2003年、累計発行部数148万部を記録した『13歳のハローワーク』(著:村上龍)に出合い、「この本に載っていない仕事をしよう」と、宇宙関連の仕事を目指すことにした。研究者になる夢を抱いて筑波大に進んだが、優秀な同期の存在を目の当たりにし、ビジネスの世界へ。現在は、理系の学生をサポートする会社の経営者として、若き才能が志半ばで夢を諦めてしまわぬよう尽力している。その思いを聞いた。
もともと筑波大学在学中に宇宙開発の研究をしていたので、筑波大の後輩や現役生をはじめ、全国にある大学のものづくり団体とつながりがあり、今は理系の学生さんたち約1000名のコミュニティーを運営しています。
具体的には、学生と企業さんをつないでプロジェクトの資金を集めたり、就職先などを斡旋する事業です。
まさにその通りで、ロケットにしても人工衛星にしても、1つ作るのに数百万円かかりますし、実験をするには人がたくさんいる場所ではできないので、遠方に行く、となると旅費がかさみます。
そのような実践的な経験は、授業で学ぶだけでは得られない、ものづくりのスキルが身につきますが、アルバイトをする時間がなかったり、開発費用にお金がかかって続けられないといった問題があって…。私自身も思うようにやれない、もどかしい思いをしました。
はい。就職活動の観点においても、理系の学生は忙しいので、それほどリサーチをせずに知っている企業を順番に受けていく人がほとんどです。入社して理想と現実のギャップに悩むことがないよう、私たちの会社が、学生と企業をつなぐ役割を果たしたいと思っています。
中学生の頃、『13歳のハローワーク』という十代向けの職業紹介の本に出合ったことがきっかけです。そこに色んな仕事が紹介されていて、今思えば中2病のような話でお恥ずかしいのですが、その本に載っていない仕事がしたいと思ったんです。人類未踏の地に踏み入れたい、と(笑)。
母は天文という意味での宇宙、星に興味がある人でしたが、母に影響を受けたというよりは私自身が好奇心旺盛なので、「宇宙に関しては解明されていないことが多い」と知って興味を持ちました。
高校生で進路を考えていた時、宇宙関連のことを研究しているのは筑波大だと知りました。
センター試験に挑むのは難しいと自己分析して、AC入試なら、スーパーサイエンスハイスクール在学中にやっていたロボットの研究やプロジェクトをアピールできるのではないかと。小論文や研究活動のレポートを提出し、面接を経て筑波大に入りました。
最初はそう考えていましたが、大学には優秀な学生がたくさんいて、私は研究者になるほどの熱意がないことに気付かされたんです。
特に、ロボットスーツHALの研究者として有名な、山海(嘉之)先生の研究に入った同期の存在は大きかったですね。同じ学類の同期なので、同じ土俵に立てていると思ったら自分よりもはるかに優秀で。
彼の存在は刺激になったと同時に、研究者の道を進むのは私には無理だと諦めるきっかけにもなりました。
今は直接の交流はありませんが、Facebookを通して海外の雑誌でインタビューされている様子や、海外の研究機関で働いていることを知り、いまだに刺激を受けています。
いつか私の会社で、彼のような存在を生み出せたらと思います。
総合大学なので、構内にはスポーツで有名な選手がいたり、ペンキだらけのつなぎの洋服で歩いている芸術学群の人や、最先端のテクノロジーをやっている人もいる。その環境の中で、交友関係を広げようと思えば、色んな分野に交流を広げられるのが筑波大の良いところだと思います。
私は体育系ではありませんでしたが、競技用の大きなトランポリンで遊べたことも良い思い出ですね。大学の至る所に興味をそそられるものがあって、それにすぐ挑戦できたことは、とても良い経験でした。
あの広大な敷地内で何でも完結できる一方で、東京が近いので週末に経営者やビジネスマンが集まるイベントに参加したり、人との交流が生まれたのも筑波大にいったからこそです。
「つくばから45分で東京に行けるので!」とアピールすれば、東京の人にイベントに招待してもらえたり、ビジネスの話があった際に、すぐに駆け付けることができたんですよね。これがもっと遠方だったら声をかけてもらえなかったのではないでしょうか。
4年次に人工衛星のプロジェクトを立ち上げたので、その継続のため大学院に進みました。結局、宇宙関連の仕事でお金を稼げるイメージが持てなかったので、修士2年で休学し、MBAコースに転専攻。お金を生み出せるビジネスについて勉強したいと思いました。
MBAコースは半分以上が外国人の学生だったので、日本にいながら国際的な環境に身を置くことができたことは、とても良い経験でした。
はい。クラス内は英語や中国語が飛び交い、私はマイノリティーの立場として、彼らと交流をするために英語や中国語を勉強しました。こういった経験は、筑波大の地の利と言えると思います。
いえ、当時の考えは安直で、経営学を学んだら経営ができるようになると思っていたら、そうではなかったんです。
結局、自分で何か始めたほうが経験を得られるのでは…と思っていた時に、大学時代の知り合いづてに会社を立ち上げないかと持ちかけられ、その後出会った仲間と一緒に会社を立ち上げることにしました。
はい。人材派遣会社で8年ほど代表を務めて、今の会社につながる、教育や人材に関しての課題が見えてきましたので、2022年に会社を離れ、2024年7月、ものづくりに携わる学生をサポートする事業を立ち上げました。
個人事業主として、外資コンサルや建築、IT、外食など様々な企業の採用人事を業務委託で受けていました。そこで得た経験が、今に生きていると思います。
1社目を立ち上げて半年後に妊娠し、出産したことですね。それまでの私は仕事をバリバリやって、会社を立ち上げて、1人で何でも出来る人間だと思っていたんですけど、出産後は「こんなに人の助けを借りないと、やっていけないんだ」と実感しました。
