所属するチームでしたから、僕が必死に覚えたスペイン語を話したところで、少し言葉を間違えれば笑われるし、イコール「この監督はサッカーを知らない人間だ」とみなされてしまうんです。時には選手を叱らなければいけない場面で「ふざけるな!」と言いたいけど、そのスペイン語が分からない。最初の頃は、言葉の問題でなかなか信頼関係を築くのが難しかったですね。自宅に帰ったら、ひたすら勉強、勉強の毎日でした。

言葉が話せないのに、なぜチームを任されたのでしょう?

そのチームがサッカー経験者の指導者を探していたのと、お世話になっていた人が紹介してくれたという幸運が重なったからですね。当時は、決して僕の実力ではなかったです。指導者としての実力もまだ十分ではないし、言葉もうまく喋れませんでしたが、このチャンスを逃してたまるか!との思いで、とにかく僕の持っている“情熱”を伝えようと必死でした。後々、その時のコーチ、それはチームに所属する子供のお父さんなんですが、「僕の子供がサッカーをやっていた中で、あなたが一番良い監督だった」と言ってもらえて……。すべての努力が報われたような気がしました。

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サッカーはただのスポーツじゃない。文化なんだ。

日本で指導者としての経験もある中で、スペインでなければ得られなかったことは何だと思いますか?

日本人は上の人が言うことに耳を傾ける姿勢を持っているんですが、スペイン人は、いくら年長者でサッカー経験者であろうが、ちゃんと理路整然とした理論を語れないと、相手が子供でも納得してくれませんでした。第一に、自分がサッカーを深く知ること、そしてその知識を如何にわかりやすく伝えることができるかということを、毎日とにかく考えました。
 そしてもう一つは、サッカーチームを率いる上で、その土地の文化を知っておくこと、そして選手の生活環境や経済状況などの背景にあるものを理解することが、如何に大事なのかということを感じました。

サッカーを通じて“文化”を知るとはどういうことでしょうか?

ヨーロッパにおいて、サッカーは“文化”であるということを思い知らされた出来事があります。僕が拠点にしているスペイン北部のバスク地方には、バスク出身者か先祖がバスク出身者でないと所属できない、アスレチック・ビルバオという伝統的なサッカークラブがあるんですが、バスク人は、応援するチームの旗を家に飾ったりするほど熱狂的。そのクラブが2011年、10年ぶりの外国人監督としてアルゼンチン人のマルセロ・ビエルサ監督を招いた時は少し反発する声も挙がっていましたが、ヨーロッパの強豪を次々に倒すようになると、みんなのサッカー愛がどんどん高まり、バスの運転手も学校の生徒もチームの赤と白のユニフォームを着て、街全体がサッカー一色になりました。
その光景を見た時「サッカーはただのスポーツじゃない。人の心を幸福感で満たしたり、街の雰囲気を一瞬にして変えることができる“文化”なんだ」と実感させられたんです。政治家でも成し遂げられない、サッカーだからこそできる社会的なムーブメントがヨーロッパにはある。それが今後、日本でも根付けばと思い、ある活動をしています。

その活動とは?

サッカーにどっぷりハマっている自分が仮にでも何か社会に貢献できることがあるとすればこの出来事が何かのヒントなのではないかと思ったわけです。つまり、これまで勝った負けたの競技スポーツとしてしか見てなかったサッカーを、もっと多角的に見られるようになったわけです。サッカーを通じて人はこんなに笑顔になれるのか、と。

まだまだ模索段階のものもありますが、自分達が日本に何ができるのかについて日々考えています。直接的に日本サッカーの発展に貢献できることに加え、将来的にはもっと大きな視野で、サッカーに興味のない方々にサッカーを知ってもらえるような活動もしたいと思っています。サッカー文化の素晴らしさを伝える映画が世界には沢山あって、それをサッカー映画祭なんていうカタチで紹介していくのも素敵な活動だと思っています。

具体的な一歩としては、現地の親友と二人三脚で立ち上げた会社を通して、日本とバスク地方のサッカーの架け橋になる事業を展開しています。例えばその一つとして、スペインの優秀なサッカー指導者や関係者を日本にお招きして、日本の指導者がレベルアップできるような講習会を開催しています。逆に、日本人指導者にスペインに来てもらって、10日間に渡る“指導者合宿”を開催し、日本人指導者がスペインのサッカーを肌で感じられる機会も作っています。
指導者だけでなく子供たちを対象に、2015年には柏レイソルの下部組織の15歳チームを招いて“道場破りツアー”をスペインで開催しました。スペインのプロクラブを「たのもう!」と訪ねて、10クラブを行脚。レアルマドリッドも訪問したんですよ。そのツアーは好評だったので、またやりたいと思っています。

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子供たちにとって非常に良い経験ですね。日本人指導者の育成を図ることには、どんな目的が?

一言で言うと、日本サッカーの発展に貢献することです。これからの日本のサッカーを背負っていく子ども達に、とてつもなく大きな影響を与える存在が指導者なわけです。まずは、その指導者達の意識が変わらなければいけないと思っています。日本の文化や日本のサッカー環境で育った自分が、スペインでじっくりサッカーに向き合うことで感じる日本サッカーの良さや課題がいくつか存在します。そう言ったものを伝えていくことが講習会の大きな目的です。
たとえば、僕がスペインでの指導者経験を通して感じたことは、スペインの子供たちは、間違ってもいい、失敗してもいいからとにかくゴールに対してシュートを打つというシンプルな発想でプレーしています。一方、日本の子供たちは、失敗したらどうしよう、自分が失敗したらチームに迷惑をかけてしまうと頭で考えて、結果的にボールを回しているだけでなかなかゴールを目指しません。当然、スペインのほうがそれだけミスも多いんですが、シュートを数打てばゴールを決められる可能性も上がるし、なによりも“ゴールを目指す”というのは、サッカーにおいて根本的な衝動なんですよね。その衝動を日本の子供たちに呼び覚ましてもらうには、良い指導者を育てることが大切ではないかと思っています。

日本の子供たちの姿勢は学校教育とも関係があるように思いますが、学校教育が変えられない中でサッカーの内容を変えていく方法は?

