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大企業の中のユニークなドット、そのルーツは楽しさの探求

Professional
2022/05/16
インタビュー
  • 170
富士通株式会社/グラフィックカタリスト・ビオトープ
タムラカイ
(芸術専門学群・1999)

自らの強い意思というよりも偶然の流れに乗って筑波大学に入学、そして富士通に入社。当時を「ふわっと感のピークだった」と振り返る。入社から5年が経った頃に立ち止まり、「富士通さん」でしかない自分に気付くと、外の世界へ目を向けるように。「パーパス」「超意識的」といったユニークな発想の根源とは?

会議で楽しそうなブロガーたちを見て、ブログを開設

―お仕事について教えて下さい。

大きく分けて3つの軸があります。まずは富士通株式会社の社員としての仕事。大学卒業後に就職し、気づけば約20年、富士通の社員として働いています。

2020年に立ち上がった全社変革プロジェクトでは、デザインを使ったカルチャー変革やワークショップ主催などでプロジェクトをけん引し、ワークストーリーアワード2020を受賞しました。

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―その他には?

会社外での活動として、2017年にグラフィックカタリスト・ビオトープという富士通社員の副業チームを結成し、グラフィックレコーディングのワークショップであったり、企業のビジョンや働き方を描くといった活動をしています。

さらにもう1つは、教育系のNPO法人SOMA(ソマ)という団体で、学校教育では教えられないものを伝える場を作ったり、経産省の未来の教室に関わるなどしています。

―多岐に渡っていますが、大学時代は何を学ばれたのでしょう? 筑波大に進んだ経緯から教えて下さい。

筑波大にいったのは、たまたまなんです。美術を仕事にしていた両親の影響で美術芸術系に進もうと考えていたら、親から「美術はお金にならないから、デザインが良いんじゃないか」とアドバイスされて、デザインが学べる大学がないかと地元京都に近い大学を探していたら、友達が「筑波大に芸術系のコースがあるらしいよ」と教えてくれました。

日程も空いているし、受けに行ってみようかと。一浪して芸術専門学群に入り、プロダクトデザインコースに進みました。

―筑波大での生活はいかがでしたか。

色んなことに没頭できる環境として、すごく良い場所だったと思います。最初の情報処理の授業でHTMLとかウェブデザインに触れたら楽しくて、コース内容そっちのけで没頭しました。3Dのソフトを使って友達と徹夜で物を作ったり。

―印象に残る出会いはありましたか?

「この人のゼミにいこう」と決めていた先生が、僕が4年次にオランダに留学することになり、当時テレビ電話などがない時代にチャットで先生とやりとりするオンラインゼミ状態にしてもらい、それで卒業できたことは印象深いですね。

先生に会いにバックパッカー旅をしたことも良い思い出で、今でもネタにできそうな波乱万丈な旅でしたけど「迷ったらネタにできそうなほうを選ぶ」という今の精神は、その時の経験が大きいです。

―進路についてどう考えていましたか?

大学院にいくつもりだったんですけど、デザイン系の入社試験は色んな大学から人が集まって、出された課題に答えるという特殊な形式なので、勉強になるからという気持ちで富士通を受けたら、内定がもらえたんです。

いつも自分が楽しそうだと思うこと、好きなことを選んできてはいますが、大学の入学から就職までは、ふわっとしていて、どちらかというと流されてきた感じです。
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―入社して、壁にぶち当たることはありませんでしたか。

学生時代に学んだデザインにはどこか自己表現に近い部分もありましたが、仕事となるとオーダーに対して応えていく作業が多くなりました。最初は戸惑いはあったものの、努力しながら、先輩にも助けられながら乗り切りました。

ところが入社5年目に、大きい企業ならではというか色んな仕事を経験させるためにとジョブローテーションがあり、行けと言われた部署の仕事が僕のやりたいことではなく、部長に「嫌です」と言ったら、「やりたくないなら、辞めるという方向もあるぞ」と冗談みたいに言われたんです。

―冗談とはいえ、ドキっとする言葉ですね。

その時初めて「僕は富士通がなければ何もできない。はたから見たら、ただの富士通さんなんだ」と感じました。5年いた部署の中でできることは増えていたけど、もし転職したら、ここまでの仕事はできないなと、自信のなさに気付いてしまって。

当時、子供も産まれたばかりで会社を辞めることはできませんでしたが、その時のことがターニングポイントとなり、今度同じことが起こった場合に自立できるよう、会社の外につながりを持つことを考え始めました。

―具体的にどんなことを?