起業してすぐだったので、当時の記憶がないぐらい多忙でしたが、必要なタイミングで、人に甘える、人に助けを求める大切さを教わった気がします。
人に頼って仕事をすることは、実は経営者にとって大事なことです。自分で全部やらなきゃと思ってしまうと会社としてスケールしませんし、自分のカラーとサイズ感で終わってしまいますから。
自分の時間にスペースを作ること。自分のスタイルを崩さないことは常に心がけています。
例えば、私がやるもの、やらないもの、参加するもの、参加しないものを選ぶことは、とても大事。経営者は人に会いに行ったり、お誘いがあったり、色んな予定が入ってきますが、スケジュールが空いているからと、どんどん予定を入れてしまうと、仕事に追われて新しい話が入ってこないような気がします。
基本指針は、ものづくりをしている学生を応援することです。
ゲームやプログラミングなど、好きなものに一点集中している人の熱量はすごくて、特に社会人になる前の、学生時代だからこそ好きなものに時間をかけられると思うので、そういった方々が社会で活躍できるように応援していきたい。それが会社のスタンスです。
ことわざではないのですが、「天才とは、照れずに天才のフリができること」という言葉です。
1社目の株主である、私のビジネス界の師匠が教えてくれました。本来の私は人前で喋ることが苦手で、表に出ることを避けるタイプでしたが、そんな自分のままでは1円も生み出すことはできないと、師匠が教えてくれたんです。
例えばスポーツでいうと、何かの代表選手に選ばれても、自分は目立つのは好きじゃないなんて言ってたら、それ以上成長はできないですよね。一見、天才に見える人だって、天才のフリをしているだけで、実は裏ですごく努力をしているかもしれない。
その”フリ”を出来る人が、本当の”出来る人”だと教わったので、私もそうしようと心がけています。
多くの人が大学生になってから働くことや就職のことを考えるので、もちろん企業も、その年代の、その人自身を見ることが採用の判断材料になりますが、将来を見越して、大学に入る前や子供のうちに教育的投資をしたらどうなるんだろう、ということに興味があります。
人は環境次第で変わるので、どんな環境を用意したらどういう人間が育つのだろう、早いうちに投資してみたらどうだろうと。そういったことに焦点を当てて、将来的にビジネスにつなげられたらと思っています。
『ワイルド・スピード』という映画の世界観が大好きなので、世界各地に散らばっている仲間が、大事な時に集まるといったような会社やコミュニティーを作りたいですね。
私は仕事でも“ファミリー”という言葉を大事にしていて、前の会社から、血のつながりを超えた家族として会社の仲間と付き合いをしています。仕事はもちろんですが、みんなで集まって庭でバーベキューをしたり。
そういう家族的なシーンに憧れがあるので、本当に信頼できる、利害関係を踏まえても一緒にいられるような大きなファミリーを作りたいと、そういう夢を持っています。
まだ会社として実績を残せているわけではないので、アドバイスが欲しいのは私のほうですが(笑)。しいて言うならば、ビジネスを始める際に今まで自分がやってきたことの延長線だけでやってしまったら、想像できる未来しかやって来ないということです。
予想の範囲外に出ることは怖いし、リスクもあります。メリット、デメリットで考えてしまうと、デメリットのほうが大きいと感じてしまいますが、20代なら失敗してもやり直せます。筑波大生なら食いっぱぐれることはないと思うので、あれこれ頭で計算したり、考え過ぎて頭でっかちにならずに、今までの自分がやらなそうなことに挑戦してみると良いのではないでしょうか。
筑波大でチャレンジ精神が養われて、自分のやりたいこと何にでも挑戦できました。やりたいことを自由にやれる環境や設備が整っていますし、大学周辺の企業さんが協力して下さったり。そんな環境で若い時代を過ごせたからこそ、次は私が若い人をサポートしたいという気持ちが持てているのだと思います。
広大な敷地の中に、これほどまで色んな環境が整っている大学は他にないと思います。在学生の方はそれを当たり前と思わず、幸運なことだと思って社会に還元していって欲しいですね。
所属: | 株式会社FREAK |
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役職: | 代表取締役 |
出生年: | 1989年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 千葉県 |
出身高校: | 千葉県立船橋高校 |
出身大学: | 筑波大学理工学群 |
出身大学院: | 筑波大学システム情報工学研究科(中途退学) |
学部: | 理工学群工学システム学類 |
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研究室: | 亀田研究室 |
部活動: | 筑波大学宇宙技術プロジェクト |
住んでいた場所: | 桜 |
行きつけのお店: | 順鮨 |
趣味: | 猫 |
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特技: | 色彩識別 |
尊敬する人: | 九戸政実 |
年間読書数: | 12冊 |
心に残った本: | 傲慢と善良 |
心に残った映画: | ワイルドスピード |
好きなマンガ: | チ。 |
好きなスポーツ: | サッカー(観戦) |
好きな食べ物: | 和食 |
嫌いな食べ物: | 固茹での卵 |
訪れた国: | ハワイ、フィリピン、韓国 |
大切な習慣: | 即断即決 |
口癖は?: | できそうな気がする |
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