「日本一の環境に身を置きたい」と筑波大バレーボール部に入部し、就職浪人するほど部活に熱中。その経験を活かして、今はアスリートの心に寄り添うスポーツ番組&ドキュメンタリー番組制作のディレクターとして活躍している。3年後の東京オリンピックに向けて、“マイノリティ”な自分だからこそ作れる番組を――との使命感を包み隠さず話してくれた。
中学からバレーボールを始めて、高校では県で一回戦負けするような弱小チームでしたし、僕自身も特別に上手いわけではなかったのですが、「もっと強くなりたい。日本一になってみたい」と。そんな思いで、当時バレーボール部が6連覇をしていて圧倒的に強かった筑波大を目指すことにしました。日本一のチームはどんな練習をしているのか、体験したかったというのが一番の理由です。
最初はドぎつかったですね(笑)。練習の厳しさは噂にも聞いていたので、毎日緊張して体育館に向かっていました。夏のシーズンは練習漬けで、今思えば1日16時間ぐらい体育館にこもりっぱなしだった日もあったなあと。色々な思い出がありますね。
特に印象に残っているのは、4年次に選手兼主務(マネージャー)として裏方としてチームを支えたことと、就職浪人をした5年次に地域の人たちと協力し合いながらスポーツイベントを開催したことです。
3年の冬に少し就職活動をしてみたんですけど、うまくいかなかったのと、「今は部活に集中したい」という思いが強かったので、就職は諦めようと。
そうですね。主務をやっていた頃はチーム作りをすること、1人1人の力をいかに伸ばしていけるかを考えることで精一杯でした。あの頃は大変な思いをしましたけど、社会に出てからは経験できないような、学生ならではの貴重な4年間を送ることができて本当に恵まれていたと思います。
チーム一丸となって「強くなっていこう!」と、あれだけ1つの目標に向かって集中できる環境に身を置くことは、この先ないでしょうから。
引退してから出合ってしまって「もう少し早く出合えていたら」と思ったのは、『もしドラ』(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)ですね。本の中で高校野球のチーム作りをどうしていくかが、マネジメントの観点から描かれていて。
僕はチーム作りに苦労をして、もちろん頑張れたところもあるけど不完全燃焼で終わってしまったところもあるので、もし今チーム作りに苦労している学生がいたら、ぜひ読んで欲しいです。
小さい頃からテレビを観ることが好きで、その世界に入ってやってみたいという思いでマスコミ系を受けていました。でも、基本的には業界問わず住宅系や営業系など何でも受けましたよ。
結果的に5年次の夏にNHKに採用が決まりましたが、NHKの春採用では内定を頂けなくて。あの時は焦りましたね。1年就職浪人をしているから、ここで決まらなければ「あとがない」と。悩みに悩んで気持ちを入れ替えたら少しずつ内定がもらえるようになり、一度ダメだったNHKに滑り込むことができました。
これ、今となっては笑い話なんですけど、春の採用ではやりたい仕事の欄の1つに記念でアナウンサーと書いてしまって。特別なレッスンを受けていたわけでもないし、正直、すごくなりたかったわけでもない。それなのになぜかアナウンサー職で書類通過してしまって。焦りました。原稿読みのテストなども受けましたが、滑舌悪いわ漢字読み間違えるわで・・・。2次試験で落ちてしまったので、夏採用はリベンジという思いでした。
入社当初から今もずっと、ディレクターという役職で番組を作っています。滋賀にいる時はニュース、高校野球中継、旅番組、グルメ番組などを何でもやっていました。うちの会社は、新人にも最初から番組作りを一任するので、とにかく必死に働いていた思い出がありますね。
その後、自ら希望をして東京の報道局スポーツセンターに転勤。2020年東京オリンピックに向けて、自分のスポーツの経験を活かした番組作りをしてみたいという気持ちでした。今は『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』、ドキュメンタリー制作を手掛けています。
ただスポーツの結果を伝えるだけでなく、ドキュメンタリーという形で選手の想いに寄り添うこと。そして、その想い、胸の内を視聴者に伝えることですね。取材をする際は、ディレクターとして「その人の“物語”を見つけることが大事だ」という気持ちで選手に向き合うようにしています。
それが必ずしもアスリートでなくとも、例えば今日『つくばウェイ』で僕の話を聞いて下さっているインタビュアーさんは、どうしてこのお仕事をしているのだろう?とか、ここに至るまでの経緯など、とにかく“人”、そしてその人の“物語”にいつも興味を抱いてしまうのは僕の性分のようです。