今では当たり前になったインフルエンサーマーケティングですが、2007年当時、すでに富士通でやっていて、ブロガーさんに商品を使って正直なレビューをそれぞれのブログに書いていただいていました。

異動した先の部署がそのプロモーションに関わっていたので、会議に参加してみると、会社員とブロガーさんとはこうも違うんだ!と実感させられて。

-どんな違いですか?

まずブロガーさんたちは自分のブログを背負って、うちの会社と対等に関係を築いていること。会社員の僕にとってそれはすごいことでしたし、彼らはうちの会社の人たちと違って、会議でもワイワイと楽しそうなんですね。

その姿を見ていると、会社とお客さんという枠を超えてこの人たちと仲良くなりたいなと。それで僕自身もブログを始めることにしたんです。副業でお金を稼ぎたいという気持ちではなく、「楽しみながら仕事がしたい」「自分の世界を広げたい」。その気持ちが原動力でした。

―最初の社外活動はブログだったのですね。

はい。2010年ぐらいだったと思います。当時はまだブロガーがそれほど多くなかったので、狭いコミュニティーの中でそこそこブロガーとしての認知度が高まり、「ブロガーのタムカイさん」という存在になっていきました。

当時は、がむしゃらながらもすごく楽しくて、気づけば広告収入も少しいただけるようになりました。ただある日、朝起きたら真っ先にPVと収益を確認している自分に気づいて。「何やってるんだろう?」と。人を楽しませたい、自分自身も楽しみたいと思ってブログを始めたはずなのに、そもそも俺、ブロガーになりたかったんだっけ?と。

スッと、トーンが変わってブログの頻度を落とし、自分にしかできないこと、やりたいことを模索するようになりました。

それでも、富士通にいる理由。

―ブロガーになりたいわけではない、何をしよう?と模索する中でどんなことに出会いましたか。

絵を描くことが好きで、会社の打ち合わせでも絵を描いていて怒られることもあったんですが、ある日友達から「絵の描き方を教えて欲しい」と言われて、2014年に「ラクガキ講座」というワークショップを始めることにしました。すると来てくれた人がとても喜んでくれて。

絵を描く楽しさを伝えられたことの喜びと、僕が大好きな絵を介して人とつながっていける、良い場所だと感じました。

そのうち活動が大きくなり、2015年と2016年に本を出版。会社の外でワークショップや企業の研修を務める機会が増えていきました。

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―社外に軸を置くことで、会社から嫌がられたことは?

ブログを始めた頃、よく分からないという理由で「何をやってるんだ?」と気にされたことはありますけど、副業でお金を稼ごうとしていたわけではないので、特に止められることはありませんでしたね。

―これまで独立を考えたことはありましたか。

活動が大きくなると、「いつでも会社を辞められますね」と言われることもありますが、僕はあまのじゃくというか予想を超えたいな性格なので(笑)、だからこそ、独立しない方が面白いと思ってしまいます。

それともう1つ、社外での仕事に軸足を置いてほとんど会社に行かず、最低限のことだけやる、どう評価されようが構いません、みたいな時期があったんですね。それを許してくれた会社や上司の存在は、会社を辞めない理由として大きいですし、外から新しい物を会社に持ち込んだ時に、それを受け入れてくれるうちの会社に対して「恩返しがしたい」――そんな気持ちもあります。

―なるほど。

それに僕個人で人を集めようと思うとせいぜい数百人が限界ですが、富士通という全世界に13万人を抱えるグローバル企業で、自分たちが作った試作が万単位の人に届くことは大きな学びになるので、「ここでやる」と決めてやっているのが現状です。

―副業を考えている人に響くお話ですね。

結局、会社に言われたことをちゃんとやってお金をもらう方法が一番早いんですから、副業をやる際にお金が目的になってしまうと、外に出た時につらい思いをしてしまうかもしれません。

お金を目的にするよりも人に喜んでもらうであったり、自分が楽しいという目的を持つのが大事で、その後にお金がついてくるといった感じがいいのではないでしょうか。

―先ほど話に出た、全社変革プロジェクトはまさに恩返しのようなものですか?

