博士までの9年間、筑波大学で学生として学び、教員として2年を過ごした。学生時代は水泳部に所属し、オリンピックを目指すほど練習に打ち込む毎日。選手として引退した後は水泳部のコーチング、そして研究に没頭し、論文が世界的な賞を受賞した。まさに文武両道を体現した角川氏は、筑波大学での11年間をどのように過ごしたのだろうか。
鹿児島鹿屋市にある鹿屋体育大学で講師として働いています。水泳の授業を受け持ち、水泳部のコーチも務めているので1日1、2回の練習に参加しています。
大学院ではコーチングの授業を担当していますし、同時に、私自身の研究を進めて論文を書いています。講師であり、研究者でもあるといったところでしょうか。
両親が教師だった影響で、小さい頃から「体育の教員になりたい」と思っていました。
体育が好きだったのと、5歳からずっと水泳を続けていたので、部活で水泳を教えたいと思ったのがきっかけです。でも、教員は向いていないかなと高校ぐらいから思い始めまして。
両親に「お前は教員に向いていない」とずっと言われていたこともそうですし、私は性格がおとなしいほうなので、先生より研究者のほうが向いているんじゃないかと思うようになりました。
それに加えて、テレビで水泳やスポーツを科学的に分析している番組を観ることが楽しくて、やっぱり研究者のほうが向いているかもしれないと。ただ、高校の時点でどちらが自分に向いているのかを判断するのは難しかったので、その両方が実現できる筑波大に進もうと思いました。
中学生の頃、全国中学校体育大会水泳競技大会で優勝し、高校ではインターハイの200メートル平泳ぎで3位。高校時代はあまり記録を伸ばせず悔しい思いをしましたが、苦しい時期があったことで水泳について深く考えるようになったことも、研究に興味を持った1つのきっかけです。
水泳部に所属していましたから、授業よりもどちらかというと競技に集中していましたね。当時、頭の中の95%は競技のことしか考えていなかったかもしれません(笑)。
たくさんありますけど、高いレベルの中で水泳に打ち込んで、オリンピックを目指せたことはとても良い経験だったと思います。
特にオリンピアンである宮下純一さん(北京五輪銅メダリスト)と一緒に練習できたことは、とても刺激的でした。私が1年の時、宮下さんは4年で、卒業された後も筑波大を拠点にされていたので、北京オリンピックの選考会まで全ての練習を共にすることができました。最後の1年は私自身もオリンピックを目指せるメンバー10人に選出され、海外合宿に行くことができたのは印象深い思い出です。
3年の頃から首の故障に悩まされ、思うような泳ぎができていませんでしたから、全力を出せないなら現役を続けていても意味がないと。引退を決意しました。
でも首の故障があったからこそ、トレーニングができない中で同期や後輩の練習を観察したり、アドバイスをしたり。競技だけでなく、研究や指導をすることに面白みを感じるようにました。
教員になるにしても専修免許は取っておいたほうがいいと思っていたので、修士にはもともといこうと思っていたんです。それに大学4年間は競技に夢中になっていたので、大学院では勉強に集中しようという思いもありました。だから4年次には教員試験も受けていませんし、就職活動もしていません。
水泳部の後輩たちに指導をしながら、研究にも多くの時間を割いていたので忙しい毎日を送っていましたね。水泳部の遠征についていくために年40~50万円かかる遠征費を稼ごうと、深夜、週1~2回はコンビニでバイトもしていましたし。
たしかに、自分の経験や感覚がそのまま指導に活かせるわけではないと実感した場面は何度もありました。経験ももちろん大事ですが、コーチングで大事なのは“知識”だと思わされたのも、この時です。
そのことに気付いてからは、知識不足を補うために水泳について勉強しましたし、それでも足りないことがあれば選手の意見をよく聞いて、さら深堀りして勉強することを心がけていました。
大学院でのコーチングがうまくいかず選手の記録を伸ばすこともできなかったので、このまま博士に進むのは辞めようかと思い悩んだのですが、「結局、私のやりたいこととは何だろう」と改めて考えて、原点に戻ったといいますか。「頑張っている選手のために、私も頑張ろう」と。そういったシンプルな気持ちを抱いて博士に進むことにしました。
博士に進むと他の道が選びづらくなることも分かっていましたが、ちょうどその頃、国内の学会で賞を頂いたことも自信になり「よし、この道でいこう」と。
平泳ぎで泳いでいる時、体にかかる水の力や水の抵抗といったものを計測する研究です。
