私の選択に間違いはない――そんな覚悟をもって自らの道を歩んできた約30年の社会人人生。その礎となっているのは、多くの時間を費やした筑波大アメフト部での経験、そして見返りを求めない姿勢で関係性を築いた仲間たちの存在だ。そして2017年、50代を迎えてなお「汗水流して日本のために働きたい」と、児童保育の分野で奮闘する石橋氏。学生たちの“親世代”の生き様が垣間見れるかもしれない。
自然が好きで、体を動かすのが好きだったので「農民になりたい」と農学部のある大学を探してみたら、農学部のある国立は意外と少なくて。今でこそ、若者が農業ビジネスを始めていますけど、当時は農家になりたいなんていう若者は少なかったですね。
1、2年では理論的なことを学び、実験や実習が多くありました。なかでも印象に残っているのは、畜産の授業。一の矢の上のほうに筑波大の農場があり、そこに牛や鶏、水牛が飼われていて。牛の種付けをしたり、夜中にお産に立ち会ったりしました。
牛に人工授精をした時は、お尻の穴に手を突っ込んだ瞬間ブッとおならをされて、顔中フンだらけになったこともありますよ(笑)。
楽しいことのほうが多かったですけど、強烈な経験もしました。鶏を卵から孵化させて、皆で交代でヒヨコから鶏へと育てたのちに殺して食べるという実習です。殺す前には慰霊碑にお参りをして、命を頂戴することに感謝する。そういった人間の営みを学びました。
月曜だけがオフで、あとは毎日練習していました。当時はグラウンドの照明時間の規制がなく、遅くまで練習ができたのですごくハードだったんですよ。グラウンドで4時間ぐらい練習をして、前後にウエイトトレーニング。3、4年になって試合に出るようになってからは相手チームをビデオ分析するなど、1日8時間ぐらいアメフトに関わっていた気がします。
アメフトの経験は今の私のベースになっています。まず学んだことは「努力は裏切らない」こと。努力次第で自分ができなかったプレーができるようになった経験は、のちに経営コンサルタントとして働いた際に役に立ちました。
もう1つは、「最後は自分に跳ね返ってくる」。3年の時に入れ替え戦で負けて、私が4年の時には2部リーグになってしまったんですけど、3年の時に上級生に抱いていた不満をちゃんと伝えていれば、こんな結果にはならなったという後悔から、その教訓を学びました。
ようは結果が悪かった時に人のせいにしてはいけない、人の方針に従った自分が悪いんです。仕事でも同じような局面がいくつも出てきましたが、あとあと後悔しないように立ち振る舞うことができたのはアメフトでの経験が大きいと思います。
農民になりたくて筑波大に入ったんですけど、アメフト部に多くの時間を費やして勉強をあまりしていなかったので、進路はゼロベースで考えました。当時はバブル全盛期で、希望すればどの会社にでもいける時代で。
私は筑波大でアメフトのコーチがしたくて1年留年し、4年で部活を引退したあと1月から5月まで語学留学に行ったので、一年早く社会人になった同期に色んな話を聞きながら就職先を考えました。
等松・トウシュロスコンサルティング(現デロイト トーマツ コンサルティング合同会社)に就職をしました。コンサルティング会社に勤めていた同期の話が面白くて、当時はそれほど経営コンサルタントはメジャーではありませんでしたが、経営コンサルタントとして就職すれば色んな業種業態を経験できそうだなと。そういったところに魅力を感じていましたね。
南カリフォリニア大学にMBA入学をしたのを機に、独立しました。
コンサルタント時代、寝ないで仕事をしていたこともあって当時の最速タイのスピードでマネージャーに昇進させてもらったんですけど、当時90年半ばに海外からインターネットが日本に入ってきて、これからはグローバルだから英語ができないとダメだということで、会社でTOEICのテストが導入されたんですね。ところが管理職の中で最低成績で(笑)。
部下には英語ペラペラな人もいましたし、お客さん自体がグローバルになって海外の仕事も増え始めたので、30歳手前で自分の将来について危機感を覚えて、大きな仕事の区切りがついた後、休職してMBAを取ることにしました。
