教員だった父の背中を見て、自らも同じ道を志す。学ぶなら教育の“一番”に身を置きたいと筑波大に入学し、バスケットボール部に在籍。1年から大学院まで、5年連続でリーグ優勝を経験した。現在は高校教員として全国大会常連校のバスケットボール部を指導。等身大で生徒と向き合い、勝ち負けだけではなく、人間形成においても生徒の支えになれるよう持ち前の明るさで尽力している。
母校である、宮崎県立小林高校の保健体育の教員をしています。現在8年目です。
はい。小学生の頃から学校の先生になりたくて、教員になるための一番いい大学はどこだろう?と子供ながらに考えてみた時に、どこかで、「筑波大は東京教育大学の前身だ」と耳にして。その名前の響きから「教育に関しては一番なんだ」という印象を受けて、筑波大にいきたいと思うようになりました。
はい。それから高校1年まではずっと筑波大を志望していましたが、私は高校時代体育コースにいて周りの生徒はあまりセンター試験を受けず、たいがいが推薦で大学に進学するのですが、筑波大のバスケットボール部の場合は全国で3人しかとらないということが分かって。その3人に入れるわけがないと、一度は筑波大にいく夢に蓋をして2年間過ごしてしまいました。
それが高校3年になって三者面談をするために控室で待っていた時、母に「あなたは筑波大にいきたいって言ってなかった?」と言われて。「そうだったね」と軽く聞き流したのですが、三者面談で先生に「どこの大学にいきたいんだ」と聞かれた瞬間、口が勝手に「筑波大にいきたいです!」って答えてしまって(笑)。
そうかもしれません。当時の先生はバスケットボール部の監督であり、筑波大の出身でもあって現実をよく知っていたので「いけるわけないだろ!」と一蹴されると思ったら、むしろ「チャレンジしてみるか」と背中を押して下さいました。
それから先生と二人三脚で、推薦は難しいだろうから、ACで受けようと自己推薦のためのレポートをまとめることにしました。
ACのレポートのテーマが「自己課題解決能力」だったので、私が毎日付けていた部活動の日誌をコピーして、こんなことに取り組みましたというビデオも撮影して、段ボールひと箱ぶんの資料を送ったんですよ。
ものすごい熱量ですよね。今思えば、すごいことをやったなと思います。結果、230人受けて一次の合格者である30人に入りました。ところが二次面接で不合格。もうダメだ……と諦めていたら、色々な運もあり推薦で受験することができ、合格することができました。これまでの努力が報われたと感じました。
あの時、私のことを否定しなかった先生、母、そして、あくまでも筑波大にこだわった自分にありがとうという気持ちです。
やはり、バスケットボール部でのことが印象深いですね。バスケットボール雑誌に載っている有名な先輩方と一緒に練習するようになり、技術はもちろんですが、意識も上に引き上げて頂きました。
私が1年の時から大学院1年の間に、5年連続リーグ優勝できたことは、とても良い経験です。
そのような結果がもたらされたのは、私が大学に入ってすぐの大会で関東ベスト8という不本意な成績で終わってしまったことがきっかけでした。私はその試合に出ていませんでしたが、4年生の先輩たちにとっては負けてしまったことが衝撃だったようで。
勝つための戦略として、それまでタテ社会だった部内の規則を変え、例えば、先輩後輩関係なく準備できる人がやることにして、練習に入るまでの無駄な時間を減らすなど、みんなが練習に集中できるようにしたことが結果を生みました。
そうですね。その他、2時間の練習以外にもウェイトトレーニングをやるなど、チーム練習以外にも意識を向けるなど先輩方に相当鍛えられ、上に引っ張り上げて頂きました。
その時の4年生で高校バスケットボール部の指導者となっている方とは今でも交流があって、一緒に合宿をしたりしています。
合宿にしてもそうですが、やはり人とのつながりや、絆の強さは筑波大ならでは。来週は筑波大に足を運んで、筑波大と練習試合をさせて頂くんですよ。なんでも、筑波大バスケットボール部出身の監督がいる高校だけに声をかけて下さったそうです。
生徒に「私の母校はここだよ」って言えるのはすごく幸せなことですし、筑波大にいっていなかったらこういったつながりを持つことはできなかっただろうと思うと、筑波大には感謝しかないです。
大学卒業後、その時のチームの後輩たちに「残って欲しい」と言ってもらったので、アシスタントコーチとして残るために大学院に進みました。そして、2年目にはインカレ優勝も果たしました。
大学院を修了した後、もう1年、バスケットボール部のアシスタントコーチとして在籍し、部以外の時間は教員採用試験に集中できたおかげで、昔からの夢であった教員の夢を叶えることになりました。
中学の教員だった父の影響が大きいです。私が中学のバスケットボール部に所属していた時、父は部活の監督で、すごく間近で指導者としての父の姿を見ていました。
家では亭主関白であまり多くを語らない父が、すごく楽しそうに部活を指導している姿、そして私たち選手のためにすごく考えてくれている姿を見て、「教員って楽しい仕事なのかもしれない」と。
先生が発した言葉で、生徒たちがみるみる成長していく姿を見るのは楽しいだろうな、心がときめくことだろうなと思いました。
私は先生になる前から、友達が喜んでいる姿を見たり、逆に涙をこらえている姿を見て、それを支えたいと思うなど人の心に寄り添うことが好きで、特に部活動では、そういった人間の感情がストレートに出ますよね。
父のように指導者として生徒の心に寄り添い、彼らの未来を明るくしていけるような、そういった存在になりたいと思ったのが、教員を目指すきっかけです。
最初の3年間は、先生のアシスタントコーチとして生徒への接し方や、生徒がやる気の出る言い方などのアプローチ法を学びました。ところが、その先生の方法をそのまま私がやってもダメなんだなということを、4年目にバスケットボール部の顧問になった時に痛感して……。
