16歳で日本代表に選ばれ、2011年ドイツW杯で優勝。なでしこジャパンとして国民栄誉賞を受賞したと聞けば、順風満帆な人生のように見えるが、実は人知れず苦労と努力を重ねた。2021年、現役選手として活躍しながら大学の教員に就任し、女子サッカー界の未来を照らす存在として注目を集めている。
浦和レッズレディースに所属し、選手としてプレーをしながら、2021年2月からは筑波大学人間科学学術院の助教として働いています。
大学にいた頃から、自分の研究を自分のサッカーの成長につなげること、そしてサッカーをプレーする中で出てきた課題を研究につなげることをずっとやってきたので、それは今も変わりません。
ただ、大学の教員になったことでサッカーだけでなくスポーツ全体のことや、これからの女性の活躍のことを考えたり、より社会的な立場からサッカーとは何なのかを考えるようになりました。
はい。もともと足を使って遊ぶのが好きで、風船があったら蹴ったりしていたそうです。サッカー以外にピアノや水泳を習っていた時期もありましたが、練習中に「早く終わらないかな」と考えていたほど、好きにはなれませんでした。
いえ、全然。幼稚園に行きたくないと泣いていた子だったみたいで、両親も困っていたようですが、「サッカーができるなら幼稚園に行く」と言うので、両親が園長先生に頼んで男の子のサッカークラブに女の子ではじめて入部させてもらいました。
まず、W杯で優勝した瞬間に感じたのは、夢を信じて、ずっと続けていると夢を叶えることができるということ。そして世界一になることに向けて自分が取り組んできた過程が、夢を叶えるためには大切だということです。
それは今も自分の財産であり、誇りです。
高校1年で日本代表に入り、このまま代表として活躍できるだろうと思っていたら、大学2年の時に代表から外れて大きな挫折を味わいました。「自分は天狗になっていた」と実感し、サッカーをすることが苦しくなったんですけど、その時に筑波大の西嶋尚彦先生の研究室で科学的なトレーニングを始めて。
「もう一度、代表に戻って世界と戦える選手になろう!」と、“TEAM KOZUE”のような目標達成のためのプロジェクトチームを作ったんです。
フィジカル面、技術面だけではなく、栄養だったりメンタルだったり色んなことに取り組みました。試合後、すぐに研究室に帰ってきてその日のうちに試合を分析し自分のできたこと、課題を見つけ出し次の週のトレーニング戦略を立てました。試合で運動量が足りない時は急いで帰ってきて大学の体育館でウエイトをすることもありました。
人生のすべてをサッカーに捧げて毎日取り組み、それでも結果が出ないことがたくさんあって、「自分のやっていることは正しいんだろうか」と立ち止まることもありましたけど、それでも諦めずに続けてきた。
そしてW杯で世界一になった時に、先ほどお話した夢を信じて続けること、そして夢に向かうまでの過程の大切さを実感しました。
とにかくサッカーで世界一になりたいという夢はブレず、目標を絶対に成し遂げたいという強い思いを持っていましたから、周りから何と言われようが自分の信念を曲げることはありませんでした。頑固なのかもしれません(笑)。
当時、女子サッカーは人気ではありませんでしたから、「まだ女子サッカーやってるんだ」という声や、TEAM KOZUE”でさまざまなトレーニングを取り入れていましたから奇異な目で見られ、雑音が聞こえてくることもありました。
でも、そんな声は全然気にならなかったですし、学生時代はトレーニング漬けで、オフの日に買い物に行ったり、皆と遊びに行ったりもせず、いわゆる楽しい学生時代は過ごせませんでしたが、そういったことも気になりませんでした。
サッカー以外では、かなりフレキシブルなんですけどね。サッカーだけは、こだわりが強いです。
やっぱり、サッカーがやりたいです。今の知識をもってもう一度、学生時代のトレーニングがやりたい。その他のことは考えられないですね。
7月に39歳になりましたが、サッカーが好きすぎて、引退を頭の片隅で考えながらも、サッカーをプレーしない自分を想像すると涙が出てしまうんです。だから今も現役を続けられているのはとても幸せで。転んで顔面に芝生がついても、口の中に芝生が入っても幸せをかみしめています。それに、まだまだ若い選手に負けない自信もあります!
