妻であり、走幅跳の日本記録保持者、井村久美子さんをサポートするため大学卒業後に就職した会社を退職。ある日の競技場、子供たちを指導するコーチの態度を見て、「もっと子供たちが楽しみながらスポーツができるように」と自らスポーツクラブを設立した。自らも高校時代、棒高跳でインターハイ二連覇を果たしたアスリート。その経験を活かして子供たちに伝えたいこととは?
大学の名前を知ったのは高校の頃。叔父が、棒高跳をやっている私に「スポーツを続けるなら筑波大がいいよ」と勧めてくれました。具体的な進路先として考え始めたのは、高校3年のインターハイで二連覇を果たした後、表彰式の会場を出た時に当時の筑波大陸上部のキャプテンが「進路先として筑波大はどうか」と、声をかけて下さったことがきっかけです。
その時、当時、筑波大大学院2年生で棒高跳の学生記録を持っていた木越清信さん(現・筑波大学助教授)が、博士課程に行くかはまだ分からないとキャプテンから聞いて、「木越さんが博士課程に行くなら私は筑波大に行きたいです」と答えました。
自分のやっている競技で一番強い人に憧れて、一緒に練習したいと思ったからです。後日、木越さんから直接お電話を頂いて、「博士課程にいくことにした」と。その場で「私も筑波大を目指します!」とお返事しました。
最初の頃は木越さんを見る目がハートだったかもしれません(笑)。試合での結果よりも、練習を共にすることで、様々な学びを得ることができる喜びの方が圧倒的に大きかったです。今までは一人で棒高跳という競技について動画チェックを通して考えることが多かっただけに、同じ競技者としてフィードバックをもらったり、学年や年齢が下である私にも先輩方はフィードバックを求めたりと、チームとして練習することそのものが新鮮でした。
高校の時ほど記録が出せず、一緒に世界ジュニアにいった同級生が大学でも活躍している姿を見て、私は競技者としての心構えがなっていないと感じました。日本インカレは一度優勝しましたけど、それでも内容が良くなくて劣等感を感じ……。高校の時に感じたことのないような感情が芽生えました。
大学に入ると急に“自立”が求められます。端的に言うと、サボろうと思えばサボれますよね。それでも自分なりに一生懸命やっていたつもりだったんですけど、今思えば普段の生活と競技がリンクしていなかったというか。だらしない生活をしていると、練習だけ頑張っても結局ボロが出ます。そんな中で、大学3年になる頃には「早く就職したい」という気持ちが強くなりました。
そうなると練習も上の空ですよ、「早く終わらないかなぁ」って。競技に真摯に向き合えていない自分から目をそらして、早く違う場所へ逃げ出したいと思っていたような気がします。
本田宗一郎さんの本に感銘を受けて自動車業界に興味を持っていたので、就職活動も自動車業界一本でした。
モータースポーツの部署で、最初は指定席の何千もある座席を拭くことからはじまり、真夏は汗だくになって草刈り。大学に行っていない人も多い職場で、「筑波大を卒業してなんでこの会社に就職したの?」と尋ねられたこともありますが、私は、選手経験を活かして良い試合運営をしようとのモチベーションを高く保って働いていました。
そもそも、学歴は確かに大切ですが、それイコール仕事ができる人間であることの保証ではありません。いかに自分でやりがいや、やるべきことを見つけて実践できるか。という点を学びました。
開催することだけがゴールになる運営ではなく、ドライバーファーストの運営をして、よりエキサイティングなレースとなり、それが観客増員につながる。そのような形でモータースポーツ界の発展に寄与したい、そんな気持ちでしたね。
ロンドンオリンピックを目指したいという妻(井村久美子・走幅跳の日本記録保持者)のコーチに専念するため退職しました。
私はアスリートとして自分の努力で道を切り拓いてきた自負があったので、メンタルトレーニングに関してはどちらかというと否定的でしたが、妻の所属先であるアイディアメンタルトレーニングセンターがメンタルトレーニングに力を入れていて。半信半疑ながら妻がトレーニングを受けている様子を見ていると、だんだんと効果があるかもしれないな、と実感するようになりました。
しかも、指導をして下さる皆さんが良い人たちばかりなんです。それまでは自分が一番であればよかった、人に優しくすることなんてなかった私が、「心理を勉強すると人に優しくなれるのかな」と思い始めて、漠然と“優しくなりたい”という気持ちで勉強を始めました。