ここ2年は、その仕事に軸足を置いていますね。今、世の中で流行っているデジタルトランスフォーメーション=DX、つまりデータやデジタルを使って新しいもの、ビジネスを作ることをテーマにした時に、データやデジタルはただの手段であって、一番大事なのは人のマインドや組織のカルチャーではないかと。

そう考えたことから、「Purpose Carving(パーパスカービング)」という、個人の目的を言語化する対話のワークショップを提案するなど、自分たち発信で新しい試みに挑戦させて頂いています。

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―パーパスは目的、カービングは彫刻の意味ですね。名前の由来は?

以前はミッションやウィルとも呼んでいましたが、世の中にパーパス経営という言葉が出てきて、富士通自身もパーパスを設定したことから文脈を合わせました。それに加えて、父親が彫刻をやっている影響で、カービング、つまり自分の中にある目的意識を削り出す、言語化するというイメージで名付けました。

2020年に立ち上げ、コロナのせいで全部オンラインになってしまいましたが。まだそれほど一般的でなかったオンラインワークショップなど人がやっていないことをやるという蓄積はあったので、とにかくやりましょう!と推し進めて今に至ります。

―タムラさんにとって、人生のパーパスとは?

「みんなの創造性を活かして、世界の可能性のレベルを1つ上げる」が、マイパーパスです。僕1人で世界を良くすることはできないので、みんなが持っている創造性を活かして、世界全体が良くなって、次の世代の可能性が高くなる。そんなイメージを持っています。

そのための手段として僕ができるのは、絵を描くことの楽しさを伝えたり、ワークショップをすること。そんな思いで社内外の活動に取り組んでいます。

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―パーパスが壮大であるがゆえに、険しい道のりですね。

そもそも全社変革自体、こういうやり方で、こういうものが必要だと会社からリクエストがあったわけではないですから、「道なき道を行く」「道なき道を行ける人は、道なき道を来た人」。そんな気持ちで、僕自身がその役割を担えるよう取り組んでいます。

―覚悟を持って取り組んでいると。

そうですね。通常のやり方では通用しないですし、大きい組織の中で全ての人に僕のやり方を理解してもらうのは難しいことですが、僕自身は本当にこれが正しいという信念を持ってやっていますし、その信念はこれまで社内、社外で培った経験があるからこそ、持てるものだとも思っています。

―仕事に取り組む上で、何か意識していることはありますか?

「超意識的」であることですね。意識的よりも、もっと意識的であること。その言葉を考えたきっかけは、2019年、40歳になる前に知り合いに「不惑の40という言葉は、惑わないという意味ではない」と聞かされたことでした。

惑うという字の上部分にくにがまえをつけると國(くに)という言葉ができるように、元々「枠」に近い意味で、40になっても自分自身に枠を作らないというのが本当の意味だという説があるんだそうです。

じゃあ、自分はこれまでは何となく年をとって39歳まで来たけど、超意識的に40歳になってみよう、そんな気持ちで今までやったことがないものに挑戦することにしたんです。

―例えばどんなことを?

体を鍛えるためにジムに通い始めました。そうすると体や心にどんどん意識が向き始めて、それまで雑にやっていた腕立て伏せも、「ここの筋肉を使ってるな」と意識することで、意識したところに筋肉ができます。

絵を描く際も、もっと自分の感情を意識しながら描くようになりました。

―面白い発想ですね。メディアに出る時はいつも水玉の洋服を着ていらっしゃることも、何かこだわりが?

最初は何気なく買った1枚の水玉シャツだったのですが、それを着てイベントに参加しているうちに「水玉の人」と覚えられるようになり、ある日友達と飲みに行く時に普通の服を着ていたら「なんで水玉じゃないんだ!」と怒られて、そこから365日ドットの服を着るようになって、そろそろ10年を超えます(笑)

スティーブ・ジョブスの「コネクティング・ザ・ドット(点と点を結ぶ)」という言葉がありますが、僕の人生を振り返った時にその言葉が示す「点と点がつながる」を実感することが多くて。ブログで文章を書いていたことも今に生きていますし、ウェブデザインをやっていたことも今に生きている。ラクガキ講座での場の作り方も、今に生きていると思います。

―進路に悩み、一歩踏み出せない学生に何かアドバイスをお願いします!

