大学時代からスポーツ幼稚園の構想を持ち、2020年に起業。人材の宝庫である筑波大出身の指導者が過半数在籍するスポーツ幼稚園、スポーツ学童をつくば市に構えた。体操、サッカーに打ち込んだ自身の経験や、大学時代の恩師の教えが軸となった環境の中で、いま実現できていること、そして今後実現したい目標とは?
2020年に創業し、つくば市みどりので、スポーツと福祉事業を組み合わせた事業を展開しています。
1歳から5歳までを受け入れるチェーロスポーツ保育園と、小学生年代から15歳までの学童としてチェーロスポーツクラブを運営しており、放課後の部活動を地域主導でやっていこうと。現在、会員様は約340人いらっしゃいます。
福祉とは、自治体や公的な機関が皆に平等に生活を営んでもらえるよう提供するものですが、僕らは民間として福祉に参戦し、共働きの家庭向けの保育園や、共働き家庭向けの学童を運営することで、お父さん、お母さんが働いている間に子供の面倒を見る。そういった意味で福祉に関わっています。
僕は大阪のスポーツ幼稚園出身で、幼稚園の中でたくさん運動するのが当たり前な環境で育ったので、小さい頃からスポーツの早期教育を施せば、どんな子でもある程度のレベルまでいけるという実感がありました。
そうですね。僕が通っていた幼稚園は、卒業生が大学でユニバーシアードの代表になったり、僕の妹がロンドンオリンピックの体操の代表候補になったり。僕自身は体操の育成コースに入って小学1年でバク転をやっていた人間だったので、公立の小学校に進んだ際に周囲の子と自分の運動能力の差を実感して。
この差は才能があるかないかではなく、プロの指導を受けたりスポーツが身近な環境に身を置いていたからなんだなと。そんな思いがずっとあったので、大学3年次にはアスリート能力を持った子供を量産できる環境を作りたいと考えるようになりました。
体育教員の父は、大学時代にラグビーをバリバリやっていた人で、自分の子供に「最強のラガーマンになって欲しい」と、スポーツに特化した幼稚園に入れたみたいです。
小学3年で体操からサッカーに転向しましたが、それも父の影響が大きくて。父がラグビーをやっていた頃、足は速かったし体は強かったけど、キックが苦手だったと。じゃあ、自分の子にはキック力を鍛えさせようと、そういった理由で地元の交野FCに入団しました。
はい。でも結局、ラグビーに転向しなかったんです。小学5年の時にガンバ大阪のアカデミーも出場していた大阪大会で優勝するほどのチームだったので、どんどんサッカーにのめりこんで、中学、高校でもサッカーを続けました。
父が大阪体育大出身で、「プロを目指すにしても文武両道でいけ」という方針だったので、体育の中では一番頭が良くて、良い大学だからと筑波大を薦められたんです。勉強は得意な方だったので、予備校に通わず自分で勉強して現役で合格しました。
はい。大学3年次に研究室を決める際は、いつか幼児教育をやる上で必要な知識が得られるだろうと体操コーチング論研究室を選びました。
大学時代はサッカーでプロを目指していましたが、プロは30歳を超えて続けられるものでもないので、選手を終えた後のキャリアについても考えていて。大学3年次で研究室を選ぶ際に、スポーツ幼稚園という目指すものが明確になった感じですね。
卒業後は大学院にいきましたが、本当は大学院にいくつもりはなく、交換留学制度を使ってサッカー選手としてスペインの大学にいき、下部でもいいからサッカーチームでプレーしてから引退しようと考えていました。
例年ならスペインの大学にはほとんど申し込みがないのに、僕の時は2人の募集枠に対して4人の応募があって…。僕以外は全員スペイン語専攻の学生だったので負けてしまって、その時点で大学4年の4月。就活は大学3年の3月には大体終わっている時代だったので、大学院に進み、2年後に就職して起業に必要な資金を貯めようという計画でした。
いえ。大学院に入学する1週間ぐらい前に、蹴球部の先輩で今はつくばFCネクストの監督を務める坂本龍一さんから連絡があり、つくばFC女子の監督を探していると。「色んな人に声をかけたけど断られて、小山が最後です」と言われて(笑)。