寛容的になりましたし、人の涙に思いを馳せることができるようになったり、自分の行動から様々なことを推察できるようになりました。今では企業向けのメンタルコンサルタントや研修、アスリートのメンタルトレーニングも務めています。
妻の練習を町の陸上競技場でやっていた時、地元の中学校や小学校のクラブチームが練習している姿が目に入りました。すると、コーチが子供たちに向けて乱暴な言葉を発していて、名前も呼ばずに「おい!」とか。そんなコーチのもとに育った子供たちは、競技場には一礼するのに人には挨拶ができません。
その姿に違和感を感じましたし、もし自分が彼らの立場だったら、支配的な環境で楽しめず、部活を辞めているなと。子供たちがもっと楽しく運動できる環境を作りたいと思ったのが、スポーツクラブ設立のきっかけです。
会社員時代の貯金があったので、すぐに起業しようと思えばできたのですが、起業のためのお金は1から蓄えたいと思ってセブンイレブンで深夜バイトをしました。鈴鹿サーキットで勤めていた時と同様、「どうして、ここで働いているのか?」と言われましたが、会社設立の資金を稼ぐためですから、なんの抵抗もなく、年下の女の子に仕事を教えてもらいながら初期費用を貯めました。
幼稚園の年中さんから大人までを対象にした陸上教室と運動教室の運営が主たる事業で、それに付随して、出張での講習や講演、アスリートや企業、学校の先生向けの心理講座やコンサルティングをやっています。
私の強みは運動プログラムを作るノウハウを持っていることプラス、心理学がベースとなった子供たちや保護者とのコミュニケーションスキルなので、子供たち目線の良い先生、面白い先生って何だろう?という観点から、教師の教育も展開しています。
スポーツは自らの経験則で指導しているコーチが多いですが、それは子供たちの可能性を潰している可能性があります。なぜなら、先生のスタイルに合わなければ大きな可能性を持っている子を的確にサポートすることができません。
そうではなく、その選手にフィットした指導をするかが、指導者としての役割。それはアメリカで学んできたことです。
私のスポーツクラブに通っていた当時小学6年生の子が中学生になった時、この先、この子たちをどうやって指導したらもっと伸びるだろうかと悩みました。そこで出た結論は、自分が指導者としてもっと勉強していくことが大切だということ。そのために日本の教育プログラムにとどまらず、スポーツ大国であるアメリカに行って、勉強してこなくてはと思ったことがきっかけです。
心理の研修でニューヨークに滞在した際、クロスカントリーのイベントに足を運んで「日本から来た者です!」とアメリカ陸連のテントを突撃したのですが、その時のコーチの言葉が印象に残っていますね。
彼は、「選手が何年後にピークを迎えられるか、指導者がビジョンを持つことが大切だ」と言いました。日本は中学3年間、高校3年間、大学4年間の指導がブツっと切れていて一貫指導ができないケースがほとんどです。これには子供たちの将来性を摘んでしまうリスクが潜んでいます。
一方、一貫指導なら中学で結果が出せない選手でも、今後伸びる可能性があるなら中学時代にやるべきことが見えてくる。そして高校、大学、もしくはその先でピークを迎えられるように指導者がサポートすることができます。
さらに感銘を受けたのは、そのコーチは雨で濡れている芝生を見て、試合前の子供たちに「みんな、汚れる準備はできてるかい?」と言ったんです。大事な試合を控えた子供たちにプレッシャーをかけないよう、あえて気楽な言い方をする。すごく選手のことを考えているなと思いました。
彼を見て、指導者が一方的に熱くなるのではなく、選手が力を発揮できる環境を作ることが大事だと実感し、その場で「コーチとして一流になりたいので、ぜひ指導して下さい!」とお願いしました。
はい。偶然そのコーチが当時ニューヨーク陸連の副会長をしている方でした。その方に教えてもらい、アメリカ陸連のコーチ教育プログラム受けることになりました。アメリカ陸連は英語が堪能でない私に特別に通訳付きで授業を受けることを許可してくれて、2週間みっちりニューヨークで学べたことは私の財産です。
まず、トレーニングのプログラム自体は日本とそれほど変わりません。海外にコーチの勉強に行く日本人はたくさんいますが、練習メニューやトレーニングにフォーカスした授業なら、日本とあまり変わらないので得るものは少ないと思います。
何が大きく違うかというと、アメリカではどうやって選手をポジティブにするか、選手が取り組みやすい環境をいかにコーチが準備するか、選手のビジョンをどう描いてスケジュールを組むかなど、哲学や心理学をまず重点的に学び、その後に生理学やバイオメカニクス、そして競技特性という体系立てられたプログラムでした。