“学校にいる自分”と“サッカーをやっている自分”を分けるように意識付けさせる。これをマインドスイッチと呼びますが、サッカーシューズを履いた瞬間、もしくは集合の合図がかかった瞬間から、「今からは間違ってもいい、失敗してもいいんだ」というスイッチを自然とオンにできるよう、サッカー指導者が子供たちに教えることです。

子供の頃からその意識を持たせることが大切な理由は、サッカーは決して日本の中だけでは完結せず、最後は世界と繋がっていくスポーツだからです。世界で戦うには、日本人の良さを前面に出しながらも、世界基準から逆算して取り組まなければいけない。その時に、「失敗してもいいんだ、サッカーというのは失敗するスポーツなんだ」という価値観のもとで果敢にチャレンジする姿勢がなければ、自由な発想を許容する環境で育ってきた海外の選手達と戦う際、様々な局面で劣勢にたたされるでしょう。もしかすると、「失敗してもいいから果敢にチャレンジする」という姿勢を持つことは、日本人が獲得しづらい要素なのかもしれません。そのことに私自身、スペインに来て気づかされましたし、同じように日本の指導者に知ってもらいたいとの思いは強いです。

今現在はスペイン語を生かして、リーガエスパニョーラのエイバルに所属する乾貴士選手の通訳もされているそうですね。

エイバルはバスク地方拠点のチームなのですが、2015年に乾選手の入団が決まった時、すぐに僕のところに通訳の話がきました。というのも、バスク地方でサッカー関係で働いているのは僕しかいないですから(笑)。

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通訳の仕事を通して得られるものとは?

乾選手と監督、そしてコーチングスタッフの間に立ち、日々のミーティングや食事に参加させてもらうことで、僕自身の指導者としての経験値も高まっていると感じています。トップ選手がどういう考え方を持ってサッカーに向き合っているのかというプロフェッショナル性に触れることは、僕の財産です。

今、監督を務めている高校生やジュニアチームでの指導にも生きていますか。

はい。練習態度が良くない選手には「練習だから、試合だからと区別せず、常に緊張感を持ってやりなさい。トップレベルで活躍する選手は、練習でもひとつのプレーにプライドを持ち、自分にプレッシャーをかけて頑張っている」と諭しています。

経営者として、通訳としての活動がすべて指導者・岡崎篤の成長に結びついているのですね。では最後に、今後の夢は?

大き過ぎる夢だと思われるかもしれませんが、監督としてヨーロッパ、世界のトップを目指しています。そのための一歩として、スペインサッカー協会公認最上級指導者ライセンスを取得しました。これがあればルール上としては、スペイン代表の第一監督になることもできます。

もうひとつの夢は、スペインと日本共通のひとつのサッカークラブを作ること。元日本代表監督の岡田武史さんも本田圭介さんも「サッカークラブを作りたい」と明言されているように、世界を経験すると、いかにサッカーがすさまじいパワーを持った存在なのかと気づかされます。サッカーとは競技でありビジネスであり、政治であり、文化なのだと。こんなに素晴らしいものを日本の後世に残したいと思うのは、世界のサッカーに触れた人なら誰しもが抱く夢なのかもしれません。

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あなたの“つくばウェイ”とは?

筑波での濃い時間を共に過ごした、仲間たちの存在。今でも年に2回、日本に帰ると必ず筑波の仲間を訪問します。近況報告に始まり、漠然と「将来、一緒にこういうことやろう」と話すことが僕のエネルギーになっています。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

建前や周囲の期待を意識し過ぎず、自分のやりたいこと、行きたい道をとことん考える時間を持って欲しいと思います。

岡崎 篤さんが所属する
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プロフィール
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岡崎 篤(おかざきあつし)
1985年生まれ、大阪府枚方市出身。小学校からサッカーを始め、大学時代まで選手として活躍。トップレベルのコーチングを学ぶために、筑波大学大学院へ進学。大学院卒業後、単身スペインへ渡り、海外での本格的な指導者生活が始まる。現在、スペインのバスク地方において、ジュニア世代とユース世代のサッカーチーム監督、リーガエスパニョーラSDエイバルトップチーム通訳を務めるかたわら、スペイン現地会社法人「フッボラ」の代表として日本とスペインを繋ぐ事業を仕掛けるなど、まさに「三足のわらじ」を履き活動中。
基本情報
所属:スペインバスク現地法人フッボラ/アスカルチャFT
役職:代表/ユースチーム監督、ジュニアチーム監督
出生年:1985年
血液型:A型
出身地:大阪府枚方市
出身高校:大阪府立四条畷高校
出身大学:筑波大学
出身大学院:筑波大学大学院
所属団体、肩書き等
  • スペインサッカー協会公認最上級指導者ライセンス保有(UEFAプロ)
  • リーガエスパニョーラSDエイバルトップチーム通訳
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:運動学研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:天久保3丁目
行きつけのお店:まんぷくや
プライベート
座右の銘
  • ワクワクする仲間とワクワクすることを。

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