大学、大学院の学費は全て自分で負担した苦労人。でありながら、高い技術を習得するため、なわとび先進国であるアメリカや香港に何度も武者修行にいくなど、自分への投資は惜しまない。その行動力と努力が実を結び、世界選手権で優勝、そしてオリンピックになわとびパフォーマーとして参加した。日本のなわとび界では、おそらく誰よりも世界を見てきたであろう“なわとびのプロ”。その彼が成し遂げたいこととは?
2022年2月22日、一粒万倍日に会社を創設し、現在は大阪府豊中市でなわとび専門のスタジオを経営しています。
まずは前跳びからスタートして、二重跳びなどの技を極めたい方もいますし、エアロビのようなリズムなわとびで体を動かしたい方もいます。基本はマンツーマンレッスンですが、ご家族ご友人と一緒に受けられるプランもあります。
一番多いのは小学生ですが、運動不足解消のために利用している大人もたくさんいて、45分のレッスンを終えると皆さん汗だくで帰って行かれるんですよ。
1年ぐらい通うと身体が引き締まっていきますので、私はジムのパーソナルトレーナーのような感覚で皆さんの成長を見守っています。
はい。小学生のお子さんを持つ女性が、レッスンを受けて二重跳びができるようになり、子供に自慢したり、教えたりしていると聞いて、とても良い家族のコミュニケーションだなと感じました。お孫さんと一緒になわとびを楽しんでいる、おばあちゃまもいらっしゃるんですよ。
その方は75歳で、最初は認知症の予防という目的でレッスンを受講されました。それが今では、二重跳びを連続10回出来るんですよ。最初は僕もケガの心配をして、二重跳びは無理かな?と思っていましが、どんどん上達して、ご本人のやる気もあり、どんどん上手になっていきました。
はい。「なわとび一本でココロとカラダをつなぐ」というのが僕のモットーです。なわとびがきっかけで家族一緒に楽しんだり、会話が増えることは、なわとびの新しい付加価値だと感じています。
まだまだうまくいかないことも多いですが、俯瞰して見た時には順調に事業が行えていると思います。スタジオでなわとびのレッスンをする以外にも、学校に呼んで頂いて子供たちになわとびを教えたり、なわとび大会などイベントを開催したり、自身が監修したなわとびを売るなど、事業としては安定してくるようになりました。
もちろん起業をする前は、心配でした。筑波大、そして筑波大大学院を卒業後、ワコールという大手下着メーカーに7年間勤務し、会社を辞めて起業をしたので、「なわとび一本で食べていけるのだろうか」と。自分自身も不安でしたし、親からも反対されましたね。
会社勤めしている間も、つくばを拠点にしたなわとびチームに所属していたので、有休を使って大会に出場したり、小学校に呼ばれてなわとびを指導したり。そういう機会が増えていたので、会社勤めをしながらでは限界があるなと。それで起業を決意しました。
生まれは愛知県ですし、大学以降、ずっとつくばを中心に関東で活動していたので豊中市とは全く接点がなかったのですが、「次は関西でやってみたい」という思いがずっとあったんです。
そんな時、豊中市、吹田市、高槻市の北摂地域と呼ばれる地域がファミリー層が多いと聞いて、豊中市にスタジオを構えることにしました。
知り合いも友達もいない地域で事業をするのは心配でしたが、この街はファミリー層が多く公園もたくさんあるので、イベントを開催しやすいんですね。市長や市の教育委員会の方も非常に協力的で、豊中なわとび大会を開催することもでき、とても恵まれた環境で仕事ができています。
実は、大学時代なんですよ。それまでは器械体操をやっていて、体育専門学群にはセンター試験と器械体操で入試を受けたのですが、大学に入って、このまま体操を続けるか迷っていた時期に、学祭でつくばロープスキッピングクラブというクラブチームのパフォーマンスを見て。小学生が四重跳びをやるぐらい、すごいレベルだったので「こんな世界があるんだ!」と衝撃を受けました。
はい。クラブチームでの活動だったので、大学時代に困ったことといえば、体専だと自己紹介で必ず「何部の~」って言いますよね。僕は外部のチームに所属してはいるんだけど、部活で言うと帰宅部になってしまう、っていう、ややこしい面がありましたね(笑)。
大学1年から始めて、5年で優勝することができました。世界選手権は当時30か国ぐらいが大会に参加していて、ヨーロッパ、アメリカ、アジアだと香港などが強豪国。世界で勝つために、武者修行と称してアメリカや香港に何度も足を運びました。