はい。今でも戦術や技術を学んでいますし、サッカーを通して人と出会ったり、チームメイトとのかかわりだったりから色んなことを学んだり。研究しながら年齢に打ち勝つための新しいトレーニングを開発してくことも楽しいです。まだまだ成長できると感じています。
日本代表で活躍されていた井原正巳さんや中山雅史さんが筑波大卒だと知って筑波大に興味を持ち、ACで入学しました。
はい。当時の女子サッカー部は男子の蹴球部の邪魔をしないように朝6時に1グラで練習したりしていましたが、そういう環境に物足りなさを感じ、中学までは男子と一緒にプレーをしていた経験もあったので、蹴球部に入れて下さいと先生にお願いしたら「女子だからダメだ」と言われて。
すると大学院生の方々が「自分たちがコーチを務めるフレッシュマンコース(新入部員を対象にしたトレーニング期間)に参加したら」と言ってくれて、先生にバレないように練習に参加し、チームを振り分けるテストを受けたら私の名前がB2に入っていました。
すると、先生もしょうがないといった感じで受け入れて下さったんです。その時に気づいたのは、自分から動いてチャレンジすることで、仲間が助けてくれたり、新しい環境が広がったり、周囲の人の考えを変えることができるんだなと。
はい。ぶつかっていました。それに抵抗はありませんでした。むしろ、自分をより高められる環境の中でプレーさせてもらえることに毎日ワクワクしていました。
小さい頃からずっと女子の中ではトップでやれてしまっていたので、代表とか世界一ってことを考えると、男子と一緒に練習することが必要不可欠だと思ったからです。
高校の時に代表に入れたのも、中学の男子サッカー部で男子のスピードでやっていたことが大きかったですし、大学では女子サッカーはまだ成熟しておらず毎日練習がありませんでしたから、蹴球部で練習をすることが自分にとって良い環境だと。迷わずにそう思いました。
サッカーがうまくなるために…って、突き詰めるのが好きなんだと思います。
2年生になって日本代表を外れてから所属しました。学生生活の思い出というと、その頃の印象が強いですね。
当時まだつくばエクスプレスがなく、埼玉まで行くのに2時間半もかかったんです。ひたち野うしく駅から上野まで行き、そこから浦和駅へ。ひたち野うしく駅に行くにもバスですごい時間がかかるので、蹴球部や女サカの先輩に、車で送り迎えをして頂きました。練習を終えて埼玉から帰って来るのは夜11時くらいでしたけど、誰かしらいつも迎えに来てくれて…。
しかも、レイナスは高校のグラウンドを借りて練習していたので、砂利や土のところでプレーしていましたし、着替える場所がなかったので木の影に隠れて着替えたり(笑)。
今は筑波大の女子サッカー部もすごく良い時間帯に1グラで練習できるみたいですね。当時は推薦枠はありませんでしたが、今は女子サッカーの選手が推薦で入ってくるなど存在感が高まってきています。
環境が良くなったとしても、1人の選手個人がもっと成長したい、うまくなりたいと思えば、やはり新しいことにチャレンジする必要があると思います。その一歩が踏み出せるかどうかが大事ですし、踏み出すことでもっと環境が良くなるかもしれない。
そういった意味で、もっと上を目指す気持ちを持つことはできると思います。
1年の時は、狭い平砂寮に住んでいたので(笑)、女子サッカー部や蹴球部の子たちと一緒にご飯作って食べたり、鍋パーティをしたり。体育じゃない学食を色々回ってみて食べ比べをしました。
大学でのトレーニングも全て、「世界で戦うために」と思って準備していましたから、27歳の時、ようやくタイミングが訪れ、ドイツにいくことができて嬉しかったです。
サッカーの面でいうと、ドイツに行って初めて「サッカーって格闘技だな」と感じたのが一番。日本はパスを回したり、きれいにサッカーをすることが良しとされますが、ヨーロッパのサッカーで一番大事なのはそういったことではありません。
速く攻め、ゴールに向かうこと。ボール際での戦いで相手を吹き飛ばすような、そういうところで負けないこと。ファンやサポーターはそれを見に来ています。日本でも一生懸命やっていて、120パーセント出していたつもりでしたけど、全然表現しきれていなかったなと。
ドイツだと、監督の前でわざとスライディングしてやる気を見せたりとかしないと試合にも出られないんですよ。
当時、ドイツでプレーしていた内田篤人さんが試合を観に来てくれたことがあったのですが、「女子の方が激しいね…」と驚かれたことがありました。試合が終わるとむち打ちのようにカラダのあちこちが痛かったり、流血していたこともたびたびありました。
自己主張をすることですね。日本人としては、こんなに言ってもいいのかというぐらい主張しないといけないので最初は慣れませんでした。
例えば日本だったら、新加入選手に手取り足取り「明日、何時集合だよ」と教えてくれるんですけど、ドイツでは誰も全く教えてくれないんです。助けが必要なら自分から聞いてきてという感じで、集合場所までの行き方も自分から聞かないと教えてくれません。
それと、日本のミーティングは監督が言うことを選手たちが聞くという感じなんですけど、ドイツは監督も選手も対等で意見をぶつけ合います。その光景にも驚きました。