「誰の真似をしてもダメだ。自分のチームを作らなければ」と、自分のやり方を模索し始めたのが私のターニングポイントですね。
私自身、生徒に本音でぶつかっていくこともそうですし、生徒からも本音を打ち明けてもらえるような、人間としてきちんとコミュニケーションがとれるチームです。
例えば試合中、隣りに座っているマネージャーに「私の選択で合っているかな」って相談することもあるのですが、威厳のある監督像を私が演じていても無理がありますし、むしろ自分を素直にさらけ出すことで、生徒と良い関係が築けているような気がします。
残念ながら、4年目の昨年は一回戦負け。その時の経験を活かして5年目である今年は優勝を狙っていましたが、残念ながら決勝で負けてしまいました。でも、その負けた試合後に、生徒の成長を実感できた嬉しい出来事があったんです。
「みんなで歩いて帰ろうか」と試合会場からホテルまでトボトボ歩いて、「私の指導が至らなかったから優勝できなかったんだ」と反省しながら、ふと後ろを振り返ると、全然後ろについてきていなくって。生徒たちが歩きながら道の端のゴミを拾っていたんですね。
たしかに普段から「ゴミを拾いましょう」と指導はしていますが、試合に負けたばかりで、まだ悔しさが残っているかもしれない、そんな時にゴミ拾いをしていた生徒たちを見て、なんだか泣けてきて……。
そうですね。試合には負けたけれど、生徒たちの成長した姿が見られて嬉しかったですし、いつまでも下を向いていないで、もう一度頑張ろうと思わされました。
そして、こんなことも考えました。「人間教育の先に勝利があるべきだ」と。スポーツの世界は、負けるチームがほとんどで日本一を獲れるチームは1つしかありません。でも優勝したチーム以外はダメなのかというと、そうではない。みんな目的と目標を持ってチャレンジした上で、勝った負けたという結果があるだけですから。
勝ちを目指す過程で、生徒たちの心に何か“良いもの”が残るような、そんな指導をしていこうと改めて考えさせられましたし、私の言葉や指導、存在が子供たちの成長のきっかけになれたとしたら、それが教員としてのなによりもの喜びだと思います。
元気ですね。教室に入った瞬間、持ち前の元気さで、プラスのエネルギーを生徒に与えられるよう心がけています。
バスケットボールの試合前には、生徒に「心が折れそうになったら、ベンチにいる先生を見なさい。元気出るから」って声をかけるようにしているんですよ。あれをやれ、これをやれと声をかけて生徒を委縮させるよりも、前向きな言葉をかけて、ベンチで必死に応援している姿を生徒に見せたほうが、きっとコートの中で実力を発揮できるはずですから。
もちろん監督は、色んな個性があっていいとは思うんです。でも私は、他チームの監督が試合中に失敗した生徒をすごく怒っている姿を見て、私も怒鳴ったり怒ったりしますが…「試合にたどり着くまでに、指導しておけば良かったのではないか」と思ってしまうんですよね。試合で出来なかったのは生徒の責任ではなく、うまく教え切れていなかった指導者の責任じゃないかと。
はい。例えば今回、決勝で負けてしまいましたが、生徒ができなかったことを、どうこれから克服していくかを考えることが指導者としての仕事です。
これからの練習次第で次の試合の結果が変わっていくと、すでに気持ちは前を向いていますし、試合後、キャプテンが父兄に向かって「私たちは日本一を目指します!」と宣言してくれた、その姿勢が日々の練習につながり、そして次の優勝に結びつくのだと思います。
スポーツで一番になることはもちろん目標ですが、私が高校時代、「受からないかもしれない。でも日本一の教育を学びたい」と思いながら筑波大を目指して合格したように、生徒にも少し高い壁に挑んで欲しい。
当時、私が先生と母に背中を押されたように、今度は私が生徒の背中を押してあげる番だと、使命感に燃えています。
少し高い目標を目指すこと。
ちっちゃくまとまるな! これができなかった、言えなかったと反省する毎日を繰り返すよりも、やって失敗したことのほうが身になるから、何事にもチャレンジして欲しいです。
所属: | 宮崎県立小林高等学校 |
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役職: | 教諭 |
出生年: | 1985年 |
血液型: | AB型 |
出身地: | 宮崎県都城市 |
出身高校: | 宮崎県立小林高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | 筑波大学大学院 |
学部: | 人間総合科学研究科 |
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研究室: | バスケットボールコーチング |
部活動: | バスケットボール部 |
住んでいた場所: | 天久保3丁目 |
行きつけのお店: | まかない亭、夢屋、がんこや |
ニックネーム: | セイ |
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趣味: | 漫画を読む |
特技: | ピアノが弾ける |
尊敬する人: | 両親、筑波の先輩方 |
年間読書数: | 5冊 |
心に残った本: | サラバ!(西加奈子著) |
心に残った映画: | きっと、うまくいく |
好きなマンガ: | スラムダンク、キングダム、ワンピース |
好きなスポーツ: | バスケ |
好きな食べ物: | ラーメン |
嫌いな食べ物: | チーズ、春菊 |
訪れた国: | 2カ国 |
大切な習慣: | あいさつ |
口癖は?: | ちょっとやってみよう |
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