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僕たち中成功者は、新しい分野でもう一度成功しなければいけない

Sportsperson
2020/12/07
インタビュー
  • 156
FC東京・クラブナビゲーター
羽生直剛
(体育専門学群・1998年入学)

16年に及んだ現役生活の中で、2つの大きな出来事が今の羽生直剛を形作っている。まずはオシム監督との出会い。そして2つめは、自らを“中成功者”と冷静に定義した背景にある、日本代表としての挫折。トップを極めたかのように見えた人物が、打ち明けた本音とは

大学最後の試合でスポーツの価値に気づけた

2017年に現役を引退し、FC東京強化部でスカウトを担当。現在はクラブナビゲーターというお仕事をされているそうですね。

はい。スポンサー営業や法人を扱っている事業部に所属し、クラブナビゲーターとしてクラブが向かうべきところを考え、そこに先導する役割を担っています。

ただ、コロナ禍でこれまでと同じようにスポンサー様からご支援頂けるわけではないので、同じくOBの石川直宏クラブコミュニケーターと公式YouTubeチャンネルを立ち上げ、クラブスポンサーやファン・サポーターとの接点を持つ。そういったことに取り組んでいます。

今に至るまでの経緯を知りたいのですが、まずは、なぜ筑波大に進学しようと?

高校のサッカー部の先生が筑波大出身で、とても論理的にプレーをさせるタイプの人でした。とにかく走っておけばいい、ではなく、2時間集中して練習する。そういった先生のマインドに影響を受けて筑波大をめざすことにしました。

3年次に国体で3位に入賞したので、推薦で筑波大に入ることができました。

高校卒業後、そのままプロになろうとは思わなかったのですか?

まず声がかからなったのが1つと、 僕の世代はゴールデンエイジと言われていて、小野伸二、本山雅志、稲本潤一、小笠原満男といったずば抜けている選手が揃っていたので「プロになるのは、ああいう人なんだ」と思っていました。

僕は背も低いし、彼らに比べたら技術もなかったですから、プロになりたい気持ちはありながらも、なれるわけないと。それなら筑波大でサッカーを続けて、あとあと教師になろうと、大学3年の途中まではそういった気持ちでした。

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3年次にどんな変化があったのですか?

3年になった頃、大学選抜に入っていた先輩がプロになったことで大きく意識が変わりました。意識の変化がプレーに表れ、4年次、関東選抜として参加したデンソーカップでMVPを頂き、関東大学リーグでもMVPに選出され、プロへの道が開けたという感じです。

昔から僕のことを知っている人たちには「(プロに入っても)3年で終わる」と言われていましたから、プロになって見返したいという気持ちもありましたね。

大学で印象に残っていることは?

蹴球部には推薦で入ってきている人だけでなく一般で入ってきている仲間もたくさんいて、全体ミーティングの際に彼らが組織について話している姿を見て、「すごいな」と。論理的な人が多くて刺激を受けました。

仲間でいうと、ずっと試合に出られず応援を頑張っていた友達が、4年の最後のインカレで負けた僕らのもとに泣きながら走ってきて、「ありがとな!」と言ってくれたことですね。

どんな思いでその言葉を聞いたのでしょう?

プレーしている僕らよりも熱を持って、蹴球部を支えていた人がいたんだという驚きがありました。そのことに最後の最後で気づけたことはサッカー人生において大きかったです。「これこそスポーツの価値なんだ」と深く考えさせられました。

大学にいって良かったと思うことは?

正直、のどかなところでサッカーしたという思い出しかないんですけれど(笑)、卒業して気付いたのは、僕に対しての周囲の見方が変わるというか。筑波大出身というだけで「すごい」と言われることもありますし、ネットワークという点でも筑波大にいって良かったと思います。特にサッカー界には筑波大出身者が多いですから。

筑波大は頭はそこそこ。ただ、頭だけでもない。バランスの良さはピカイチなのかなと思うのですが?

たしかに、人間性にしても人の意見を聞いて自分の意見を言う、バランス感覚の優れた人が多い印象ですね。筑波大の先輩、後輩とは波長が合うし、勉強になることも多いです。

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『元日本代表』という肩書きにしがみつくキャリアにはしたくない

卒業後、2002年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に入団。2003年からはイビチャ・オシム監督(2006年~07年・日本代表監督)のもと存在感を強め、日本代表に選出されます。

プロになった当初、お金がもらえるようになり、良い時計をして良い車に乗って。「これでいいや」は言い過ぎかもしれないですけれど、そんな現状に満足したのですが、オシム監督に出会って僕の考え方や人生そのものが変えられました。

どんなことが印象に残っていますか?

「点を取る時はリスクを冒さなきゃいけない」「もっと野心を持て」「限界を決めるな」というオシム監督の言葉はサッカーだけでなく人生にも当てはまり、現役を引退した今も常に意識しています。

なるほど。

もう1つ印象だったのは、たとえゴールキーパーのミスでその試合に負けたとしても、その1つ、2つ前のプレーで僕がミスしていることを指摘され、まずはそこを改めろと。誰のせいにするでもなく、まず自分のせいにすること、常に自分にベクトルを向けることを教わりました。

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大きな出会いだったのですね。

はい。オシムさんと出会えて幸せでしたけれど、一方で、オシムさんが偉大すぎて、自分のやっていることのレベルの低さに悩むこともあって。ああいう人になりたいと思ってチャレンジしても「あの人にはかなわない」と思ってしまうんです。

例えば指導者として10人の高校生を指導したとして、オシムさんなら8人をプロにできるのに僕が2人しかプロにさせられなかった場合、残りの6人の人生はどうなるんだろうと。僕が彼らの人生を狂わせてしまう…、そういった気持ちでは指導者はできません。

現役引退後、裏方である強化部にいかれたのはそういった理由からでしょうか?