コンサルとして忙しい毎日を送る一方で、アメフトの実業団チーム、Xリーグに所属し、週末はいつも試合と練習に参加していました。平日は会社でバリバリ働いて頭を使い、週末はとことん体を動かす。このバランスが絶妙で、アメフトから得た活力のおかげで仕事が頑張れたのだと思います。
いえ、ちょうどアメリカから帰ってくるタイミングで、昔から知り合いだったリサイクルの会社の二代目である先輩に誘われて、産業廃棄物を取り扱う川瀬産業に入社しました。当時、環境問題はホットな話題だったので面白そうだなと。
最初は経営企画室長として入社し、実習として30~40人の工員が働いている工場で働きました。ところが働き始めて一週間後、一緒に工場に入った工場長がクビになって私が工場長になることに。毎日トラック20~30台ぶんのゴミを処理して、自分でもフォークリフトを運転してゴミを運んでいましたね。
毎日、汗まみれになりながら工場をまとめ上げていましたが、ある日、機械で指がちぎれてしまって入院をすることに。と同時に工場長をクビになって、名古屋の営業に飛ばされました。
もともと農業を目指していたので、それほど自分自身とかけ離れた世界ではなかったですよ。コンサルタント時代はエリート集団の中で働いているという認識でしたけど、工場に行ってみると、「彼らが日本を支えている」と実感することもできました。非常に良い経験だったと思います。
きっかけは親父のガンでした。親父は伊豆の田舎で10人ぐらいの職員を雇っていたので、会社をどうしようかという話になり、とはいえ、いきなり私が継ぐのは人脈もなければ下積みもない。ということで人に譲ることになったのですが、会社を法人化していなかったために親父個人の名義で借金があることが判明。そして、そのタイミングで親父が亡くなってしまい、全ての借金やダンプカー・ユンボ等を家族が負うことになりました。
結果的には会社を譲った人と家族で借金を半々にして、親父の生命保険で全額返済。それが片付いた2006年、自分でコンサルティング会社を立ち上げました。
コンサルティング会社を立ち上げたのは、知り合いに手伝ってほしいと言われ、MBAで使い切ったお金を貯めるためにもスタート。しかし「やっぱり自分の好きな分野の仕事をしよう」と。そう思っていた矢先に、コンサルタント時代の先輩でキャンプ場の運営をしていた人と20年ぶりに再会し、先輩がキャンプ場を辞めようと思っているというので、その場で「僕が引き継ぎます!」と言ったのが経緯です。
そうですね。ご縁でいうと、キャンプ場以外にも株式会社オプト(現オプトホールディング)の社長から連絡があり、彼はコンサル時代に知り合った友人なのですが、オプトの創業メンバ―の1人が辞めるので私に参画してほしいと言われた時もご縁を感じました。
私は“他流試合”と呼んでいるのですが、社内だけでなく外に出て色んな人に出合う時間を意識的に持っていたことが、そういったご縁につながっていますね。外で色んな人に合うと、自分がどれだけ成長したのか、通用するのか、自分の実力が分かります。しかも、外で出会った人になけなしのお金をはたいて投資をしていたこともあり、ユニークな人間関係を構築してくれました。
期待をしていないといったら嘘になりますけど、お金儲けよりは、まずは人間関係を築いたことが、あとあとになって効いてくるのだと思います。とはいえ、何百万円の投資が紙くずになったのもありますが(笑)。
2008年、CFO(最高財務責任者)に就任し、2017年3月に退任するまで9年いました。途中CFOからCOO(最高執行責任者)になり、東証一部に上場する様子を内部から見ることができたのは良い経験でしたね。
コンサルタント時代、アメフトのXリーグで週末活動をしていたと先ほどお話しましたが、今の会社は同じチームの後輩が設立したものです。彼が保育園を作りたいといって、登記のやり方や私が会社を立ち上げた時の書類を参考にさせるなど支援していたことが縁で、この会社が2016年にマザーズで上場する前に、オプトの役員と並行してグローバルグループの社外取締役になりました。そしてオプトを辞めた際、この会社の社外取から常勤役員になり、2017年10月から社長に就任しました。
