高校の頃、偶然目にしたパラリンピックの本が全ての始まりだった。大学時代は障害者スポーツをサポートするボランティア団体の主催者として活動。学びを深めたいと、カナダへインターン留学を果たした。現在はアメリカの大学に勤務しながら、日本ではまだ馴染みのない、レクリエーションセラピストの分野を研究する。自ら踏み出した一歩、そしてまた一歩が今へとつながっている。
高校の頃に障害者スポーツの存在を知り、ボランティア活動をしていた延長で進路先を考えた時に、筑波大なら特殊体育と心身障害学が学べると知りました。
出身が茨城県那珂市で、大学に見学に行った際に特殊体育研究室の中川一彦先生とお話する機会があって。そこで筑波大を勧められたことが決め手になりました。
当時、野球部のマネージャーだったので何か裏方でアスリートをサポートする仕事に就きたいと考え始めた頃、高校の図書館でたまたまパラリンピックの本を読んでガツンと衝撃を受けたんです。
はい。自分の身の回りに障害がある人がいるわけでもなく、偶然、その本に出合いました。
その本に心を動かされて、「障害者スポーツのことを深く知りたい」と探してみたら、水戸に電動車いすサッカーをやっている団体があることを知って、その活動をボランティアとしてサポートするようになりました。そこにメカニックとして来ていた人が車いすマラソンをやっていて、そこから練習や大会に連れて行ってもらうようになりました。
その車いすマラソンの選手たちが筑波大のウェイトルームを練習場として使っていたことも、筑波大を目指したきっかけの1つです。
僕が通っていた水戸第一高等学校は制服もなく、自由な校風のおかげか面白い友人が多かったので、みんな思い思いに自分のやりたいことを実践していたんですね。その影響もあって何の迷いもなく、興味を持った世界に飛び込むことができたのだと思います。
高校の先生が授業で言っていた“知的好奇心”という言葉も、僕の探求心に火をつけてくれました。
行動力でいうと、図書館で読んだ本を通して陸上でパラリンピックに出場した千葉まさあきさんの存在を知り、千葉さんが代表を務めるバラエティクラブジャパンに連絡をして、東京で開催されたイベントにボランティアとして参加しました。
その際、バラエティクラブジャパンの関連団体であるカナダのバラエティビレッジという、障害がある人もない人も使えるスポーツ施設に興味を抱き、高校3年の冬にカナダに見学に行ったんですよ。
初めての海外旅行だったので、父親が心配してついてきました(笑)。
運動のセンスがないから、体育専門学群だと落ちてしまうんじゃないかと。別の方法で入ろうと考えて人間学類に入り、大学に入って体専の授業を取りました。
体専だとテーピングマッサージもやりましたし、スポーツマネジメント、スポーツ心理も学びましたよ。でも、1,2年ではあまり勉強しなかったので、今振り返ればもっと勉強しておけば良かったですね。
1年の頃、特殊体育の後藤邦夫先生に「NPOを作って障害のある人のイベントをやってみたら」とアドバイスを受け、NPOまではできないけれど学生団体ならと、団体を立ち上げました。
人間学類の仲間が6~7人集まり、地域でブラインドサッカーや車いすマラソンをやっている人たちをサポートしたり、大分で開催される国際車いすマラソンに参加するなど、忙しく過ごしていた思い出があります。
うまくいかなかった思い出がいっぱいあります。仲間とのミーティングがうまくいかず、その後1人1人と話す時間を持つなどしましたが、いつも折り合いをつけることができるわけではなく。団体を抜ける人が何人かいて、「もうダメだ……」と自分のリーダーシップの無さを痛感したこともあります。
でも、その経験が教員をやっている今に生きています。例えば教壇に立って学生を見ながら、何が起こっているのかを推測できる。そういった力は大学時代に養われたかもしれません。
大分車いす国際マラソンで海外の方と触れ合う機会を持ったり、韓国に遠征に行くなどして、だんだんと海外に目が向くようになって。
インターンを決意した大きなきっかけは、高校時代から交流が始まったバラエティクラブジャパンと共催で、車いすスポーツのサマーキャンプを筑波大で開催したことです。
「何かもっと出来ることがあるはずだ」という思いが大きくなって、違う経験を求めてバラエティビレッジに電話をしてみました。すると、「インターンで来てみませんか」と。「行きます!」と即答しました。
確実にターニングポイントでしたね。今の職業である、レクリエーションセラピストという職業を知ったのはその時でしたから。
理学療法士、作業療法士に並ぶ職業としてアメリカでは認知され、主に病院やリハビリテーションセンター、老人ホーム、精神科、地域のコミュニティーセンターなどで活躍しています。私の場合は、大学の教員としてセラピューティックレクリエーション学を学生に教えています。
例えばアートや音楽を通してストレスを軽減させる方法を教えたり、スポーツを通して機能回復を図るなど、レクリエーションを通した治癒的行為を行います。
日本では認知されていない職業なのでカナダに行くまで知りませんでした。日本ではレクリエーションセラピーはありませんので理学療法士、作業療法士、介護士さんがレクリエーションを行っています。資格でいうと、福祉レクリエーションワーカーというものがあります。
大学の団体で活動するにつれ、スポーツだけでは対応しきれない人たちの存在を知るようになり、何かスポーツ以外の方法はないだろうかと考えていたことが影響しています。
精神障害のある人の中には、体は元気だけれどスポーツに興味がない人もいますから。アートや音楽で癒す、セラピューティックリクリエーションの領域に自然と興味が移っていきました。
ここで、今につながる大きな出来事がありました。同僚として働いていた、筑波大出身で、ふうせんバレーボール協会の理事を務める橋本大佑さんから急な要請を受け、アメリカのセラピューティックレクリエーションの学会でふうせんバレーの発表をすることになったのです。