40年ぐらい前からあるBiomechanics and Medicine in Swimmingという学会は、4年に1度開催される水泳の国際学会で「水泳」や「水中運動」に関わる世界中の研究者が集まる学会です。そこで、選考対象が若手に限定されている最優秀賞のアルキメデス賞を受賞できたことはとても光栄でした。
研究は、圧力センサーを体に貼って体に働く力を計測するというもの。国際的に評価してもらえたことは自信になりましたし、その後、私の論文が海外の雑誌に掲載された時は嬉しかったですね。
最近では研究成果を論文として発表できるようになってきました。筑波大で実験ができたこと、指導をして下さる先生がいるという恵まれた環境に身を置けたことが、私の力になっています。
賞の受賞もそうですし、博士の時は水泳部のコーチングに新しいものを取り入れたり、研究とマッチングをさせるなど、コーチング、研究共に充実した時間を過ごすことができました。
そうですね。実験機材も整っていますし、なによりも指導をして下さる先生がたくさんいることは良い研究をするにあたり、かなり重要だったと思います。研究の進捗状態を毎週発表しなければならず、大変なこともありましたけど、そういった厳しいトレーニングを積んだおかげでかなり鍛えられたと思います。
体育センター勤めの特任助教として、2年在籍しました。
その2年ぐらい前に筑波大でコーチをされていた先生が鹿屋の先生になって、その先生とのつながりがあって公募の情報を耳にしました。鹿屋体育大学は今後、研究に力を入れるとのことなので、これまで筑波大で培った学びを活かせればと思っています。
指導できる立場になったことで、水泳をとことん勉強したい人が集まる環境を作りたいと思っています。私が筑波大時代にそうであったように、競技生活を終えた後も研究の道に進めるような環境を整えて、学生と一緒に研究を進めていきたいです。
学生を入学から4年間ずっと指導し、最後に良い結果を出して卒業していってくれた時には嬉しいと感じます。彼らが卒業後に全国で活躍していると耳にしたり、久々に再会を果たして元気な姿を目にしたりできることは自分自身の財産だと思います。
自分が頑張っているとか、頑張ろうなどと思う前に、目標にひたすら向かうことですかね。頑張るか頑張らないではなく、できるかできないかという視点で、水泳でも研究でもただ目標に向かえば、結果がついてくるのではないでしょうか。
座右の銘ではありませんが、肝に銘じていることは「迷ったらしんどいほうへ。苦しいほうを選ぶこと」。これは博士で研究指導をして頂いていた高木英樹先生がよくおっしゃっていた言葉で、脳裏に焼き付いています。
出来るかどうか分からないけれど、難しいほうを選んで、そこを目指してとことんやっていくと自分の力がついてくる。今振り返れば、水泳に関しても研究に関しても、まさにその通りだと実感させられることが多かったように思います。
一流の選手や先生の活躍や努力を目の当たりにし、自分の努力次第で叶わないと思っていた目的にも到達できることを実感しました。
進路などを大事な決断をする時、自分に自信が持てないとしたら自信が持てるようになるまでとことん頑張って欲しいです!
所属: | 国立大学法人 鹿屋体育大学 スポーツ・武道実践科学系 |
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役職: | 大学講師、大学水泳部コーチ |
出生年: | 1986年 |
血液型: | 0型 |
出身地: | 静岡県袋井市 |
出身高校: | 静岡県立浜松北高校 |
出身大学: | 筑波大学 体育専門学群 |
出身大学院: | 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士前期課程体育学専攻・博士後期課程体育科学専攻 |
学部: | 体育専門学群 2005年入学 |
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研究室: | 水泳研究室 |
部活動: | 水泳部競泳 |
住んでいた場所: | 天久保二丁目、花畑二丁目 |
行きつけのお店: | 焼肉宝島、三水、丸長、活龍 |
ニックネーム: | つのっち |
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趣味: | 大相撲観戦、筋トレ |
特技: | ピアノ |
尊敬する人: | 両親、兄、ポポフ(元競泳選手) |
年間読書数: | 10冊 |
好きなスポーツ: | 大相撲 |
好きな食べ物: | アイス、コロッケ、タコ |
嫌いな食べ物: | オニオンリング |
訪れた国: | 12ヵ国 |
大切な習慣: | 早寝 |
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