例えば失点シーンで、1人の選手がミスしたときに監督に指摘されても「私は悪くない」と言って、なんなら「梢が声をかけなかったのが悪い」って言うんですよ(笑)。そこで私が何も言い返さなかったら、その失点は私のせいになっちゃうので初めのうちはドイツ語が
話せなくてもとにかく「私じゃない!」って主張していました。
言いたいことを言って、そのあとはさっぱり。それは良いと思いましたね。
それと、自分が試合に出られない時に、監督に理由を聞きにいったほうがいいと仲間に言われて思い切って聞きにいったら、オープンに監督の考えを言ってくれるので驚きました。
その時、「あなたはどんなことができるのか」と聞かれて、「自分はこんなプレーができます」「これとこれで貢献できる」と言ったら、「梢は自信とやる気がある」と評価され、その後試合に出場できたこともありました。
日本だとそういうのはなかなかないです。逆に、聞きに行くと生意気だと思われてしまうこともあります。
ヨーロッパのノリで日本の知り合いに「今、私はヨーロッパでこれだけ活躍してます!」ってメールをしたら、「謙虚でいけよ」って返信が来て、日本では日本のやり方にしなきゃって思いましたけどね(笑)。
思いやりであったり、誰かのために粘り強く頑張ること。そして日本は0-2で負けていても最後の1分まで頑張る。日本の女子サッカーはそういう諦めない精神があり、それが良さだと実感しました。
そうですね。自分の経験を話したり、海外を目指す選手には「嬉しいとか悔しいっていう感情をもっと表現していかないと、海外で通用しないよ」と話したりします。
逆に、何か意見があれば私に文句言うぐらい言ってきて欲しいと思っていますし、言ってきていいよとも話しています。
まずは日本代表が強くあることが絶対です。16年間ずっと代表としてやってきて、ワールドカップ、オリンピックで結果を出すか出さないかで集まるメディアが1人なのか、100人、200人、300人なのか、全然違うんですね。お客さんが何百人だったのが、何万人になるとか。
これから女子サッカーのプロリーグが始まるとはいえ、サッカーだけでずっとやっていくのは難しいのが現実です。その点、ヨーロッパではセカンドキャリアは意識しながらサッカーをしている選手が多かったので、その概念を日本に取り入れることも大事だと思っています。
選手をやりながら大学の教員というのは自分自身の新たなチャレンジなんですけど、それができたのは筑波大学だからと感じています。
私がこういう道を進むことで、学生や女性のスポーツ選手に「こういう道もあるんだ」と思ってもらえたら嬉しいですし、自分が背中を見せていきたいという思いで、今チャレンジしています。
筑波大学に入学してからこれまで素晴らしい先生方、仲間と出会いそこで出会った方々の生き方や考え方、かけてもらった一言の奥深さが、私自身にとても大きな影響を受けてきました。入学した時に、ある先生が授業で「筑波大学が人生を決めます」と言われたのですが、今本当にそうだったなと心から思います。今もそんな環境で私自身も学び、成長し続けられることが幸せです。
教員の道を考えた時に山口香先生という存在がとても大きかったんです。私もいつか誰かに少しでも影響を与えられるような存在になれるように「つくばウェイ」を繋いでいきたいです。
素晴らしい施設が整っていて、サッカー場はもちろん陸上トラックも使えましたし、スペックや附属病院も使えて、そこには色んな分野で活躍している優秀な方々がいる。そういった環境を最大限に活かし、共に高め合い、自分の夢や目標に貪欲にチャレンジして欲しいと思います。
所属: | 筑波大学 ・三菱重工浦和レッズレディース |
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出生年: | 1982年 |
血液型: | A型 |
出身地: | 栃木県宇都宮市 |
出身高校: | 栃木県立宇都宮女子高校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | 筑波大学大学院 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 測定評価学 |
部活動: | 女子サッカー部(2年生まで) |
住んでいた場所: | 天久保3丁目 |
行きつけのお店: | コーヒーファクトリー |
ニックネーム: | あんち、こずこず |
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趣味: | カフェ巡り |
特技: | 綱登り |
尊敬する人: | メッシ |
年間読書数: | 20 |
心に残った本: | KOZUEメソッド |
心に残った映画: | タイタンズを忘れない |
好きなマンガ: | 鬼滅の刃 |
好きなスポーツ: | サッカー |
好きな食べ物: | 焼肉、チョコ、パン |
嫌いな食べ物: | なし |
訪れた国: | 35カ国 |
大切な習慣: | 食事と睡眠をしっかりとる |
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