もちろん自腹です。僕は大学から大学院まで奨学金を借りていたのですが、ラッキーだったのは、大学院の時の月8万8千円の奨学金が全部免除になったので。2年分の合計200万円ほど全て武者修行につぎ込みました。
個人優勝はめちゃくちゃ嬉しかったです。個人には3種目あって、短距離走のような30秒スピードと、長距離走のような3分スピードというものがあり、時間内に何分跳べるかを競うんですね。
その2つとフリースタイル、これはフィギュアスケートのような演技なのですが、それぞれの種目で3位、3位、3位になり、個人総合で優勝。
その時は30秒で190回ぐらい跳びました。
練習すればするほど跳べる回数が増えていくので、練習通りの結果が出て報われた感じがしました。
個人で優勝してもなかなか団体では勝てなくて、どうしても勝ちたい思いが強かったので嬉しかったですね。団体はダブルダッチなど8種目あって、体力的にとてもしんどいので、2021年では個人戦に出ておらず、団体戦だけに出場しました。
この時はコロナの影響で、初めてオンラインで開催されたんです。動画審査をするので一番良い動画を提出して下さいと。他の国も、もちろん僕たちもノーミスの良い演技を提出するわけですが、もっと良いパフォーマンスができるかもしれないと何度も何度も撮り直して……終わりのない大変さがありましたね。
6人いて、僕を含めて3人が筑波大出身です。2人は僕が学祭で衝撃を受けた時にパフォーマンスをしていた子たちなんですよ。その2人が中学生になって一緒にチームを組み、それでも団体でなかなか勝てませんでしたが、チーム結成10年でようやく勝つことができました。
団体優勝もそうですが、リオデジャネイロと東京オリンピックでパフォーマンスできたことです。
なわとびはオリンピック種目ではないので、パフォーマーとしてなんとかオリンピックに関われないかと前々から思っていた時、なわとび、海外ではジャンプロープといいますが、ジャンプロープ世界トップのブラジル人女性との出会いがあって。
世界大会なら海外選手と組んで出られる競技があるので、その子とペアを組んで出場する、というようなつながりを3年ほど継続していたら、リオ五輪からその女の子にパフォーマンス依頼がきて、僕にも世界選抜チームとしてパフォーマンスをやって欲しいとお呼びがかかりました。
その時はまだ会社員だったので、会社を40日ぐらい休んでブラジルに滞在したんですよ。40日も休ませてくれて、本当にありがたかったですね。
バスケやハンドボールのハーフタイムで、パフォーマンスをやりました。いわゆるハーフタイムショーですね。ハーフタイムショーではチアリーダーや、バスケの場合はトランポリンを用意してダンクコンテストをやるんですけど、そんな中で僕たちジャンプロープのチームが予選から本選を通して一番観客を盛り上げたということで、バスケの決勝でもハーフタイムショーをやれることになったんです。
最高の気分でしたし、男子の決勝、アメリカ対セルビアの試合で、トップ選手たちのプレーを間近で見ることができて感動しました。
僕たちのチームは全部で3回、バスケとハンドボールでハーフタイムショーをやりました。でも東京オリンピックはコロナの影響で無観客で、ハーフタイムショーはテレビ放映もなかったので少し残念な気持ちもありましたが、リオ、東京と続けてパフォーマンスができてすごく貴重な経験をさせていただきました。
家系の方針として、受験費用や学費などを全部自分で出さなければいけなかったので、国立に絞って探していたのと、小さい頃からスポーツが大好きだったので体育の先生になろうと。筑波大、前期一本に絞って受けました。
同期の存在ですね。僕の苗字は黒野なので、近くになでしこジャパンの超有名選手がいました(笑)。当時すでに日本代表でしたからオーラが半端なかったですし、高校野球やサッカーで活躍した選手が推薦で筑波大にやってきて、たとえば、馬場勝寛(流通経済大学付属柏高校時代にインターハイ優勝)は「鬼のディフェンス」として有名で、高校時代の活躍をテレビで観ていました。
彼らにたくさんの刺激を受けましたから、僕がなわとびで日本代表になった時でも、「まだまだ頑張らないと彼らには追い付けない」と気を引き締めていましたね。
当時、「体専のプライド」という言葉を心に言い聞かせて、その言葉のおかげで頑張ってこられたと思います。「体専のプライドを持てる人間になろう」と。