主に東京を中心とする首都圏と大阪で、保育園・学童等を運営しています。現在運営する保育施設数は118、2018年4月にはあらたに16施設が開園します。2017年9月期の売上は130億円超。同年9月にはマザーズから東証一部に市場変更しました。
どんな選択をしても「自分はいける・正しい」と思えるようにはしています。
人のつながりですね。オプト時代に出資した会社の中には、筑波大の若い人がやっているベンチャー企業がありました。筑波大出身と聞くと親近感が湧くものです。「この人も都会から離れた、あの環境で育ったのだな」と(笑)。
フルタイムでコミットして、社内に入り込んで一緒に働くのは今回がラストと考えています。オプトを辞めた後、他の会社の社外取締役をやって欲しいとの話もありましたが、外部から関わるのはまだ早い、それは60歳を超えてからでいいだろうとの思いが強く、まだまだ本気でコミットして、会社内でメンバーと一緒に汗水を流して同じ釜の飯食って、という道を選びました。
この仕事を選んだ理由は、自分のやりたいことばかりではなく社会に貢献することが50代の仕事だと思ったからです。待機児童、少子化問題という日本の本丸の課題に対して貢献したいとの思いです。
保育園業界は給料が安い上に激務だと言われていますが、イギリスの調査で明らかになったのは、人間は0歳から5歳の影響がその人の人生に一番影響を与えるという調査結果が出ています。そんな大事な時期に関わって働く保育士さんが、もっともっと評価されるように業界・社会全体に訴えかけて保育士さんの地位を上げることが私のやるべきことだと考えています。
アメフト部で培ったこととして「努力は裏切らない」こと、「最後は自分に跳ね返ってくる」こと。そして私は“無意識のレベル”と呼んでいますが、普段から常識の無意識レベル、当たり前のレベルを上げて物事を追求することが大切だと大学時代に学びました。それが私のつくばウェイです。
筑波大は仲間との絆を深めるのに適した場所です。そして、何か1つのことに打ち込める環境なので、物事を深く深く追及して、底辺に潜む普遍的な発見をして欲しいですね。
所属: | 株式会社グローバルグループ、株式会社グローバルキッズ |
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役職: | 代表取締役社長 |
出生年: | 1967年 |
血液型: | O型 |
出身地: | 静岡県伊東市 |
出身高校: | 静岡県立伊豆中央高校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | 南カリフォルニア大学 経営学修士(MBA) |
学部: | 農林学類 |
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研究室: | 比較環境農学 |
部活動: | アメリカンフットボール部 |
住んでいた場所: | 天久保2丁目、春日3丁目 |
行きつけのお店: | ステーキ宮、宝島 |
ニックネーム: | バシコン、ビシバシ |
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趣味: | トレーニング、キャンプ、息子のテニス応援 |
特技: | マラソン(昔)、寝つきの良さ |
尊敬する人: | 親父 |
年間読書数: | 100-200冊(購入数) |
心に残った本: | 海賊と呼ばれた男、ビジョナリーカンパニー |
心に残った映画: | 愛と青春の旅たち |
好きなマンガ: | 我ら9人の甲子園、スラムダンク、キングダム |
好きなスポーツ: | アメフト、バスケ、ボクシング、テニス |
好きな食べ物: | 納豆 |
嫌いな食べ物: | セロリ |
訪れた国: | 14か国 |
大切な習慣: | 早起き、運動、自分の時間確保 |
口癖は?: | なんとなるよ。 |
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