たしかにディレクターをやっている人間は、人の話を聞くのが好きな人が多いと思います。そうじゃないと、その人自身に興味が湧きませんから。人が好き――だから、この仕事を続けていられるんだと思います。
まず取材させてもらう人との関係を築くことが大事ですが、これが本当に大変です。信頼関係なくして本音を引き出すのはなかなか難しいですから、僕のことを信頼してもらって「この人なら話していいか」と思ってもらうまでが一番大変といっても過言ではないと思います。
特にテレビの密着は、向こうが撮って欲しくないところにもカメラを向けなければならない時があります。そこでトラブルにならないためにも、入念に取材対象者との関係性を築いておくことがドキュメンタリーにおいては大事ですし、やりがいを感じる作業でもありますね。
自分が作った企画ではないんですけど、体操の内村航平選手のインタビュー現場に同行した時、「ただ者ではないな」というオーラを感じました。
インタビューが始まるまでは「意外と普通のお兄ちゃんだな」という印象だったのですが(笑)、いざ体操について話し始めると、覚悟の仕方が違うというか。2015年にイギリスで開催された世界選手権で、日本として久しぶりに団体で優勝した直後のインタビューだったこともあり、自信がみなぎっていて“異次元”な雰囲気が漂っていましたね。
内村選手とは逆の意味合いで印象に残っているのは、バレーボールの木村沙織選手です。彼女には直接インタビューをすることができたのですが、テレビで観る通りほんわかした雰囲気が心地良かったですし、僕もずっとバレーボールをやっていた人間として、アスリートとしての熱い魂も感じられて嬉しかったです。
昨年、仕事でリオパラリンピックにも行かせてもらったんですが、障害者アスリートを取材する機会が増えているので、2020年に向けてパラリンピックを盛り上げていきたいと思います。
いわゆるメジャースポーツのように好きになってもらうのはなかなか難しいかもしれませんが、少しでも興味を持ってもらえたり、何かを考えるきっかけを与えるような番組が作れたらと。
2020年は色んな意味で社会が多様に変化する転換期になるといいなと期待していますし、そういった番組作りを心がけたいです。
あえてお話しさせていただくと、実は僕自身、いわゆるセクシャルマイノリティの1人でして。心と体は男性、好きになる対象も男性(男女両方)という具合です。つい最近のことですが、このようなことを自分の中で受け止められるようになったり、人に話せるようになったりしてきました。生きづらさを感じることもまだありますが、少しずつ社会の受け皿は大きくなってきていると感じます。そしてこのまま、2020年にはセクシャルマイノリティの人が自分のことを堂々と話せる人が増える世の中になっていて欲しい。もちろん、アスリートも含めて。そしていつか、こんな僕だからこそ作れる番組を作りたいと思っています。
ロンドンオリンピックあたりからカミングアウトをする選手が多くなってきています。でも日本人選手は公にしない。それは、やっぱり日本の体質もあると思うし、スポーツの世界だと特に言いづらい部分もあるのかもしれません。
筑波大で得た友人たちの存在は大きいですね。スポーツ番組を作るにあたり、競技の魅力やトップ選手の強さの秘密、科学的な知見なんかを、大学時代の友達のアドバイスをもらうことがよくあって。
例えばマラソンについて科学的に解明しようとした際には、体専の陸上部だった友人に電話してアドバイスをしてもらったり、その友人から大学の教授につなげてもらったりなど、当時の人脈がとても役に立っています。特に筑波大には、トップ選手や第一線で活躍されている先生方がたくさんいますからね。
貫く力。苦しい時でも目標に向かっていける力。しなやかに形を変えながらも一本筋を通すことは、人との関係を築く際に必要だと思います。
いろんなことにチャレンジして欲しいです。失敗してもいい。たとえAという方法でうまくいかなくても、BもCもある。広い視野を持って、自分の可能性を信じてやっていきましょう。僕も、頑張ります。
所属: | NHK |
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役職: | スポーツセンタースポーツ番組部 ディレクター |
出生年: | 1987年 |
出身地: | 奈良県 |
出身高校: | 奈良県立郡山高等学校 |
研究室: | 運動生理学研究室 |
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部活動: | 男子バレー部 |
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