第一線で活躍している同期と同じ位置に並んで、自分を誇れるかと、そういう意味合いなのですが、日本選手権で優勝して日本代表になっても、世界選手権で優勝しても、まだプライドが持てなくて。「まだ上を目指そう」と自分を奮い立たせて競技を続けてこられたのは、その言葉があったからだと思います。
今後、「体専のプライド」という言葉がちゃんと自分の中で腑に落ちる時までは頑張ろうと思います。
2021年の世界選手権で優勝した後に引退したのですが、去年復帰したのは、2025年に川崎市で開催される世界大会を視野に入れてのことです。世界大会が日本で開催されるのは初めてのことなんですよ。
なわとびは20代前半が強い競技で、僕は来年35歳になりますが、この大会に現役として参加して「体専のプライド」を持てるように、最後までやり切りたいと思っています。
なわとびを通じて笑顔になってもらうことです。
レッスンではなわとびの技術を習得してもらうのはもちろんですが、たくさんの「できた!」を重ねて達成感や感じてもらえるように、毎回のレッスンで「できた!」が感じられる瞬間をいくつも作るようにしています。
例えば小さいお子様が、上手になわとびを跳べなかったとしても、なわとびを使ったポーズをやってもらうことで「できた」が感じられる機会を作ったり。
そうですね。そうやって、なわとびがもっと日常の中に溶け込んで、もっと多くの人になわとびを楽しんでもらいたいです。オーストラリアでは、公園でランニングをしたり、ヨガをするのと同じように、休日の公園で家族みんなでなわとびをする姿が見られるので、そういう光景が日本でも見られる世界を目指したいですね。
はい。それで、さいたまスーパーアリーナのような大きな会場でなわとびの大会を開きたいですね、何万人もの参加者を集めて。
もう1つ、なわとびを文化にするためには僕のように「なわとびのプロ」として食べていける人たちを増やすことだと思っています。これまで、競技者として大会に出ていた仲間たちは、大学を卒業するとなわとびを辞めてしまう人がほとんどでしたから。
全国にもっとなわとび人口が増えれば、ダンスの先生のように、なわとびを教えることを生業とするプロの人が増えていけると思うので、そういった環境作りをすることが僕の役割だと思います。
刺激を受けた場所。体専で刺激を受けて人生がガラッと変わり、大手企業を辞めてまで、なわとび一本で会社を作った僕のエネルギーは、筑波大にいったからこそ得られたものだと思います。
色んな人とつながりを持って欲しいですね。特に体専は部活ごとで輪ができているので、たくさんの魅力ある人たちと関わっていって欲しいです。僕は帰宅部ゆえに色んな部活の人と友達になることができて、世界が広がりました。
これから筑波大を目指す人には、強い思いをもって、ぜひ筑波大に進学して欲しいです。色んな人がいて色んな刺激がもらえると思います。
所属: | 株式会社JUMPLIFE |
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役職: | 代表取締役 |
出生年: | 1990年 |
血液型: | B型 |
出身地: | 愛知県西尾市 |
出身高校: | 愛知県立西尾高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | 筑波大学人間総合科学研究科体育学専攻 |
学部: | 体育専門学群 |
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研究室: | 運動生理学研究室 |
部活動: | つくばロープスキッピングクラブ |
住んでいた場所: | 追越24号等、東平塚、天久保二丁目 |
行きつけのお店: | プリムローズ、ZEYO、油虎 |
ニックネーム: | くろちゃん、ひろま |
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趣味: | スポーツ観戦 |
特技: | スポーツ選手の名前を覚えること |
尊敬する人: | イチロー、福士佳代子 |
年間読書数: | 2〜3冊 |
心に残った本: | からだの構造 |
心に残った映画: | 君の膵臓をたべたい |
好きなマンガ: | キングダム |
好きなスポーツ: | 野球、テニス |
好きな食べ物: | オムライス、うなぎ |
嫌いな食べ物: | 特に無し |
訪れた国: | 15カ国程度 |
大切な習慣: | ログインボーナス |
口癖は?: | 頑張る! |
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