業界ナンバー1を誇る野村證券のトップセールスマンというと、ドラマ『半沢直樹』の登場人物のようにアクの強い人物を想像するが、西口誉人氏は物腰が柔らかく、なんとも飄々とした佇まいで驚かされる。が、自らを「執念がある」と自己分析し、筑波大での経験が今につながったと断言。これまで厳しい状況に立たされた時、どのように考え、どのように乗り越えてきたのだろうか。
金融サービスの営業です。営業の中でも法人・法人オーナーを専門的に担当する領域に所属しております。未上場法人の事業戦略や事業承継、財務基盤強化のアプローチをしています。さらに、法人のオーナーファミリーへは相続対策や運用等に関わるサービスを提供するコンサルティング営業をしています。過去は、営業から異動して本社で企画や研修運営をしてきたこともありますが、今はまた最前線でお客様と接することができて幸せに感じています。
今は全くありませんが、過去にプレッシャーを感じたことはありました。
僕は自他共に認める鈍感な人間でして(笑)。これがプレッシャーだと感じたことはあるのですが、その状況が「苦しい」とは思わないんですね。どうやって壁を乗り越えたかと聞かれたら、その状況を「苦しい」と思わないこと、ですかね。
あとは、マインドセット。1つ1つの自分の行動に目的意識をなくさずに突き進めれば、粘り強く行動することができます。
だから、どうやって壁を乗り越えたのか聞かれても、あまり良い答えが思い浮かばないというのが正直なところです。
小学校から高校までやっていたサッカーで壁にぶち当たったことはありますが、ただひたすら目標のためにコツコツ頑張って、いつの間にか壁を乗り越えていたという経験はあります。
小学生で全国大会に出場したので、中学になったら当然、地元神戸で最も認知度の高いヴィッセル神戸のジュニアユースに入れるだろうと思っていたら、不合格になってしまって。結局、他のクラブチームに所属したことは自分にとって初めての挫折でした。
でもそこで腐らず、目の前のことを一生懸命やった結果、クラブユース選手権の決勝でヴィッセル神戸を破って全国大会出場を果たしました。「自分のやり方で間違いない」と確信できた大きな経験となっています。
高校では勉強とサッカーを両立させようと兵庫県立長田高校に進学。そこで出会ったサッカー部の顧問で恩師、 林啓太先生が筑波大体育専門学群の出身だったので、筑波大を目指すようになりました。
それと高校の時、インカレで筑波大が優勝したことも印象的で、勉強もサッカーもトップクラスの筑波大に憧れを持っていました。
林先生からは「教員になって帰ってこい」と言って頂き、その気になっていましたが、就職活動を通して蹴球部出身の先輩方が企業で働いている姿を見るうちに「企業で働くことはカッコイイ」と思うようになって。
中でも、野村證券で働いていた年の近い先輩方の影響を受けて「自分もカッコイイ人間になりたい!」と、業界一位の企業にこだわって就職活動をしました。
仲間の存在、そしてチームワークですね。皆それぞれ一人暮らしではありましたけど、まるで1つ屋根の下で過ごしているかような生活で。朝から晩までずっと一緒に過ごしていました。仲間の存在はとても印象深いです。
東京の大学生とは違って、筑波大、特に蹴球部の人には雑草魂があり、成功するまで続けられる“執念”を感じます。それは名門のプライドなのかもしれません。
僕は高校時代、兵庫県の国体選手にも選ばれましたが、筑波大にはもっとすごい人たちがたくさんいて、厳しい環境の中で皆が切磋琢磨している。そんな仲間たちに影響を受けて、僕自身も執念を持って最後まで諦めない、そんな人間になれたと思います。
執念もそうですし、つくばの何もない環境に身を置いたことで自立型になったことです。何事も自分で考えて行動しますし、指示待ち人間にならないということでしょうか。当たり前のようですが、社会に出ると意外に指示待ちの人は多く、結果も大きな差になって現れます。
自立型になったおかげで“仮説思考力”が身に付いたといいますか。AになったらBになる、AにならなかったらCになる等々、未来のことをいくつも仮説し、検証して修正していくことが習慣になりました。仕事においては、リスク管理にもつながっていますし、あらゆる商談でも結果につながり、効率的に問題解決を進めることができていると感じます。
社会人ともっと接するように、ですかね。大学で蹴球部の活動をしていると、なかなか社会人の方と接する機会はないのですが、コーチをしていた少年サッカーチームで、子供たちの親御さんと接することができたのは良い経験でしたから。もっと色んな社会人と触れ合っておけば、もっと成長できたかもしれないなと思います。
僕が担当させていただいたある社長のご資産運用をお手伝いした際、ご期待に沿えない結果になってしまったことがありました。その時、社長は僕を怒るのでなく「この経験を生かしてもっと頑張りなさい。」と言って下って…。あの経験が社会人としてのターニングポイントになりました。