はい。でもオシムさんの影響はあまりにも大きくて、強化部でスカウト業務を担っていた時にふと「俺は今、チャレンジをしているのだろうか」と疑問を持ってしまう。そんな時、オシムさんに会いに行ったら「もっと上を見ろ。空は果てしない。」と言われました(笑)。

哲学的な言葉ですね。

その言葉を受けて、「現役を引退しても上をめざさなければ」との想いから強化部から今の部署に移りました。

働く上でどんなことを大事にしていますか?

今一番大事にしているのは“ビジョン”です。ビジョン、マインド、こうなりたい、こういう世界観でやりたいーーそういったことをまず打ち立てて、そこから逆算して今すべきことを考えます。

最近はクラブに所属しながらビジネススクールにも通っていて、マーケティングやアカウンティングといったビジネススキルを学んだり、様々なバックグランドを持った人との交流をすることで今後の自分にとって何ができるかを探っています。

どんなビジョンがありますか?

これからプロになりたい、オリンピックに出たいアスリートたちとスポンサーをつなげたり、サッカー選手を引退した人と企業をつなぐ役割を果たしたいです。5年後10年後を思い浮かべた時に、そういった仕組みの中で皆が笑顔になり、困っていることはスポーツで解決できる、そんなビジョンを思い浮かべています。

選手の支えになるだけでなく、小さいクラブの地域活性化であるとか、クラブのポテンシャルをうまく活用しながら、自身の強みを活かして企業とサポーターの橋渡し役になりたい。とにかく「羽生がいれば、うまくいく」と言われるような、そんな役割を担いたいですね。

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素敵な役回りですね。

今は、自身のキャリアにとってはまだまだ道半ば、という認識なので、まずは勉強、インプットの時期だと思って、都内のシェアオフィスにも登録しました。クラブに所属しながらですが、クラブの外に出て、自ら学ぶ環境というのもつくるようにしています。そこでは僕が欲している情報に対してマッチングする人を紹介してくれたり、僕自身が役に立てることがあれば、それを必要としている人を紹介してくれるサービスがあって。

そういうところに入っていくのはなかなか勇気がいりましたけど、得られるものは非常に多いです。

日本代表まで務めた方がシェアオフィスを利用するとは新鮮です。

僕の中で、選手時代の栄光にしがみつくということに、違和感があります。サッカー選手時代の僕に寄って来てくれた人のほとんどは、サッカーを辞めた僕には興味はないでしょうから、新しい出会いの中で、僕の人間性に対して「面白いね」と言ってくれる人のネットワークを築かないと、これからの人生が広がりません。

人見知りですけど、やるしかないなと。人に教えてもらうことで効率よく学んで、基礎練の次は、応用かなと思っています。

挑戦ですね。

海外で活躍している選手は一生分の知名度もあるし、お金もありますけれど、僕ら“中成功者”は新しいジャンルに挑戦して、そこで成功することが大事ですから。

中成功者の中で一番面白いといわれる存在になりたいですし、面白い働き方をして勝ちたい、そんな思いでいます。

トップで活躍したとはいえ、中成功者という意識なんですね。

僕は日本代表の時、アジアカップでPKをはずしました。あの時にどん底を味わったからこそ自分の立ち位置に気付くことができて、サッカー界だけじゃなく、どの分野においても大事な場面で点が決められる人は、純粋にすごいと尊敬しています。

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今は色んな分野で突き抜けている人から、色々学びたい、吸収したい。そんな気持ちです。

あとは、オシムさんの存在もやはり大きいです。「お前、今チャレンジしてるか?」そう問われて、恥ずかしくない人生を歩まないといけない、そう思っています。

今後、新たな道を切り拓くであろう羽生さんが、これだけは絶対に譲れないと思うものとは?

中立でいること。具体的にいうと、誰にも媚びを売らず、自分の中の基準で良いものは良い、ダメなものはダメと言える人間でいることです。誰が正しいかではなく、何が正しいかが大事。その判断軸だけは、これからも変わらないでしょうね。

あなたの“つくばウェイ”とは?

東大通り(笑)。というのは冗談で、皆、全国色んな場所から筑波大に集まっていながら、同じ価値観を持ち、人間性の良さが育まれる。あの環境に身を置けて、本当に良かったと思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

新型コロナの影響でオンラインでのコミュニケーションが一般的になり、個性が出しづらい世の中になっていますが、そこから突き抜けてくる人が筑波大から多く出ることを望みます。日本や今の世の中をリードしてくれる人が出てきて欲しいですし、僕もそういう存在になりたいです。

羽生直剛さんが所属する
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プロフィール
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羽生直剛(はにゅうなおたけ)
サッカー元日本代表であり、オシム・ジャパンの象徴的な存在。 現役時代はピッチを縦横無尽に走りまわるプレースタイルでクラブや代表チームに 無くてはならない存在であった。 引退後は、Jリーグ・FC東京にて強化部スカウト担当を経て、2020年にFC東京クラブナビゲーターに就任。現在は、クラブと企業をつなぐ存在として、社会を縦横無尽に駆け回る。
基本情報
所属:株式会社東京フットボールクラブ(FC東京)
役職:クラブナビゲーター
出生年:1979年
血液型:O型
出身地:千葉県千葉市
出身高校:千葉県立八千代高校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:体育専門学群
研究室:サッカー研究室
部活動:蹴球部
住んでいた場所:天久保2丁目
行きつけのお店:クラレ、ドルフ
プライベート
ニックネーム:にゅうさん、にゅー
尊敬する人:イビチャ・オシム
好きなマンガ:スラムダンク
好きなスポーツ:サッカー
座右の銘
  • 野心をもて

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