そう言われては断れないので、監督として週4、5日は練習や試合に時間を費やし、遠征に行く時は、バスを運転して送迎もやって。それと並行して指導者ライセンスを取りました。
当時のメンバーが良く、僕が関わり始めた初年度で2部リーグ戦優勝、3年目には茨城県大会で優勝。その時のメンバーが、のちに、6名なでしこリーガーになったんですよ。
まだまだ上を目指せるチームだと可能性を感じて、結局、大学院修了後はつくばFCに就職し、合計5年、監督を務めました。
コロナがきっかけですね。当時、緊急事態制限下でスポーツに対する各国の対応が違っていましたが、ヨーロッパの多くの国はスポーツの試合が実施されていたにもかかわらず、日本はスポーツはやらなくてもいいという社会的認識でした。その時に、スポーツ業界に身を置く者として危機感を覚えたんです。
その一方で、学校が休校になってしまったがために、働くお母さんたちの要望で保育や学童へのニーズが高くなったんですね。そこにスポーツを組み合わせることで、スポーツが生活になくてはならないものに近付くんじゃないかと。
自粛ムードにあったスポーツに関わる仕事を今、立ち上げないと、スポーツ業界が廃れてしまうと感じて起業に至りました。
そうですね。土台が崩されたような気がしました。生きていく上での土台という意味でもそうですし、スポーツと社会のつながりが切れてしまうような…。
どんな状況でも、スポーツという楽しいものを続けられる環境を安定させていかないと、今アスリートとして頑張っている後輩たちが将来大変な思いをしてしまう。そんな思いもありました。
日々実感しています。例えば言語でいうと、日本語は世界的に難しい言語ですが、そこに才能がいるかというとそうではなくて、日本語の環境で生活すれば日本語が喋れるようになりますよね。
スポーツもそれと同じ。運動するのが当たり前、努力するのが当たり前という価値観の中で過ごしていくと、運動能力が高い子供が育つ傾向があると実感しています。
僕が通っていた幼稚園で、運動能力が高かった子達が30歳近くになった今でも運動を続けているかというと、続けていない人がほとんどですし、アスリートとして突き抜けていった子は全体の10パーセント位しかいないんですね。
スパルタ式にしてしまうと成果を出すために負荷をかけなければいけないので、それに耐えられた子は上にいけますが、大多数の子は耐えられずにスポーツから離れていってしまう。それは大きな課題ですので、僕が経営する保育園では、運動の楽しさや心地よさを見出してもらえる環境作りを意識しています。
そこに気付かされたのは、体操コーチング論研究室の長谷川(聖修)先生の影響が大きいんですよ。
自分らしく技をしたり、体を動かす、その営みの中で運動の楽しさや心地よさを見出していくことの大切さを学びました。
例えば、スポーツの指導では「皆で競争しよう」と、子供たちに競わせることをやりがちですが、長谷川先生は「競争なしで子供たちを楽しませる」という考えで、そのためにはコーチングの技術が必要だと。
運動が得意ではない子に対して運動は楽しいと思ってもらうことや、コーチのことを好きになってもらうために表情や声色、雰囲気を作るであるとか。
僕が小さい頃は競争の中にいたので、そういった長谷川先生の教えがとても新鮮で斬新なものに感じました。今は、僕の学童にボランティアで運動プログラムを指導して下さっているんですよ。
はい。先生の教えをもとにした僕のスポーツ保育園や学童、スポーツクラブでは、早くから特定の種目に絞って競技力を高める事はせず、子供たちには色んな分野のスポーツに触れてもらっています。
10種目のスポーツの指導者に来て頂き、子供たちが運動を楽しむ中で中学生になる頃に何か1つ好きなスポーツを見つけてくれたらいいなと。そんな環境作りを心がけています。
まず筑波大の同期で、東京オリンピックに出場した戸邉直人君。彼はハイジャンプの日本記録保持者で、今でもトップレベルの実力を誇っています。戸邉君の奥様、新宮美歩さんは陸上の元日本代表ですし、あとは元Bリーガー、元Vリーガー、自分でテニススクールを経営している方など、それぞれ第一線で活躍していた指導者に来て頂いています。
戸邉君以外にも体育専門学群の仲間にお声がけさせてもらっているので、うちの指導者は筑波大OBが過半数いるんですよ。筑波大は人材の宝庫ですから。