なんでも、アメリカで研究されていた日本人の先生が急な病気にかかり、日本に帰国しなければいけない、でも学会発表はキャンセルしたくないと橋本さんに連絡があったそうです。
ふうせんバレーについて詳しく知らなかったので、一泊二日かけて詰め込み式に橋本さんに教えてもらい、パワーポイントで資料を作って渡米。当時は英語も流暢ではなかったので、とても不安でした。
でも隣りには、その研究の共同発表者であるテリー・ロング博士がいたので、何かあったら助けを求めようと。ところが発表中、何度も「助けて」と目線を送ったのに、全く助けてくれず(笑)。なんとか1人でやり遂げました。
その後、テリー・ロング博士の推薦でノースウェストミズーリ州立大学から奨学金を受けられることになり、大学で働きながら修士号取得のために就学するグラデュエートアシスタントシップという制度で、2012年に渡米しました。修士号を終えた後、幸運にもインディアナ大学からグラデュエートアシスタントシップをいただくことができたので、教員・研究員として働きながら博士号を2017年に取得することができました。現在はノースウエストミズーリ州立大学でテニュアトラックのアシスタントプロフェッサーとして雇用され、アメリカを拠点に働きながら研究をしています。
運が良かったと思います。カナダのインターンを終えた後、アメリカの大学に進学したいと考えていましたが資金が調達できず。泣く泣く諦めた経緯があったので、奨学金で大学にいける話をオファーされた時はとても嬉しかったです。
でもラッキー過ぎて、「この話は本当かな。あとで多額のお金を請求されるんじゃないか」と疑ってしまいました(笑)。
母国語ではない英語で教える大変さはもちろんですが、もともと研究者志望だった僕が、学生に教えるという得意ではないことを務めることになり、最初の頃はとにかく苦しんで、苦しんでやっていました。2017年8月にフルタイムでティーチングを始めて、最初の2か月は眠れませんでしたから。
そんな中、どうすれば自分の言いたいことを効率良く伝えられるかを考えて、ただ一方的に講義をするスタイルから、アクティビティを入れる、ビデオを見せるなど色々工夫することで、ティーチング力が発展していったように思います。
僕が教えたことをもとにグループで発表させるプレゼンテーションの際に、言いたいことがまとまっていない、僕の言ったことを理解していないなど頭を抱えることが多々あって。授業でまずプレゼンテーションスキルを教えることにしたんです。すると、学生のプレゼンの質が上がり、次第に良い発表ができるようになりました。
学生が成長していく姿を見ることはやりがいにつながりますし、僕が教えた学生が卒業後、レクリエーションセラピストとして一人前に働いている姿を見ると嬉しくなりますね。「この子は僕のクラスであれだけ苦しんでいたのに、ちゃんとやっているな」と。
大学内で毎年1人が受賞するのですが、他のアメリカ人の学生を抑えて受賞し、しかも2年連続で受賞できたことは誇りに思います。
高校時代に培った“探求心”に尽きると思います。博士課程1年目は色んな研究のプロジェクトに参加し、とにかく「自分がやりたいことをする」ことに集中していたことが評価につながったのかもしれません。
まずはティーチングのスキルを上げること、そして教員になると現場から離れてしまいがちなので、もう少し現場とのつながりを持ってセラピストとしての感覚を上げていくこと。そこで得た学びを学生指導に生かしたいです。
色々と誘惑の多い東京と比べて、筑波大は遊べる場所からは隔離されているので、勉強や自分のやりたいことに没頭しようと思えば、いくらでも時間を使える環境ですよね。
大学の近くに住んでいて終電を気にする必要がなかったですから、夜中までずっと研究室で過ごしたことも良い思い出です。その経験が“探求心を深める”という、今の僕のベースになっています。
1、2年の頃、パワーがある学友たちの存在に影響を受け、「自分は何が出来るだろうか」と考えました。そういった刺激的な環境にいることがエネルギーとなり、僕のパワーになりました。
勉強にとらわれなくても、大学で学べることはたくさんあります!
所属: | Northwest Missouri State University |
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役職: | Assistant Professor |
出生年: | 1984年 |
血液型: | A型 |
出身地: | 茨城県那珂市 |
出身高校: | 茨城県立水戸第一高等学校 |
出身大学: | 筑波大学 |
出身大学院: | Northwest Missouri State University, Department of Health Human Services (修士), Indiana University-Bloomington, School of Public Health (博士) |
学部: | 第二学群人間学類 |
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研究室: | 柳本研究室(肢体不自由・運動障害研究室) |
住んでいた場所: | 春日四丁目 |
行きつけのお店: | 夢屋 |
ニックネーム: | あつし |
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趣味: | 旅行 |
特技: | いろんな言語を話せます |
尊敬する人: | イチロー |
好きなマンガ: | あきら翔ぶ(とだ勝之) |
好きなスポーツ: | 野球 |
好きな食べ物: | すし、ラーメン |
訪れた国: | 23か国くらいでしょうか |
大切な習慣: | 睡眠時間をちゃんととること |
口癖は?: | まあいいや |
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