しかも、そういったことが公立の高校レベルで運用されていて、科学も心理学も取り入れている。これこそ私が学びたかったことですし、もっと多くの日本人コーチがこのプログラムを学んで欲しいと思いました。アメリカ陸連のコーチプログラムを受けたのはアジアで私ひとりだそうです。
私はオリンピック選手や日本一を育てたいという大きな目標よりも、今、私のスポーツクラブに通う子供たちがスポーツを通して社会性を学び、自分のやりたいこと、叶えたいことを叶えられる礎を作ってあげたいと思っています。
ゴールは、競技パフォーマンスを上げることじゃなく、より高い社会性を身につけて自分の望みを叶えられる力を養うこと。そんな気持ちで運動に取り組んでいる子供ほど、自然と競技能力も上がっていくから不思議なものです。
言い換えると、自立心を養うことです。私のチームでは指示待ち人間禁止で、コーチが言ったことをやるのではなく、自分で考えて行動することを促します。それができるようになると、自然と競技能力がアップしていく。スポーツに限らず、自立心を養えば会社勤めをしたとしても重宝されるのではないでしょうか。
つい先日思い立ったのは、アメリカ陸連のもう1つ上のレベルのプログラムを受けること。これは既に問い合わせ中で、今冬にでも行けたらと思います。そして、筑波大の大学院に行くことです。今年に入って久々に木越先生にお会いした時に「大学院で勉強したらどうか」と言われ、その理由として「今までの常識だと思っていた練習が、実は最も効果的とはいえず、従来の練習よりももっと有用なものが分かった」と教えていただき、時代と共に常識が変わり、改めて学ぶことで、よりクオリティの高いコーチになれると考えたからです。
大学に入ったきっかけもそうでしたけど、選手としても指導者としても憧れが強いのでしょうね。ぜひ一緒に研究をさせて頂きたいと思っています。
そうですね。木越先生のお言葉からは、指導者として正しい理論を導きたいという情熱が感じられますから。
それと、私が目指す指導者像は自らの社会経験から導き出されています。たとえインターハイで優勝しようがオリンピックに出ようが、自分が経験したことがベストでもなく、マストでもない。もちろん1つの道筋ではあるけれど、一番大切なコーチの役割は自分の経験則で指導するのではなく、それぞれの選手に合ったものを提供すること。
そう思うからこそ、もう一度アメリカで勉強したいですし、筑波大で勉強したいと思います。
生かすも殺すも自分次第。学ぼうと思えば学べるだけの環境が揃っているものを有用に使うのか使わないのかは自分次第です。
卒業して気付いたことは、筑波大は日本で一番恵まれた環境だということ。ぜひ自分たちを一流として扱って、一流の取り組みをして下さい!
所属: | IMURA Athlete Academy |
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役職: | 代表取締役社長 |
出生年: | 1982年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 兵庫県西宮市 |
出身高校: | 明石市立明石商業高校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 陸上競技研究室 |
部活動: | 陸上競技部 |
住んでいた場所: | 春日4丁目 |
行きつけのお店: | 夢屋、カラオケゴールド |
ニックネーム: | いむ |
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趣味: | アクアリウム |
特技: | 緊張を人に見せない |
尊敬する人: | 本田宗一郎、John Padula |
年間読書数: | 数冊 |
心に残った映画: | グリーンマイル |
好きなマンガ: | キングダム |
好きなスポーツ: | NFL、陸上競技、モータースポーツ |
好きな食べ物: | 海鮮料理、牛タン、トンカツ |
嫌いな食べ物: | セロリ、アスパラ、パクチー |
訪れた国: | 9カ国 |
大切な習慣: | その日のうちに(なるべく)仕事は片付ける |
口癖は?: | 楽しんできて |
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