野村證券の名刺一枚で企業のトップの方々と会えることは、他の会社と比べると大きなアドバンテージですが、それに甘んじず、社長の相談に乗れる頼もしい存在になることを心がけています。
社長という存在は孤独で相談する相手がいない、右腕がいないとよく言われます。創業者には創業者の悩みがあり、二代目には二代目のプレッシャーがある。それならば、僕が社長の右腕になろうと、そんな気持ちで皆さんに接しています。
例えば同じ情報を共有していたとしても、解釈次第で全く違う見解が生まれることってありますよね。身近なところでいうと、雨が降って嬉しい人もいれば嫌な人もいる。つまり、価値観は人それぞれなのだから、まずは相手の価値観・世界観を理解して、そこに響くメッセージやイメージを見つけるように意識しています。
そうですね。お客様の価値観・世界観を受け入れた上で多くの情報から得られた選択肢を提供し、あとはお客様の判断に委ねます。他社よりも当社の方が優れているとか、良さを訴えれば訴えるほど逆に信頼を失ってしまう。なぜならお客様がお決めになる際に決め手となるのはサービスの内容そのもの以上に、営業マンの”今までの対応の質”ではないかと思うからです。
例えば、1年前に初めてお会いした時は全く話を聞いてくれなかったお客様がいたのですが、営業するのではなく、定期的に野村のサービスを含めたあらゆる情報を提供し、判断をお客様に委ねてきたことで、信頼関係を構築し、今では僕の提案に熱心に耳を傾けてくださっています。
大切なのは相手の価値観・世界観を理解し、時間をかけて信頼を獲得することです。
支店長になる、マネージャーになるという分かりやすい目標よりも、大事にしたいのは、過去の経験を踏襲せず常に既存の枠にとらわれない新しい発想を持つこと。そして新しいアイディアを生み出せる人間になることです。
今は大阪を拠点にしているので、地元の〇〇×野村證券のような一見野村證券には関わりがないようなトピックとコラボすることで世の中に何かを発信できないだろうかと考えています。「野村がなんでそんなことするの⁉」と皆さんに驚かれるようなことをしたいですし、ただ想像するだけではなく、僕なら行動に移すことができる。そう確信しているのは、筑波大で培った自立心や実行力のおかげだろうと思います。
テレビの『プロフェッショナル』っぽい質問ですね(笑)。特に大きなものはないというか、社会やお客様、会社、自分、という3者がハッピーになれば良いかな、ぐらいですかね。
僕はトーナメント方式で物事を考えるタイプです。未来のこと、決勝のことはざっくりで、まずは1つ1つ、目の前の戦いに集中するといった感じです。
子供の頃からそういう考えなんです。目の前のことを信じてやっておけば何かにつながる、成長できるはずだと。
漠然とした目標でいいのなら、いつか役職が上がって自由度が増した時、筑波大の仲間と一緒に何か面白いビジネスができたら嬉しいですね。
仲間とのつながり、縦横のつながり。一昨年まで最年長として在籍していた筑波大蹴球部のOBチーム、FC桐の葉を通して学生とも交流を持てるようになり、いまだに筑波大生のつながりの強さを実感しています。
それと、“レジリエンス”。逆境を乗り越えることを筑波大で学びました。
執念を持つこと。失敗したら諦めるのではなく、成功するまでやり続ける執念を持って下さい。
所属: | 野村證券株式会社 |
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役職: | 課長 |
出生年: | 1986年4月29日 |
血液型: | O型 |
出身地: | 兵庫県神戸市 |
出身高校: | 兵庫県立長田高校 |
出身大学: | 筑波大学 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | スポーツ経営研究室 |
部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 天久保2丁目 |
行きつけのお店: | まんぷくや、とんQ |
ニックネーム: | にっくん、にし、たかと |
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趣味: | ゴルフ |
年間読書数: | 約12冊、日経新聞 |
心に残った本: | 経営に大義あり |
心に残った映画: | ショーシャンクの空に |
好きなマンガ: | キングダム |
好きなスポーツ: | サッカー、ゴルフ |
好きな食べ物: | 餃子 |
嫌いな食べ物: | なし |
訪れた国: | 10か国 |
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