よく「タムカイさんは明確なビジョンを描いて、そこに向かっていくタイプなんですねか?」と言われるんですけど、全然そんなことはなく、コロナ然り、突然わけの分からないことが起きる世の中なので、5年後、10年後の目標を置くよりも、「今その時に大事だと感じることを全力でやる」ことを続けようにしています。

先ほどお話したパーパスを、未来の目的ではなく「今ここにいる理由」と捉えると、もっとラクになるのではないでしょうか。「今の自分にとって、これをやることはいいのかどうか」を考えて一歩を踏み出すだけで未来が変わってきますし、その道の途中でやりたいことが見つかるかもしれない。

僕の持論として、「やったことがあることからしか、やりたいことは生まれない」と思うので、やりたいことがない人ほど、何か新しいことを1つやってみてはどうでしょう?

―若い頃にやっておいて良かったことはありますか?

20代の頃、面白いなと思った人が勧めてくれた本を読んで、その感想をその人にすぐ送ることをやっていました。そうすると、その人との関係が良くなりますし、自分が素敵だと思った人が勧めてくれた本なので、何かしら得るものがあるんですよね。

同じように、尊敬する人に「こういうことやってみたら」と言われたことは、とりあえずやってみました。すごく楽しかったとか、ちょっと違うなとか感想を持つことは、やってみることでしか得られません。

そういう1つ1つの行動を通して、やりたいことが見つかっていくのではないでしょうか。

あなたの“つくばウェイ”とは?

いつ繋がるかは分からないけれど、未来に振り返った時に「ああ、これはあの時の…!」という「点」がたくさん打てる時間と場所でしょうか。
「なんとなく流されて」という話をしましたが、そんなつくばでなければ経験できなかったし、あれがなければ今の自分ではないと感じることがたくさんあったな、と今になって思います。

現役大学生や筑波大を目指す人に一言!

とにかく色んな経験をしてみてください。 これも僕の持論で「やりたいことはやったことの中にしかない」とずっと言っているのですが、「やりたいことが見つかってない」という人こそ、まずは色んなことをやってみるのがいいと思います!

タムラカイさんが所属する
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プロフィール
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タムラカイ(たむらかい)
芸術専門学群卒業。富士通株式会社にてUI/UXデザインをキャリアのスタートにしながら、個人活動で「描く」ことを使ったラクガキ講座の開催や執筆活動など活動の幅を広げていく。2020年に立ち上がった全社変革プロジェクトでは、デザインによるカルチャー変革やワークショップ主催などでプロジェクトをけん引し、ワークストーリーアワード2020を受賞。また、社外では、グラフィックカタリスト・ビオトープというチームを結成し、グラフィックレコーディングのワークショップ、企業のビジョンや働き方を描くといった活動を行う。「迷ったらネタにできそうなほうを選ぶ」の精神で、道なき道を歩んできた。自身のパーパスは「みんなの創造性を活かして、世界の可能性のレベルを1つ上げる」
基本情報
所属:富士通株式会社/グラフィックカタリスト・ビオトープ
出生年:1979
血液型:AB
出身地:京都府京都市
出身高校:京都府立洛西高校
出身大学:筑波大学
筑波関連
学部:芸術専門学群
研究室:山中ゼミ
部活動:なし
住んでいた場所:春日四丁目
行きつけのお店:なし
プライベート
ニックネーム:タムカイ
趣味:描くこと・考えること
特技:なし
尊敬する人:両親
年間読書数:なし
心に残った本:なし
心に残った映画:なし
好きなマンガ:うしおととら
好きなスポーツ:なし
好きな食べ物:よい素材のもの
嫌いな食べ物:なし
訪れた国:5か国
大切な習慣:毎朝のワークアウト
口癖は?:迷ったらネタにできそうな方を選ぶ
座右の銘
  • なし

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