それ以外にもつくばFCの選手を4人雇用し、経済面で選手を支えることで本業のサッカーに集中してもらおうと。コーチ時代に選手が経済面で苦労している姿を見ていたので、そういったことも意識しています。
蹴球部の監督だった風間八宏さんとの出会いですね。それまで色んな指導者から指導を受けましたが、風間さんほど「ボールを止める。蹴る」という基本的なことについて理路整然と話す人はいなかったですし、実際、止める蹴るに徹底した練習をした結果、その技術が身につくとプレー中に周囲に目がいったり、気持ちに余裕が出ることを実感して。
自分は身体能力には自信はありましたが、技術が全く追いついていなかったと思い知らされ、景色が晴れたような気分でした。風間さんの理屈には何も反論できずに、うなるしかなかった…、その経験は大きかったです。
スポーツ業界はやりがい搾取な部分があって、教員は残業代をもらわずに自分の時間を投げ打って部活動をみたり、サッカークラブではコーチがボランティアでやっていたり。会費を取っている団体でも非常に苦しい経営状態なので、収入が理由でコーチがやめてしまったら、子供の習い事が無くなってしまうことにつながります。
はい。でも今後、学校の部活に民間が参入することができれば、学校の施設内でプロの指導者から指導を受ける事が出来ますし、学校の先生の働き方改革にもつながるのではないかと。
公園でボール遊びができないといった問題に関しても、学校内であれば子供たちがのびのびと遊ぶことができます。
今後はそういう風になるといいなと思います。そのために、「お金をもらわずに指導するのがカッコイイ」という今の価値観を変えて、「スポーツはお金を払う価値のあるものだ」と思って頂けるレベルのサービスを提供すること。
そして、スポーツを指導する人やスポーツをする子供たちが将来の心配をすることなく、とことんスポーツに打ち込める環境を作っていきたいと、切実に考えています。
スポーツばかりやっていたらこんな生活になっちゃいました、ではなく、「スポーツばかりやっていたからこそ、こんなに豊かな生活になりました!」と。トップじゃない選手でも、経済面が安定する業界にしていけるよう、道を作っていきたいと思います。
僕自身の可能性を広げてくれて、可能性を実現するための価値観や絆を作ってくれました。
後輩の皆さんはスポーツに限らず、何か夢中になれる活動をしていると思いますが、その先も頑張っていける道を僕は作りたいと思っています。先の道でもっと活躍できるよう、今のうちから自分自身を高めて、幅を広げていけるよう頑張って下さい!
所属: | 株式会社エンボス企画 |
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役職: | 代表取締役 |
出生年: | 1991年 |
血液型: | A |
出身地: | 大阪府交野市 |
出身高校: | 関西創価高校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | 筑波大学大学院 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 体操コーチング論 |
部活動: | 蹴球部 |
住んでいた場所: | 春日4丁目、2丁目 |
行きつけのお店: | 馬力や和、夢屋、プリムローズ、ふくろう、酔い処のんちゃん、flat |
ニックネーム: | こや |
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趣味: | 将棋 |
特技: | バク転 |
年間読書数: | 10冊 |
心に残った本: | 鏡の法則 |
心に残った映画: | 天空の城ラピュタ |
好きなマンガ: | ドラゴンボール、ホイッスル |
好きなスポーツ: | サッカー |
好きな食べ物: | 唐揚げ |
嫌いな食べ物: | 辛すぎるもの |
訪れた国: | 5カ国 |
大切な習慣: | 寝る時は寝る |
口癖は?: | あと少し |
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